デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
5款 メキシコ国答礼大使フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ歓迎
■綱文

第38巻 p.593-596(DK380067k) ページ画像

大正2年12月26日(1913年)

是ヨリ先、メキシコ国ヨリ、同国独立記念祭ニ際シテノ、我国ノ表慶ニ対スル答礼大使トシテ、フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ来日ス。是日栄一、近藤廉平・中野武営等ト共ニ、其歓迎晩餐会ヲ生命保険会社協会ニ開ク。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正二年(DK380067k-0001)
第38巻 p.593 ページ画像

集会日時通知表 大正二年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿三日 火 午前九時  メキシコ大使之件(商業《(会脱)》議所)
  ○中略。
十二月廿六日 金 午後七時半 墨国大使招待会(保険協会)
十二月廿七日 土 午後八時  墨国特派大使より案内(ホテル)
十二月廿八日   午前九時半 デ・ラ・バラ氏訪問


竜門雑誌 第三〇八号・第七八―八〇頁 大正三年一月 ○墨使歓迎晩餐会(DK380067k-0002)
第38巻 p.593-595 ページ画像

竜門雑誌 第三〇八号・第七八―八〇頁 大正三年一月
○墨使歓迎晩餐会 青淵先生、三井・岩崎・近藤の各男及び中野武営氏等発起となり、十二月二十六日午後七時半より生命保険協会々館に今次来朝せる墨国答礼大使デ・ラ・バラ氏、随員一同パルト公使を主賓として、又牧野外相、松井次官、小池・阪田両局長等を陪賓として招待し、盛大なる晩餐会を催し、デザートコースに入るや、青淵先生は村上外国語学校長の通訳にて、左の歓迎の辞を述べたり
 フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ閣下、並に臨場の諸閣下諸君今夕我東京実業家集合して、今回閣下が我国に対し貴国独立紀念祭表慶の答礼大使として来京せられたるを幸機とし、玆に此宴を設けて閣下諸君尊臨の栄を荷ひたるは、深く肝銘する所なり
 想ふに東洋厳寒の季節に臨み、貴邦多事の日に当つて、山海万里の長旅を厭はず、灼々燃ゆるが如き赤誠を齎らし、此に訪問せられたるは、我儕国民皆以て閣下の労を謝し、且其信義の厚きに対し、無限の同情を以て之を歓迎せざるべからず
 回顧すれば江戸幕府の初めに当り、貴国と我国と交通の端を開きたることは昭々として史上に存す、後我邦施政の変遷により其進歩を見るに至らざりしが、天運循環維新中興の後新に貴我盟約を訂し、三百年の旧交を温め、自来日に親善を増し、凡そ吉凶大事交際の案件ある毎に、貴国人民の我に対し、深厚の誠意を以て慶弔相問ひ、賛襄宜しきを致すは、我国民の感激して已まざる所なり、且つ夫れ近年貴我交通の機関漸く動き、航海の如き始めて直通を開くと雖も其貿易に至つては今尚初歩の間に在りと謂はざるべからず、是れ吾
 - 第38巻 p.594 -ページ画像 
人の常に遺憾とするもの、今や閣下の光臨を待つて衷情を吐露するを得る何の幸か之に如かん
 願くは閣下我国民特に吾人実業家の微衷を諒とし、帰国の日広く之を貴国の人民に伝へられ、自今益々其発達を助長し、貿易繁閙の盛に向はんことを、夫れ源深きものは其流大を成す、人事亦然り、貴我の関係実に此に存す、蓋実業は水なり、政事は船なり、水なきの船は棹さすべからず、冀くは自今貴我の実業日に月に其力を加えて汪洋の大を成し、航通織る如く、貿易繁閙相共に平和の権衡を保ちて悠々共に楽しまんことを
 終りに臨んで閣下並に諸君の健康を祝す
之に対して、デ・ラ・バラ氏は起ち、左の答辞を述べたり
 今夕は日本の総ての方面、就中日本の商工業の発展に激甚なる貢献を為せる、斯く多数の実業家諸氏の招待に預りたるは深く感謝する所なり、而して貴国と自国との間には既に多年親交は結ばれ居れるが只今渋沢男の云はるゝ通り、今後は実業上の連鎖に依り、更に両国の親交を重ねざるべからず、然るに現時墨国は内乱の為め騒擾せるが軈て平定することならん、其ときは大に相提携して貴国の好意に副ふべし、尚諸君より受けたる熱誠なる同情は、帰国後我国民に伝ふると共に、玆に諸君の此盛大なる歓迎に対し、深厚なる感謝の意を表す
右終つて一同別室に移り、数番の余興あり、主客歓を尽して十一時散会せり、尚当日主人側として出席したるもの前記の外如左
 岩井重太郎・柳谷卯三郎・浅野総一郎・佐竹作太郎・小野金六・和田豊治・神田鐳蔵・山科礼蔵・小池国三・角倉賀道・角田真平・大橋新太郎・松方巌・井上準之助・堀達・松尾吉士・村井吉兵衛・木村清四郎・福原有信・伊藤幹一・武智直通・久保田栄・浜本義顕・西宮新七・井坂孝・星野錫・三村君平・高田慎蔵・高松豊吉・阿部泰蔵・岩原謙三・小川䤡吉・伊東祐忠・川上直之助・早川千吉郎・米井源治郎・長松篤棐・柿沼谷蔵・神谷忠雄・飯田義一・森村開作・山本条太郎・村井貞之助・安田善三郎・町田徳之助・米山梅吉・須田利信・添田寿一・福井菊三郎・大倉喜八郎・大塚栄吉・前川太兵衛・原田金次郎・串田万蔵・木村久寿弥太・杉原栄三郎・池田謙三・林民雄・日比谷平左衛門・吉村鉄之助・佐々木勇之助・荘清次郎・中根虎四郎・安藤浩・鈴木万次郎
尚、当日宴に先ち発起人一同より、同大使に左の美術品を贈呈したり
  一、花瓶 一対
○墨国大使に餞電 青淵先生及中野武営氏は、一月六日下関山陽ホテルに滞在中なる渡辺式部官に宛て、左の電報を墨国大使に伝達せんことを求めたり
 我々は大使が御滞京中屡々尊容に接せしを光栄とす
 大使が日本に在りし間、天気都合よく各地の遊覧を了へられたるを喜ぶ、尚今より長途の旅程御健康にして御住所に御安着を祈る
右に対し、デ・ラ・バラ大使より左の返電ありたり
 御好意を深謝し貴下の万福を祈る
 - 第38巻 p.595 -ページ画像 
又墨国商業会議所よりは、我東京商業会議所の優遇を感謝し、左の謝電を送致せり
 大使一行に対する深甚なる御同情を感謝す


東京日日新聞 第一三三三四号 大正二年十二月二八日 実業家の歓迎会 デ・ラ・バラ氏歓喜(DK380067k-0003)
第38巻 p.595 ページ画像

東京日日新聞 第一三三三四号 大正二年十二月二十八日
    ○実業家の歓迎会
      デ・ラ・バラ氏歓喜
 墨西哥特使デ・ラ・バラ氏に対する実業家の歓迎会は、廿六日午後七時半より生命保険協会に於て開催、主人側は渋沢・近藤・三井・岩崎各男爵、及び中野商業会議所会頭等都下第一流の実業家百十余名にして、主賓にはデ・ラ・バラ特使一行、パルド墨国公使、横浜同総領事エンリツク氏以下十三氏、陪賓として牧野外務大臣以下次官・局長等にして、墨国の慣例に依り食卓に就く前に主客歓談を交へ、日比谷公園に開催せる国民歓迎会の殷々たる煙花の音を聞きつゝ食卓に移り宴半にして牧野外務大臣は杯を挙げて墨国大統領の万歳を三唱し、パルド墨国公使は日本天皇陛下の万歳を三唱し、それより渋沢男は例の快弁を以て
  ○演説前掲ニツキ略ス。
と述べ、外国語学校長村上直次郎氏、西班牙語にて之が翻訳に当りたるが、之に対しデ・ラ・バラ氏は歓喜溢るゝが如き面地にて起立し、極めて叮重なる答辞を述べて歓談に時を移して散会せり



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第三六〇―三六一頁 昭和七年二月刊(DK380067k-0004)
第38巻 p.595-596 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕北米の日本人 末広重雄著 第二三五―二三七頁 大正四年二月刊(DK380067k-0005)
第38巻 p.596 ページ画像

北米の日本人 末広重雄著 第二三五―二三七頁 大正四年二月刊
 ○第四章 第三節 墨西哥と我が移民
    第二款 墨西哥と排日問題
 墨西哥の朝野は日本人に対して非常に好感情を抱いて、其の入国を歓迎しつゝあるのである。前仮大統領ウエルタは予に対し、日本移民の入国を希望する旨を告げた。昨年末答礼使として来朝したデ・ラ・バラも、日本移民渡航の場合には相当の援助を与ふべきことを、我が実業界の有力者に約束したさうである。目下中原の鹿を争ひつゝあるカランサ、ヴイリア諸将軍の日本人排斥は、米国仕込の訛伝であるやうである。墨西哥人は何故に日本人を歓迎するのであるか、其の理由三つある。第一は日墨人は其の皮膚の色・容貌等に於て酷だ似て居るから、墨西哥人は日本人と祖先を同ふすると云ふ伝説が信用せられ、日本人を以て兄弟分と考へる者が少くない、第二は墨西哥人は米国人に対して深い悪感情を有つて居るから、其の反動として米国人と抗争する日本人に対する同情が自然深い。又日露戦争で有色人たる日本人が白人に対して目覚しい勝利を占めたのを見て、日本人に対して深厚なる敬意を表し、非常に我が国との親善を希望するやうになつたのである。此れ等感情上の原因許りでなく、第三に経済上の原因がある。墨西哥八十万方哩、我が国の約三倍の面積の地に住する人口僅に千五百万、而も其の大多数を占める墨西哥土人は、智識の程度極めて低く甚だしく懶惰で極めて低級の労働者である。農業上の労働者としては彼等は新式機械の使用を知らず、今尚先祖伝来の幼稚な耕作法をやつて居る有様であるから、農業労働者の欠乏甚だしく、此れが為今日尚耕作されぬ土地が沢山ある。墨西哥は鉱物殊に銀の豊富を以て聞える国であるけれども、其の将来は鉱業に在らずして農業にある。或る学者が墨西哥の鉱山に投ぜられた資本を全部農業に投じて居たならば、墨西哥の国富は今日に比較して四倍になつて居るだろうと云つた位であるが、農業に必要な労働者が欠乏して居るから、之を海外に求めねばならぬ。米国が欧洲移民に開放せられる限、此の方面から労働者の供給を仰ぐことが六ケ敷いから、熟練なる農業上の労働者として、評判の高い日本人を歓迎することは自然の勢である。以上三つの理由で日本移民は墨西哥で頗る歓迎されるから、我が国は之に乗じて彼地に多数の移民を送り、切迫したる人口問題の解決を図るべきである。
○下略