デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
8款 中華民国前総理唐紹儀、殷汝耕歓迎
■綱文

第38巻 p.629-630(DK380074k) ページ画像

大正7年11月11日(1918年)

是日唐紹儀、朝野ノ名士ヲ東京銀行集会所ニ招キテ、留別ノ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、来賓ヲ代表シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK380074k-0001)
第38巻 p.629 ページ画像

集会日時通知表 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 月 午後七時 唐紹儀氏ヨリ御案内(銀行クラブ)


中外商業新報 第一一七一九号 大正七年一一月一二日 ○唐氏の留別宴 朝野諸星集る(DK380074k-0002)
第38巻 p.629 ページ画像

中外商業新報 第一一七一九号 大正七年一一月一二日
    ○唐氏の留別宴
      朝野諸星集る
唐紹儀氏は来朝以来、約半歳にして健康も大に回復し、十三日横浜解纜の便船にて帰国せらるゝにつき、十一日午後七時より銀行集会所に於て、山本農相・床次内相・加藤総裁・犬養総理・渋沢男等朝野の名士百四十余名を招待して、留別の為め盛大なる晩餐会を催せり、七時半食堂を開きデザートコースに入るや、唐氏は立ちて来朝以来各方面より熱誠なる歓迎を受けたるは深く感謝する所也、而して滞在中痛切に感ぜるは貴国の普通教育の普及せること是なり、仍つて帰国後は民国に於ても大に教育の普及を図ることに努力すべしと結び、之に対し渋沢男は来賓を代表して唐大臣の健康回復を祝福し、次で同大臣の如き有力者が親しく我国上下の実情を視察せられたるは、今後日支両国の意思を疎通せしむるに至るべしとの意味に於て答辞を述べ、之にて食堂を閉じ主客別室に移り、歓談裡に同九時半散会せり、主なる向は前記諸氏の外如左(次第不同)
 金子子・末松子・柳沢伯・箕浦勝人・若槻礼次郎・浜口雄幸・鎌田栄吉、近藤・大倉両男、早川千吉郎・有賀長文・福井菊三郎・安川雄之助・安田善三郎・山下亀三郎・浅野総一郎・村井吉兵衛・山本条太郎・小川平吉、寺尾・堀江両博士等支那関係の朝野名士百四十余名


竜門雑誌 第三六七号・第九一頁 大正七年一二月 ○唐紹儀氏帰国祝宴(DK380074k-0003)
第38巻 p.629-630 ページ画像

竜門雑誌 第三六七号・第九一頁 大正七年一二月
○唐紹儀氏帰国祝宴 我邦に滞在する事七ケ月、支那南北調停の為めに努力し居たる唐紹儀氏は、十一月十四日出発帰国の途に就くことゝなりたるより、知友諸氏の催しにて同月十三日夕刻《(一カ)》より銀行集会所に於て送別会を開きたり、来会者の重なる者は青淵先生・床次内相・山本農商・小村侯・加藤子・大倉男・近藤男・犬養・浅野・池田・鎌田其他の諸名士二百余名にして、軈て唐氏は起ちて曰く「日本に滞在すること七ケ月、貴国人の友情の敦きは余の常に感謝する所なり、是れ偏に教育の力に由ることゝ信ずるが故に、帰国後は大に教育上に力を尽す積りなり云々」と感謝の辞を述べ、之に対し青淵先生には「支那の有力者諸氏が世界の大勢に鑑み、東洋の時局に察する所ありて支那
 - 第38巻 p.630 -ページ画像 
南北妥協の気運、今や将さに熟せんとするの好機運に向ひたるは、唇歯輔車の親み深き余等日本人の欣喜措く能はざる所なり。往古我日本にも南北朝あり、余は嘗てこの遺跡たる吉野山の花を賞して
  聖朝春風無限界。同開南北両枝春。
と詠じたることありしが、支那にも早く南北両枝の春ならしめて、日支親善の花の咲かんことこそ望ましけれと答辞を叙べ、主客歓を尽して九時過散会せりとなり