デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.81-83(DK390023k) ページ画像

明治44年11月4日(1911年)

是日、日本鉱業会・鉱山懇談会及ビ各実業団体聯合主催ノ米国鉱業団歓迎会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ、歓迎委員長トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。尚、各所ニ催サレタル歓迎会ニモ臨ム。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK390023k-0001)
第39巻 p.81-82 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
九月四日 曇 冷
○上略 午前十時鉱業事務所ニ抵リ、来ル十一月来朝スヘキ米国鉱業団歓迎ノ順序ヲ協議ス、和田・近藤・渡辺博士等モ参会ス○下略
   ○中略。
十一月四日 晴 寒
○上略 午後七時米国鉱業団ノ歓迎会ヲ帝国ホテルニ於テ開催スルニヨリ六時ヨリ出席シテ当夜ノ準備ヲ指揮ス、来会者賓主合計百五・六十人許リニテ頗ル盛会ナリキ、食卓上歓迎会ノ総代トシテ一場ノ演説ヲ為ス、頭本元貞氏通訳ス、続テ賓主各三名宛ノ演説アリ、司会者ハ金子子爵ニテ順序ヨク宴ヲ終ルヲ得タリ、夜十一時散会帰宿ス
   ○中略。
十一月十五日 曇 寒
○上略 商業会議所ニ抵リテ米国鉱業団ノ接伴会ニ出席ス、賓主ノ握手及演説畢リテ立食アリ、午後六時散会、事務所ニ帰リ夜飧シ兼子ノ来着ヲ得テ共ニ帝国座ニ抵リテ観劇ス、米国鉱業団ノ為メ三井・岩崎・古河三家ヨリ招宴スルナリ、劇畢リテ階上ニテ立食ノ饗アリ、夜十一時散宴、十二時頃王子ニ帰宿ス
   ○中略。
十一月二十一日 雨 寒
○上略 此日横浜ガランドホテルニ於テ米国鉱業団帰国ニ際スル留別会ア
 - 第39巻 p.82 -ページ画像 
ルニ付、昨夜来ノ風邪気ヲ勉メテ出張ノ事ト定メ、午前九時四十分新橋発ノ汽車ニテ横浜ニ抵ル、中野武営・渡辺・堀田ノ諸氏同行ス、ガランドホテルニ於テ鄭重ナル午飧会アリ、米国新大使フライアン氏モ出席ス、食卓上団長ハント氏ノ演説ニ次テ、余ハ一場ノ送別演説ヲ為ス、頭本氏通訳ス、其他日本人・米人ニテ数名ノ演説アリ、午後二時宴畢リ、帰途第一銀行支店ニ立寄リ、杉田氏ト会話ス、三時八分発ノ汽車ニテ帰京、停車場ニ種々ノ人来リテ要務ヲ談ス○下略
   ○中略。
十一月二十六日 晴 寒
○上略 六時○午後帝国ホテルニ抵リ、米国鉱業団歓迎ニ関シテ尽力セシ会内外ノ諸員ヲ会シテ慰労会ヲ開キ、食卓上一場ノ謝詞ヲ述フ、金子子爵ノ答辞アリ、夜十時過散会帰宿ス


竜門雑誌 第二八〇号・第七二頁明治四四年九月 ○米国鉱業団と青淵先生(DK390023k-0002)
第39巻 p.82 ページ画像

竜門雑誌 第二八〇号・第七二頁明治四四年九月
○米国鉱業団と青淵先生 米国鉱業協会会員百七名(内男五十名女五十七名)は愈々来る十月十七日マンチユリヤ号にて桑港出発、十一月三日横浜入港のことに決定せしが、本邦にては一行歓迎の為め日本鉱業会・鉱山懇談会及び一般実業団体等、何れも聯合して既に之れが準備に着手し、歓迎委員長には青淵先生を推選し、右一行歓迎の為めに要する経費約一万七千円は、本邦鉱業家各自分担する筈なりと、因に一行の本邦滞在は約十八日間の予定にて、十一月二十一日横浜出帆のサイベリヤ号にて桑港へ帰国の筈なりと云ふ、本邦滞在中の旅行日程及び歓迎順序は左の如し。
 東京に二日間滞在の上、日光に赴き同地に一日滞在し、古河日光精銅所を参観して帰京、夫れより二日間鎌倉・箱根等を巡遊して京都へ行き同地一日滞在の上、奈良・大阪・須磨等を巡遊し神戸より汽船にて瀬戸内海を航行し、途中四阪島に於て住友精錬所を参観し、後宮島へ赴き一泊の上、門司へ航行し八幡製鉄所参観の上、門司より汽車にて三池炭礦を視察し再び門司へ帰来、下関より汽車にて横浜に帰着
 一、天長節に外務大臣の夜会招待
 一、農商務大臣の茶話会
 一、日本鉱業会の招待会
 一、三井・三菱・古河三家の晩餐会
 一、藤田家の招待会(大阪)
 一、住友家の園遊会(須磨)
尚、右の外東京・横浜・神戸・京都・大阪の各市何れも市及び商業会議所等にて歓迎会を催す由。


竜門雑誌 第二八二号・第五八頁明治四四年一一月 ○米国鉱業会観光団来朝(DK390023k-0003)
第39巻 p.82-83 ページ画像

竜門雑誌 第二八二号・第五八頁明治四四年一一月
○米国鉱業会観光団来朝 予て青淵先生を委員長に戴き、準備怠りなかりし米国鉱業会員歓迎会の賓客八十二名を乗せたるマンチリヤ号は十一月三日午前七時横浜埠頭に入港せり、此日波穏かに気は清く、折からの天長節に浜港一帯には日章旗翻り、君ケ代祝ふ生徒の唱歌も手
 - 第39巻 p.83 -ページ画像 
に取る如く船上に聞ゆ、此の一行入港と共に東京に於ける一行の歓迎会よりは和田維四郎・小田川全之両氏総代として出迎に赴き、一方横浜の商業会議所にては大谷会頭会員と共に本船に迎へ、一同と共に九時上陸をなすや、大谷会頭は歓迎の辞を述べ、鉱業団のキヤプテン、アー・タブルユー・ハント氏の答辞ありて式を了へ、夫れより一行は直にグランドホテルに入り、一と先づ休憩の後車を連ねて市中見物をなしたるが、折から吉田橋開橋式の当日にもあり、天長節の佳節に際せることゝて、非常の賑ひにて一行は町を一周して、午後三時市役所に於いて開催せる荒川市長の歓迎会に臨み、五時十分上京したり。
○東京に於ける米賓 同三日午後五時十分横浜発臨時列車にて、同五時四十分入京新橋着、歓迎委員長青淵先生・団琢磨・渡辺渡・野呂景義、其他鉱山懇和会諸氏の出迎を受けて、用意の自働車及び馬車に分乗して帝国ホテルに投宿、何れも行李を解く暇無く晩餐を終るや否や衣裳を更へて直ちに天長節夜会に列せり、尚同一行は団長ハント氏以下総勢八十一名、内四十二名は婦人にて知名の紳士はレーモント、ストラー、ブラントンの諸博士、リーバルスチー大学教授ヅリンカー及リチヤド及ユーナイテツド鉱山会社支配人クラーク、電線製造会社技師長ダニール、並びに鉱山主ガラン氏等也。


竜門雑誌 第二八四号・第七六頁明治四五年一月 ○米国鉱業団の感謝状(DK390023k-0004)
第39巻 p.83 ページ画像

竜門雑誌 第二八四号・第七六頁明治四五年一月
○米国鉱業団の感謝状 曩に我国に来遊し、各地を視察して帰国したる米国鉱業団一行は、頃日、其歓迎委員長たりし青淵先生及日本鉱業会々長和田維四郎氏に宛て、左の感謝状を送り来りたりと云ふ。
 米国鉱業団員は貴国滞在中、非常なる歓迎に与りたることを感謝す我等は閣下並に貴下を通じて我等に与へられたる貴国民の鄭重なる待遇に向つて満腔の謝意を表す、殊に十一月四日我等の為帝国ホテルに於て開催せられたる盛大の晩餐会に向て深謝するものなり、米国鉱業団々長ハント、幹事レーモンド、ストラーヌ
   ○「中外商業新報」ハ右観光団ニ就キ、左ノ如ク記事ヲ掲グ。
    第九一六五号(十一月四日)米国鉱業団入京
    第九一七三号(十一月十二日)鉱業観光団消息
    第九一七五号(十一月十四日)鉱業団接見会
    第九一八二号(十一月二十一日)鉱業団の留別会
    第九一八三号(十一月二十二日)米国鉱業団出発・盛大なる留別会
    第九二一三号(十二月二十二日)米国鉱業団の感謝状