デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.212-217(DK390120k) ページ画像

大正10年5月8日(1921年)

是日栄一、アメリカ合衆国殖民学者ポールトニー・ビゲロー夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ六月七日、ビゲロー、一橋東京商科大学ニ於テ講演ス。栄一臨場シテビゲローヲ聴衆ニ紹介ス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK390120k-0001)
第39巻 p.212-213 ページ画像

集会日時通知表 大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
五月八日 日 正午    ビゲロウ氏招待会(飛鳥山邸)
   ○中略。
六月七日 火 午前十一時 ビゲロウ氏ト御会食ノ約(飛鳥山邸)
             東京商科大学ヘ御出向、ビゲロウ氏紹介ノ件
   ○中略。
 - 第39巻 p.213 -ページ画像 
七月五日 火 午後三時 ビゲロウ氏ト御会見ノ約(兜町)


竜門雑誌 第三九七号・第六三頁大正一〇年六月 ○ビゲロー氏招待午餐会(DK390120k-0002)
第39巻 p.213 ページ画像

竜門雑誌 第三九七号・第六三頁大正一〇年六月
○ビゲロー氏招待午餐会 青淵先生には五月八日正午、曖依村荘に米国の著作家ビゲロー氏、及同夫人を招待の上、午餐会を催さるゝ所ありたるが同氏は四十五年前、帆船に乗りて日本に来朝し、三崎附近にて難船の災に遇ひし事あり、当時大隈侯及び大西郷にも面会せる趣にて、明治廿八年頃再び来朝し、今回は三度目なりと云ふ。常に力を各国の殖民政策の研究に濺ぎ、今回も亦我国の朝鮮・台湾・樺太其他の地殖民を踏査して其調査を発表し、以て日本に於ける殖民政策の是非を欧米の輿論に訴ふる意嚮なる由。
 因に当日の出席者は左の如し
  ビゲロー氏  同令夫人   日下義雄氏
  佐野善作氏
  青淵先生   同令夫人   小畑久五郎氏


竜門雑誌 第三九八号・第六四頁大正一〇年七月 ○ビゲロウ氏紹介(DK390120k-0003)
第39巻 p.213 ページ画像

竜門雑誌 第三九八号・第六四頁大正一〇年七月
○ビゲロウ氏紹介 青淵先生には此程来朝中のビゲロウ氏が、六月七日午後二時より一橋東京商科大学に於て講演するに際し、特に同大学に出向かれ会衆に対し紹介せられたりと云ふ。



〔参考〕中外商業新報 第一二六八四号大正一〇年七月八日 ビゲロー氏(DK390120k-0004)
第39巻 p.213-214 ページ画像

中外商業新報 第一二六八四号大正一〇年七月八日
    ビゲロー氏
余が自ら日本を知りしは四十五年前、江戸湾口附近に於て幸に難船の厄に遭ひたるに拠れり、当時余に取りて一幅の画なり、本島は広大複雑なる大帝国となり、世界は同国の植民地統治に於ける最近の経験に対し、驚異に幾分の嫉妬を交へて張目監視す、何人も日本属領地を旅行して混沌に秩序を与へ、商港を築き鉄道を敷設し、曩に蒙昧不文なりし地に学校を設けたる、駿敏急速の変化に驚かされざる者なかるべし、当初偸盗・海賊の住居たりし沿岸は、商業・農業殷賑なる街衢となり、日本国旗の翻る処、生命財産の安固あり、従つて正直なる商賈は薩哈嗹の全部は素より政治の紛乱に依りて四分五裂せる曠野を通じ日章旗の光輝耀き渡りて其苦難を救ひ、世界の商業交通に公開せられんことを希はざるなし、米国人は星条旗が玖馬及ハイチに働き
 又近く墨国 に於て遂行せざるべからざる処を、極東に於て実現しつゝある日本国旗を満洲より西比利亜の曠野に仰ぐを欣幸とせざるべからず、文明国は長く劣弱にして紛争を事とする隣国の存在を忍ぶこと能はず、而して世界も亦奸賊の跋扈に委したる、地方に理智ある警察力に依りて、其秩序の維持され其貿易の増進せらるゝを希求すべきなり、日・英・米は等しく貿易を貴ぶ平和の競争者なり、日米間には理性に富む人士の討議に依りて、満足に解決し得られざる案件あることなし、米国に於ては外国人殊に東洋人に対する偏見、並に恐怖実に甚しきものあり、刊行物・政治家・投票函の三勢力は人種的僻見を煽動するに適し、是等の感情を除却せんとするは至難の業に属す、日本
 - 第39巻 p.214 -ページ画像 
は米国に於て熱心なる友人の多くを有す、日本は米国に宣伝局を置くの必要なし、日本は政治線上に立騰る妖雲の全部とは言はざるも、其大部分を消散せんが為めに無思慮に又真に虚心坦懐なる討議を要するのみ、余は保護関税の名の下に米国の関税戦争を挙げんとす、余の当地に来りてより後、樟脳に対し二割五分の課税をなすことゝなれり、是は台湾に対する致命傷なり、満洲大豆に対する重課は甚しく
 感情を阻隔 せり、新種課税は痛切に無辜の民の繁栄を奪ひ去るものなり、吾人は須らく委員会を設け友交的国際関係の光に照して、適当なる関税法を協定すべし、吾人は其希望に依りて税率を適用する一国に対し、抗議すること能はざるや勿論なるも、余の提唱する委員会は平和を愛好する者の等しく賛成する処なるべし
   ○右ハ七月七日日米協会主催送別会ニ於ケル演説ナリ。本資料第三十五巻所収「日米協会」大正十年四月七日ノ条参照。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK390120k-0005)
第39巻 p.214 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一〇年 (渋沢子爵家所蔵)
十二月二日 晴又雨 寒
○上略 六時頃堀越氏ヲ伴フテ紐育ノ夜景ヲ観ル、繁華ノ街衢ニ於ル装飾電灯恰モ花ノ如ク、又星ノ如シ、真ニ不夜城ノ名ニ当レルナリ、七時過帰宿、直ニ衣ヲ改メテビゲロウ氏ヨリ案内アリシ地球ノ極度ト名クル一倶楽部ノ会同ニ出席シ、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、十一時散会帰宿ス
   ○本資料第三十三巻所収「第四回渡米」大正十年十一月七日ノ条参照。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ポールトニー・ビゲロー宛大正一四年八月二〇日(DK390120k-0006)
第39巻 p.214-215 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ポールトニー・ビゲロー宛大正一四年八月二〇日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            (栄一墨書)
            八月十六日一覧早々発送可致事
    案
 ニユー・ヨーク州
  モルデン・オン・ハドソン
   ポールトニー・ビゲロウ殿
    大正十四年八月廿日
                   東京 渋沢栄一
拝啓、益々御清適奉大賀候、然ば六月四日附貴翰正ニ落手難有拝誦仕候、貴台が常に日米親善関係に興味を抱かれ、種々御尽力被下候段奉深謝候
貴国に於ては常に煽動的大多数者が公私共に跋扈跳梁し、ハースト系新聞紙及労働組合等の議会に於ける勢力は知識階級の其れよりも一層強烈なるが故に、今回の如き排斥移民法制定せられたりと共和政治の弊害を論破せられ候御識見に感服致候
我邦も愈々普通選挙制度を採用することゝ相成り候折柄、民衆政治に関する御高見は他山の石として大に学ぶ可きもの有之候義と存候
貴台には近々「日本及其植民地」並に「七十春秋」と題する御自著を御公表相成候由、定めて興味深く且有益なる御著作と存じ、一日も早く御上梓せられん事を期待罷在候
 - 第39巻 p.215 -ページ画像 
貴台が講演に臨まるゝや、反対者に口実を与へざらんが為一切の謝礼金を退ぞけ、侃諤の言論を以て正義人道を主張せらるゝは、老生の感佩措く能はざる所に候、今後とも不相変御尽力の程切に願上候
御友人男爵山川健二郎博士の御消息に関し、御問合せに付御伝言申上候処、同男爵に於ても貴台に御通信の希望を有せられ候も御住所不明の為、心ならずも御無沙汰に打過ぎ居り候に付、よろしく申上候様と御依頼有之候、又同男爵の希望に依り御住所を御通知致置候
右御礼旁々御回答迄得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕渋沢栄一書翰 控 ポールトニー・ビゲロー宛昭和三年八月三〇日(DK390120k-0007)
第39巻 p.215 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 ポールトニー・ビゲロー宛昭和三年八月三〇日
                  (渋沢子爵家所蔵)
                 白石 明六
    案
 紐育州モールデン・オン・ハドソン
  ポルトネ・ビゲロウ殿
                   東京 渋沢栄一
拝復、六月廿二日付御書面正に落手拝誦仕候、然ば貴台には爾来益御健勝の由慶祝の至に御座候、老生今春四月下旬軽微の風邪にて臥床療養中、五月初旬突然胆嚢炎を発し一時苦脳致候得共《(悩)》、さしたることも無之徐々回復致候、然し御承知の老齢の事とて捗々しく全快に不至、籠居三ケ月余に及候処、昨今漸く恢復致し外出を試み、「又徐々に執務し得る迄に至り候間御省念被下度候
故日下氏の女婿佐治氏より「日下義雄伝」送呈せられ候由に候処、同書には貴台に関する記述相当多く候間定めて興趣多かるべく、又懐旧不禁事と存候、尚同書巻頭の序文は老生親しく起稿の上自身執筆致候ものに御座候、御一覧被下候はゞ本懐の至に御座候
混乱せる現時の世相に対する御憤懣も御尤千万に有之候、御同感の至に御座候得共、蓋し隠忍自重の外に道なかるべくと存候
来示の小畑も不相変健全にて執務罷在候
右御回答旁得貴意度如此御座候 敬具
 昭和三年八月三十日
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。



〔参考〕(ポールトニー・ビゲロー)書翰 渋沢栄一宛一九二八年九月二〇日(DK390120k-0008)
第39巻 p.215-217 ページ画像

(ポールトニー・ビゲロー)書翰 渋沢栄一宛一九二八年九月二〇日
                  (渋沢子爵家所蔵)
  POULTNEY BIGELOW
  MALDEN-ON-HUDSON
                    Sept, 20, '28
My dear Viscount Shibusawa,
  Your letter gives me much pleasure and also your very kind words in the preface to the Kusaka book.
  It was very easy for me to admire you and trust you, because Kusaka was never tired of expressing his own loyal
 - 第39巻 p.216 -ページ画像 
 affection for your person and your achievements.
  I can see you in 1854 climbing aboard the big black ship of Commodore Perry and swinging your sword in defiance. May be the story is exaggerated, yet all who know you are sure that your courage and your patriotism could sustain you in any deed however daring.
  God rules the wheel of Karma, and maybe it was well for Japan that the black ships of Commodore Perry should have then caused a revolution in the foreign relations of your country; but I am by nature conservative and much dislike our modern unrest. I dislike aeroplanes and steamships and electric trams and telephones and elevators and phonographs and movie pictures.
  When I die I wish to go to some country like the Japan about which Kusaka talked to me in 1872 and which I learned to love and admire on my first visit in 1876 ― I do not waste my nervous farce in snarling at present conditions. I have to accept them as we accept mosquitos, earthquakes, inundations. But it would be untrue to say that I enjoyed them.
  The expansion of Japan is to my mind excellent so long as due regard is given to local costoms. I do not share the alarm as to overcrowding, for the happiest countries of the world are overcrowded ones, ― Holland, Switzerland, England, Belgium.
  Japan will doubtless come triumphant through this crisis; her industrial and commercial genius will open many markets to her; luxury will cause the prosperous to have smaller families; history will repeat itself & the great Law of Supply and Demand will determine all things if we be patient and fly not in the face of common sense.
  And now I rejoice at your good health. My own father lived 94 years and was active to the end ― maybe when you reach that age, you may once more have a visit from your friend.
as ever,
             (Signed) Poultney Bigelow
(右訳文)
         (栄一鉛筆)
         十月二十二日一覧
         不相変頗る興味ある回答に接し、本人と会見之想を起し候也
 東京市 (十月九日入手)
  渋沢子爵閣下
            モールデン・オン・ハドソン
                 ポルトネー・ビゲロー
    一九二八年九月二十日
 - 第39巻 p.217 -ページ画像 
拝啓、益御清適奉賀候、然ば御芳書並に日下義雄伝の序文中の御懇篤なる御言葉を頗る愉快に拝読仕候、日下氏が閣下の御人格と御事業とに対し断えず誠実なる憧憬を表示して、倦むことなきを見聞致居候小生に取りては、閣下を尊崇し且つ讚仰することは容易に御座候
一八五四年ペルリ提督の巨大なる黒船に攀ぢ上り、長刀を揮つて大見得を切りつゝある閣下を眼前に見る心地致候、此話は聊か誇張の嫌ありとは存候得共、勇気と愛国心とに富まるゝ閣下には斯る勇敢なる行為に出でられ候とも、去まで驚くに足らざる事と閣下を知るものは皆確信仕候、神は万有を支配致居候、当時ペルリ提督の黒船が貴国の外国関係に革命を惹起せしめたるは、日本のために幸なりしならんと存候、然るに小生は生来保守的にして近代の動揺を極めて嫌忌致す者に有之候へば、自然飛行機・汽船・電車・電話・昇降機・蓄音器及活動写真等に対しても同様の態度を取り居り候
小生死後は一八七二年に日下氏が小生に物語り、小生が一八七六年初めて親しく訪問して以来愛慕し且つ嘆美するに至りし当時の日本の如き国に到りたき希望に有之候、現在の情態を罵詈して神経の力を浪費致間敷候、蚊・地震・洪水等に対すると同様、現状を忍ぶは不止得義と存候、併し小生が之を享楽したりと云はゞ虚偽を申上ぐる事と相成可申候
固有の習慣に適当なる注意を払ふ限り、日本の発展は結構の事と考へられ候、小生は人口過剰に関する杞憂には与り申さず候、世界の最も幸福なる国々は皆人口過剰の国々に御座候、即ち和蘭・瑞西・英国・白耳義は好適例に候、日本が此危機を脱して勝利を得る事に疑ひなく候、日本の卓抜なる商工業者は多くの市場を開拓致すに至る可く候、贅沢は富有者の家族を小数ならしめ候、歴史は繰返すものにて需要供給の大法は万事を決定可致候、私共は忍耐して常識に反する行動を慎むべきと存候
閣下には御健勝の由奉欣賀候、小生の父は九十四歳の長命を保ち候ひしが最後迄活動致候、閣下が前記の御年齢に達せらる時相変らず、御健勝にて閣下の友人より再び御訪問を受けさせらるゝ事と、今より御祝ひ申上候
右貴答旁得貴意度如此御座候 敬具