デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.396-403(DK390218k) ページ画像

大正15年10月14日(1926年)

是日、アメリカ合衆国インターナショナル通信社社員ルーサー・エー・ヒューストン、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。


■資料

(太田正孝)書翰 渋沢栄一宛大正一五年一〇月八日(DK390218k-0001)
第39巻 p.396 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第四六一号・第六三―六九頁昭和二年二月 経済道徳と日米問題に就て(DK390218k-0002)
第39巻 p.396-400 ページ画像

竜門雑誌 第四六一号・第六三―六九頁昭和二年二月
 - 第39巻 p.397 -ページ画像 
    経済道徳と日米問題に就て
 大正十五年十月十四日午前、飛鳥山邸に於て青淵先生は、インターナシヨナル通信社ルーサー・エー・ヒユーストン氏の訪問に対し、小畑氏の通訳にて左の如く語られた。
子爵「太田正孝さんからの紹介状を拝見しました、永く東京に居られますか」
ヒ氏「恰度今月で丸二年になります」
子爵「それでは日本の事情は私よりよく知つて居られるでせう、どの様な事を話しますか、そして質問せられますか、或は日米の問題なら私の心にある事を順次申上げませうか」
ヒ氏「それでは子爵にお話しを願ひ、時々質問させて頂きませう」
子爵「私は不幸英語をよくせず通訳で話すのでありますが、外国の事は年久しく心にして居り、日本を孤立させぬ様、そして各国の実状に通じ国民は世界的である様にと願つて居ります。就中アメリカは私個人としても親しいのみならず日本としても最も親善の間柄にあります、偖て日本は国としては古いので、外国の関係は千数百年前から支那とか印度とかと、儒教或は仏教の伝来で交渉がありました。然し其他には殆んどなかつたと云へる程なので、日本人は世界に関する知識が頗る乏しい。処が六十年以前の開国当時、アメリカが色々世話をして文明国の仲間入が出来る様にして下さつたが、日本の文明は斯様に外国との接触に連続がないから不揃ひで、或る点は進んで居ても或る点は非常に古いと云ふ風でありました。そして何れの国の歴史を見ても人情の発する処同一で、自分の知らなかつた点を知るとその方に傾き過ぎる。人気が其方に走り過ぎて一方の事が忘れられ勝になるものでありますが日本は殊に此点が甚だしく、六十年以前まで知らなかつた事が多かつたから、其後はこれを知る為め全力を傾注し従来の善い事を忘れると云ふ嫌があつたのであります。のみならず時に悪いことをよいと思ふ様な間違もあり、善悪を理解しない風さへあつたのであります。今日日本の状態は右に述べた如くでありますから、外国からは日本人は感情の中正を失つたものゝ様に見へるであらうが、それは知らなかつた事を知つてそれに進み過ぎた為めで、例へば日本は科学的の事には疎く主として精神的であつたから科学の方へ奔り過ぎ、古からの精神方面の事が少くなつた嫌がある此点に就て私は立入つて知つて居ると云ふのではないが、日本に比較してアメリカは科学と精神的なる宗教・教育等が均衡を保つて居るので、敬服に堪へない次第であります。私がアメリカに参つた折、種々の家庭に於て拝見した模様でも、その精神上のことと科学的・知識的の進歩とが程よく並進して居りましたが、日本では余りに智慧が進んで精神が忘れられ勝であります。それはアメリカに於ては総体に人民に力があるからでありませう。私は老人ながら日本もアメリカの様に両方面の均衡を得たいものであると思ひ、斯く日本の現状を忌憚なく申上げたのであります。
  尚ほ私の身柄に就て一言致します。私は学者では勿論なく政治家
 - 第39巻 p.398 -ページ画像 
でもありませぬ。実業に従事して其の経営に尽力はしましたけれども大いなる富はなしません。只欧米式実業組織の発意者として日本の進歩に貢献した積りであります。それが今日では隠退して多く社会的・国際的のこと、或は教育関係等に努力致して居ります。そして智識によつて富を進めて行かねばならないが、それが道理正しい方法によらねばならぬ。又富其物も社会に奉仕するものであり、道徳的なるものとならねばならないと考へます。即ち道徳と経済とは合一して進み、経済は経済のみとなり道徳を無視することのない様になり、両者が調和して始めて日本の真正なる進歩を促すものとして私は日本の国民に対し常に此事を述べて居ります。斯くして前に申し上げた日本の誤りを或は正すことが出来様と考へまして、自分の親しい間の人々には勿論、さうでない人にも説いて居りますが、更に押し拡めて申せばアメリカの人々にも申上げ度いのであります。実際経済道徳の合一は世界各国の人々にも耳を傾けて頂き度いのであつて、私の見る所で彼の欧洲大戦の如きも経済が主となり道徳が欠けたから起つたことであります。そして小は自分一個の利益から人を陥れると云ふ様な事も今日行はれて居り、アメリカにもよく新聞を見ると事実は知らぬがさうしたことがあるやうに見受けますので、私は大いに経済道徳の一致説を世界の人々に知つて欲しいと思ふのであります。
  第二に日米国交上の感想を一言述べて見ませう。私は前にも申した様に単なる実業経営者であつたから、歴史家でもなく外交の局にも当つた者でもありませんが、八十六年と半歳を保つて居る関係上、七十年以来の事は記憶して居ります。コンモンドル・ペリーが日本に来航したのは今から七十三年の昔で、私が十四歳の時でありました。今日の様に日本が変化したのも之が根本原因であつたので、アメリカが日本を世界の仲間入り出来る様にして呉れたのであります。又科学の先生も米国であつたと云へるのであります。
  実際アメリカとの交際は最初から他国とは異つて居りました。ペリーの後にはハリス公使が色々尽し、日本には攘夷論がなかなか喧しかつたのに拘らず、よく指導誘掖し親切にして呉れました。申さば国の開けた有様又国の大小、政治上の制度、国の新古、夫夫日米は全然反対の事情にあつたのでありますが、当時日本の為めに人情を尽して呉れたに対しては感謝に堪へぬ所でありまして私のみでなく、真に日本国民がアメリカを先輩国として敬し且つ親しくして居りました。これは貴方が米人であるから云ふのではありませぬ。私は斯く通訳でお話しせねばならぬ不自由な者であるが、古くから米国の人とは親しくして居り、有力な人で亡くなつた方でも十人以上あり、現に親密にして居る人も少なくない。即ち私としても日本としても米国とは懇親の間柄にあるのであります。其処で左様な日本人とし、渋沢として遠慮のない話を致し不満に感ずる点を忌憚なく申上げます、然し排日に関しても私の真情を吐露するので決して苦情的に申すのではありません。
 - 第39巻 p.399 -ページ画像 
  偖て加州の日本移民の起りに就て、年月など詳しく承知して居りませぬが、最初は農業に人が入用であると云ふので、確か今より三・四十年以前頃から日本の移民が渡航しました。処がそれ等の人々は中々よく働くので、米人にも喜ばれ日本にも都合よく、各地で歓迎せられて居つたのでありますが、悪い感じを持たれる様になつたのはたぶん日露戦争後、明治四十年頃からと思ひます。最初には地主から悪感が起された様であります。其直接の原因は日露戦争の媾和が行はれるに就て、米国は日本に対して親切であつたのに、これを理解することが出来ず、ポーツマスの条約の結果償金が取れなかつたと云ふので、政治家とか知識のある人々は云はなかつたが、多くの国民は米が日本に親切でなかつたと云つた。夫が聞へた為めと、更に日本人の移民中の物の判らぬ人々が日本は大国露国にさへ勝利を得た程である、日本は強いと感じたのをそのまゝ行為に現はし、傲慢の風がありました為め、米人間にそれでは困ると云ふので不快の念を抱き、日本移民を嫌ふ風が強くなつた様であります。私は当時から斯様な有様を生じてはならぬ、それには外交官まかせの外交のみでは安心出来ないと云ふ所から、私達は種々の事を致しました。その為め私は三度渡米し日本人を理解される様にと努力して居ります。そして日米間の問題を解決する為め一つの団体を作つて居りますが、同じ様な団体が桑港にはアレキサンダー君、リンチ君、紐育にはウヰカシヤム君に依つて組織せられて相互に意志の疎通を図つて居ります。然るに一昨年米国議会で問題にはなつたけれども、結局通過して法律として実施せられる様になつた移民法は、日本人を差別して欧洲人と同様に取扱はぬ、日本人を仲間入させないで、斯く同等の交際をしない事にしたと云ふのは、今までの親切を無にするので道理ではないと思ひます。
  以上の通り、日本の現状は外国との交りを結んで以来、一面には非常に進歩した喜びを感ずると同時に、他面には少なからぬ憂があるのであります。
  御質問がありますれば御遠慮なく御問ひ下さい。何でもお話し致します」
ヒ氏「先刻子爵のお話の中に、知識のある人は判つて居るが、さうでない日本人の中には戦争に勝てば賠償金を得るものだと考へた者が多かつたとの事ですが、それが日本の軍国である証拠の様に思はれますが、如何でせうか」
子爵「それは日清戦争の時賠償金を得たので、それが一つの観念となつて居る為めでありまして、日本は決して戦争を好むものでありません。ただ前にそう云ふ例があつたからであります。重ねて申しますが、日本は他国を圧迫して利を得様とは思ひませぬ。さう観察せられる事は正当ではありません」
ヒ氏「子爵は日本が今日世界列強の一つとして立つて居るのは軍事的に強いからであるとお考へになりませんか」
子爵「私は日本の地位の高またのは軍事よりも、日本人が世界の大勢
 - 第39巻 p.400 -ページ画像 
に順応する所にあると思ひます。他国の長所を採り自国の短所を補つて行く点が他国に尊敬せられる原因でありませう。勿論軍事に強いのも多少の関係はあるかも知れませぬが、それは寧ろ少ないと思ひます」
ヒ氏「日本将来の対外関係に於て、事面倒ならば戦争によつて解決しようと日本人は考へて居ると思はれますが、如何でせうか」
子爵「勿論日本国民全体としてはさうは思ひません。然し軍人の一部中には、そんな風に考へて居るものがないとは申されません」
ヒ氏「も一つ伺ひますが、日本を列強と共に進ましむる要素はどの点にあるとお考へになりますか、日本の特長として世界に臨むに就ての方策は如何でせうか」
子爵「追々日本にも各方面に有力な人が出て来るでありませう。そして智識ある各方面の代表者が日本の国家をして世界的に道理に基いて調和せしめて行く、其等の人々は私の申上げたと同様の考へで、学者も政治家も、又軍人からも代表者が現はれ、大いなる輿論として武力のみで進まうと云ふ様な考へは起さぬと信じます」
ヒ氏「各方面の代表者が外国と調和して行くとのお話でありましたが私のお質ねしました趣意は産業とか仕事とか云ふ方面、例へば工業を主とすると云ふやうな点に就てであります」
子爵「工業も進んで来たが日本では農業が主でありませうか、中には養蚕の如きは改良する余地があり、一般の農業にも科学を応用すれば尚進歩すると思ひ、現に私も此方面に尽力して居ります。で今私は日本が何によつて進むべきか明言は出来ませんが、工業も進める要があるけれども、農業をよくするのが緊要であると思ひます。その点ではアメリカは羨しい国柄であります」
ヒ氏「私は日本は工業国としても原料がないから、英国の如く進むのではないかと思ふのであります」
子爵「そうでありませう。日本の諺に『天二物を与へず』と云ふことがありまして、羽が強ければ足が弱い、爪が鋭ければ牙がないと云ふ風でありますけれども、アメリカには天が二物を与へて居ります誠に羨しいと思ひます」
ヒ氏「今日は時間を寛大にお与へ下さいまして有難う御座いました。御多用の間を御邪魔致しまして恐縮で御座います」


(ルーサー・エー・ヒューストン)書翰 渋沢栄一宛一九二七年二月二八日(DK390218k-0003)
第39巻 p.400-403 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。