デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.373-378(DK390208k) ページ画像

大正15年7月11日(1926年)

是ヨリ先、フランス共和国前総理大臣エドアール・エリオ夫人ブランシュ・エリオ来日ス。是日栄一、同夫人ヲ日本女子大学校ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。終ツテ更ニ東京市養育院ニ案内ス。


■資料

集会日時通知表 大正一五年(DK390208k-0001)
第39巻 p.373 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
五月廿四日 月 午前十時 エリオー夫人歓迎会打合会(事務所)
   ○中略。
六月廿六日 土 午前十時 エリオ夫人歓迎ノ件ニ付打合セ会(事務所)
   ○中略。
六月三十日 水 正午   エリオー夫人歓迎ノ件ニ付打合会(中央亭本店)
   ○中略。
七月九日  金 午後三―四時 仏国下院議長エリオ夫人御面識会日仏会館
   ○中略。
七月十一日 日 正午   フランスエリオ夫人歓迎御餐会《(午)》(飛鳥山)
        午後三時 エリオ夫人御案内ノ為東京市養育院へ御出向
        午后四時 フランスエリオ夫人歓迎観劇会(歌舞伎座)


竜門雑誌 第四五五号・第七一頁大正一五年八月 青淵先生動静大要(DK390208k-0002)
第39巻 p.373 ページ画像

竜門雑誌 第四五五号・第七一頁大正一五年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
九日  エリオ氏夫人面識会(日仏会館)
十一日 エリオ氏夫人案内の為め日本女子大学校へ出向(同大学)同夫人歓迎午餐会(曖依村荘)同夫人案内の為め東京市養育院に出向(本院)


招客書類(二) 【大正十五年七月十一日(日曜日)正午、於飛鳥山邸 仏蘭西エドワード・エリオ氏夫人歓迎午餐会】(DK390208k-0003)
第39巻 p.373-374 ページ画像

招客書類(二)             (渋沢子爵家所蔵)
 大正十五年七月十一日(日曜日)正午、於飛鳥山邸
  仏蘭西エドワード・エリオ氏夫人歓迎午餐会
                   (太丸・太字ハ朱書)
                   ○エリオ夫人

                   ○クローデル
                   ○同嬢
                   ○フーシエ
                   ○同夫人
 - 第39巻 p.374 -ページ画像 
                   ○ボンマルシヤン
                 ○男 阪谷芳郎
                 ○男 古河公威
                   ○富井政章
                 ○子 曾我祐邦
                   欠山本信次郎
                   ○木島孝蔵
                   ○麻生正蔵
                   ○井上秀子
                   欠田中太郎

                   ○主人
                   ○渋沢美枝子
                   ○明石愛子
                   ○小畑久五郎
         以上〆十九人
             内出席十七人
              欠席 二人
 一、余興 三曲(高橋)
 一、料理 西洋料理(東洋軒)
 一、接待順序 青淵文庫より日本館書院
 一、茶室ヲ用意スル事(久保田理好)
 一、招待状ニ左記ノ附箋ヲ附スル事
   当日ハ此程来遊中ノ前仏国首相エリオ氏令夫人ヲ御招待致置候
[imag 図]床ノ間 ○明石愛子様 ○木島孝蔵様 ○フーシエ様令夫人 ○男爵古市公威様 ○クローデル様 ○富井正章様 ○フーシエ様 ○井上秀子様 ○小畑久五郎 ○渋沢美枝子様 ○ボンマルシヤン様 ○男爵阪谷芳郎様 ○クローデル様令嬢 ○主人 ○エリオ様令夫人 ○子爵曾我祐邦様 ○麻生正蔵様


東京市養育院月報 第三〇〇号・第二六―二七頁大正一五年七月 ○前仏国首相エリオ氏夫人の本院視察(DK390208k-0004)
第39巻 p.374-375 ページ画像

東京市養育院月報 第三〇〇号・第二六―二七頁大正一五年七月
○前仏国首相エリオ氏夫人の本院視察 前仏国首相エリオ氏夫人、駐日仏国大使クラウデル、同令嬢・巴里大学教授フーシエー、同夫人、駐日仏国大使館訳官ボンマルシヤンの六氏は、渋沢院長の案内に依り七月十一日午後三時院長と共に来院せられ、田中幹事の案内にて院内諸施設を親しく視察の上、事務所前庭渋沢子爵記念像前にて記念の撮影を行ひ、同四時辞去せらる、尚ほ当日は日仏会館理事木島孝蔵、渋沢事務所員小畑久五郎の両氏も子爵と同伴、来院せられたり
 - 第39巻 p.375 -ページ画像 
○参観者
△本院
○中略
七月十一日 前仏国首相エリオ氏夫人、駐日仏国大使クラウデル氏、同令嬢、巴里大学教授フーシエー氏、同夫人、駐日仏国大使館訳官ボンマルシヤン氏、日仏会館理事木島孝蔵、渋沢事務所員小畑久五郎氏、都新聞記者青山与平氏。
○下略


(ブランシュ・エリオ)書翰 渋沢栄一宛(一九二六年)七月一七日(DK390208k-0005)
第39巻 p.375-376 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 ブランシユ・エリオ宛 一九二六年九月六日(DK390208k-0006)
第39巻 p.376 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ブランシユ・エリオ宛一九二六年九月六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
              (栄一鉛筆)
              十五年八月三十日一覧
    (案)
  エドワーヅ・エリオ夫人殿
               東京、一九二六年九月六日
                      渋沢栄一
拝復、七月十七日附の尊翰正に落手難有拝誦仕候、然ば今回御来遊の際は御歓待も意に任せず恐縮に存居候処、却つて御丁寧なる御礼状を賜はり真に痛み入り候、何卒御壮健にて御幸福なる御漫遊を続けられ候様祈り居候
老生御案内申上候日本女子大学、及東京養育院に関しては深き御印象を抱かれ候由感佩至極に存候、又社会に於ける老生の地位を御賞讚被下、リヨン市にも老生の如き特志家を要すとの御言葉は敢て当らずと存候得共、斯くまで厚き敬意を表し被下候御衷情に対し奉深謝候、今回の御来遊は確に日仏間の親善増進に貢献せし処、少からざるべきを信じ欣快に存申候
右貴答旁々得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ九月六日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰控 ブランシユ・エリオ宛 大正一五年七月二一日(DK390208k-0007)
第39巻 p.376-377 ページ画像

渋沢栄一書翰控 ブランシユ・エリオ宛大正一五年七月二一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ハ明朝ハ御出発之由拝承、今更なから御名残おしく奉存候、就て記念の為め日光東照宮縁起絵巻物三巻一箱進呈仕候間御笑納被下度候
右ハ誠ニ粗末なから売品には無之、先年老生同宮三百年祭に際し微力相添候関係より、同宮の宝物たる絵巻物を、特ニ復写すること得て作成したるものゝ内に御坐候、過般日光御参観之趣承及候に付、御帰国の後日本を御想起被下候一助と相成候ハヽ幸甚と奉存、進呈仕候次第
 - 第39巻 p.377 -ページ画像 
ニ御坐候
終に終み長途の御旅行、殊に炎暑の折柄途中御障無之様呉々も祈上候右得貴意度如此御坐候 敬具
  大正十五年七月廿一日
                      渋沢栄一
    マダム・エリオー様



〔参考〕東京朝日新聞 第一四四一六号大正一五年七月一〇日 煙にまかれたお客様エリオ夫人 渋沢さんのフランス語(DK390208k-0008)
第39巻 p.377 ページ画像

東京朝日新聞 第一四四一六号大正一五年七月一〇日
  煙にまかれた
    お客様エリオ夫人
      渋沢さんのフランス語
    ◇
京都に二・三日滞在して東京に着いたばかりのエリオ夫人の接見は、九日午後、青葉の影に包まれた永田町日仏会館の、目もさむるばかりの芝生の上に催された
    ◇
富井・平山・溝口・曾我などフランス関係の立役者を始め、数十名の日仏人が待つ所へ、クローデル大使に伴はれたエリオ夫人の白服姿が現はれる
    ◇
程なく駈けつけたのが渋沢老子爵、大使館のボンマルシヤン通訳官や木島氏の通訳で歓迎の辞を述べながら、昔習つたフランス語で『私はフランス語が話せます』と一言やつて夫人を驚かせ
    ◇
『私のフランスに参つたのは今より六十幾年の昔、ナポレオン三世の治政のときでありました』などエリオ夫人の生れる前に話をもつて行つたので、世慣れた夫人も目を丸くして笑つてゐた
   ○木島ハ木島孝蔵、富井ハ男爵富井政章、平山ハ男爵平山成信、曾我ハ子爵曾我祐邦ナリ。溝口ハ伯爵溝口直亮カ。



〔参考〕(日仏会館)議事録(DK390208k-0009)
第39巻 p.377 ページ画像

(日仏会館)議事録           (財団法人日仏会館所蔵)
 大正十五年五月廿七日(木曜)午後三時ヨリ
  役員会
    報告
一、五月廿四日渋沢事務所ニエリオ夫人歓迎相談会ヲ開ク、子爵座長トシ、外務省、大使館○フランス共和国 日仏協会、正金、三井、三菱、郵船其他ノ代表者合計十四名出席、意見ノ交換ヲナシ置ケリ
   ○二十七日ノ役員会ニ栄一出席ス。



〔参考〕財団法人日仏会館第三回報告(自大正十五年四月一日至昭和二年三月三十一日)第六―七頁刊(DK390208k-0010)
第39巻 p.377-378 ページ画像

財団法人日仏会館第三回報告(自大正十五年四月一日至昭和二年三月三十一日)第六―七頁刊
    八、集会及接伴
○上略
一、仏国前総理大臣エリオ氏ノ令夫人、極東諸国漫遊ノ企アリ、在仏
 - 第39巻 p.378 -ページ画像 
大使ヨリ此行ヲ延長シテ日本ヲ観光シ、極東ノ漫遊ヲ完フセン事ヲ勧誘シタルニ、夫人モ之ニ応セラレタリトノ報アリ。是ニ於テ日仏会館及日仏協会ハ、横浜正金銀行・日本郵船会社・三井合名会社・三菱商事会社・日仏銀行・鈴木商店・原合名会社・堀越商会ト共ニ歓迎委員トナリ、外務省及仏国大使館ノ後援ヲ得、同夫人ヲ歓迎委員ノ賓客トシテ、本邦ニ招待スルコトトナシタリ。同夫人ハ七月四日単身軽装神戸着、関西有志ノ款待ヲ受ケ、京都・奈良ヲ遊覧シテ、同九日入京、爾来東京・横浜・箱根・日光等ヲ観光シ、其間幾多ノ饗応ヲ享ケ本邦ニ漫遊シタルヲ喜ヒ、特ニ富士登山ヲナシ得タルヲ快トシ、同二十二日宮島ニ向ケ東京出発、朝鮮・満州・西比利亜経由帰仏セラレタリ。
○下略
   ○エドアール・エリオ Edouard Herriot 一八七二―)ハ、フランス国急進党ノ総理ニシテ元ハ教授ナリ。一九〇五年リヨン市長、一九一二年上院議員トナル。一九一九年上院ヲ捨テテ代議士ニ当選。一九一九年総理大臣兼外務大臣トナル。一九二六年再ビ総理大臣トナリ、同年ポアンカレ内閣ノ文部大臣ニ就任、一九三二年三度総理大臣トナル。(国民百科大辞典2第二一四三頁ニヨル)一九五七年死去。