デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
1款 インド、パロダ国国王マハラジャ・サヒブ・ガイカー招待
■綱文

第38巻 p.559-561(DK380059k) ページ画像

明治43年5月17日(1910年)

是日栄一、インド、パロダ国国王マハラジャ・サヒブ・ガイカーヲ日本女子大学校ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ開ク。是ヨリ先、同月十六日、栄一、同国王ヲ帝国ホテルニ訪問ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK380059k-0001)
第38巻 p.559 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年             (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 曇 暖
○上略
朝、桜井義肇氏来リテ、印度王ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
五月十六日 曇 暖
○上略 三時帝国ホテル抵リ、バロタ国王ニ謁見シテ種々ノ談話ヲ為ス桜井氏通訳ス○下略
五月十七日 曇 暖
○上略 午前十時女子大学ニ抵リ、印度バロタ国及妃《(マヽ)》・王女等ノ学校参観ヲ案内ス、各教場ヨリ晩香寮ニ抵リ茶菓ヲ饗シ、夫ヨリ王妃・王女《(ト)》ヲ自働車ヲ共ニシテ帝国ホテルニ抵ル、○中略三時王子ニ帰宅シ、五時頃バロダ国王・同妃・王女、及随従ノ武官其他ニテ合計九名、陪賓十数名ノ来賓ヲ招宴ス、先ツ庭園ヲ散歩シ、後、書院ニ於テ余興ヲ演シ、且饗宴ヲ開ク、一同歓ヲ尽シ、夜九時過散会ス
  ○中略。
五月二十三日
○上略○午後帝国ホテルニ抵リテ印度バロタ国王ヲ訪問シ、謁見ノ上二・三ノ談話ヲ為ス○下略
  ○中略。
五月三十日 晴 暖
○上略
此日印度バロダ国王ヨリ帝国ホテルニ招宴セラレシモ、忌中ナルヲ以テ出席ヲ謝絶ス○栄一妹貞子本月二十七日逝去ス
  ○中略。
六月一日 曇 暖
午前○中略帝国ホテルニ抵リ、印度王ノ発途ヲ送別ス○下略


東京日日新聞 第一二〇一三号 明治四三年五月一七日 ○雨中の御観光(DK380059k-0002)
第38巻 p.559-560 ページ画像

東京日日新聞 第一二〇一三号 明治四三年五月一七日
    ○雨中の御観光
パロダ国王・王妃・王女殿下には十六日○中略○午後細雨霏々として煙る
 - 第38巻 p.560 -ページ画像 
が如き空を眺めさせられて、流石に長途の旅情に御耐へ難き御思出の折から、恰もよし渋沢男爵の訪問ありて、王殿下には直に御居間に隣れる応接室に引見せられ、王妃・王女両殿下も御同席にて、緩る緩ると御物語ありたり○下略
  ○同殿下歓迎ノ記事ハ「日印協会々報」(第三号・明治四十三年七月)及ビJOURNAL OF THE INDO-JAPANESE ASSOCIATION No.III. July 1910.ニアリ。


竜門雑誌 第二六六号・第六〇頁 明治四三年七月 ○印度パロダ国王招待会(DK380059k-0003)
第38巻 p.560 ページ画像

竜門雑誌 第二六六号・第六〇頁 明治四三年七月
○印度パロダ国王招待会 青淵先生には、過般清国を経て我邦に来遊せられたる印度パロダ国王一行を歓迎の為め、去五月十七日午後三時飛鳥山邸に於て饗宴を張られたり、当日の賓客は同国王マハラジャ・サヒブ・ガイカー殿下、同王妃殿下、同王女殿下を始め随行員秘書一名、武官二名、侍女(白人)一名、侍医一名の外、高楠順次郎氏・日印協会幹事エガルジ及斯波貞吉の両氏及高橋是清男・加藤正義氏・成瀬仁蔵氏等主客二十二名、料理は浜町常盤屋主人が意を凝らしたる献立にて、又余興としては帝国劇場附属技芸学校生徒の演劇ありて、渋沢家一門の心尽しの歓待に、遠来の佳客もいたく満足を表されたり


家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月 (写真説明)御来遊中の印度バロダ国王、同妃両殿下並に王女殿下(DK380059k-0004)
第38巻 p.560 ページ画像

家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月
(写真説明)
御来遊中の印度バロダ国王、同妃両殿下並に王女殿下
                 (大滝私邸に於ける御撮影)
   ○写真略ス
 印度王バロダ王・王妃、王女三殿下には五月十七日午前十時日本女子大学校に成らせられ、各教室、寮舎を御覧あらせられ、生徒の作りし茶菓を召されて後、飛鳥山渋沢邸へ自動車を駆らせられぬ。校庭にて御一行の御撮影を願ひしに王殿下には快く御聴許あられしが、御都合により王殿下には早く御帰り避ばされし為め其の意を果さゞりき、由て浅草今戸の大滝家にて御撮影を乞ひて玆に掲ぐ、○下略


家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月 時事日誌 自四月廿一日 至五月廿日(重要記事なき日は省く)(DK380059k-0005)
第38巻 p.560 ページ画像

家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月
   時事日誌 自四月廿一日 至五月廿日
       (重要記事なき日は省く)
○同○五月十四日(土) 印度バロダ国王及王妃王女入京


家庭 第二巻・第八号 明治四三年七月 時事日誌 自五月十六日至六月二十日(重要記事なき日は省く)(DK380059k-0006)
第38巻 p.560 ページ画像

家庭 第二巻・第八号 明治四三年七月
   時事日誌 自五月十六日至六月二十日
       (重要記事なき日は省く)
○同○五月十七日(火)印度王族バロダ殿下一行、本日より帝室貴賓の待遇を受けさせらる


家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月 こどもらん ざつぱう くわうしつのこと(DK380059k-0007)
第38巻 p.560-561 ページ画像

家庭 第二巻・第七号 明治四三年六月
   こどもらん ざつぱう
 - 第38巻 p.561 -ページ画像 
   くわうしつのこと
○上略
△印度の王様 一口に印度と云へば大辺広いのですが、その中矢張英国の保護国の一つにバロダといふ国があります。そこの王様マハラジヤーガエルワール殿下は、王妃や王女と御一緒に日本へ御見物に御出でになりました。王様は御年五十。バロダ国は人口が二百六十万もあつて、印度王国の中ではなかなか強い国です。
王妃は御年卅八、水色の洋服の上に紅・黄の上覆を御召しになり、王女は肉色の洋服に鼠色の地に赤や青でふちをとつた上覆をお召しになつて入らつしやいました、御年は十八。両殿下とも額に美しいルビーのやうな朱点を描いて入らつしやいます、これはヒンヅー教といふ宗教の儀式によつて、毎朝潔斎してお描きになるのださうです。日本の御見物がすみましたら、英国や米国へも御出でになる御都合になつて居るさうです。


渋沢栄一 覚書 増田明六宛(DK380059k-0008)
第38巻 p.561 ページ画像

渋沢栄一 覚書 増田明六宛       (増田正純氏所蔵)
(別筆)
四三・四・九
ローマン氏来状ニ対スル回答案調成ノ事
○中略
アル・デ・タタ氏来状ニ対シ回答書相発可申事
 但バロタ王東京御着後ノ模様、及昨日帝国ホテルニ訪問シ種々ノ談話ヲ為シ、且今夕王子宅ニ来駕セラレ、緩々饗宴セシ事ヲモ申添ヘキ事
○中略

(別筆) 小生ヘ遣サレタル 男爵自筆覚書 御旅行前(四十三年四月九日御出立)

  ○右ニ小生トハ増田明六ノ事ニシテ栄一旅行ニ際シ、要務ヲ増田ニ書残シタルモノナリ。「御旅行」トハ栄一、四月九日東京ヲ発シ、名古屋及ビ関西ヲ経テ二十七日帰京セルヲ言フ。因ツテ本文ハ五月十七日栄一追記セルモノナリ。タタノ来状及ビ回答資料ヲ欠ク。