デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.74-79(DK390020k) ページ画像

明治44年10月2日(1911年)

是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセル夫妻及ビインデペンダント誌主筆ハミルトン・ホールト夫妻ヲ案内シテ、日本女子大学校及ビ東京市養育院ヲ参観セシメ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先九月二十五日、徳川家達等ト共ニ両人夫妻歓迎晩餐会ヲ帝国ホテルニ開キ、栄一出席シテ主催者側ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。此前後屡々両人ト会見ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK390020k-0001)
第39巻 p.75-76 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年 (渋沢子爵家所蔵)
九月十六日 晴 暑
○上略
日本銀行員小野友次郎、横浜正金銀行副頭取井上準之助二氏来リ、近日渡来スヘキ米国人ロツスル及ホルト二氏歓迎ノ事ヲ談話ス
○下略
   ○中略。
九月二十三日 晴 冷
○上略 二時過再ヒ事務所ニ抵リ○中略 井上準之助氏来話ス、明後日米国人招宴ノ事ニ付種々ノ協議ヲ為ス○下略
九月二十四日 晴 冷
○上略
米国人ラツセル、ホルト二氏、今西兼二氏同伴来訪セラル、蓋シ二氏ハ昨日天津丸ニテ日本ニ渡来シタルナリ、種々ノ談話ヲ為シテ帰去ス
○下略
九月二十五日 雨 冷
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵リ、此日米国人招宴ノ事ニ付其準備ヲ為ス、六時ヨリ来会スル者続々来ル、七時食堂ヲ開キ徳川公爵ト共ニ主人側ノ総代トナリ、食卓上一場ノ挨拶ヲ為ス、来賓二名及一米人ノ演説アリ、主人トシテハ公爵ト余ト挨拶ヲ陳ヘ、外ニ石井・神田二氏ノ演説アリ、賓主歓ヲ尽シ、夜十一時散会ス
九月二十六日 雨 冷
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ○中略 来月二日ト九日トニ米国人招宴ノ事アリテ、其手続ヲ増田ニ指示ス○下略
   ○九日ノ招宴ハジヨルダンニ対スルモノナリ。
   ○中略。
九月二十八日 曇 冷
○上略 午後六時木挽町山口楼ニ抵リ、塩原又策氏ノ開催スル米国人ラツセル、ホルト二氏招宴ニ列席ス、金子子爵・浅野総一郎氏等来会ス、種々余興アリ、賓主歓ヲ尽シテ夜十一時散会帰宿ス
   ○中略。
十月二日 曇 冷
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後二・三ノ来人ニ接ス、十時女子大学ニ抵リ、米人ラツセル、ホルト夫妻ヲ案内シテ学校ヲ一覧セシム、成瀬・麻生氏等同伴ス、晩香寮ニ抵リテ茶菓ヲ供シ、且学校ノ沿革等ヲ談話ス、畢テ大塚養育院ニ抵リ、安達氏ノ案内ニテ、各室ヲ見セシム、更ニ巣鴨分院ニ抵リテ、高田氏誘引シテ教場及居室等ヲ一覧セシム、午後一時曖依村荘ニ抵リ、他ノ来客ニ紹介シ直ニ午飧会ヲ開ク、余興トシテ日本ト西洋トノ歌曲ヲ演ス、食事畢テ愛蓮堂ニテ談話ス、婦人ハ茶室ニテ点茶ス、夕方五時頃散会ス○下略
(欄外記事)
 [米国人招宴ニ付陪賓トシテ来会者二十人許リナリ
十月三日 曇 冷
○上略 帝国劇場ニ抵リ、米国人ト共ニ観劇ス、但昨日来訪ノ時ニ観覧ヲ
 - 第39巻 p.76 -ページ画像 
勧誘セシ為メナリ、十一時過閉場シテ帰宿ス
   ○中略。
十一月九日 晴 寒
○上略 午前九時半、事務所ニ抵リ書類ヲ調査ス、米国人ホルト氏・小野英二郎氏来訪、日米親交ニ関スル種々ノ談話ヲ為ス○下略
○中略。
十一月十一日 晴 寒
○上略 午前十時半帝国ホテルニ抵リ、米国人ラツセル、ホルト二氏ト会話ス、小野英二郎・福井菊三郎・今西兼二三氏来会ス、談話ハ主トシテ日米ノ政事及商工業ノ親睦ニアリ、共ニ胸襟ヲ披キテ談論ヲ尽シ、且送別ノ意ヲ以テ其夫人等ヲモ会シテ午飧ヲ共ニス○下略


竜門雑誌 第二八一号・第四一―四二頁明治四四年一〇月 ○米国名士歓迎会(DK390020k-0002)
第39巻 p.76-77 ページ画像

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竜門雑誌 第二八一号・第四五頁明治四四年一〇月 ○青淵先生の米賓招待(DK390020k-0003)
第39巻 p.77 ページ画像

竜門雑誌 第二八一号・第四五頁明治四四年一〇月
○青淵先生の米賓招待 青淵先生には目下滞京中の米国紐育日本協会会長ラッセル氏、同夫人及紐育インデペンデント雑誌社長ホールト氏同夫人を九月三十日飛鳥山邸《(十月二日)》に招待して午餐会を催ふされたり、当日朝先生には両氏夫妻を案内して日本女子大学校及東京市養育院を参観せしめ、午後一時飛鳥山邸に誘引し、他の賓客松井慶四郎・同夫人・阪井徳太郎・近藤廉平男・添田寿一・豊川良平・早川千吉郎・浅野総一郎・日下義雄・加藤正義・福井菊三郎・同夫人・頭本元貞・今西夫人・小野英二郎・塩原又策・佐藤毅の諸氏と共に日本料理を饗応せられ、席上柴田環女史の独唱及芸妓の手踊数番の余興あり、饗終りたる後紀念の撮影を為し、先生及同夫人には賓客一同を愛蓮堂に導き、茶菓を侑め、夫れより青淵先生夫人には賓客婦人を誘ふて庭園を逍遥し又抹茶を進め、先生には両氏及賓客と共に愛蓮堂に於て談論し、午後五時散会せりとなり。
   ○中外商業新報第九一三〇号(明治四十四年九月三十日)ニ「渋沢男ラ、ホ氏招待」ナル記事アリ。略ス。


桜楓会通信 第三九明治四四年一〇月 母校及び本部彙報 ラッセル氏一行の来校(DK390020k-0004)
第39巻 p.77-78 ページ画像

桜楓会通信 第三九明治四四年一〇月
    母校及び本部彙報
 - 第39巻 p.78 -ページ画像 
○ラッセル氏一行の来校 紐育に於ける日本協会の会頭なるラッセル氏夫妻及びインデペンデントの主筆兼平和協会々長なるホールト氏夫妻の一行十月二日午前来校、校内を参観せられたり。


東京市養育院月報 第一二八号・第一三頁明治四四年一〇月 米紳士の来院(DK390020k-0005)
第39巻 p.78 ページ画像

東京市養育院月報 第一二八号・第一三頁明治四四年一〇月
○米紳士の来院 十月二日米国ニユー・ヨルク市日本協会々頭ラツセル氏、同令夫人、同市「インデペンデンド」雑誌社々長ホルト氏、同令夫人は渋沢院長の案内にて来院あり、安達幹事特に各収容室を案内せらるゝと共に一々委細に説明し、併せて救済の方法を述べられしかば、ラツセル氏一行は深く院の事業に同情せられ、十ケ年賦の約束にて金五千円寄附の義を申込まれたり。



〔参考〕(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正三年(DK390020k-0006)
第39巻 p.78 ページ画像

(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正三年
                   (阪谷子爵家所蔵)
○二月二十三日受 A Final Solution of the Japanese
 Problem by Dr Hamilton Holt―
 January 1914 American Association
 for Inter. Conciliaton
 (太字ハ朱書)
 有益ノ論文
 二月二十四日礼状ヲF. P. Keppel氏ヘ発ス、セクレタリーナリ
   ○中略。
○六月二十日
 渋沢男ヨリSydney《(Lindsay)》 Russel's letter of April 27, 1914ヲ示サル同氏ハ紐育日本協会長ナリ
   ○ニュー・ヨーク日本協会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会ニ就イテハ本資料第三十五巻所収「ニユー・ヨーク日本協会協賛会」参照。



〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第一四五頁昭和七年二月刊(DK390020k-0007)
第39巻 p.78 ページ画像

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〔参考〕日米外交史 川島伊佐美著 第三五七頁昭和七年二月刊(DK390020k-0008)
第39巻 p.78-79 ページ画像

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