デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.238-240(DK390143k) ページ画像

大正12年1月29日(1923年)

是日栄一、フランス共和国梵語学者シルヴァン・レヴィ夫妻、アメリカ合衆国東洋語及ビ東洋文学者ハーバート・エッチ・ガウエン夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一二年(DK390143k-0001)
第39巻 p.238 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一二年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十九日 晴 寒
○上略 十一時頃同会○理化学研究所報告会ヲ辞シ王子ニ帰宅シ、仏人レビー博士夫妻、米人ゴーエン博士夫妻及石井大使・平山成信・古市公威・姉崎・添田・杉山・木島氏ノ来会アリテ午飧会ヲ開ク、一同会食前後ニ於テ種々ノ談話アリ、午飧畢リテ晩香廬ニテ小憩シテ三時頃散会ス○下略
一月三十日 曇 寒
○上略 午後五時半如水館ニ抵リ、帰一協会ニ出席ス、仏国人レビー氏ヨリ、仏国宗教ニ関スル歴史的講演アリ、一同夜飧ヲ共ニシ食後又会話ス○下略


招客書類(一) 【大正十二年一月二十九日正午、於飛鳥山 仏国梵語学者レヴヰ博士夫妻、東洋語及東洋文学者ガウエン博士夫妻招待会】(DK390143k-0002)
第39巻 p.238-239 ページ画像

招客書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
  大正十二年一月二十九日正午、於飛鳥山
  仏国梵語学者レヴヰ博士夫妻、東洋語及東洋文学者ガウエン博士夫妻招待会
                    レヴヰ博士
                    同夫人
                    ガウエン博士
                    同夫人

                  男 古市公威
                    井上哲次郎
                    平山成信
                  子 石井菊次郎
                    同夫人
                    杉山直治郎
                    添田寿一
                    頭本元貞
                    伊東米治郎
                    姉崎正治
                    木島孝蔵
                    木谷政子
                    穂積歌子
                    市河三喜
                    同夫人
 - 第39巻 p.239 -ページ画像 
                    主人
                    渋沢美枝子
                    渋沢鄰子
                    明石愛子
                    渋沢登喜子


竜門雑誌 第四一七号・第七四―七五頁大正一二年二月 ○レヴヰ、ガウエン両博士夫妻招待会(DK390143k-0003)
第39巻 p.239 ページ画像

竜門雑誌 第四一七号・第七四―七五頁大正一二年二月
○レヴヰ、ガウエン両博士夫妻招待会 青淵先生には一月二十九日正午、曖依村荘に於て梵語学者たる仏国人レヴヰ博士夫妻、並に東洋語及東洋文学教授たる米国人ガウエン博士夫妻を正賓とし、古市公威男・井上哲次郎氏・平山成信氏・石井菊次郎子夫妻・杉山直治郎氏・添田寿一氏・頭本元貞氏・伊東米治郎氏・姉崎正治氏・市河三喜氏夫妻・木島孝蔵氏・木谷政子氏、並に穂積男夫人・渋沢武之助夫人・渋沢正雄氏夫人・明石照男氏夫人・渋沢敬三氏夫人を相客として清宴を催され、種々懇談歓待せられたりと云ふ。


(ハーバート・エツチ・ガウエン、同夫人)書翰 渋沢栄一宛一九二三年八月(二五日)(DK390143k-0004)
第39巻 p.239 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕財団法人日仏会館第五回報告 自昭和三年四月一日至昭和四年三月卅一日 第三―四頁刊(DK390143k-0005)
第39巻 p.239-240 ページ画像

財団法人日仏会館第五回報告 自昭和三年四月一日至昭和四年三月卅一日 第三―四頁刊
    四、仏国政府派遣ノ碩学及青年学者
 - 第39巻 p.240 -ページ画像 
一、大正十五年九月、仏国ヨリ学長トシテ来任セル東洋学者コレージド・フランス教授シルバン・レビ氏ハ滞在一年九ケ月、其間夫人ト共ニ本館ノ事業ニ尽力シ、昭和三年五月二十五日支那、印度経由帰仏ノ途ニ就ケリ。出発ニ際シ勲二等ニ叙シ瑞宝章ヲ授ケラレ、帝国学士院ハ同氏ヲ其客員ニ推薦シタリ。
○下略
   ○本資料第三十六巻所収「財団法人日仏会館」ノ条参照。



〔参考〕読売新聞 第二一〇九八号昭和一〇年一一月三日 欧洲仏教学界の巨匠 シルヴァン・レヴイ教授の訃 仏教社会学院長 浅野研真(DK390143k-0006)
第39巻 p.240 ページ画像

読売新聞 第二一〇九八号昭和一〇年一一月三日
  欧洲仏教学界の巨匠
    シルヴァン・レヴイ教授の訃
              仏教社会学院長 浅野研真
 去る十月卅一日パリ発の聯合通信によれば、同日パリに於て、現代欧洲仏教学界の第一人者、東洋学の巨匠たる、パリ大学梵語教授シルヴアン・レヴイ氏は、七十二歳の高齢でつひに逝去されたのである。
  氏を識る人は、我国にも相当に多いことではあらうが、私もその一人として、且つ滞欧中しばしばお宅をも訪れて、一方ならぬ御指導を受けたものとして、玆に教授の訃を衷心より哀悼せざるを得ざるものである。
 それに目下、東洋研究及び特に日本研究が、世界的な潮流として非常な高揚を示してゐるの時だから、氏の如き巨匠の逝去は、如何に惜しみても惜しみ足らないであらう。
 特にレヴイ教授は、しばしば印度、極東に遊歴され、日本には三度までも来訪されたことがあつて、日本文化、日本仏教に対しては、特に甚大なる理解と同感とを持つてゐられて、常に之を欧洲学界に紹介されてゐた方だけに、余計に惜しまれざるを得ないであらう。まことに氏の逝去は、日本文化の欧洲進出にとつては、非常な損失であらねばならない。
  レヴイ氏の業蹟は、先年、昭和三年五月、日仏会館長を辞して帰国される時に「現代仏教」の同月号に、詳細に紹介されてゐるが、主要なものを二・三挙げるならば、学位論文は「印度劇」(一八九〇年)であり、同副論文はラテン語で書かれた「古代印度文献に現れたるギリシヤ人に関する記述」(同年)である。また一八九八年には「梵書に於ける供犠の教義」なる宗教社会学上の著述がある。
 然し何と云つても、氏の国際学界への偉大なる貢献は、仏教学の方面である。即ち氏は再三印度の北方ネパールに入国し、梵語仏典を探査し、大乗荘厳経論・唯識二十論・唯識三十頌及註・中辺分別論及註等の原本を発見され、自ら校訂出版し、フランス語訳をも企図された
 また漢文及び西蔵語などにも精通された氏が、高楠博士と協力して仏教辞典「法曹義林」の完成に努力されてゐたことも有名なことだ。然るに今玆に溘然として逝かる。誠に惜しむべし矣。
   ○レヴィノ写真略ス。