デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.56-58(DK390017k) ページ画像

明治44年7月3日(1911年)

是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学教授ジェー・ピー・グードヲ案内シテ、日本女子大学校ヲ参観セシメ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。翌四日清水満之助主催ノ招待午餐会、上野精養軒ニ開カレ、栄一臨席ス。同日午後、小池国三主催ノ招待観能会、靖国神社境内能楽堂ニ開カレ、栄一同ジク臨席ス。同夜、旧渡米実業団有志主催ノ送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK390017k-0001)
第39巻 p.56-57 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 雨 暑
○上略二時、小松原文部大臣を訪へ、米国人グード氏ヲ大学ニテ案内セラレン事ヲ請求ス
○下略
 - 第39巻 p.57 -ページ画像 
   ○中略。
七月三日 雨 冷
午前六時半起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後書院及洋館等ヲ一覧シテ美術品展覧ノ模様ヲ定ム、蓋シ今日米国人グード等来訪セラルヽニ付之レカ準備ヲ為スニアリ、又来書ヲ点検シ演説筆記ヲ修正ス、十一時半女子大学ニ抵リ、成瀬○仁蔵麻生○正蔵氏等ト米国人グード氏ヲ迎ヘテ大学ノ校舎其他ノ各室ヲ一覧セシメ、後、晩香寮ニ於テ茶菓ヲ饗ス、午後一時グード氏ト共ニ自働車ニテ王子ニ抵リ、自家ニテ午飧ヲ饗ス来会スル者十二人許リナリ、午飧畢テ書院ニテ美術品ヲ一覧セシメ、又庭園ヲ散歩シ、茶席ニテ抺茶ヲ点ス○下略
七月四日 雨 冷
○上略十二時上野精養軒ニ抵リ、清水組ニテ催シタルグード博士ノ饗宴ニ出席ス、畢テ再ヒ事務所ニ抵リ、来人ニ接ス、四時半九壇《(段)》ナル能楽堂ニ抵リ、安宅ノ能ヲ観ル、六時過又事務所ニ抵リ、服装ヲ改メテ帝国ホテルニ抵リ、グード氏外一名ノ為メニ催シタル晩飧会ニ出席シ、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時半散会、十一時王子ニ帰宿ス○下略


竜門雑誌 第二七八号・第四四―四五頁明治四四年七月 ○グート博士招待会/○グード博士送別会(DK390017k-0002)
第39巻 p.57-58 ページ画像

竜門雑誌 第二七八号・第四四―四五頁明治四四年七月
○グート博士招待会 青淵先生が去明治四十二年の秋、渡米実業団長として渡米の際、合衆国政府より接待員として派遣を命ぜられ、終始同一行と共に各地を巡回したるシカゴ大学教授ジエー・ピー・グード博士には、先きにマニラ政府の招聘に応じ地質学講演の為め同地に滞在せられたるが、期満ち米国への帰途再度日本に来遊せられ、本月一日来京せられたるを機とし、青淵先生には其渡米中の厚意に酬ゆる為め、本月三日女子大学に案内し尚、午後一時飛鳥山邸に招待して鄭重なる午餐を饗せられたり、当日の来賓はグード博士を主賓として神田乃武男・中野武営・岩原謙三・田中彦吉・山崎馨一・小池国三・堀越善重郎・原三之助・加藤辰弥の諸氏来会し、先生及令夫人主人と為りて接待せられたるが、右午餐を終り、後、日本座敷に於て新古美術品を展覧せしめ、夫れより庭園を逍遥して抺茶を饗し、午後四時半解散せられたり。
 因に先生には同日飛鳥山邸より自働車に同乗して、同氏を旅館なる帝国ホテルに送られたり。
 同日夜東京在住前記渡米団員に於て同氏を帝国劇場に招待したるが先生にも列席せられたり。
 七月四日正午は清水満之助氏の催しを以て上野精養軒に於て同氏招待午餐あり、先生亦招かれて列席し、尚午後四時半より小池国三氏の同氏観能会に招かれ、先生も亦列席せられたり。
○グード博士送別会 前項記載のグード博士は七月六日横浜出帆のモンゴリヤ号にて帰国の途に就く為め、同五日東京を退去せらるゝに付き、其四日夜七時半より帝国ホテルに於て送別晩餐会を催されたり、来賓は同博士及同博士と同行のシヱパウードソン博士、及元シヤトル領事田中彦吉氏、及シカゴ領事山崎馨一氏にして、主人側の人々は青淵先生・中野武営・神田乃武男・岩原謙三・根津嘉一郎・原竜太・大
 - 第39巻 p.58 -ページ画像 
井卜新・小池国三・堀越善重郎・町田徳之助・名取和作・田辺甚吉・加藤辰弥・増田明六の諸氏なり、宴酣にして先づ米国国歌を合唱せられ、次ぎに君が代を合唱し夫れより青淵先生の送別の辞、グード博士の答辞あり、宴後別室に於て懐旧談に興を尽し、解散したるは午後十二時なりき。
   ○七月三日夜、帝国劇場ノ観劇ニ臨席セシハ、前項ノ如クロシア国観光団ノ為ニシテ、グード博士ノ為ニアラズ。「竜門雑誌」ノ誤記ナリ。