デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.176-180(DK390092k) ページ画像

大正8年6月13日(1919年)

是日栄一、阪谷芳郎ト共ニ、サン・フランシスコ禁酒同盟会幹事ディー・エム・ガンジエヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。右終ツテ講演会ニ移リ、栄一挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK390092k-0001)
第39巻 p.177 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年 (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 曇 軽寒
○上略 ○午後再ヒ事務所ニ抵リ、米人グワンヂユー、ボール二氏ト会話ス
禁酒ノ件ニ付種々ノ討議ヲ為ス○下略
   ○中略。
六月十三日 曇 冷気
○上略 十二時半銀行倶楽部ニ抵リ、米国人ガンジエー氏招待会ニ出席スモリス大使モ参会ス、一同午飧ヲ共ニシ、午後二時ヨリ米国禁酒ニ関スル運動及理由ニ付ガンジエー氏ノ講演アリ、其前後ニ於テ余モ一場ノ挨拶ヲ為シ、午後四時講演畢リテ散会ス
○下略


(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正八年(DK390092k-0002)
第39巻 p.177 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正八年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○八年五月六日Mr. D. M. Gandier加州禁酒運動家来訪面会ス
 渋沢及余両名ニテ氏ヲ銀行クラブニ招待シ、午餐ヲ饗シ終テ講演ヲ聞ク八年六月十三日


中央新聞 第一二三八三号大正八年六月一四日 渋沢・阪谷男爵が首唱して全日本を禁酒国に 銀行倶楽部で米国ガ博士講演(DK390092k-0003)
第39巻 p.177-178 ページ画像

中央新聞 第一二三八三号大正八年六月一四日
  ○渋沢・阪谷男爵が首唱して
    全日本を禁酒国に
      銀行倶楽部で米国ガ博士講演
十三日午後二時から、渋沢・阪谷両男の主催で丸の内銀行倶楽部に於て、桑港禁酒同盟会幹事ガンヂエル博士の、禁酒に関しての講演があつた
 博士は明治学院の井深梶之助氏の通訳にて、室内に懸けられてある種々の統計表を図示し乍ら、約二時間に渉り米国禁酒運動の由来から、七月一日より始まる戦時禁酒令並に来年一月十五日より憲法改正に拠る禁酒断行に至る
 ▽経過 を述べて曰く「米国は今日まで年々四百万円の資金を投じ医学上・生理学上・労働能率上・風教上其他総ての方面から精密なる調査をなし、其結果禁酒の断行となつた、医学上見地は飲酒家の罹病し易き事や、短命なる事から其の子孫に先天性虚弱、精神病、二歳以下小児の死亡率多き事を例証して居るし、労働方面よりは飲酒の結果能率の低減すること、事故の頻発する事等明かであると実例を後に掛てある統計で説明し、其の結果今日は禁酒と安全第一
 ▽運動 とは一致したと述べ、更に廿五州が禁酒を実験し効果を挙げたので反対者の所論を改め、遂に憲法改正と迄に到つた経路を語り、禁酒の必要を縷説した。次に渋沢男は「自分が十四歳の時ペルリが来て日本に門戸開放を迫るや、国民は悉く反対したが開放の結果今日の文明を来したと同様、禁酒も今日の文明程度であれば国民の歓迎する所ではあるが
 ▽元来 東洋には白楽天の「天に酒なくんば」云々の詩や「酒は憂
 - 第39巻 p.178 -ページ画像 
を払ふ玉箒」の如く酒を好み之を讚美するの風習があるが、博士の話は全く其根拠なきを実証し、吾々に禁酒の必要を痛切に感じさした、私は自分が酒を飲まぬから云ふのではないが、私の交際した人人の中でも酒の為めに天寿を全ふせなんだり病気を求めたりした人が少くないから、今日からでも日本を禁酒国と為たいが、果して之が社会の
 ▽全般 に亘らせる事が出来るか否やはまだ今日は断言は出来ぬ」云々と述べ、次に阪谷男は起つて「日本も亦米国の如く有力なる会を設け、躊躇する事なく一日早ければ早き丈け利益のある禁酒を断行す可きである」と説き、四時半散会した○下略


竜門雑誌 第三七九号・第三九―四〇頁大正八年一二月 ○酒に対する所感 青淵先生(DK390092k-0004)
第39巻 p.178-179 ページ画像

竜門雑誌 第三七九号・第三九―四〇頁大正八年一二月
    ○酒に対する所感
                      青淵先生
 本篇は青淵先生及阪谷男爵等の発起にて、米国禁酒会代表者ガンデイア博士の為めに、本年六月銀行倶楽部に於て講演会を催されたる際、青淵先生の講演せられたる感想談にして、禁酒雑誌七月号に掲載せるものなり。(編者識)
 ガデガイア博士の、懇切なお話を拝聴したことを光栄と思ひます。爰にふかく感謝の意を表します。
 只今、お述べになつた事柄が、直に問題になるか何うかは、保証の限りでないが、是は深く研究すべき問題であると思います。先日、博士は拙宅に尊来されて、米国に於ける禁酒の趨勢を物語られました、私はこの御話を聴いて、洵に敬服したのであります。それで諸君と共に尚委しく其お話を拝聴しやういふ考を起して、こゝに此集会を催した訳であります。
 古来、東洋では、酒を嫌ふといふよりも、其れを愛好する習慣に養はれています。「酒は憂ひを払ふ玉箒」などゝ云つて、酒を重宝な飲料とする傾向があります。飲酒八歌仙の李白の詩に、「天若し酒を愛せざれば酒星天に在らず、地若し酒を愛せざれば地に酒泉無し、天地既に酒を愛す、酒を愛して天に愧ぢす云々」とあります。吾々日本国民は、この詩を真理あるものとして、愛吟したのでありました。斯る思想、斯る傾向が、東洋で酒の余計に勢力を得た原因であると思ふ。
 酒に対する私の感想は、個人的であるから、その範囲がはなはだ狭い、私は酒について、友人の死を懐起せざるを得ない。彼の友人にして、酒を飲まなかったら、あの事業も出来たであろう。彼の人が酒を飲まずして、健在であれば、如何に国家の幸福であつたらうと、坐ろに感慨に打たれます。私の親しい友人の多くは酒のために、此世を去りました。其数は両の指を屈しても、尚足りません。
 私は本来、下戸であります。私が今日まで健康を維持して居るのは酒を飲まないことに原因すると思ひます。私は酒に就てはまだ研究してゐないが、米国の禁酒の如き大問題は、この場合充分に研究したいと希望してゐます。ガンデイア博士は、政治と、人道と、経済の三要素から説き起して、米国の禁酒の現状を語られたが、我日本の最も親
 - 第39巻 p.179 -ページ画像 
愛する米国に於て、かゝる問題に対し、ふかく注目さるゝことは、実に感嘆の外ありません。将来、日本に於て禁酒の輿論が喚起するか否かは、明言されないが、只今の博士の講演は一場の談話に止めずして充分に是を考慮したいと思ひます。
 嘉永六年、米国の水師提督ペルリは、浦賀に来て、日本と米国の通商貿易を要求しました。これは私の十四歳の時でありました。是は言ふ迄もなく、米国が日本を、誘掖、啓発したのであります。けれども此時代の国民はそれを誤解して、種々なる憶測を描きました。私も外国との交通に反対したが、当時にありて攘夷思想を抱ける人らは、これに依って日本は滅亡すると考へました。
 大正の今日と嘉永年代とは、相互の国状も異つてゐます。ペルリとガンデイア博士を比較するは、当を得ないかも知りません。けれども米国の禁酒断行の我国に偉大な影響を及ぼすことや、偶博士の来朝して、我国民に禁酒を勧告することなどは甚だ意味が深いと信じます。



〔参考〕竜門雑誌 第三七九号・第三七―三九頁大正八年一二月 ○禁酒問題に就て 青淵先生(DK390092k-0005)
第39巻 p.179-180 ページ画像

竜門雑誌 第三七九号・第三七―三九頁大正八年一二月
    ○禁酒問題に就て
                      青淵先生
 本篇は青淵先生の談話として雑誌「新国氏」二月号に掲載せるものなり(編者識)
 禁酒主義の運動には賛成である。本来、自分は酒が嫌ひであつて、酒の害はふかく認めて居るから、青年といはず老年といはず、会ふ人ごとに酒を慎むやうに勧告してゐる位であるから、日本に禁酒運動の盛大になることは、誠に喜ばしく思ふのである。
 併し日本の現状からいふと、禁酒の如きは政治問題とするよりも、社会問題となして、各個人の家庭から酒を取去る方法を講ずるのが、穏当の処置であると考へる。昔禹王は酒造家を殺戮したともあるが、禁酒に対しては斯ういふ積極的の方針は執りたくないと思ふ。自分は三十歳の時から政治を断念したので、今日は政治に対して受身の形になつてゐるのである。自ら政治舞台の俳優となるよりも、よい桟敷に坐つて、芝居を見物して、それを批評するといふ立場にあるのだから寧ろ政治には縁遠い方である。故に凡ての問題はなるだけ政治と切離して、解決したいといふ精神に傾いてゐるのである。必ずしも、自分の立場を本位として解釈する訳ではないけれど、禁酒の如きは公平に観て、之を社会問題となすべき性質のものであると信ずる。
 自分は酒を飲まないから安全であるが、友人のうちには大酒家がゐたので様々忠告もしてみたが、此れ許りは利目がないやうであつた。自分の忠告は節酒であつたが、節酒はどうも実行されないやうに思はれた。友人の中上川彦次郎君や、松尾臣善君なぞも酒で死去されたのであつて、其他にも国家のために惜むべき人物が、多数飲酒に原因して死亡したのであるが、是等の人々のことを追懐すると、実に遺憾に堪へないのである。最近に死去された中野武営君の如きも、全く酒が病源になつてゐるのであるが、自分は同君に対して毎度酒を慎むやうに勧めたけれど、中毒してゐたものと見えて、あの通り飲み続けてゐ
 - 第39巻 p.180 -ページ画像 
られたのである、酒の結果は実に怖ろしいものである。
 酒の肉体と精神を害することは言ふ迄もないが、殊に飲酒は人間を軽佻浮薄にするから、自分の使用人には酒のことを八釜しく言つて、此点をふかく取締つてゐるのである。故に自分の使用人のうちには酒のために常軌を逸する如き輩のゐないことだけは保証するのである、豊川良平君は酒好きであるが、自分の宅にきて飲むときは甘くないと言つて居られる。同君も近来は酒量を減じたさうであるが、寧ろ絶対に禁酒して呉れたら同君のために幸福であると思ふ。
 食糧問題が八釜しくなつたので、酒の造石高に制限を加へては如何といふやうな問題が起きて居るやうだが、米の不足は大なる問題でない、今の如き米価であるならば、米は必ず日本に寄集まつて来ることを保証するのである。果して米が将来において増加するものとすれば食糧問題を理由として酒の造石高に制限を加へるなどの議論は価値なき事になりはせぬか。
 仲小路氏は米価の調節について極めて不自然な取締をしたが、あんな政策は効力のあるものでない。海中に防波堤を造つて、港湾を拵えることもあるから、人為的の仕事も効力がないとは断言されないが、防波堤を造るにしても、陸地とか山とか島とかの関係を持たねば、効力をなさないのだから、政治も人工と自然のよく調和するやうな、一致点を見て懸らねば、功を奏せないことになる、兎も角も米は自然の成行に任せておけば、増加するのである。斯く観察すれば酒の造石高と米の不足は、余り重大な問題とならぬだらう。
 日本人に節酒をさせ、禁酒をさすのは、酒の税金を引揚げることが最も有効であると信ずる。日本の禁酒党は酒の造石高の減少なぞに力瘤を入れないで、税金引上の問題に向つて尽瘁したら何うであらう、斯くして漸々に一億万円の酒税が失はるゝやうにでもなつたら、国家のため、社会のため実に此上もない幸福であると信ずる。



〔参考〕集会日時通知表 大正八年(DK390092k-0006)
第39巻 p.180 ページ画像

集会日時通知表 大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
十二月三日 水 午後三時 禁酒問題ノ件(帝国ホテル)
十二月四日 木 午前十時 ガンヂエー、ボールス、小畑三氏兜町ニ来約