デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.638-647(DK390293k) ページ画像

昭和4年11月15日(1929年)

是日栄一、アメリカ合衆国カリフォルニア州労働同盟幹事ポール・シャーレンバーグ夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。


■資料

招客書類(三) 【(写) 主人側宛招待状 拝啓、益御清適奉賀候、然者目下来遊中之米国加州労働同盟幹事ポール・シヤーレンバーグ氏夫妻を招待致し…】(DK390293k-0001)
第39巻 p.638 ページ画像

招客書類(三)             (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    主人側宛招待状
拝啓、益御清適奉賀候、然者目下来遊中之米国加州労働同盟幹事ポール・シヤーレンバーグ氏夫妻を招待致し、来る十一月十五日飛鳥山拙宅に於て歓迎午餐会相催候に付ては、主人側として当日午後零時半迄に御来車被下度候、右御案内申上度如此御座候 敬具
                      渋沢栄一
  昭和四年十一月九日


竜門雑誌 第四九五号・第六七頁昭和四年一二月 青淵先生動静大要(DK390293k-0002)
第39巻 p.638 ページ画像

竜門雑誌  第四九五号・第六七頁昭和四年一二月
    青淵先生動静大要
      十一月中
十五日 シヤレンバーグ氏夫妻令嬢招待午餐会(曖依村荘)
○下略

 - 第39巻 p.639 -ページ画像 

招客書類(三) 【昭和四年十一月十五日(金)午後零時半於飛鳥山邸 ポール・シヤーレンバーグ氏、同令夫人及同令嬢歓迎午餐会】(DK390293k-0003)
第39巻 p.639 ページ画像

招客書類(三)              (渋沢子爵家所蔵)
 昭和四年十一月十五日(金)午後零時半於飛鳥山邸
  ポール・シヤーレンバーグ氏、同令夫人及同令嬢歓迎午餐会
           来賓
            (太丸・太字ハ朱書)
            ○ポール・シヤーレンバーグ氏
            ○同令夫人
            ○同令嬢
            欠埴原正直氏
            欠同令夫人
            ○鈴木文治氏
            欠鈴木文治氏令妹
            ○阪谷男爵
            ○頭本元貞氏
            ○添田敬一郎氏
            欠団男爵
            欠串田万蔵氏
            ○牛島シメ子氏
            ○牛島妙子嬢
           主人側
            ○主人
            ○渋沢武之助氏夫人
            ○同正雄氏夫人
            欠明石氏夫人
            ○小畑久五郎
            ○佐治祐吉
    以上〆二十人
      内出席十四人
       欠席六人
 一、余興
 一、芸妓
 一、料理 飛鳥山邸ヨリ注文ノ事ニ小畑氏ヨリ引合済
      常盤屋


総長ト外国人トノ談話筆記集 【シヤーレンバーグ氏招待午餐会記事】(DK390293k-0004)
第39巻 p.639-640 ページ画像

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竜門雑誌 第四九五号・第七八―七九頁昭和四年一二月 加州労働同盟首領シャーレンバーグ氏 夫妻令嬢招待午餐会(昭和四年十一月十五日午後零時半於飛鳥山邸)(DK390293k-0005)
第39巻 p.640-642 ページ画像

竜門雑誌  第四九五号・第七八―七九頁昭和四年一二月
 - 第39巻 p.641 -ページ画像 
    加州労働同盟首領シャーレンバーグ氏
    夫妻令嬢招待午餐会
        (昭和四年十一月十五日午後零時半於飛鳥山邸)
 太平洋問題調査会第三回大会の為の来邦を機とし、子爵は米国加州労働同盟の首領シャーレンバーグ氏夫妻、並に令嬢を飛鳥山邸に招待せられた。
      出席者       ポール・シャーレンバーグ氏
                同令夫人
                同令嬢
                鈴木文治氏
                阪谷男爵
                頭本元貞氏
                添田敬一郎氏
                牛島しめ子女史
                同妙子嬢
                渋沢子爵
                同武之助氏夫人
                同正雄氏夫人
                小畑久五郎氏
 子爵始め陪賓御一同すべて御揃で青淵文庫に御待兼の所へ、小一時間遅刻したシャーレンバーグ氏同勢鈴木文治氏を入れて四人到着せられ、直ぐに文庫にお待兼の子爵其他の方々と握手を交換せられ、秋晴の庭園を一巡せられた。シャーレンバーグ氏は肥え太つた赭ら顔の大きな人である。夫人も亦これと釣合のとれた体躯の所有者である。令嬢は廿才ばかりでよく父母の俤を写して居る。この令嬢が大の日本贔屓であるといふことである。シャーレンバーグ氏夫妻は物珍らしさうに子爵を離れて鉢植の花卉の列べてあるのに見入つたり、懸崖の菊を批評したりした。表庭の端に出ると子爵は眼下に見下す王子一帯の工場地を指され、これが往昔文字通りの「曖依村」であつたが、今は見らるゝ通りの工場地と化して了つたのであるといふ事をシャーレンバーグ氏に御説明になつた。蓋しシャーレンバーグ氏が日本の工場の進出に興味をもつだらうとのお考からであつたであらう。来賓は庭より直に書院に上られ食卓に着かれた。食卓と椅子とは洋式であるが、食事は日本食で膳椀や箸で日本酒に刺身を頂くといつた御馳走である。
 主賓はよく御料理を食べ、また日本酒の杯を重ねられた。シャーレンバーグ氏夫妻並に令嬢は酌に従つて平然として之を受けた。
 シャーレンバーグ氏の話によれば、氏は今より三十二年以前の事、或商船の水夫として米国から香港まで航海した事があるといふ、其時には片航路六十九日かゝつたといふことである。
 又シャーレンバーグ氏は京都の太平洋問題調査会大会に出席の合間に、大津の労働組合で講演も行ひ、親しく日本の労働者に接し、また其組合の模様も実見して、よく出来ているのに驚いたさうである。殊に神戸の海員組織に至つては間然する所なき迄に出来てをり、何処の国へもつて行つても引けを取らぬと云つていた。
 - 第39巻 p.642 -ページ画像 
 子爵は自分は元銀行者として立つていた所から、運輸海運の事にも携つた。日本郵船の初期には取締役として力を尽していたので、日本の海員組織が褒められる迄に発達した事は、喜に堪へぬといふ事を云はれた。
 次に子爵はシャーレンバーグ氏等が日光を見られたかを問はれ、令嬢ヘレンに対して日光の絵巻物を呈せられ、その御説明があつた。
 鈴木文治氏は日光も見せたいが、足尾へも参りたいと云ひ、子爵は進んで足尾銅山に紹介の労を取らうと云はれた。
 食事の後、一旦青淵文庫に戻り、歓談暫時にして辞去せられた。


(ヘレン・シャーレンバーグ)書翰 渋沢栄一宛一九三〇年一月一〇日(DK390293k-0006)
第39巻 p.642-643 ページ画像

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竜門雑誌 第四九四号・第五―六頁昭和四年一一月 世界の平和に就て 青淵先生(DK390293k-0007)
第39巻 p.643 ページ画像

竜門雑誌  第四九四号・第五―六頁昭和四年一一月
    世界の平和に就て
                      青淵先生
○上略
      五
 加州の労働団体の指導者たるシヤレンバーグ氏は、恰度太平洋問題調査会大会へ出席の為め渡来して居らるゝので、近く特に会見する筈にしてある。此人は日本人を排斥するのは労働賃銀が安い為め米国労働者を駆遂するから困る、と云ふのでなく『日本人の性格には敬服して居るが、移民としては入つて来るのが嫌である』と云ふて居る。それは外でもない『日本人は同化心がなく、愛国心が強いから、かゝる国民が米国へは入れば、米国にとつては悪くすると騒動の原因となる恐れがある。故に排斥するのである』と主張して居る。その主張は同志である上院議員のフィーラン氏に宛てた手紙の中に書いてあつたさうである。大正四年に桑港でパナマ運河開通の記念大博覧会が開催せられた時、労働大会が同地で開かれたので、日本からも代表者が出席してはどうかと、紐育のシドニー・ギュリック氏から注意もあり、恰度友愛会の鈴木文治の外、一・二人が出席したいと云ふ希望を持つて居たので之を伝へた処、シャレンバーグ氏は之を快諾した。するとフィーラン氏等が『日本労働者は我々が排斥して居る。然るに其の代表を大会へ参加せしめるのは如何なる理由であるか』と非難したので、それに答へて『我々は日本の労働者を嫌ふのでなく、米国への移民たる日本人を嫌ふのみである。それは同化心がないからで、其の国の労働者と移民とは全然異るものだ』と云つたのが、氏の日本移民観であるやうである。申すまでもなく、此のシャレンバーグ氏は、米国労働界の大立物ゴンパース氏を援けて居た人である。聞く処に拠れば最近氏の日本人観が余程変つて来たさうである。
○下略


総長ト外国人トノ談話筆記集 【○アサトン氏の来訪】(DK390293k-0008)
第39巻 p.643-644 ページ画像

総長ト外国人トノ談話筆記集 (渋沢子爵家所蔵)
    ○アサトン氏の来訪
         (昭和四年十一月廿五日後三時半於飛鳥山邸)
布哇の代表的実業家フランク・シ・アサトン氏は、今回の京都に於ける太平洋問題調査会第三回大会に、米国代員として出席の為、本年十月に来邦せられ、子爵とは既に三回面会して居る。○中略而かも子爵は之を以て足れりとせず、十分膝を交へて懇談せん事を希望せられた為め、アサトン氏は御暇乞を兼ねて来訪せられたのである。
 - 第39巻 p.644 -ページ画像 
○中略
アサトン氏「実は私も日本を出発する前に今一度子爵に御目にかゝつて、今回蒙りました御款待に対し御礼を申上げ度いと思つて居つた訳でございます。真に御手厚い御待遇を蒙りまして、恐縮して居ります。千九百十六年子爵が私共の布哇に御立寄下すつて、日米親善の大精神を崇高な信念を以て御示し下されましたときのことは忘れませぬ。○中略日米親善を継続せねばならぬとの子爵の衷心よりの御主張、これを受継いで私共が此問題に真剣に努力するやうになつたのであります。○中略千九百廿四年の移民法に就ても、従来米国の労働者の反対が中々熾烈でありましたが、今度はシヤーレンバーグ氏も眼が覚めて帰国しました。○下略


(ウォレス・エム・アレグザンダー)書翰 渋沢栄一宛一九三〇年一〇月一七日(DK390293k-0009)
第39巻 p.644 ページ画像

(ウォレス・エム・アレグザンダー)書翰  渋沢栄一宛一九三〇年一〇月一七日
                      (渋沢子爵家所蔵)
  ○原文略シ、訳文ヲ掲グ。
 東京市                  (十一月六日入手)
  渋沢子爵閣下栄一印
   一千九百三十年十月十七日
             桑港
               ヲーレス・エム・アレキサンダー
拝啓 ○中略閣下が太平洋問題調査会出席代員歓迎のため、見事なる午餐会御催被下候際、議会が其態度を改め日本に欧洲各国と同様「コータ」法を適用する様法律修正の件に付て、御談話致候義を御記憶のことゝ存候、最近数日間に右希望の実現に関し非常に小生の心を強ふせる出来事起り申候、即ちヴイ・エス・マクラチ氏の幹事たる聯合移民委員会が、従来排日を主張し来りたる同氏の立場を支持せざるに至りし事に有之候、貴国に於て閣下の御引見被下たるポール・シヤーレンバーグ氏は、帰来目醒しき働きをなし、マクラチ氏は本問題に就きては今や殆んど孤立の有様に御座候
排日法案通過後加州の輿論は大いに変化したるを見ては、来年支那に開催せらるべき太平洋問題調査会大会に出席の為め小生当地出発前、該法は既に過去の夢と消え候事と存候、若し此喜ばしき結果の実現せる暁には、太平洋問題調査会京都大会が、日米両国のため如何に甚大なる貢献を為せしかゞ一層明瞭と相成可申候、加州人の態度に変化を招来したるは、必竟該大会がポール・シヤーレンバーグ氏の如き人々を啓発したるが故に御座候、此報道は秘密として厳守被下度候
右得貴意度如此御座候 敬具
  ○原文及ビ訳文全文ハ本資料第三十五巻所収「日米関係委員会」昭和五年十月十七日ノ条ニ収ム。


日米関係委員会雑綴(二)(DK390293k-0010)
第39巻 p.644-645 ページ画像

日米関係委員会雑綴(二)        (渋沢子爵家所蔵)
    日米関係に於ける労働の要素
                    鈴木文治君
○上略
 - 第39巻 p.645 -ページ画像 
      四、重ねて桑港にて
○中略尚同君○シヤーレンバーグは千九百二十九年日本より帰米の後、各種の集合に於て、日本及日本人問題について、講演をすること四十回、筆を取つたこと十数回に及んで居ますが、いづれも公正な、然も日本に対する好意ある態度で述へて居るので、日本の為めには誠に好都合に感ぜられるものであります○下略
  ○本資料三十五巻所収「日米関係委員会」昭和五年十一月十日ノ条参照。


渋沢栄一書翰 控 ポール・シャーレンバーグ宛昭和六年三月一二日(DK390293k-0011)
第39巻 p.645 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  ポール・シャーレンバーグ宛昭和六年三月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                    (別筆)
                    三月五日御承認
    案
 加州サン・フランシスコ市
 マーケツト街五二五
 加州労働組合事務所
  ポール・シヤレンバーグ殿
   昭和六年三月十二日       東京 渋沢栄一
拝復、一月十二日付御懇書正に拝受興味を以て閲読仕候、然ば貴国当局者が失業問題解決の為め御苦心の由拝承、富の程度に於て各般の施設より見て殆んど信じ難き処に候得共、同問題は各国共苦悩罷在候義にて、世界共通の難問題とも可申次第に有之、貴国も亦此に直面せざるを得ざるにやなど相考へ候、「失業問題ハ経済上ノ固疾ナリ、解決ハユートピヤナラザル以上不可能也」
秩父丸に於る午餐会の席上、御同僚諸氏と共に老生の為め御乾杯被下候由御芳情奉深謝候、次に石灯籠の件に関しては特に御指定無之、当方の裁量に御一任可被下旨の尊示正に拝承、鈴木文治氏とも打合はせ可成適当のものを見立て候筈に付御承知置被下度候、今秋再度御来遊の御計画の由を拝承、親しく御高説拝聴の機を可得義何よりと欣喜罷在候
右得貴意度、匆々如此御座候 敬具


(小畑久五郎)書翰控 ポール・シャーレンバーグ宛一九三一年六月三日(DK390293k-0012)
第39巻 p.645-646 ページ画像

(小畑久五郎)書翰控  ポール・シャーレンバーグ宛一九三一年六月三日
                     (渋沢子爵家所蔵)
           (COPY)
                 June 3, 1931
Mr. Paul Scharrenberg
  California State Federation of Labor,
  Underwood Bldg.,
  525 Market St., San Francisco, Calif.
Dear Mr. Scharrenberg,
  Gokigenyou! To-morrow "Asama Maru" will leave Yokohama for your city. The steamer carries with it a stone lantern which Viscount Shibusawa promised you to present.
We call it "Yuki Mi Doro."
  The Viscount instructs me simply to call your attention
 - 第39巻 p.646 -ページ画像 
to the fact that it is shipped and that Mr. Nakase, the Manager of the N. Y. K. Office with whom I believe you are acquainted will attend to details.
  Owing to his old age, the Viscount has been going through ups and downs of his health, although it is now much improved, making it possible for him to visit his office occasionally. Needless to tell you that he sends to you and your family his warm greetings.
  I wish you also to remember me to your lady and charming daughter.
             Yours very cordially,
               (Signed) K. Obata
                     Secretary to
                    Viscount Shibusawa.


(ポール・シャーレンバーグ)書翰 渋沢栄一宛一九三一年六月二六日(DK390293k-0013)
第39巻 p.646-647 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。