デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.403-404(DK390219k) ページ画像

大正15年10月14日(1926年)

是日、イギリス国人アーサー・アボット、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。


■資料

竜門雑誌 第四六〇号・第七五―七七頁 昭和二年一月 アボツト氏の来訪(DK390219k-0001)
第39巻 p.403-404 ページ画像

竜門雑誌 第四六〇号・第七五―七七頁 昭和二年一月
    アボツト氏の来訪
 英国人にして長く南米ブラジルに在りし、アーサー・アボツト氏は初めて日本を訪れたとて、藤田敏郎氏(領事たりし人)同伴、十月十四日午後三時、事務所に来訪された。
ア氏「日本の大実業家たる子爵にお目にかゝることが出来て愉快に堪へません。又日本の進歩せる有様を見、震災後復興の速かさを感心し、且つは日本人の企業心が旺盛であるさまを実際に知りました」
子爵「東京の街は地震前も立派ではありませんでしたが、地震の被害は誠にひどかつたのであります。で今日道路は稍々直りましたが復興は遅々として進みませぬ。此次にお出の時には今少し家も建ちませう。只今はどう云ふ風になつて居るか、私が直接それらの
 - 第39巻 p.404 -ページ画像 
事に関係する地位にありませぬから、よく判りません。只日本のいくぢの無いのを遺憾に思つて居ります」
ア氏「サンパウロが恰度東京を思はせる様な広い処で、地形が頗る似て居ります。但しサンパウロには何等の歴史がありません」
子爵「東京も江戸の有様を残すことは困難で全然改革せられると思ひますが、中々町の整理は容易な仕事でないと思つて居ります。然るにあの地震がありましたので真の改革が出来るでありませう。私は傍観者であるが、市長や復興局長官等は苦心して居ります。金があつても難しい仕事でありますのに金が無くては尚駄目であります」
ア氏「経済上の問題になりますが、此復興の金はどうして造りますか」
子爵「公債でも発行して支弁するのでありませうが、復興局でもまだよく定まつて居りません。金は沢山必要でありますから、復興建築会社を起して金を貸し家を建てることになつて居ります。これがよく働けば市民は金を借りて復興出来ることになりませう」
ア氏「復興するに就ては地価が騰貴する様な憂はありませんか」
子爵「建てる人は地所を最初から持つて居ります。即ち自分で買入れたか、借地の権利を持つとか、或は新しく買入れる人には高いこともありませうが、今日では地価が高くなつたと云ふことも特別に聞きませぬ。詳しい事は調べて居りませんが、土地が高くて困難すると云ふやうなことはないと思ひます」
ア氏「私は今日は通り一ぺんの観光者でありまして、事業の関係は何等ありませぬから、誤解の無い様に願ひます。リオデヂヤネロの街は道が狭かつたが、大通りを造る時、各市民に「家の価格を書き出せ、税金を賦課する参考にするのだから」と申しました処、各人は出来るだけ安価に書き出しましたので、之に基いて役所の方では其の値段で直ちに買取り、其処へ大通りを造りました」
子爵「街の改造は中々困難であります。六十年以前私は巴里へ参りましたが、後再び今から廿五年前に行きました。処がグランドオペラの処が昔のまゝでありましたから、都会の道路の改修は中々困難だと思ひました、ロンドンも困難でありませう」
藤田「ニユーヨークなどの様に新しい街は別ですが、古い町は中々難しいでせう」
子爵「やはり私はロンドンへ六十年前と廿五年前と二度参りました」
ア氏「只今ではロンドンの街はすつかり変つて居りますから、子爵のお見覚へはありますまい」
ア氏「尚一言申上げますのは、英国の殖民地で日本の移民に就て多少とも困難な事情があればそれは印度の関係でありまして、其処に印度人を入れねばならぬからであります。此問題は国家的でありまして国際的ではありませんが御了解を願ひます」
子爵「一層日本を真の友達として下さる事を希望致します」
ア氏「それではこれで失礼致します。色々お話し下さいました事を感謝致します」