デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.586-592(DK390278k) ページ画像

昭和4年7月9日(1929年)

是日、アメリカ合衆国サクラメントノ日系少年団、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪問ス。栄一一場ノ訓示ヲナス。


■資料

(チャールズ・ビー・ビルズ)書翰 渋沢栄一宛一九二九年五月二八日(DK390278k-0001)
第39巻 p.586-588 ページ画像

(チャールズ・ビー・ビルズ)書翰  渋沢栄一宛一九二九年五月二八日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            BANK OF AMERICA
             OF CALIFORNIA
          7th. & J STREETS BRANCH
           SACRAMENTO, CALIFORNIA
 - 第39巻 p.587 -ページ画像 
                 May 28, 1929
Viscount Eiichi Shibusawa
  Kabuto St., Nihonbashi
  Tokyo, Japan
My dear Viscount :
  On June 19th, Mr. Geo. F. Murray will leave on the Siberia Maru from San Francisco, with a troop of our Sacramento Japanese boy scouts for a trip through Japan. They will arrive in Tokyo about July 4th, remaining there four or five days and then moving along to other points.
  These boys, together with their Japanese drum corps, carried off all honors at the Boy Scout Review, which was held at our Auditorium, May 18th. Governor C.C. Young, who led the Grand March accompanied by these boys, was generous in his praise of their accomplishments. I know you will be proud of this group who have been under the leadership of Mr. Murray and other executives the past two years, and will be glad to give them a real welocme to Tokyo. One of the boys, who speaks good English as well as Japanese, will tell you about their education here.
  I would like to have Mr. Asano, Dr. Y. Soyeda, and Mr. Kamiya, who met Mr. Murray when in Sacramento, meet these boys. They especially want to get before the Rotary Club of Tokyo and as I am a past international officer of the Rotary Club of America, will you or Dr. Obata please arrange that ?
  I know you will take a great deal of pleasure in this group of boys, and we are glad to have them go to Japan to show your people what their education has been in Sacramento, the capital city of this great state. After they have come and gone, please write me exactly what you think about them. If they meet with a good reception we will be glad to send a similar group of Japanese boys in 1930.
             Yours very truly,
                   (Signed)
                   Chas. B. Bills
CBB:DD
(右訳文)
               (栄一鉛筆)
               四年六月廿四日一覧 栄一
 東京市                 (六月十一日入手)
  渋沢子爵閣下
               加州サクラメント市
   一九二九年五月廿八日    チヤールス・ビー・ビルス
拝啓、益御清適奉賀候、然ばジヨージ・エフ・マーレー氏は当サクラ
 - 第39巻 p.588 -ページ画像 
メント市日本人少年団一隊を率ゐ、日本漫遊のため六月十九日サイベリヤ丸にて桑港発航の予定に有之、七月四日頃東京到着、四・五日滞留、夫れより各地を巡遊可致候
右少年団一行は日本人楽隊と共に五月十八日当市公会堂に開催せられたる少年団検閲式に於て、凡ゆる名誉を獲得致候、此少年団の参加せる大行列を率ゐたる加州知事シー・シー・ヤング氏は、彼等の熟達せる技能を激賞致され候、過去二ケ年間マーレー氏及び其他の委員に指導せられたる此団体を、閣下は誇りとして御歓迎下さることゝ存候、一行中日英の両国語に堪能なる一少年が当地に於ける日本人子弟教育に関して閣下に御説明申上ぐべく候、嘗つてサクラメント市訪問の際マーレー氏に会見せられたる浅野・添田博士、及び神谷の諸氏が此少年団を御引見被下様希望仕候、彼等は特に東京のロータリー倶楽部を訪問せん事を切望致居候に付、目的達成の為め閣下或は小畑氏に於て何卒御斡旋被下候様願上候、小生は米国ロータリー倶楽部前国際委員たりし関係上、斯く御懇請に及び候次第に御座候
閣下には此少年団の訪問を大いに喜ばるゝことゝ存候、小生等は当加州の首府たるサクラメント市にて彼等が如何なる教育を受けつゝあるかを、貴国人に示さんがため彼等を日本に漫遊せしむるを喜ぶ者に有之候、就ては一行御引見後の御印象小生迄忌憚なく御通報被下度奉願上候、若し幸に歓迎を受くるを得ば来年同様の日本人少年団を派遣致度と存候、右得貴意度如此御座候 敬具


竜門雑誌 第四九一号・第五一頁昭和四年八月 青淵先生動静大要(DK390278k-0002)
第39巻 p.588 ページ画像

竜門雑誌  第四九一号・第五一頁昭和四年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
九日 渡日米国少年団招待茶会(曖依村荘)


招客書類(三) 【昭和四年七月九日午後二時、於飛島山邸 米国少年団桜府第廿五小隊渡日観光団招待茶会】(DK390278k-0003)
第39巻 p.588-589 ページ画像

招客書類(三)              (渋沢子爵家所蔵)
 昭和四年七月九日午後二時、於飛島山邸
  米国少年団桜府第廿五小隊渡日観光団招待茶会
                   団員一行四十三名
                   団員附添父兄七名
                  子三島通陽
                   小山武
                   奥寺竜渓
                   高瀬栄三
                   臼井茂安
                   武川太郎
                   小山太一郎
                   白石潔
                   大沢立大生
                   岡村久雄
                   春日嘉藤治
                   寺岡一義
 - 第39巻 p.589 -ページ画像 
                   田村金吾
                   田村喜一郎
                  男福島四郎

                   主人
                   小畑久五郎
 東洋軒
  紅茶・サンドウヰツチ・果物・菓子・シトロン


竜門雑誌 第四九〇号・第七三―七六頁昭和四年七月 日系米国少年団来訪(DK390278k-0004)
第39巻 p.589-591 ページ画像

竜門雑誌  第四九〇号・第七三―七六頁昭和四年七月
    日系米国少年団来訪
 米国サクラメントの日系少年団一行は、七月九日午後二時半団長たるマーレー氏夫妻、係医師ジヨーンス氏夫妻、監督高井誠吾氏夫妻等に率ひられ、日本の歓迎少年団の子爵三島通陽氏、男爵福島四郎氏等と共に曖依村荘に青淵先生を訪れた、一行は十二歳以上二十歳以下の少年団四十三名で、附添の父兄七名も伴つての観光団である。青淵先生は之等の人々を先づ青淵文庫に迎へ、更に庭園を逍遥して後書院に於て茶の接待をした。席上青淵先生は左の如く演説したが、終つて団長の答辞、次で少年団のエールがあり、一同嬉々として自動車に分乗引上げたのは午後四時であつた。
      青淵先生演説
 私の此の家は米国のお客に因縁が頗る深いのでありまして、五十年の昔ゼネラール・グラントがお出になりました、当時は外国のお客を接待することに慣れなかつたが、私は幸欧洲へ行つたことがあり、外国の言葉は出来ないが、外国人の接触に慣れて居たので此処へ将軍夫妻をお招きしたことがあります、先づ此事を御承知置願ひ度いのであります。今日御出での方は日系の米人で一般に第二世と申す人人であり、十二歳位の少年まで打そろつて多数御訪ね下さつたから、特別に嬉しい、殊に年老いると子供に接すのは実に喜ばしいのであります。私は本年九十歳になりますが、五十年前グラント将軍を迎へた時と只今とお客様の種類は全然異つて居りますけれども、私の喜びは同一であります。扨て日本と米国との関係は明治維新以来頗る密接で、政治上・経済上・社交上に親しくして居ります。而して今日は日本人系の勉強中の方々で、将来に望みある人々のみ故、私はみなさんの故国の一老人として手を執り合つてお話出来ることをよろこびます。又従つて団長以下御附添の人々の御親切を嬉しく思ふのであります。団長のモーレーさんは私の懇親なビルスさんからの紹介状を持つてお出でになりましたが、ビルスさんは私を親しい友人として細かい手紙を書いて下さつた、此の一事でも米国の方が日本に対して御懇切である証拠としてよいことは喋々するまでもありません。斯様な喜びのうちに皆さんを此の茅屋へお迎へしたことを、再びあるかどうか判らぬ喜びとして紀念したいと思ひます。どうか少年諸君も渋沢の処を訪ねたと御記憶願ひたいのであります。実際若い人は何処までも記憶をすることが必要であります。記憶は喜びの時のみでなく憂への場合も怒りの際
 - 第39巻 p.590 -ページ画像 
も総て感情の昂つた折の事柄は何時何時までも記憶して置くべきで、之を失ふ如き人は頼むに足らぬのであります。昔の日本の小説にあるけれど源義経が三つの時のことを憶へて居たと弥平兵衛宗清がひどく褒めたことがあります、此の記憶のことは少年の皆様へ申すので、成年の方に申すのではありません。次に日系の米人に対して苦言を呈するやうでありますが、諸君の地位は非常に大切であります、諸君の故国も今では進歩して、左様に耻かしがる必要はないまでになり行きました、而も諸君は米国と云ふ世界に優れた国の国民であるから、相当の人にならなければならぬと云ふ負担が重いのでありまして、その覚悟は頗る大切であります。
 日本の川柳はなかなか皮肉でありますが、その中に「売家と唐様で書く三代目」と云ふのがあります、これは初代が勉強し、二代が努めて保つて居たものを、三代目はつぶしてしもう、そして自分の家に唐様の文字で売家と書くと申した諷刺であります、誠に失礼なことのやうでありますけれど、日系米人の未来を思ひ、この川柳のやうでないやうにと希望し、これから先の諸君の責任の大であると云ふことを特に述べる次第で、日系米人は何処までも勉強して進まねば、時代の進運に適応するを得ないであらうと思ひます、私は今諸君のお出で下さつた喜びを申すと同時に、責任の重大である諸君に、この苦言を呈する次第であるから、どうか九十になる老人が今日衷情余つて斯う申したと御記憶願ひ度いのであります、折角の御光来に失礼なことを申しましたが、日系米人の皆さんにお目にかゝつたよろこび、又米国の親切に対する御礼を申し、併せて希望を述べたのであります、御忘れないやうに願ひ度いと存じます。尚ほ団長初め監督の方々の少なからぬ御骨折を御礼申上げます。
      マーレ団長答辞
 今日子爵の御招待を受けまして、お邸へ出たことは忘れ難い私共の経験で、此の旅行中に於ける最も印象の深いものでありました。而も五十年以前グラント将軍夫妻以下米国の沢山な人々が訪問した紀念の場所であるに於て、殊に感ずる点が多いのであります、而もそれにも増して尊い記念は、日本のみでなく米国にも又広く世界に名声の高い子爵に少年がお目にかゝり得たことでありまして、少年団の者等は之を永久に記憶するでありませう。そして彼等の胸も日米の友情を厚うし親善に尽すと云ふ覚悟を持つて居ることゝ思ひます。只今の子爵の教訓の如きは、此の団体の十倍否百千倍の人々に聞かせたいものであります、実に東京に於て色々の処に招待されて参りますが屡々「これは渋沢子爵のお企てになつたものである」と聞かされて、子爵が如何に日本の発展に尽して居られるかを深く印象致しました。次に聊か日系米人に就て申しますれば、私共としては此の少年団を率ゐて参りましたことは鼻が高いのであります、何故なれば日系米人は一般的に学校の成績がよく、サクラメントの中学校では首席を占めて居ります。又加州高等法院の一判事の話に依ると、日系米人には犯罪者がないと云ふことでありました。只今子爵は団長達は多数の少年を率ゐて居るから、さぞ疲れて居るであらうと申されましたが、現に子爵に接して
 - 第39巻 p.591 -ページ画像 
喜びに満ちて居ります。殊に米国に対し立派なお言葉を頂戴いたしましたので、帰国の上は子爵のお話を広く伝へるでありませう。最後に子供等にキヤンプの歌を謳つてもらひます。


少年団研究 第六巻・第八号昭和四年八月 サクラメント少年団を案内して 白石潔(DK390278k-0005)
第39巻 p.591 ページ画像

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外国係往復書(二)(DK390278k-0006)
第39巻 p.591 ページ画像

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(石丸・ヘンリー)書翰 渋沢栄一宛一九二九年九月一八日(DK390278k-0007)
第39巻 p.591-592 ページ画像

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