デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.40-43(DK390007k) ページ画像

明治43年1月8日(1910年)

是日栄一、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営等ト共ニ発起シテ、第一回米国観光団歓迎会ヲ有楽座ニ催ス。栄一出席シ、有志実業家ヲ代表シテ歓迎ノ挨拶ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二六〇号・第五〇―五一頁明治四三年一月 ○米国観光団歓迎会(DK390007k-0001)
第39巻 p.40-41 ページ画像

竜門雑誌 第二六〇号・第五〇―五一頁明治四三年一月
    ○米国観光団歓迎会
東京市及び有志実業家は聯合して、既報の如く米国観光団のため、八日午後二時より有楽座に歓迎会を開けり、観光団は定刻前より到着し其数約二百余名、奏楽を以て迎へられたり、定刻に及び尾崎市長先づ英文の歓迎辞を朗読せり、其大意を訳載せば左の如し
 米国と日本とは古より交際し居り、最も親善なる間柄の国として世
 - 第39巻 p.41 -ページ画像 
界に知られたり、而して過般は米国実業家我が国に渡来し、又我実業家も米国に旅行し、米国各所に於て歓迎を受けたる程也、今や前例なき程の多数なる諸君が我が国に来遊せられたり、我等は諸君を歓迎するに付、心臓が破裂せん許りの歓喜満つる事を禁ずる能はず
次に青淵先生は有志実業家を代表し、左の挨拶をなしたり
 私の皆様に申上ぐべき事は既に尾崎市長より申上げられ、最早や私は何も申上げる事は御座いません、併し一言の御挨拶を申上げますが、私等はツイ此間貴国へ参り、各所に於て歓迎せられ、而して日本へ帰て来た許りの所でありますから、今又多勢で御出でに成つた皆様の御顔を拝見するといふ事は、一般の人々よりも一層悦ばしう御座います、皆様が我国を御覧に成る日取は至つて短いにも拘らず本日此所へ御光来下さつた事は、私等の非常に喜ぶ所であります。又皆様の御観光の日取が少ないのに、余り時間を奪ひましても相済まんと心得、今日は斯る少さな劇場に御案内申し、女優学校の生徒が演じまする所を余興として御覧に入れます、尚明日から我国の工場なり学校なり其他何所でも御覧に成りたいとならば、出来るだけの御便宜を計る積りで居ります、元来日本は風景を以て勝る国でありますが、目下は気候が悪いので甚だ遺憾に思ひます、私は繰り返して申しますが、皆様は当地へよくお出で下さいまして、私は満腔の熱情を以て歓迎致します
夫より観光団員クラーク氏外一名の挨拶あり、先生の発声にて万歳を三唱し、余興開演せられ、主客歓を尽して散会せりと


東京朝日新聞 第八四〇六号明治四三年一月一〇日 市の観光団歓迎会(DK390007k-0002)
第39巻 p.41-42 ページ画像

東京朝日新聞 第八四〇六号明治四三年一月一〇日
    ○市の観光団歓迎会
東京市にては予定の如く、一昨八日午後二時より米国観光団を数寄屋橋外有楽座に招じて、盛なる歓迎会を催したり、会場入口には尾崎市長・中野商業会議所会頭・渋沢男爵等整列して一々来賓に握手す、定刻迄に集る者約三百、軈て二時十分開会、尾崎市長は起て大要左の如き英語演説を試みたり
 満堂の淑女及び紳士諸君、東京市民の名に於て玆に諸君を歓迎するは余の光栄とする処也、抑北米合衆国は五十年以前、弊邦開国と共に第一に親交を結びたる友邦にして、如何に吾人が其記憶を尊重するかは恐く諸君の知悉する処なるべし、以来歳々□《(親カ)》交の度を増し、一昨年に至ては未曾有の大艦隊を歓迎し、又其後相次で太平洋沿岸実業家の来訪を受け、而して昨夏以来貴邦を往訪せし我が実業団一行の帰来間も無く、今玆に弊邦に渡来せし最大旅行団として歓迎するに至る、此等新古の記憶及将来の希望を有する吾人が、諸君に対する誠意は惟ふに賓客諸君の察知するに吝ならざる処なるべし、歓迎の準備に於て欠くる処蓋尠少ならざるべしと雖も、幸に吾人誠意の在る処を察して寛恕あらんことを、終に臨みて当国及当市に於ける諸君の滞在が、諸君の希望に適はんことを祈る(拍手)
之に次で渋沢男爵は、市の実業家を代表して大要左の如く演説したり
 余は玆に列席する数氏と共に、最近貴邦を歴遊したる一人なるが故
 - 第39巻 p.42 -ページ画像 
に、今諸君を迎ふるに際し特に欣喜に堪へず、由来我国は山水の明媚を以て聞え居れ共、不幸諸君の渡来が季節を得ざりしは遺憾に堪へず、加之諸君が滞留余りに短時日にして、余等が貴邦に於て受けたる款待に充分応ふべき遑無きを憾む、然れ共若し諸君にして学校工場等の視察縦覧を希望せらるゝ向もあらば、出来得る限り御便宜を図るべければ、御遠慮なく申出でらるべし云々
主人側の挨拶終ると共に、ヴイタム博士は来賓一同を代表して述べて曰く
 我々一行が貴邦に来着以来、公私の熱誠なる歓待を受け、殊に態々私宅に伴ひて款待せらるゝ人在るに到つては、吾人は殆ど感謝の辞に窮す、吾人は躬ら貴邦の明媚なる風景を観、勤勉なる貴邦の人に接し、益々共済協力の必要を感得したるを以て、帰着一行の土産話は軈て両国間に存立する親交に、尚一層の信仰を加ふるを疑はず、云々
次でクラーク博士は最も熱心なる態度を以て、弁じて曰く
 吾人は三ケ月以前、郷国を発足して以来、埃及・印度・比律賓等を歴訪したりと雖も、日本に到着以来経験せし此二週間の記憶は、蓋し忘れんと欲して忘るゝ能はざるものなるべし(拍手)、我等は合衆国四十二箇州を代表するものにして、各階級の人々を網羅し敢て顕官なく富豪なしと雖も、典型的米国人として看ることを得べく、我々一行に示されたる歓迎の誠意は、軈て我合衆国に対して与へられたる誠意なり、此の深厚にして純粋なる情誼は、吾人の生ける限り記憶して忘れざる処なり云々
主客の挨拶に次で米国歌の吹奏あり、終つて渋沢男の発声にて一行の万歳を三唱し、愈予定の余興に入る、其間茶菓の饗応あり、主客歓を尽して散会したるは午後五時、当日観光団一行の外、重なる来賓は米国大使館員及外務省各局長等にして、主人側には市吏員・市会議員・市参事会員、其他重なる実業家を網羅したり


東京日日新聞 第一一八八五号明治四三年一月九日 観光団歓迎会 東京市と実業家の催(DK390007k-0003)
第39巻 p.42-43 ページ画像

東京日日新聞 第一一八八五号明治四三年一月九日
    ○観光団歓迎会
      △東京市と実業家の催
 八日午後二時から有楽座に開かれた、東京市並に実業家連合の歓迎会は、流石時間を重んずる国の人々とて、定刻には犇々と詰め掛け階下は爪も立たぬ程の大入にて、前日来のオハヨーバンヂヤイの掛声もなく、頗る静粛に着席したり
△主客の挨拶 午後二時五分尾崎市長は、諸氏の来遊は東京市民の非常に満足する所なりとの意味の英語演説をなし、続て渋沢男は渡米実業家及日本実業団の代表者として、我々は昨年貴国の招待を受、帰国後未だ行李を解く暇も無きに、又々諸君の来遊を迎へたるは一般市民に比し更に深大なる喜びを以て諸君を歓迎するものなるが、生憎時厳寒の候なれば戸外の歓迎会は思ふにまかせず、斯かる小劇場に御招待申すは甚だ失礼なれ共、宜敷御諒察願度との挨拶をなし、米人側にては団長フランク・シー・クラーク氏及クラーク博士の愛嬌沢山の挨拶
 - 第39巻 p.43 -ページ画像 
あり、拍手喝采の内に米国歌を奏し終り、午後二時廿分より余興演劇は開始せられたり
△次第に筋が解る 階上には当日の主人役たる尾崎市長・渋沢男を始市の名誉職及池田謙三・井上角五郎・大倉喜八郎・村井吉兵衛外在京の実業家連、所狭き迄に来集し、序幕大名婚礼式は何も煙にまかれたる如き有様にて見物し、第二、忍夜恋曲者、将門山古御所の場は稍分りたる様子にて、一米人は最初此くの如く女を虐待するは日本の風俗なりやとの質問を発したるが、次第に滝夜叉姫の獰猛の性質を表し来りたるより、漸く首肯したるものゝ如く只笑ひ乍ら見物したり
△茶菓の饗応 第三は元禄の花見踊にて、女優養成所の生徒総出にて花やかに盆踊り風の舞踊をなし、日米両国旗を表はせる扇を持ちて踊りたる時は、来賓一同の拍手暫しは鳴りも止まず非常に満足したるやうなりし、其れより庭前にて茶菓の饗応を受け主客共、この時大半は引取りたるが、猶熱心家は喜劇「ふた面」を見物し、五時半頃散会したり
△観劇米客の感想 休憩中日本劇に対する感想を叩きたるに、一老婦人は曰く、日本の婚礼は甚だ西洋のオペラの如く優美にして、甚だ規則正しく我々も今十年若ければ(但し其婦人は六十位)此くの如き結婚式を挙げて見たし云々、又一人の若紳士は曰く、日本演劇は言語は分らざれ共、形衣裳の美しきには感服せり、只顔の表情、男は一様にて喜べるか怒れるか分明ならずと、若き美人は曰く、この日本踊を紐育にて興行せば一夜に此十倍は入場すべし(二千位ならん)と、皆々満足の体にてサヨナラバンヂャイを繰返しつゝ帰途に就きたり


国民新聞 第六四〇五号 明治四三年一月一〇日 観光団驩迎会(DK390007k-0004)
第39巻 p.43 ページ画像

国民新聞 第六四〇五号明治四三年一月一〇日
    ○観光団驩迎会
尾崎市長、中野東京商業会議所長、渋沢男爵以下市当局、在京実業有志の発起に係る米国世界観光団驩迎会は、八日午後二時より数寄屋橋有楽座に於て挙行したり、集る者京浜在留の観光団員四百余名、尾崎市長は起ちて英語にて「驩迎の辞」を述べ、次に渋沢男爵邦語にて驩迎の演説をなし、之に対し団長クローズ氏は日本の邦土の美なることを称へ、斯の如き驩迎の意外なることを一同に代りて感謝し、次にクラーク博士は起ちて日本の文明の欧米の其に比して些少も劣らざること、並に今日迄の旅行に於て日本の最も愉快なることを語り、此の愉快は生涯団員の忘る能はざるものなりと挨拶し、終りて余興を開始し技芸学校生徒の「旧大名婚礼式」「忍夜恋曲者」「元禄花見踊」「ふた面」等あり、中途の休憩の時食堂を開きて茶菓を供し、来賓は充分歓を尽して五時半散会したり