公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第39巻 p.661-664(DK390297k) ページ画像
昭和4年11月24日(1929年)
是日栄一、アメリカ合衆国アメリカ機械技師協会会長エルマー・エー・スペリヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
竜門雑誌 第四九五号・第六七頁昭和四年一二月 青淵先生動静大要(DK390297k-0001)
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竜門雑誌 第四九五号・第六七頁昭和四年一二月
青淵先生動静大要
十一月中
廿四日 スペリー氏歓迎午餐会(曖依村荘)
招客書類(三) 【昭和四年十一月二十四日(日)午後零時半、於飛鳥山邸 エルマー・エー・スペリー氏招待午餐会】(DK390297k-0002)
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招客書類(三) (渋沢子爵家所蔵)
昭和四年十一月二十四日(日)午後零時半、於飛鳥山邸
エルマー・エー・スペリー氏招待午餐会
出席者
来賓
(太丸・太字ハ朱書)
○エルマー・エー・スペリー
○キヤルヴイン・ダブルユー・ライス
欠ジヨン・アール・フリーマン
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○エフ・ダブルユー・ジユーエト
○デイー・シー・ジヤツクソン
○男爵古市公威
○男爵斯波忠三郎
○渋沢元治
○穂積律之助
○子爵徳川武定
○男爵阪谷芳郎
○頭本元貞
主人側
○子爵
○小畑久五郎
欠渋沢武之助
一、料理、洋食(東洋軒)○同正雄
○同秀雄
以上〆十七人内出席十五人
欠席二人
当日ハ目下来遊中ノ米人エルマー・エー・スペリー博士ヲ招待致置候
竜門雑誌 第四九六号・第九一―九三頁昭和五年一月 スペリ博士と子爵(十一月廿四日午後零時半於飛鳥山邸午餐会)(DK390297k-0003)
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竜門雑誌 第四九六号・第九一―九三頁昭和五年一月
スペリ博士と子爵
(十一月廿四日午後零時半於飛鳥山邸午餐会)
出席者
エルマー・エー・スペリ氏
キヤルヴイン・ダブルユ・ライス氏
エフ・ビー・ジユーエト氏
デイ・シー・ジヤクスン氏
男爵古市公威氏
男爵斯波忠三郎氏
渋沢元治氏
穂積律之助氏
子爵徳川武定氏
男爵阪谷芳郎氏
頭本元貞氏
子爵
渋沢正雄氏
渋沢秀雄氏
小畑久五郎
当日は秋晴にて清々しき心持のする日なりき。定刻来賓一同青淵文庫に参集せられ、子爵にも文庫に出向きて挨拶せられ、直に書院に設けられたる食卓に案内せられ談笑の裡に食事を終り来賓は直ちに西洋玄関より帰途に就かれたり。
当日スペリ氏と子爵との間に大要左の如き談話ありたり。
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ス氏「去る五日帝国ホテルに尊来を願ひ、米国機械技師協会の名誉会員証捧呈式を挙行する事を得まして光栄に存じます。子爵の如き実業界の大功労者が我協会の名誉会員となられた事は協会の大なる誇りで御座います。特に其際記念の撮影を御許し下さいました事を改めて御礼申上げます。」
子爵「貴国に於ける有力なる協会の名誉会員に推挙せられました事は私の光栄とする所で、御厚意を難有感謝致しますが、其際にも申述べました通り、私は何等専門的知識を持ちませんので、御協会の如き専門家より成る団体の名誉会員に挙げらるゝ事は僭越の様に感じて居ります。」
ス氏「今日は又御招待に与りまして、真に有難う存じます。此度万国工業会議並に世界動力会議に参列しました私共外国人に示されたる日本の御款待及び御好意は、実に至れり尽せりで感謝の辞なき程で御座います。」
子爵「私も万国工業会議の名誉副会長の一人では御座いましたが、頽齢の為め何等御力添も致す事が出来ませんで汗顔の至りで御座います。」
ス氏「一千九百二十四年貴国を訪問致しました時、数回子爵に御目通りを願ひましたが、其内で私の忘るゝ事の出来ない印象は晩香盧に於て小畑氏の通訳により、ジヤイロスコープ機の説明を申上げた時の事と、其際撮影させて頂きました此二種の写真のことで御座います(此処にス氏は持参の写真帳を開かる)。特に子爵と並んで居ります此写真は私の至宝として常に尊重して居ります。」
子爵「成る程御話を承つて漠然ながら思ひ起しますが、何んでも貴方が極めて簡単な機械を御用ひになつて独楽の廻転と其軸との関係を説明して下すつたことが御座いました。ははー、ジヤイロスコープと申す御発明は独楽の原理を応用なさつたもので御座いますか。」
ス氏「御話は変りますが、子爵が京都の太平洋問題調査会大会に於て御発表になりましたステートメントは、確かに我々米国人に良好の刺戟を与ふる事と存じます。私は子爵の御意見に全然同感で御座います。どうか此ステートメントが動機となりまして、排日移民法の改正を見る事を切望致します。」
子爵「私のステートメントに、貴方の如き有力なる方の御同意を得ました事は、私の最も欣快とする所で御座います。どうか私の生きて居る間に該移民法が改正せられて日米の間に何等憂ふべき問題がなくなり、今後両国の国交に注意さへすれば、将来の親善関係を確実に維持し得るといふ所まで進み度いと念願して居ります。」
ス氏「此問題は表面より堂々と参りましては却つて事を破壊する恐がありますから、静かに輿論を指導して改正の機会を誘致すべきであると存じます。私が帰国致しましたならば尚ほ一層此方面に尽力致し度いと思ひます。」
子爵「御好意を感謝致します。」
○エルマー・エー・スペリハ、大正十一年ニモ来日セリ。本款同年九月二十
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九日ノ条参照。
○右ハ「総長ト外国人トノ談話筆記集」(渋沢子爵家所蔵)中ニモアリ。
○アメリカ機械技師協会ニ就イテハ本資料第三十八巻所収 THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS 参照。
○尚本資料第三十五巻所収「日米協会」大正十三年八月七日ノ条参照。同年アメリカ一九二四年移民法ノ制定ヲ見、日米協会会長金子堅太郎ハ会長ヲ辞任セリ。右ニハ是ニ関スルスペリ書翰ヲ収ム。