デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.541-546(DK390263k) ページ画像

昭和3年4月19日(1928年)

是日栄一、アメリカ合衆国ロチェスター市、元ロチェスター商業会議所会頭エドワード・ジー・マイナーヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。


■資料

(エドワード・ジー・マイナー) 書翰 渋沢栄一宛一九二八年四月一日(DK390263k-0001)
第39巻 p.541-542 ページ画像

(エドワード・ジー・マイナー) 書翰  渋沢栄一宛一九二八年四月一日
                  (渋沢子爵家所蔵)
My dear Viscount Shibusawa:
  When you came to the United States in 1909 with the Japanese Mission, I had the honor, as Preisdent of the Chamber of Commerce of Rochester, New York to be your host, during your stay in our city, and when you came again, as the guest of Mr. George Eastman of Kodak fame, it was my pleasure to again meet you.
  Now, I am passing through Japan, on my way to America, (sailing from Yokohama at the end of this month), and before I leave I should like to have once again the pleasure of seeing you long enough to exchange greetings.
  I expect to be in Tokyo, about the 15th of April, and any date thereafter, which suits your convenience, will be agreeable to me.
  If you will address your reply to me in care of the Amercian Embassy, Tokyo they will see that it is forwarded to me.
 - 第39巻 p.542 -ページ画像 
  With assuramces of my high esteem, I am
               Yours, very truly,
               (Signed) E. G Miner
Kyoto, April 1st 1928
To
  The Honorable
    The Viscount Shibusawa
      Tokyo Japan
(右訳文)
          (別筆)
          四月五日申上済明六
          秘書役の名義にて回答を発すること
          王子邸へ迎へ茶を差上ける事(日取は追つて決定の筈)四月十九日(木)午後二時と決定
 東京市                  (四月四日入手)
  渋沢子爵閣下
           京都、一九二八年四月一日
                エトワード・ジー・マイナー
拝啓、益御清栄之段奉大賀候、然者一九〇九年閣下が渡米実業団々長として我国へ御来遊の節、小生は紐育州ロチエスタ商業会議所会頭として、閣下が同市御滞在中主人側を代表し御待接申上ぐるの光栄を得候処、コダク会社のジヨージ・イーストマン氏の賓客として御再遊相成候節、小生は再び拝眉の栄を得申候
小生は米国への帰途(本月末横浜より出帆の予定)日本を通過する事と相成候へば、発航前重ねて拝顔の栄を得御挨拶申上度と存候
小生は四月十五日頃東京へ到着の予定に御座候間、其れ以後の日にて御好都合の時日御指定被下候はゞ仕合に存候
御返事は東京市米国大使館気附にて賜はり候はゞ、小生手許迄到着致候様同館にて取計ひ呉れ可申候
謹んで敬意を奉表候 敬具


渋沢栄一書翰 控 エドワード・ジー・マイナー宛昭和三年四月一四日(DK390263k-0002)
第39巻 p.542-543 ページ画像

渋沢栄一書翰  控 エドワード・ジー・マイナー宛昭和三年四月一四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
          (鉛筆)
          子爵の御諒解を得て発送せし招待状明六
 麹町区内幸町東拓ビルデング内
 米国大使館気附
  エドワード・ジー・マイナー殿
    昭和三年四月十四日         渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ば四月一日付の貴書正に落手拝誦致候、今回御来遊の旨承知致し欣喜罷在候、就ては一九〇九年貴市訪問の際御款待相受け候渡米実業団員中の数氏、及其他の人々と御歓談の機会にもと来四月十九日木曜日茶会相催候間、同日午後三時飛鳥山拙宅迄御光来被下度御案内申上候、猶ほ御同伴者も有之候はゞ電話(丸之内一二九一―四)にて小生事務所の小畑秘書役まで御通じ置被下候はゞ幸甚に存候
 - 第39巻 p.543 -ページ画像 
右得貴意度如此御座候 敬具
  尚々同封の葉書にて御来否御回答被下度候
  ○渡米実業団ニ就イテハ本資料第三十二巻所収「渡米実業団」ノ条参照。


日米関係委員会集会ニ関スル控(DK390263k-0003)
第39巻 p.543 ページ画像

日米関係委員会集会ニ関スル控     (日米関係委員会所蔵)
 昭和三年四月十九日午後三時、於飛鳥山邸
  エドワード・ジー・マイナー氏招待茶会
                 渡米実業団員
                       (太丸・太字ハ朱書)
                       ○加藤辰弥
○エドワード・ジー・マイナー ○頭本元貞
                       ○名取和作
        正午ヨリ先約アリ済次第参上致スツモリニ御座候 ○?根津嘉一郎
                       ○上田碩三
                           旅行中 欠巌谷季雄
                       ○大谷嘉兵衛
                               欠増田明六
                       故神田男爵令息 欠高木八尺
                        日米関係委員会々員
                     男爵○阪谷芳郎
                               欠井上準之助
                       ○添田寿一
                               欠団琢磨
                               欠串田万蔵
                               ○主人
                       ○小畑久五郎


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 昭和三年(DK390263k-0004)
第39巻 p.543 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  昭和三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
 三、四、十九 王子邸茶、ロチエスター市エドワード・ジー・マイナー招待、大人・余・大谷・頭本・添田・上田等


竜門雑誌 第四七六号・第一一〇―一一二頁昭和三年五月 エドワード・ジー・マイナー氏招待茶の会(DK390263k-0005)
第39巻 p.543-545 ページ画像

竜門雑誌  第四七六号・第一一〇―一一二頁昭和三年五月
    エドワード・ジー・マイナー氏招待茶の会
   渋沢子爵は四月十九日午後三時、米国ロツチエスター商業会議所元会頭エドワード・ジー・マイナー氏を飛鳥山邸に招待し茶の会を催うされたが、当日は主賓マイナー氏の外陪賓として阪谷男・添田博士・大谷嘉兵衛氏・頭本元貞氏・名取和作氏・上田碩三氏等出席した。席上子爵とマイナー氏との間に左の如き談話が交換された。
マ氏「子爵に久々でお目にかゝりますが、明治四十二年御来訪を得ました当時と少しもお年を召して居られないやうに見受けます」
子爵「私は八十八歳日本流に申しますと八十九歳になりました、先づ長寿の方でありませう。然し命長ければ恥多しと云ふ言葉もあり
 - 第39巻 p.544 -ページ画像 
ます。或は恥多しと云ふのはどうかと思はれますが、私よりも若い人が次第に逝去されるので、命長ければ泪多しと申すことは出来ようかと存じます」
マ氏「私は濠洲へ行きましたので、日本へ参る積りにして居なかつたものですから、子爵の御知合の方からの伝言を持つて参りませんでした。殊に子爵の御親しいラモント氏と私とは彼の長男が私の娘と結婚して居り、且つ私の妻と彼の夫人とは非常に親密な仲であるに拘らず、ラモント氏が日本を訪ね欧洲へ廻つて居る間に私が国を出発したものですから、何等伝言を聞いて居ない始末であります。然しそれはそれとして、私は国に居て常に子爵が社会の為め、且つ日米の親善増進の為め御尽瘁になつて居らるゝ事実を新聞で知り敬服して居るのであります」
子爵「ラモント氏は先般も日本の事業に対する金融の用務を帯びて見えましたが、私は其の時貴方のお仕事は直接的に日本の為めになる、曾て七十年の昔ハリスは日本の開国に力を尽した当時、斯様なことは果して日本の将来の為めになるかどうかと疑つて其の日記に書いて居たが、今日になつて見るとハリスの行つたことは非常に為めになつた。それに比較して貴方の金を貸して下さるのは現実に役に立つと申したのでした、またそれより前ラモント氏は夫人同伴で見えたことがあります。私は夫人を私の世話をして居る日本女子大学校へ案内しました処、堂々たる演説をせられました。私も女子教育の必要や米国の女子教育の進んで居る有様を述べたのでしたが、夫人と一しよに見えた人が面白い人で、やはり演壇に立ち、私は女子教育の必要な事を大いに感じて居る一人であるが、今日は余り女子教育が進んでは困つたものだとしみじみ思ひましたと云ふのは、私が現に話をしようと思つて居たことをラモント夫人が皆言つてしまつたので、私の云ふべきことが無くなつたからであると申して笑はせたのでした」
マ氏「ハリスの碑をお建てになりましたことも新聞で知りました、ラモント夫人のお話で思ひ出しますのは、此前子爵が夫人御同伴でお出でになりました折、私の妻が何かお気に召した様なことを致しませうと申しますと、私は疲れたから休息させて下さいと仰せられましたので、傍のソフアーにおやすめしたことがあつたさうです。妻も奥様に御挨拶をする筈ですが、前約がありまして日光の方へ参りましたから、帰京致しましたならば、名刺だけでもおとゞけして御挨拶致します」
子爵「早いものであの私達が渡米致しました時には、此処に居る上田君などまだ当時二十代の若い人であつたが、今は相当の年になつて居るやうです。で日米親善には若い人が働かねばなりませんが子供の時から親善の必要があるとして、此間は米国の子供さんから一万二千からのお人形を贈られましたに就て、日本からはたゞの五十八個丈けですが返礼として贈りました、私も世話役の一人になりました。そして数に於ては殆んど問題にならぬ程日本側が貧弱でありますが、質に於ては優つて居ると申しても宜からうと
 - 第39巻 p.545 -ページ画像 
思ひます。日本には一騎当千と云ふ言葉もありますから、一つで千に当れば五万以上もお贈りしたことになります。ハハハ」
マ氏「米国の方は数でこなした観があります。こんな例があります。或る一人の成金が料理店に参りましたがメニュー・カードに書いて居る仏語が読めぬので、其御馳走を註文する時三十弗のハム・エンド・エツグスをくれと申したと云ふのでが、沢山出せばよいと考へるのは余り感心致しません」
子爵「前にも一寸お話致しましたが、真にハリスと云ふ人の親切には敬服する外はありませんで、昨年下田に碑を建てましたに就ての小冊子を差上げますからお読み下さい。又其時マクヴエー大使は大変丁寧な朗読演説をなさいましたので、之れも小冊子としましたから併せ差上げます」
マ氏「大切なお時間を私の為めに御与へ下さいまして有難くお礼申上げます。就ては之れに(小冊子)御署名をお願ひし度いと存じます」


中外商業新報 第一五一五〇号昭和三年四月二〇日 渋沢氏マ氏招待(DK390263k-0006)
第39巻 p.545 ページ画像

中外商業新報  第一五一五〇号昭和三年四月二〇日
    渋沢氏マ氏招待
目下来朝中の米国ロチエスター市商業会議所会頭マイナー氏は、明治四十二年渋沢子を団長として我が実業団が渡米した当時、同団員諸氏と親交あり、今回の来朝を機とし渋沢老子爵は十九日午後三時飛鳥山の自邸に同氏を招待し、チーパーチーを開いたが大谷翁・頭本氏等当時の団員数氏も出席し、老子爵の回顧談はそれからそれと尽きず、マイナー氏も非常に喜んで、午後四時半散会


(エドワード・ジー・マイナー) 書翰 小畑久五郎宛一九二八年四月二一日(DK390263k-0007)
第39巻 p.545-546 ページ画像

(エドワード・ジー・マイナー) 書翰 小畑久五郎宛一九二八年四月二一日
                   (渋沢子爵家所蔵)
           The Imperial Hotel
              of Tokyo
                   April 21st, 1928
My dear Mr. Obata:
  Will you please convey to the Viscount my warm thanks for his courtesy in giving me his autographed copies of the Townsend Harris memorial exercises, and will you please personally accept my appreciation of your kindness in forwarding them.
  May I ask one more favor:― that you give me a list of the names and position of the gentlemen who were present at the Viscount's home on Thursday. I intend to make a formal report to the Chamber of Commerce, on my returm to Rochester and I wish to make it accurate, as it will be given to the newspapers, and also put in the permanent records of the Chamber, as a further instance of the Viscount's friendship for my country.
 - 第39巻 p.546 -ページ画像 
  Will you kindly send this information to me at this hotel where I shall be until the morning of April 25th.
  It was a source of great pleasure to me to meet the Viscount again and to find him in such good health, mental as well as physical. I have always had a high regard for him since I first met him and learned his history, and that esteem has grown with the years. Please give him my kindest good wishes, and say to him that I hope his voice will be heard still many more times in the interest of peace and justice, before the time of unbroken silence.
  Again, with my thanks & good wishes, I am
           Yours, very truly.
                (Signed) E. G. Miner
To:
  Mr. K. Obata
 c/o Viscount Shibusawa
  1 Nichome, Yeirakucho, Kojimachiku
        Tokyo.
(欄外別筆)
 当日の出席者並其職業に関する記事をマイナー氏へ発送せり(四月十九日)