デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.185-188(DK390102k) ページ画像

大正9年3月6日(1920年)

是日、アメリカ合衆国大使主催、同国モルガン商会代表者トマス・ダブリュー・ラモント紹介ノ宴アリ、栄一、夫人ト共ニ出席ス。次イデ九日、日本銀行総裁井上準之助主催ノラモント招待午餐会同行社宅ニ開カレ、栄一出席ス。翌十日、栄一、ラモントヲ帝国ホテルニ訪ヒ、更ニ十二日、浅野総一郎邸ニ於ケルラモント招待会ニ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK390102k-0001)
第39巻 p.185 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年            (渋沢子爵家所蔵)
三月六日 半晴 寒 風強クシテ途上砂石ヲ捲ク
○上略○午前 井上日銀総裁来訪、米人ラモンド氏ニ関スル談話アリ○中略
夜八時、兼子ト共ニ米国大使ノ招宴ニ出席ス、ラモント氏渡米《(来)》ニ付、紹介ノ為メニ開催シタルナリ、夜十時過帰宅○下略
   ○中略。
三月九日 晴 寒
○上略 十二時日本銀行舎宅ニ抵リ、井上総裁ノ招宴ニ応ス、米国人ラモント氏ヲ正賓トシテ、来会者四十余名ナリキ○下略
三月十日 晴 寒
○上略 午前十時帝国ホテルニ抵リラモント氏ヲ訪フ、小畑氏同行ス○下略
   ○中略。
三月十二日 曇 寒
○上略 七時○午後浅野総一郎氏ヲ三田邸ニ訪フ、米人ラモント氏招宴ニ参スルナリ、種々ノ余興アリ、饗宴美ヲ尽ス、夜十時散宴帰宿○下略
(欄外記事)
 浅野氏ノ招宴ニハ、米国大使及ラモント氏夫妻、ウエリヤム氏夫妻其他一行数名ナリキ
   ○当時ノアメリカ駐日特命全権大使ハRoland S. Morrisナリ


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正九年(DK390102k-0002)
第39巻 p.185-186 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正九年
                        (阪谷子爵家所蔵)
 - 第39巻 p.186 -ページ画像 
(欄外記事)
九年三月二日ラモンド氏着ノ由
 ○九、三、九  日本銀行社宅午餐、ラモント氏一行招待、井上準之助催
 ○九、三、十一 原首相ト満蒙除外ニ付、ラモント氏ト或ル諒解ヲ為スノ好機タルヲ談ス アレキサンダー一行、バンダーリツプ一行、夫々何カ土産ノ機会ヲ与フルノ必要ヲ説キ、又離宮ニテ茶菓等皇室御優遇ノ必要ヲ語ル
 九、三、十三  日米関係実行委員会 金子子ニ原首相トラモント氏トノ件ニ付談ス バンダーリツプ氏一行招待ノ件、綱町邸宿泊云々等《(渋沢家)》
 九、三、十六  王子邸ラモント氏会談
 九年五月七日  午前八時半、日本銀行総裁井上準之助氏電話、今日十二時借款団契約調印済ノ筈 問題ハ全然解決ス
         モーリス大使モ満足云々 ラモント氏今日着京(支那ヨリ帰ル)
   五、一四  ヴアンダーリツプ一行、ラモント一行、コレヤ丸ニテ帰米ス、翌十五日モーリス大使帰米ス


集会日時通知表 大正九年(DK390102k-0003)
第39巻 p.186 ページ画像

集会日時通知表 大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
三月六日 土 午後八時 米国大使ヨリ御案内(同大使館)
            令夫人共 燕尾服
   ○中略。
三月十日 水 午前十時 ラモント氏ヲ御訪問ノ約(帝国ホテル)
   ○中略。
三月十六日 火 午前十時 ラモント氏夫妻ヲ日本女子大学ヘ御案内
        〇時半 ラモンド氏招待会(飛鳥山邸)
   ○右十六日ノ記載ニ関係アル他ノ資料ヲ欠ク。


竜門雑誌 第三八二号・第四〇頁大正九年三月 ラモント氏招待会(DK390102k-0004)
第39巻 p.186 ページ画像

竜門雑誌 第三八二号・第四〇頁大正九年三月
○ラモント氏招待会 日本銀行にては三月九日正午より、井上総裁主人側となり、今般来朝せる米国モルガン商会代表者ラモント氏一行を永代橋畔同行社宅に招して午餐会を催したるが、当日は右主賓の外陪賓として青淵先生・金子子・田尻市長及都下の重なる銀行家三十余名臨席し、席上井上総裁の歓迎辞、ラ氏の挨拶等ありて和気歓談裡に散会せる由。
   ○本資料第三十五巻所収「日米協会」大正九年三月十九日並ニ本款昭和二年十月七日ノ各条参照。


東京日日新聞 第一五六五〇号大正九年五月五日 新借款団停頓 ラモント氏愛想を尽かす(DK390102k-0005)
第39巻 p.186-187 ページ画像

東京日日新聞 第一五六五〇号大正九年五月五日
    新借款団停頓
      ラモント氏愛想を尽かす
対支新借款団問題に関して米国財団代表者ラモント氏は、過般本邦に渡来し我銀行団代表者、並に政府当局者と種々意見の交換を行ひたる
 - 第39巻 p.187 -ページ画像 
結果、我国に於ても曩に主張したる満蒙既得権除外に関する或程度の譲歩を為し、日米間に完全なる諒解成立したれば、更にラモント氏は支那の実状を調査すると共に同国の意嚮を聴取すべく、北京に赴き、民間の有力者を首め北京政府当路者と種々商議する所ありたるが、支那側に於ては新借款団組織に対して多大の疑惑を有するものゝ如く、即ち該団成立の上は支那の政治上並に経済上の利権は悉く壟断せらるるに至るべしとの恐怖心を懐きて、極力之に反対する者あると同時に又一方に於ては支那銀行団も新借款団の一員となり、同一の権利義務を負担すべしと云ふが如き不真面目なる議論を為す者もありて、北京政府に一定の方針なく、且借款団に対する理解を欠きつゝあるを初めとし、朝野各方面の意見区々にして何等帰一する所なく、殊に湖広鉄道利子支払問題等に対しても、支那政府は右は独逸の発行せる無記名債権なるが故に其責に任ずるの義務なしと云ふが如き、無責任の主張を為して何れの問題に対しても誠意の見るべきものなき為、ラモント氏の如きも愈々支那の現状には愛想を尽し、又斯る状態にては新借款団の組織も頗る困難なるべしとの見極めを付け、二日北京出発我国に向ひたる趣なれば、更に我銀行団及政府当局者との間に商議を為すべきものなれども、支那の態度既に前記の如き不真面目なるものあるを以て、新借款団問題はラモント氏の調査によりて全く停頓し、当分其成立を観るが如き事あらざるべし、尚ラモント氏は支那の実状を調査せる結果、朝野の各方面に何等の聯絡統一なく、同国人の態度一帯に不真面目なるを知りて、日本が従来対支問題に関して政治上並に経済上屡困難なる立場に陥りたる等の事情を、最も能く諒解したるものゝ如く、北京を去るに臨みて対支投資の極めて困難なる事を力説し、日米の完全なる提携に於てのみ此の難事に当るを得べしと語れりと


AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. pp.304-305. Nov., 1937.(DK390102k-0006)
第39巻 p.187-188 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA, by KYUGORO OBATA pp. 304-305 Nov., 1937.
          CHAPTER XIII
     IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
  …………
         THOMAS W. LAMONT
  From the time of my first visit to Japan in 1920, I cherished sincere admiration for and vivid memory of a warm friendship with one of that country's Grand Old Men. Viscout Eiichi Shibusawa was a leader of finance and industry and devoted for years to the promotion of warm and friendly understanding between his country and mine. He was a tireless worker for peace. Himself a person of mental training and discrimination, he was supporter of Japanese culture.
  Upon the occasion of my 1920 visit to Japan the Viscount received my wife, myself and my immediate staff at his own home and entertained us with extraordinary grace and courtesy. Afterwards,I had the privilege of a long and con
 - 第39巻 p.188 -ページ画像 
structive discussion with him, conducted through the medium of our good friend, Mr. Obata. Thus it was a particular privilege for me to be able to assist in the welcome accorded Viscount Shibusawa on the occasion of his visit to America in the fall of 1921.
  He and I corresponded regularly, and his letters brought to me a freshness of viewpoints which seemed only to grow keener with the advancing years. No one of us can forget the zeal and effectiveness of his efforts to assist his country in that trying period following the catastrophe of 1923. I recall, too, the Viscount's sympathetic commendation of the part my firm was able to play in this work of reconstruction through the great international loan made to the Japanese Government early in 1924.
  …………
March 2, 1936
             (Signed) Thomas W. Lamont


日米外交史 川島伊佐美著 第五二二頁昭和七年二月刊(DK390102k-0007)
第39巻 p.188 ページ画像

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