デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.331-334(DK390190k) ページ画像

大正14年10月7日(1925年)

是日栄一、ベルギー国財政家ルイ・ストラウスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ十五日、帝国ホテルニ其留別午餐会開カレ、栄一出席ス。


■資料

招客書類(二) 【大正十四年十月七日正午、於飛鳥山邸 ストラウス氏歓迎会】(DK390190k-0001)
第39巻 p.331-332 ページ画像

招客書類(二)              (渋沢子爵家所蔵)
 大正十四年十月七日正午、於飛鳥山邸
  ストラウス氏歓迎会


図表を画像で表示ストラウス氏歓迎会

                     (太丸・太字ハ朱書)       L. Strauss           ○ストラウス       Adler              ○アドレル       Bassompierre   ○白耳義大使 バツソンピエール       Burryer        欠書記官  ビルレル       Grenade          商務官○グルナード     以下p.332 ページ画像               欠白耳義協会長 男 大寺純蔵                       ○蘆田均                     ○男 古市公威                       欠富井政章 (朱書)                ○男 阪谷芳郎 当日ノ御案内順序        欠外相秘書官 岸倉松 洋館ニテ受付応接室ニ一           ○山中勇 度御茶ヲ上ゲ、更ニ書院ノ          ○木島孝蔵 半部ニ設ケタル談話室ニテ          ○桜田助作 小時御談話ノ後、同院半部ニ         欠秋月左都夫 作リタル食堂ニ御案内ス           ○主人 食事後庭園散歩、更ニ晩香          ○小畑久五郎 廬ニテ御談話ノ後御散会      以上〆十七人 書院ニ設ケタル談話室ノ椅      内 出席十二人 子ハ青淵文庫ヨリ移入ス         欠席 五人 



 料理 東洋軒
 余興 ナシ


集会日時通知表 大正一四年(DK390190k-0002)
第39巻 p.332 ページ画像

集会日時通知表 大正一四年 (渋沢子爵家所蔵)
十月七日 水 正午 白耳義財政家、ルイ・ストラウス氏招待会(飛鳥山邸)
   ○中略。
十月十五日 木 正午 ルイ・ストラウス氏留別会(帝国ホテル)


竜門雑誌 第四四六号・第一〇五頁大正一四年一一月 青淵先生動静大要(DK390190k-0003)
第39巻 p.332 ページ画像

竜門雑誌 第四四六号・第一〇五頁大正一四年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
○上略 白耳義財政家ルイ・ストラウス氏招待会(七日正午曖依村荘)○中略
ルイ・ストラウス氏留別会(十五日正午帝国ホテル)○下略


中外商業新報 第一四二一九号大正一四年九月二九日 白国の親日家ス氏が来る 日本滞在は約三週間八十二歳で大元気(DK390190k-0004)
第39巻 p.332-333 ページ画像

中外商業新報 第一四二一九号大正一四年九月二九日
    白国の親日家ス氏が来る
      日本滞在は約三週間八十二歳で大元気
日白協会の招待で、ベルギーのルイ・ストラウス氏が十月一日横浜に入港する天洋丸で来朝することゝなつた、日本滞在は約三週間で東京におけるプログラムは、六日は慶応、八日は商大、九日は日本経済聯盟でそれぞれ講演をなし、滞京中渋沢子・大倉男の招待会に臨み、京大においても講演する予定で、多分摂政宮殿下にも拝謁仰付けられる模様である、氏は本年八十二の老齢であるが壮者を凌ぐ大元気で、自由党の耆宿として政敵からも尊敬をうけてゐる位だ、卅余年間ベルギー最高商工会議長を勤め、三・四十年来引続いてアントワープ市から下院議員としても選ばれてゐる、また同市で「ネブチユーン」と称する新聞も興して盛んに寄稿してゐるが、慶応年間から明治三年までベルギー最初の総領事として日本に駐在してゐたことがあつて、非常な
 - 第39巻 p.333 -ページ画像 
親日家で先年摂政宮殿下御渡欧の際にも自ら国内の諸所を御先導申しあげ、当時旭日二等章を授与せられた程である、また氏は経済財政学者としても知られ、現に米国多数協会の招請によつて渡米し、各地で講演会を開いて帰途立寄ることになつたのである


(安達峰一郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年八月一一日(DK390190k-0005)
第39巻 p.333 ページ画像

(安達峰一郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年八月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                     (栄一墨書)
                     九月八日一覧
  大正十四年八月十一日
                      安達峰一郎
    子爵 渋沢栄一閣下
拝啓、時下益々御清穆ノ段君国ノ為大慶至極ニ存シ奉リ候、陳者今般日白協会ノ招請ニ応シ、本邦ニ渡航致候「ルイ・ストラウス」氏ハ、二十八年来高等商工会議長ニテ且下院最年長者議員ニ有之、当年八十三歳ノ高齢ニ達シ而モ壮者モ及ハサル程矍鑠タル老人ニ有之候処、同氏ハ夙ニ領事官トナリ弱年ニシテ白国最初ノ本邦駐在総預事トシテ、慶応三年ヨリ明治三年迄本邦ニ滞在シタルコトアリ、爾来常ニ本邦ノ良友ニシテ小生トモ別懇ノ間柄ニ有之候、昨夏ハ加奈陀各種団体ノ招請ニ応シ二ケ月余ニ亘リ加奈陀各地ヲ巡遊講演シ帰来、又講演会ニ於テ或ハ新聞紙上ニ於テ加奈陀事情ヲ発表シ、両国友交関係ニ多大ナル効果ヲ収メタル実績ニ鑑ミ、小生等二・三ノ者ノ発案ニテ今回愈々日白協会ニ於テ同氏ヲ招請スルコトニ取リ運ヒ候次第ニ御座候、同氏本邦滞在中ハ自然閣下ノ御助力ヲ相仰キ候事多々可有之ト被信候ニ付テハ、其ノ節ハ御多用中誠ニ恐縮ノ至リニ候ヘ共、前述ノ事情等御諒察ノ上何卒何分ノ御斡旋ヲ賜リ度、此段御依頼旁得貴意候 敬具


(安達峰一郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一二月二八日(DK390190k-0006)
第39巻 p.333-334 ページ画像

(安達峰一郎)書翰 渋沢栄一宛大正一四年一二月二八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、陳者今秋白国衆議院最年長議員ニシテ且商工最高会議々長タルルイ・ストロース氏ノ本邦滞在中、閣下ガ本邦社会ノ元老トシテ将又聯盟協会副総裁トシテ、同氏歓迎ノ為斡旋尽力下サレ候ヒシ事ハ、同氏ニ対シ深甚ノ印象ヲ与ヘラレ候、右ハ去ル拾九日ストロース氏ノ為ニ小生ノ催シタル晩餐会、及其ノ後催サレタル日白研究協会等ノ同氏歓迎レセプシヨンニ際シ、同氏ガ頻リニ閣下ノ御噂ヲ致シ、又過般当国現皇帝陛下ニ拝謁シタル際ニモ、閣下ガ今ヨリ五拾六年前レオポール二世陛下ニ謁見セラレタル往時ノ事ドモヲ、追懐御話申上ゲラレタルニ徴スルモ一点疑ヲ容レザル所ト存候、加之其ノ事ハストロース氏ガ本邦滞在中閣下ト相並ンデ撮影セラレシ写真ト共ニ、白国ニ於テ三拾四万ノ発行部数ヲ有スル最大新聞ル・ソアールニ掲載セラレタル様ノ次第ニテ、啻ニストロース氏一人ノミナラズ、白国朝野ヲ挙ゲテ閣下ニ対シ謝意ト好感ヲ抱キ居候事ハ、他面ニ於テ閣下ガ日本ノ国策タル平和ノ愛好者タリ、将又其ノ熱誠ナル宣伝者タルニ共鳴シタルニ依ルモノト推想致サレ候、今日帝国ノ国際的地位ヲ能ク了解スル者真ニ寥々タル時機ニ際シ、西欧ノ一角ニ我等ガ真実ノ強力ナル味方ヲ得ル
 - 第39巻 p.334 -ページ画像 
ニ至リタルハ、誠ニ一大成功ト云フノ外無ク、而シテ是レ偏ニ閣下ノ御尽力ニ負フ所ナルヲ惟ヒ、小生ハ玆ニ閣下ニ向テ、深甚ノ謝意ト尊敬ヲ捧ゲ候
尚、閣下ノモツトートセラルヽ世界ノ平和、人類ノ平和ノ為、切ニ御自愛ヲ祈リ御健康ヲ奉祈候 敬具
  大正拾四年拾二月二十八日
                      安達峰一郎
  国際聯盟協会副総裁
    子爵 渋沢栄一閣下
              侍史
   追テ子爵令夫人ニ何卒小生共ノ敬意可然御伝被下度御願申上候尚ストロース氏ハ白仏辺ニ於テ既ニ拾八・九回ノ講演ヲ為ス約束アリ、来一月二十日ノ分ニハ当国皇帝陛下ニモ親臨セラルヽ筈ニ有之候


渋沢栄一書翰控 安達峰一郎宛 大正一五年二月一五日(DK390190k-0007)
第39巻 p.334 ページ画像

渋沢栄一書翰控 安達峰一郎宛大正一五年二月一五日 (渋沢子爵家所蔵)
 在白日本帝国大使館
  安達峰一郎閣下
拝復、益御清適奉賀候、然ば昨年十二月廿八日付御懇書難有拝読、過般来遊のルイ・ストロース氏の件に付、存しも寄らざる御鄭重の御賞讃に与り恐縮千万に御座候、同氏の御来遊に付ては稀有の珍客の事とて外務当局よりの御注意も有之、且老生としては白耳義に付ては古き縁故も有之、同氏を御接待致候は至極と存じ飛鳥山拙宅に小集相催候義に御座候、もとより至極手軽なる又インホーマルの会合とて、到底閣下の御推賞は当らす、真に汗顔の至に御座候、然し此会合に於て老生が六十年の昔即ち明治と改元の前年の事共を回想致、真に感慨に堪へざるもの有之、此等に付て少しく申上候次第に御座候、尤も言語の自由無之に付通訳を通してのことゝて、到底情意の徹底を期し難く残念の至と存候、其折の談話の大要左の通りに御座候
老生民部公子に随従渡欧致、公子の白耳義に遊ぶや、当時の皇帝レオポール二世陛下より御賜餐有之、此に陪することを得たるが、席上陛下より何所を見たるかとの質問有之、公子のリエージを見たりと答へらるゝや、陛下は真に結構の見学なり、鉄は一国文化並に経済の発達国力の充実に欠くべからざるものなれば、是非日本も之を産出する様努力せざるべからず、而して完全なる製品の産出せらるゝまでは弊国の製品を購入せらるゝ様致度と懇々と民部公子に物語らるゝを承り、東西両洋事物風俗の相違はさることながら、皇帝自ら少年の公子に如此御談話有之候は、真に奇妙に感ぜられ深き感慨を得申候、此義は老生生ある限り忘るゝ能はざる所にして、六十年後の今日と雖眼前に彷彿たるを覚え申候、此等の事共ストロース氏に御談話致候次第に有之老生の深き感触は同氏の感する所となり、自然閣下の知らるゝ所と相成、玆に閣下の過賞を忝ふし候次第にて真に愉快不禁候、御来示により更に当時を回想致御礼旁申上候次第に御座候 敬具
  大正十五年二月十五日