デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
7款 インド詩人タゴール招待
■綱文

第38巻 p.602-611(DK380070k) ページ画像

大正13年6月12日(1924年)

是月七日、ラビンドラナート・タゴール来日シ、十日日本女子大学校ニ招待会、十一日日本工業倶楽部ニ日印協会主催歓迎会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。是日栄一、飛鳥山邸ニタゴールヲ招キテ茶話会ヲ催シ、大隈信常・阪谷芳郎・市来乙彦・団琢磨等四十余名出席ス。次イデ十三日東京市養育院ニ同人ヲ迎ヘ、栄一其沿革並ニ現況ノ説明ヲナス。同夜日印協会主催ノ観劇会演伎座ニ催サレ、栄一出席ス。尚、栄一、後ニ今回ノ歓迎費ノ残金ニ金千円ヲ追加シ、日印協会ヲシテタゴールノ経営スル大学ニ寄贈セシム。


■資料

(日印協会) 参考書類 自大正一一年至昭和五年 【事務報告(自大正十三年三月至同年七月)】(DK380070k-0001)
第38巻 p.603 ページ画像

(日印協会) 参考書類 自大正一一年至昭和五年
                    (日印協会所蔵)
   事務報告(自大正十三年三月至同年七月)
一タゴール翁歓迎之件
 桜井義肇氏主として各方面の交渉に当り、遂に渋沢会頭の御諒解を得て、三井・正金・郵船・三菱の四大会社より、タゴール翁歓迎費の内へ金壱千円づゝの寄附金を得る事となり、六月初旬タゴール翁歓迎有志会の成立を見、之が会計には渋沢子爵より松尾・田島両氏へ依頼ありたり
 六月七日午后八時四十五分東京駅着の列車にてタゴール翁入京、非常なる歓迎を受けたり
 タゴール翁歓迎有志会総代子爵渋沢栄一、侯爵大隈信常・団琢磨・藤山雷太・山田三良・高楠順次郎・姉崎正治の合議を以て、六月八日附にて日印協会々員其他有志者へ、六月十一日午后四時丸の内工業倶楽部に於て、タゴール翁歓迎会を相催し一場の講演を請ひ、尚引続き有志の晩餐会を開く旨の案内状を発せり、右講演会及晩餐会何れも盛会にて同翁満足せらる
 六月十三日午后五時同翁を演伎座へ案内し観劇会を催せり、此日渋沢会頭始め松尾○吉士高楠両理事、山田三良氏、桜井義肇氏、田島常三氏、荒井寛方氏、小畑久五郎氏等来会、同翁の歓待に勉められたり。
 六月十四日午前八時三十分、東京駅発の列車にてタゴール翁京都へ向け出発せらる、松尾・高楠両理事外多数有志の見送ありたり
 タゴール翁一行歓迎の緒費用は約三千円にて、近日会計報告を作り関係者へ送る手配中にて、残金の処分は渋沢子爵の御意見に従ひ決定之筈
                           以上


集会日時通知表 大正一三年(DK380070k-0002)
第38巻 p.603 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年           (渋沢子爵家所蔵)
六月六日  金 午後一時  日印協会松尾吉士氏外二名来約(事務所)
  ○中略。
六月十日  火 午後五時半 日本女子大学校タゴール氏招待晩餐会(同校)略服
六月十一日 水 午後四時  タゴール氏歓迎会、日印協会主催(工業倶楽部)
六月十二日 木 午後二時半 タゴール氏招待茶話会(飛鳥山)
六月十三日 金 午前時   タゴール氏ト御会見(東京市養育院本院)
        午後五時  タゴール氏招待観劇会(演伎座)


(日印協会) 参考書類 自大正一一年至昭和五年 【謹啓 タゴール翁来朝に就き歓迎会相催し一場の講演を請ひ…】(DK380070k-0003)
第38巻 p.603-604 ページ画像

(日印協会) 参考書類 自大正一一年至昭和五年
                     (日印協会所蔵)
 - 第38巻 p.604 -ページ画像 
謹啓 タゴール翁来朝に就き歓迎会相催し一場の講演を請ひ、引続き有志の晩餐会を開き申候間、何卒御来会被成下度、此段御案内申上候
                           敬具
 時日 六月十一日午後四時
 場所 丸ノ内工業倶楽部
  大正十三年六月八日
      タゴール翁歓迎有志会総代
         子爵 渋沢栄一 侯爵 大隈信常
            団琢磨     藤山雷太
            山田三良    高楠順次郎
            姉崎正治


家庭週報 第七四九号 大正一三年六月二〇日 □タゴール氏の講演(DK380070k-0004)
第38巻 p.604 ページ画像

家庭週報 第七四九号 大正一三年六月二〇日
    □タゴール氏の講演
 既報の如く、六月十日午後五時半よりタゴール氏来校、渋沢子爵・三井高修氏夫人並に母堂其の他の来校者一行と共に晩餐を伴にせられた後、講堂に於て学生一同に対して一場の講演を試みられた。尚タゴール氏は十四日の朝京都に向つて出発された。


時事新報 第一四六九八号 大正一三年六月一三日 タゴール翁を招待して(DK380070k-0005)
第38巻 p.604 ページ画像

時事新報 第一四六九八号 大正一三年六月一三日
    タゴール翁を招待して

日印協会主催《(タゴール翁歓迎会)》の下に、昨十一日午後四時から工業倶楽部でタゴール翁の講演があつた、伊太利大使・波蘭公使も出席し、日本側からは渋沢子・藤山氏等も来聴したが、講演の後渋沢子の主人役で晩餐会が開かれた(写真○略ス左からタゴール翁・渋沢子・藤山氏)


(増田明六) 日誌 大正一三年(DK380070k-0006)
第38巻 p.604 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一三年     (増田正純氏所蔵)
六月十一日 水
○上略
後四時、先般来邦の印度タゴール詩聖の講演会工業倶楽部に開催せらる、聴衆弐千余、彼の大会堂立錐の余地なし、柔和なる音声を以て徐徐に講話を始め、一時半、始終変らさる態度にて之を了る、小畑久五郎邦訳す
六月十二日 木
○上略
同三時、飛鳥山邸に於て印度詩聖タゴール翁の歓迎茶会が催された、前記東汽の大株主会を終り東京駅前より自動車を雇ふて馳せ付けた処翁がしきりと演説して居る処であつた、演説が終つてから庭園の散歩(此際活動写真を多数撮影した)を為し、来会者一同書院より客間ニ至り茶菓を取り、翁が日本音楽を希望して居らるゝ処より三曲を余興とし、歓を尽して散会したのは午後六時であつた


渋沢栄一書翰控 ラビンドラナート・タゴール宛 (一九二四年六月)(DK380070k-0007)
第38巻 p.604-605 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ラビンドラナート・タゴール宛 (一九二四年六月)
                    (渋沢子爵家所蔵)
 - 第38巻 p.605 -ページ画像 
           (COPY)
  Viscount E. Shibusawa requests the pleasure of Sir Rabindranath Tagore's company at Tea Party on Thursday, June 12th, 1924 at 2.30 P.M. at his Asukayama Villa.
 R.S.V.P.


招客書類(二) 【案 拝啓、時下益御清適奉賀候、然者今般印度タゴール氏来邦せられ候に就ては…】(DK380070k-0008)
第38巻 p.605 ページ画像

招客書類(二)              (渋沢子爵家所蔵)
    案
拝啓、時下益御清適奉賀候、然者今般印度タゴール氏来邦せられ候に就ては、歓迎之為めテイパーチー相設け御緩話相願度と存候間、来六月十二日午後三時飛鳥山拙宅へ御来駕被成下候はゞ本懐之至に候、此段御案内申上候 敬具
  大正十三年六月六日           渋沢栄一
   追て御諾否封入端書にて御回示被下度候


招客書類(二) 【大正十三年六月十二日午後三時 茶話会 於飛鳥山邸】(DK380070k-0009)
第38巻 p.605-606 ページ画像

招客書類(二)              (渋沢子爵家所蔵)
    大正十三年六月十二日午後三時
    茶話会 於飛鳥山邸
          ○印ハ午後二時半
                (太丸太字ハ朱書)
 Dr. Rabindranath Tagore     ○タゴール
 Nanda Lad Bose         ○ボス
 Kalidas Nag           ○ナグ
 K. Sen             欠セン
 L. K. Elmhirst         ○エルムヒルスト
                 ○徐志摩
                 ○張歆海
                ○○大隈侯爵
 ○○市来乙彦         ○○団琢磨
 ○○阪谷芳郎         欠○伊東米治郎
 ○○添田寿一         ○○児玉謙次
 ○○小野英二郎        欠○藤山雷太
 欠○梶原仲治         ○○高楠順次郎
 ○○中川小十郎        欠○山田三良
 ○○野中清          ○○姉崎正治
 欠○佐々木勇之助       ○○松尾吉士
  ○高田早苗          欠間島与喜
  ○田中穂積          ○小野清一郎
早退○岡野敬次郎
  ○横山大観
   遅刻スルヤモ知レズ
 ○○古河男爵
  欠杉原栄三郎         ○佐野甚之助
  ○服部文四郎         ○田島常三
  ○田中太郎          ○荒井寛方
  ○川口寛三          ○岡教邃
 - 第38巻 p.606 -ページ画像 
  ○小木千丈          ○立花俊道
  ○碓居竜太         ○○頭本元貞
  ○村山正修          ○山科礼蔵
  ○主人           ○○串田万蔵
  ○小畑久五郎  ○渋沢正雄  ○桜井義肇
   〆五十二名  ○麻生正蔵  ○塘茂太郎
 一日本音楽ヲ聴カセツヽ茶菓ヲ饗スルコト
 一茶菓ノ場所ハ日本客坐敷トスルコト
 一茶菓ノ準備ハ左ノ通トスルコト
  茶、(日本茶ノ上等ト番茶)、菓子、(日本ノナマ菓子)、果物、(バナナ、リンゴ類)、サンドウイッチ、アイスクリーム
 一散ラシ卓トスルコト、但タゴールヲ正面ニ据ヘ何レノ卓ヨリモ見ユル様ニスルコト
 一日本音楽ハ高橋永世氏ニ依頼スルコト
 一活動写真ヲ取ル事


竜門雑誌 第四三〇号・第七六頁大正一三年七月 ○タゴール翁招待茶話会(DK380070k-0010)
第38巻 p.606 ページ画像

竜門雑誌 第四三〇号・第七六頁 大正一三年七月
○タゴール翁招待茶話会 青淵先生は六月十二日午後二時三十分曖依村荘に於て、来邦の印度詩聖タゴール翁を招待せられ、日印協会の諸氏其他を陪賓として、盛大なる茶話会を催されたるが、其光景は活動写真に撮影せる由。
 尚ほ当日出席せられたるは、タゴール翁の外、ボス氏・ナグ氏・大隈侯爵・阪谷男・市来乙彦氏・団琢磨氏・岡野敬次郎氏・山科礼蔵氏串田万蔵氏・児玉謙次氏・中川小十郎氏・小野英二郎氏・高楠順次郎氏・姉崎正治氏・田中穂積氏・添田寿一氏・頭本元貞氏・横山大観氏等四十余名なりしと。


東京市養育院月報 第二七五号・第二〇―二一頁大正一三年六月 ○タゴール氏の板橋本院視察(DK380070k-0011)
第38巻 p.606 ページ画像

東京市養育院月報 第二七五号・第二〇―二一頁 大正一三年六月
○タゴール氏の板橋本院視察 此程来朝せられたる印度名士タゴール氏は、日印協会佐野甚之助氏同伴、六月十三日午前十時板橋本院へ来院、楼上会議室に於て渋沢院長・田中幹事より養育院の沿革並に現況に就き詳細なる説明を聴取せられ、終つて院内諸施設を視察の上、同十一時非常に満足の意を表して辞去せられたり


東京市養育院月報 第二八一号・第一―四頁大正一三年一二月 予とタゴール翁 子爵渋沢栄一(DK380070k-0012)
第38巻 p.606-608 ページ画像

東京市養育院月報 第二八一号・第一―四頁 大正一三年一二月
    予とタゴール翁
                   子爵渋沢栄一
 タゴール翁とは八年前に来られた時、日本女子大学校長成瀬仁蔵氏の紹介で始めて会つた、其時翁は横浜の原富太郎氏の三渓園に滞在して居られたので、成瀬氏と共に御訪ねして御飯を一緒に喰べ、通訳によつて談話を交へたのであつた
 この前年の縁故もあり、再度の渡日に骨を折つたり歓迎奔走して居る、高楠順次郎博士・姉崎正治博士・山田三良博士や、従来印度と関
 - 第38巻 p.607 -ページ画像 
係の深い人々などから相談もあつたから、滞在中は便宜に旅行させ度いと思ひ、一日私の家も訪問して貰ひ、茶話会を開き度いと思つて、少しは力添へもし、本年六月十二日には、茶話会を開いたやうな訳である。
 滞在は僅かに十日から十三日までの四日間であつたが、此の間四・五回会見したから八年前よりは親しく話し会ふことも出来た、その人となりは仙人とも云ふべく、その風釆態度も高尚で脱俗的であつた、風采態度ばかりでなく人格も脱俗的で気高く、思想も高遠の人と云つてよい、況んや詩人であると云ふことである
 詩と云へば、私も漢詩はやるし、人の詩も理解する丈の力を有つ居る積りであるが、西洋の詩は判らぬ、併しは翁は話が上手であり、云ふことに余韻があつたから、詩人であると云ふことはさう云ふ所からも窺はれた、かう云う人と交はりを結んで居れば益を受けることが多いと思つた
 翁は、着京早々十日の晩日本女子大学に来られ、日本の女子に対する教育の必要を説き、社会の進歩につれ益々その必要あることを訓戒的に説かれた、尤もな説のやうに思つた
 十一日には日本工業倶楽部に於て一場の講演をやつたが、意義ある内容であつたが為に、千二・三百の聴講者が皆しとやかに謹聴し、少しも喧騒の様を見なかつた、その梗概は、
 日本の昨年は震火災に遭遇し、今年は又人為上の或関係に於て悩まされて居る、即ち昨年は自然が意外なる惨状を日本に加へたが為めに、日本人は非常なる災害に苦しんだ、併し日本人が今や復興に努力して止まぬ意義のあるのは頼もしい、この災害は自然であるから之れを防ぐことは出来ないが、今年のものは人為の被害であつたが為めに自然の災害より非常にいかぬ
 日本人は内心之れを憤慨して居ると想像するけれども、外部は至つて温健・質実であるのが頼母しい、之れを憤激して道理を外れるやうな過激に過ぎてはならぬ
 国際には知識と力を以て進み、事実に於ては暴戻圧迫を事として居るものがある、個人間に於ては温情的であるけれども、国際間になれば少しも仮借することなく、人の迷惑することを何とも思はぬものがある、強者が勝手に弱者をいじめたならば平和は保つことが出来ないではないか
 右のやうなことを各方面から説き、之れを改めるには、政治を道徳化さなければならぬと云ふ風に解決したやうであつた
 その趣旨もよし、言葉が豊富で、言葉の使ひ方も上手であり、雄弁家と云ふよりも、壮重な演説であつたと云ふことが出来る、日本の時事を論じ、欧米殊に強者・智者の横暴を除かなければならぬなど要領得たものであつた
 十二日は茶話会であつたから緩くり話し合ふ積りで居たが、日本の音楽を聴き度ひと云ふので、琴・三味線・尺八を聴かせることにして二時間ばかり早く来て貰つた、此の時は多勢の人を呼ばずに少しばかり思想界の人に来て貰つた
 - 第38巻 p.608 -ページ画像 
 其の時私は、こう云ふ質問を出した、それは人人の進歩を図る為めには、洋の東西を問はず、古今を論ぜず知識を進めることに努力して居る、知識の進歩は科学の進歩となり、船が出来、電気が出来、肥料が出来、そして富と力になるが、富と力を得れば相争ふやうになる、さうすれば結局知識の向上は、個人の富と力とになれば大なる罪悪を作るのが知識であるとされるのが通例である、さうなれば知識を学校で勧めることは罪悪を勧めて居るやうなものである、之に対する方策はどうであるかと云ふのであつた
 すると翁は、知識が富となるのは悪くないが、力となると悪くなるからいけない、富は決して自己単独で出来るものではないから、凡てを潤すやうにしなければならぬ、世の中には知識によりて富を作り、富によりて罪悪を犯すものがある、このやうな知識を有つて居るのがいけないのである、例へば富が邸宅を作つたとすると、それが平均するやうでなければならぬと答へられた
 第二に私は人種問題について質問した、十二・三年前、孫逸仙氏が来られた時、氏は東洋人種は白哲人種に拮抗するやうに奮励努力せねばならぬと云うて、有色人種と無色人種とを相競はしむるが如き思想を説いた、併し私は人種を色別にして奮励させるのがよくないと思つて、日光は決して植物によつて区別はして居ない、大根の白い花も菜種の黄い花も日光は同じく照して居る、神と云ふものも、植物や動物の色によつて好悪があるべきではない、春は花は色が違つて同じく春を飾つて居るではないか、故に色によつて相闘はしめることはいけない、先方でも此方でも、さう云ふ事は止めたがよいと話したことがある、孫氏はどう云ふ考へになつて居るか知らぬが、私は今も同様に考へて居る、これはどうかと云ふと、翁は之には論がないと云つて同意された
 更に教育問題、国際問題について問はんとしたが、音楽の時間が来たのでよした、教育の問題については、ベンガル語で書いたものがあるから英語に訳して贈ると云ふ約束をした
 翌晩演伎座に行つて芝居を見たので話をする暇もなかつた、十三日には板橋の養育院を暫時でもよいから見て貰ひ度いと云ふと、来て呉れたが、貧民の施設を斯くまでやつて居るのは感心たと称めて呉れたお世辞もあつたかも知れぬ、斯くの如き有様で別れたが、要するに変つた詩人であると思つた、印度の土地があのやうであつて、境遇や環境が進歩的でなく、自ら進歩向上しようとしても六ケしい為めでもあらうが、翁は理想的に傾いて活動的でもなく、進歩的な所が乏しくはないかと思はれた(完)


読売新聞 第一六九六九号 大正一三年六月一五日 花道に興をひいた 演伎座観劇のタ翁 何れは物にする其印象(DK380070k-0013)
第38巻 p.608-609 ページ画像

読売新聞 第一六九六九号 大正一三年六月一五日
  花道に興をひいた
    演伎座観劇のタ翁
      何れは物にする其印象
タゴール翁は十三日午後五時から日印協会の招待で、渋沢子爵・山田三良博士その他帝大の教授連二十余名の人々と、赤坂演伎座の中車・
 - 第38巻 p.609 -ページ画像 
我童一座の芝居を見物した。翁は東の椅子席から渋沢子の秘書小畑氏に通訳されながら熱心に見物して居た○中略(写真○略ス右から渋沢子・片岡我童・タ翁・片岡市蔵)


東京朝日新聞 第一三六六一号 大正一三年六月一四日 旧劇の舞台を詩に歌はんと 昨夜演伎座の見物に 興をやつたタゴール翁(DK380070k-0014)
第38巻 p.609 ページ画像

東京朝日新聞 第一三六六一号 大正一三年六月一四日
  旧劇の舞台を詩に歌はんと
    昨夜演伎座の見物に
      興をやつたタゴール翁
十三日、タゴール翁は東京に於ける最後の夜を、横山大観氏等の美術院の連中に招待されて、赤坂演伎座に中車・我童の芝居を見物した。新喜楽で晩餐を済ました翁は六時演伎座に姿を見せた、舞台は中車の「一条大蔵卿」の演ぜられてゐる最中である、白茶色リンネルのガウンを身に纏つた翁は
 静かな 詩人らしい容姿で渋沢翁の背後の椅子に倚つた、そして好奇心に満ちた眼をあげて暫く舞台や周囲を眺めてゐたが「印度の劇場は之よりずつと壮大だ」と隣の秘書ハースト君に私語く、演伎座主から贈られた涼し気な夏草模様の団扇をゆつくり使ひながら、興味深く見物した。我童の大蔵卿が八剣勘解由を薙刀で倒した場面を見て「印度にも伝統的な古典劇がある、しかしそれはクリシナやシバなどの神話劇で頗る単調なものだが、日本の古典劇のやうに
 流血は ない」抔と語つた。軈て山田三良博士の案内で楽屋を見物する、中車の扮装を見て「印度の古典劇とよく似た奇怪な感じだ」と批評なぞした、桟敷に帰つた翁はまた舞台を見ながら、ヨネ野口氏に向つて「日本の封建時代の実際がよく判る、今宵体験した此気分を近いうちに詩に唄ひたい」なぞと神経を緊張させた、だが何しろ疲労してゐるからと云ふので中幕の「五条橋」が幕になると八時席を立つた因に翁は十四日夜八時半東京発で京都に行く筈
 奈良ホテルに宿泊、二十一日奈良見物、午後四時奈良発大阪経由神戸着、同夜ドア・ホテルに宿泊、二十二日諏訪丸に乗船、正午上海に向け出帆


渋沢栄一書翰控 ラビンドラナート・タゴール宛 大正一三年六月一七日(DK380070k-0015)
第38巻 p.609-610 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ラビンドラナート・タゴール宛 大正一三年六月一七日
                   (渋沢子爵家所蔵)
 神戸にて
  ラビンドラナス・タゴール様
            大正十三年六月十七日
                      渋沢栄一
拝啓、貴下の東京御滞在は極めて短日時に候しも、諸種の機会に於て御目に懸るを得たるは老生の欣快措く能はざる処に御座候、貴下の試みられたる講演及座談は、人生の根本義に触れ極めて高尚なるものに候、道徳の理想に生き精神的生活を渇仰する人にとりては、貴下の御来遊は最も印象深きものに御座候
老生を始め養育院の吏員は、貴下の御来訪を永く記念し、此事業に対する御親切なる御言葉をも忘る間敷候
 - 第38巻 p.610 -ページ画像 
老生は教育及将来の平和に関する御意見を、拝聴致すべき時間無かりし事は深く遺憾とする処に御座候、乍併教育問題に就てはベンガル語の御著述を英訳せしめられ御送附可被下由にて、御厚志有難拝読の機会を深く期待罷在候
拙宅に御来訪の節、撮影致候活動写真映画一巻、桜井義肇氏に托し贈呈仕候間、記念の御土産として御受納被下候はゞ本懐に存候
終に臨み再会を期待し、尚ほ無事御帰国被遊候様祈上候 敬具
  ○右英文書翰ハ同日付発送セラレタリ。


(ラビンドラナート・タゴール) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年六月二一日(DK380070k-0016)
第38巻 p.610 ページ画像

(ラビンドラナート・タゴール) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年六月二一日
                  (渋沢子爵家所蔵)
VISVA-BHARATI
SANTI-NIKETAN, INDIA
                   June 21, 1924
Dear Baron Shibusawa,
  Thank you very much for the film which will give us a permanent record of a very interesting meeting.
  As soon as the English edition of my lectures is out I hope to send you a copy.
  I would also like to thank you for the keen interest you took in our ideals for a centre of culture in the East & I hope that we may for many years in the future depend upon your close cooperation in this matter, upon your kindly interest & upon our friendship which is now firmly established.
               Yours very truly,
             (Signed) Rabindranath Tagore
(右訳文)
                    (栄一鉛筆)
                    七月十一日一覧
 東京市                 (六月廿七日入手)
  渋沢子爵閣下       一九二四年六月廿一日
                 ラビンドラナス・タゴール
拝啓、活動写真の映画を御送り被下真に難有奉存候、右により非常に愉快なりし会見を永久に記念するを得べしと存候
小生の英文講演集出来次第一部送呈仕度と存居候、猶ほ東洋文化の中心に関して懐抱する吾人の理想に関し、閣下が多大の興味を抱かれ候事誠に難有、将来永年此件に就て十分なる御協力を御願申上度と存候猶ほ今日の確乎たる友誼に就ても宜敷御願申上度と存候 敬具


日印協会書類(一)(DK380070k-0017)
第38巻 p.610-611 ページ画像

日印協会書類(一)        (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば過般来遊のタゴール氏歓迎費之件に関し拝願の為め松尾吉士氏罷出候間、寸時御引見願意御聴取被下度候、右拝願申上度如此御座候 敬具
  大正十三年七月廿二日          渋沢栄一
    三井、団琢磨様
 - 第38巻 p.611 -ページ画像 
    三菱、青木菊雄様
    郵船、伊東米治郎様  各通
    正金、児玉謙次様


日印協会書類(一)(DK380070k-0018)
第38巻 p.611 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然者過般タゴール翁歓迎費御補助の義願上候処、早速御承引の上多額の御寄附被下難有奉存候、御蔭を以て別紙精算報告の通り、支払を了し候に付ては、御礼旁御報告申上度如此御座候、尚残金に付ては其処分方法考究中に有之候処、兼てタゴール翁経営の学校へ記念となるべき設備御寄附致度と存、其種類等考慮致居候に付、其費用一部に充当致事と相成候義と存候間、何卒御承引被下度候、右添て申上候 敬具
                      渋沢栄一
    日本郵船株式会社 伊東米治郎殿
    横浜正金銀行   児玉謙次殿    各通
    三井合名会社   団琢磨殿
    三菱合資会社   青木菊雄殿
  大正十三年九月廿九日
  ○別紙精算報告書略ス。


日印協会書類(一)(DK380070k-0019)
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日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
    タゴール翁歓迎費寄附金残高処分報告      明六
      収入ノ部
一、金壱千壱百七拾参円七拾壱銭也 タ翁歓迎費残金
一、金壱千円也          渋沢子爵寄附金
      支出ノ部
一、金弐千壱百七拾参円七拾壱銭也 タ翁経営世界大学へ寄附
                 正金銀行為替券ニテ郵送
  差引残金ナシ
    以上
右御報告申上候也
  大正十四年四月十五日     タゴール翁歓迎会委員
                     日印協会
  ○右ニ残金寄贈先ヲ「タ翁経営世界大学」ト記セリ。次掲昭和四年六月三日ノ資料中「帰一協会紀要及ビ報告」ニハ其主宰セルヲ「ビシババラテイ学園」ト記セリ。同一ノモノナルベシ。
  ○尚、本資料第三十六巻所収「日印協会」大正十四年四月二十三日ノ条参照。