デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
2款 天津水害義助会
■綱文

第40巻 p.11-22(DK400002k) ページ画像

大正6年11月7日(1917年)

是年、中華民国天津地方ニ起リタル大洪水ニヨル、天津在住ノ同胞並ニ中国人ノ水害罹災者救済ノタメ、栄一、中野武営等ト図リテ、是日東京商業会議所ニ天津水害義助会設立集会ヲ開キ、ソノ会長ニ就任、次イデ十六日都下新聞・通信社代表ヲ帝国ホテルニ招キテ報告会ヲ開ク。栄一出席シテ当会ノ主旨ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK400002k-0001)
第40巻 p.11 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 午前十時 天津水害救済会(商業会議所)


中外商業新報 第一一三四二号 大正六年一〇月三一日 水害救済協議(DK400002k-0002)
第40巻 p.11 ページ画像

中外商業新報 第一一三四二号 大正六年一〇月三一日
    ○水害救済協議
天津水害救済に関する寄附金募集の件に付き、三十日午前十時より東京商業会議所に第一回協議会を開き、渋沢男爵を初め藤山雷太・三井元之助(代)・古川男爵(代)・安田善次郎(代)・井上正金頭取・浅野総一郎(代)・桜井台銀頭取(代)・南満鉄道社長(代)・増田増蔵の諸氏出席、種々協議する所ありたり


集会日時通知表 大正六年(DK400002k-0003)
第40巻 p.11 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月三日 午後四時半 天津水害救済ノ件(商業会議所)


中外商業新報 第一一三四六号 大正六年一一月四日 天津水害救済(DK400002k-0004)
第40巻 p.11 ページ画像

中外商業新報 第一一三四六号 大正六年一一月四日
    ○天津水害救済
渋沢男・中野・藤山其他諸氏の間に天津水害救済会設立の計画中なりしが、三日午後四時半より東京商業会議所に於て発起委員会を開き、具体案を決定したりと


集会日時通知表 大正六年(DK400002k-0005)
第40巻 p.11 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月七日 午前九時 天津水害救済ノ件(商業会議所)


東京日日新聞 第一四七四五号 大正六年一一月八日 天津義助会創立(DK400002k-0006)
第40巻 p.11-12 ページ画像

東京日日新聞 第一四七四五号 大正六年一一月八日
    ○天津義助会創立
天津水害義助会の創立総会は、七日午前十時より東京商業会議所に開会、規定並に会長渋沢栄一男以下の役員其他を決定し、正午散会せるが、同会は最初単に在天津邦人の被害者のみを救済する目的なりしも其後支那被害民にも之を及ぼすことゝし、東京・神戸其他支那関係各地に於ける会社、又は個人中より評議員を出し、卅万円を一般の寄附
 - 第40巻 p.12 -ページ画像 
に仰がんとするものにして、該寄附金の募集期限は十二月十日なりと


中外商業新報 第一一三五〇号 大正六年一一月八日 天津水害救助 渋沢男等の義挙(DK400002k-0007)
第40巻 p.12 ページ画像

中外商業新報 第一一三五〇号 大正六年一一月八日
    ○天津水害救助
      渋沢男等の義挙
曩に中華民国に大洪水あり、殊に天津の被害甚大にして在留邦人を始め同国人の惨状は、季冬に入らんとして更に甚だしからんとするものあるより、国際的に又日支親善の主意に於て之が救済をなすべく、七日午前十時より東京商業会議所に渋沢男・中野武営・藤山雷太氏等三十余名会合協議の上、渋沢男を会長に中野・藤山両氏を副会長とする天津水害義助会を組織し、規約を定め約三十万円の寄附金を募集して之を適当に処分すべき旨を決定、正午散会せり


竜門雑誌 第三五四号・第一五八頁 大正六年一一月 ○天津水害義助会設立(DK400002k-0008)
第40巻 p.12 ページ画像

竜門雑誌 第三五四号・第一五八頁 大正六年一一月
○天津水害義助会設立 過般中華民国に大水害あり、殊に天津の被害甚大にして、在留邦人を始め、同国人の惨状は将に冬季に入らんとして更に甚しからんとするより、玆に日支親善の主意に於て之が救済をなすべく、予て本邦の有志者間に寄々協議せられつゝありしが、去十一月八日東京商業会議所《(七)》に於て、青淵先生を始め、中野・藤山氏等二十余名会合の上、愈々青淵先生を同会々長に、中野・藤山両氏を副会長とする天津水害義助会を組織し、規約を定めて約三十万円の寄附金を募集し、之を適当に処分すべき旨決定したりと云ふ。


集会日時通知表 大正六年(DK400002k-0009)
第40巻 p.12 ページ画像

集会日時通知表 大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
十一月十二日 午後三時 天津風水害救済常務委員会(商業会議所)
   ○中略。
十一月十六日 午前十一時半 天津水害義助会(ホテル)
   ○中略。
十一月廿四日 午前十時 天津風水害救済会(商業会議所)


中外商業新報 第一一三五九号 大正六年一一月一七日 天津水害義助会 渋沢男等発起(DK400002k-0010)
第40巻 p.12-13 ページ画像

中外商業新報 第一一三五九号 大正六年一一月一七日
    ○天津水害義助会
      渋沢男等発起
支那未曾有の大洪水に際し、天津在住の同胞並に支那水害罹災者を救済する為め発起されたる天津水害義助会は、会長に渋沢男、副会長に中野武営・藤山雷太氏を推し、有力者十数名を評議員に挙げ今回成立したるを以て、十六日正午帝国ホテルに都下新聞・通信社代表者を招き報告会を開けり、渋沢男は同胞の窮境を救ふは勿論、隣邦人を慰藉し以て日支親善の実を示すは最も緊要なりと冒頭し
 本会への寄附金は暫く京浜間の有志者の義捐に範囲を止むるも、其他重要都市の商業会議所も発起して夫々同一目的の為めに尽すべきを以て、本会は是等と適宜連絡を保つ可し
と本会成立の経過を述べ、次に小幡外務省政務局長は天津水害の現状
 - 第40巻 p.13 -ページ画像 
に就きて述べ、更に小田切正金取締役は大要左の如き実地視察談を試みたり
 今回の水害は直隷・河南・山東の百八県に亘り、面積は我九州以上の広範囲にして罹災民は三百万人以上とす、天津の日本租界は数尺の浸水を受け周囲に堤防を築き、目下極力排水中なるが予定に従へば本月下旬には排水し終る筈なれども、排水後の復旧整理には多大の費用と労力を要す可し、更に支那側の罹災地に至りては惨状を極め居り復旧の為め非常手段を講ずるに非ざれば、十年・十五年を経過するも放任の儘にては復旧覚束なき有様なり、殊に本月下旬よりは結氷期に入るを以て家屋の倒壊する者多かる可く、明春の解氷後に至りては悪疫流行等其惨害更に甚しき者あらん、支那政府は目下治水事業の為め五百万円の借款を進行せしめつゝあれど、恐らく此金額の数倍の費用を懸くるに非ざれば完全なる復旧は望まれ難からん云々
因に本会は事務所を東京商業会議所内に置き、一般有志の義捐金を取扱ふことゝなれり
   ○右ト同様ノ記事「竜門雑誌」第三五五号(大正六年十二月)ニ掲グ。ココニハ略ス。


中外商業新報 第一一三八五号 大正六年一二月一三日 天津水害御恵恤 金弐万円下賜(DK400002k-0011)
第40巻 p.13 ページ画像

中外商業新報 第一一三八五号 大正六年一二月一三日
    ○天津水害御恵恤
      金弐万円下賜
先般支那天津附近大水害に対して我が有志者間に於て天津水害義助会を設立して、世に広く義捐金募集中の趣聞召され 聖上・皇后両陛下には特別の思召を以て昨十二日金二万円下賜の御沙汰ありたり、右に付き代表者中野武営氏午前十一時宮内省に出頭、波多野宮相より右恩賜金を拝受、御礼執奏を乞ひ直に退出せり


中外商業新報 第一一三八五号 大正六年一二月一三日 天津水害救済会へ御下賜(DK400002k-0012)
第40巻 p.13 ページ画像

中外商業新報 第一一三八五号 大正六年一二月一三日
    ○天津水害救済会へ御下賜
畏き辺りに於かせられては天津水害救済会に対し金二万円御下賜あらせられたるに就き、十二日午前十時中野武営氏宮中に参内して拝受したり、因に該救済会は渋沢男を会長に中野武営、藤山雷太の両氏を副会長とし、三井・三菱両家より各一万五千円を始め東京に於て既に十一万円の寄附金ありと
   ○右ト同様ノ記事ヲ「竜門雑誌」第三五六号(大正七年一月)ニ掲グ。ココニハ略ス。


社会と救済 第一巻第四号・第三三五頁 大正七年一月三〇日 天津水害義助会に御下賜金(DK400002k-0013)
第40巻 p.13-14 ページ画像

社会と救済 第一巻第四号・第三三五頁 大正七年一月三〇日
    ▽天津水害義助会に御下賜金
 昨年九月天津に於て未曾有の大水害あり、其惨状実に名状すべからざるものあるを以て、渋沢男爵・中野武営等知名の実業家相謀り、天津水害義助会を設立して義捐金を募集せり。事天聴に達し、両陛下より旧臘十二日同会に対して金弐万円御下賜相成りたり。嗚呼天恩無窮
 - 第40巻 p.14 -ページ画像 
異域に及ぶ、誰れか感激せざる者あらんや。


天津水害義助会報告書 同会編 第三―一四頁 大正八年四月刊(DK400002k-0014)
第40巻 p.14-18 ページ画像

天津水害義助会報告書 同会編 第三―一四頁 大正八年四月刊
 ○(一)創立
    一、本会の創立
○上略
 十月二十四日東京商業会議所に於て小幡氏、三井物産の安川氏、代議士、加藤定吉氏其他数名集会され、藤山会頭と会見、右の趣旨を決し、更らに十月二十六日午前九時、小幡・安川・加藤の三氏は藤山会頭の紹介にて東京商業会議所に於て渋沢男爵と会見、天津水害の委曲を述べ、渋沢男爵の尽力を乞はる。男爵又水害救済を支那人に及ぼすの議に賛成せられ救済資金募集に関し、更らに支那関係の有力者と相談すべきを定めらる。
 十月二十七日、渋沢男・中野武営・雷太三氏の決議を以て支那関係有力者に左の書面を出す。
 拝啓、愈々御清穆為邦家慶賀至極に奉存候、陳者既に御承知被遊候如く支那地方に於ては非常なる洪水にて、特に天津に於ては甚しき惨状を呈し少なからざる我同胞は勿論、多くの支那人も之れが為めに困窮せる状態に陥り居り殆んど見るに忍びざる次第に御座候、就ては此の際我同胞を救ひ兼ねて支那人を慰藉するは日支親善の一助となり可申、我国より相当の見舞を致すは最も必要なりと存候に付き、平素支那と密接なる関係を有せらるゝ方々と篤と御相談申上度御多忙中甚だ恐縮に有之候へ共来る三十日(火曜日)午前十時万障御差繰り下され、東京商業会議所に御参集被成下度、此段偏に奉願上候 謹言
  大正六年十月二十七日
                      藤山雷太
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
  尚ほ、当日御差支有之候節は御代理人御出席相願度候
 大正六年十月三十日午前十時、東京商業会議所に於ける天津水害救済義捐金に関する相談会に出席せられたる人々左の如し(○印出席其他通知先)
○男爵 渋沢栄一君                       中野武営君
○藤山雷太君                      ○三井物産株式会社 社長 三井元右衛門君 代藤瀬政次郎
 三菱合資会社 社長男爵 岩崎小弥太君         ○男爵 古河虎之助君 代石井政吉
 男爵 大倉喜八郎君                  ○   安田善三郎君 代斎藤
○日本郵船株式会社 社長男爵 近藤廉平君 代松平市三郎 ○横浜正金銀行 頭取 井上準之助君
 富士瓦斯紡績株式会社 社長 和田豊治君         日清紡績株式会社 社長 安部幸兵衛君
    日比谷平左衛門君                    大橋新太郎君
○服部金太郎君                         山本唯三郎君
○浅野総一郎君 代岩本寅治               ○株式会社台湾銀行 頭取 桜井鉄太郎君 代久宗董
○株式会社朝鮮銀行 総裁 美濃部俊吉君 代曾根安輔    株式会社日本興業銀行 総裁 志立鉄次郎君
○南満洲鉄道株式会社 代山崎正秀            ○   日清汽船株式会社 代白岩竜平
 - 第40巻 p.15 -ページ画像 
    中日実業株式会社                  大日本製糖株式会社
    台湾製糖株式会社                  明治製糖株式会社
    東洋製糖株式会社                  塩水港製糖拓殖株式会社
    帝国製糖株式会社              ○   安部幸兵衛君 代青谷保治
    茂木総兵衛君                ○   増田増蔵君
 右席上、相談の結果天津の水害に就ては我同胞を救ふのみならず、支那人迄をも慰藉すべきものなりとの議決し、渋沢男爵の提議に基き更らに委員十名を設け義捐金募集方法を講ずることと定む。是れ今回の義金募集は東京水害後の募集にてもあり、東京水害に就ては二十万円の予定なりしもの其の三倍なる六十万円の好成績を挙げたりしも、再び斯の如き結果を望むこと難かるべく、然ればとて余り不成績にては国際間の関係故国民の面目上、大に注意するの必要あるに依る。
渋沢男指名の委員左の如し。
       男爵渋沢栄一     中野武営
         藤山雷太   男爵大倉喜八郎
       三井物産株式会社   三菱合資会社
       南満洲鉄道株式会社  日本郵船株式会社
       横浜正金銀行     東京建物株式会社
      ○主唱発起人相談会
 十一月三日午後四時三十分、東京商業会議所に於て渋沢男爵より指名せられたる主唱発起人相談会を開く、出席者左の如し。
     男爵渋沢栄一         中野武営
       藤山雷太       男爵大倉喜八郎氏 門野重九郎
     三井物産会社 安川雄之助   三井合資会社 小木埴
     横浜正金銀行 井上準之助   日本郵船会社 松平市太郎
       東京建物会社
 而して席上、寄附金余り小額にて予定額に達せざるときは国際関係上面白からず、支那関係者は奮つて之れが義捐金を出資せざるべからず、然らざれば之を天下に発表するは考へものなりとの議あり、種々熟考の結果、支那関係有力者に於て主として義金出資に応ずることとし、同時に関西に於ける支那関係者に対しても同様の尽力を乞ひ、関西に於ても東京と同じく義助会を組織し、義捐金募集に当られんことを勧誘することに定め、其他は東京水害救済会の例に依り更らに発起人会を東京商業会議所に開くこととし、散会。
 十月五日左《(十一月)》の書面を支那関係者、総数六十五名に発送し七日午前九時、東京商業会議所に来会せられんことを求む。
 拝啓、愈々御多祥奉大賀候、陳は今回天津地方の出水は非常なる惨状を呈し少なからさる我同胞と多くの支那人とは誠に困窮せる状態に陥り居り、殆んと見るに忍びさる次第に有之候、依て此際我同胞を救ひ、兼ねて支那人を慰藉するは最も緊要事なりと相考へ候と同時に、日支親善の一助ともなり可申、相当の資金を蒐集し罹災救護の任に当るの必要を相感し候、それに付き有力なる貴下の御賛同を得たく、篤と御相談申上度儀有之候に付、御多忙中恐縮なから来る七日午前九時東京商業会議所へ御来駕下され度、此段得貴意候
 - 第40巻 p.16 -ページ画像 
                       敬具
  大正六年十一月五日
      男爵 渋沢栄一       中野武営
         藤山雷太    男爵 大倉喜八郎
        三井物産株式会社    三菱合資会社
        日本郵船株式会社    横浜正金銀行
        東京建物株式会社
 尚ほ、御差支の節は御代理人出席相願度候
   書面発送の氏名及当日の出席者(○印)左の如し
  ○三井合名会社 代表者 有賀長文   ○三菱合資会社 社長男爵 岩崎小弥太代

   男爵 古河虎之助          ○男爵 大倉喜八郎代
  ○東京建物株式会社 安田善三郎代    日本郵船株式会社 社長男爵 近藤廉平
  ○横浜正金銀行 頭取 井上準之助    富士瓦斯紡績株式会社 社長 和田豊治
   日清紡績株式会社 社長 安部幸兵衛  鐘淵紡績株式会社 社長 日比谷平左衛門
     大橋新太郎               服部金太郎
     山本唯三郎           ○   浅野総一郎代
  ○台湾銀行 頭取 桜井鉄太郎代    ○日清汽船株式会社 社長 近藤廉平代
○中略
 七日午前九時開会席上、渋沢男爵より右本報告書に就て記述したるが如き天津水害義助会を創立するに至りし事情、並に其の沿革を述べられ、天津水害の惨状を極めつゝあること、我国民にして天津在住のものは是が為め大なる困難に陥りつゝあれば、是を救済せざるべからざるは勿論なるも、既に天津水害義助会を創立し団体として其の救済の任に当る以上、我国民と同様の窮境に陥りつゝある支那人を救はざるは余りに差別的となり、国際関係上面白からず一視同仁的に其の救済を支那人迄及ばざるべからざること等を語られ、天津水害義助会を組織すべきや否や、又若し組織すとせば其の創立趣意書・規約並に関西に於ても東京同様義助会を組織し、相提携して事に当らざるべからざるものと言はるるが、其の勧誘の文意は既に見本として手許に差出したるものにて宜しきや否やを諮らる。
 次いで中野武営氏の演説あり、天津水害義助会は事是れ国際的関係なるが故に、義捐金は相当の金額に上らしめざるべからず、義捐金余りに小ならは既に欧洲傷病兵慰問の際にも経験したる如く、国家の体面上如何と念はるる掛念なきにあらず、是を一般に公表する以前に於て有力なる支那関係者に於て予め、出資額を定めらるるの要あるべしとの注意あり。
 渋沢男爵又本義助会は最初日本人のみを救済するの目的を以て五万円程度の義捐金を募集するの予定なりしも、既に其の目的拡張せられたる以上は少なくとも十四・五万円以上の寄附金を募集せざるべからず、支那と密接なる関係を有する方々並に力強き方々は進んで出資せられんことを求めらる。
 藤山会頭又有力なる方々の尽力を乞ひ、賢き辺りの思召の程をも洩さる、更らに門野氏より東京に於て十万円を募集する以上は関西地方は支那に対し東京よりも密接なる関係あり、且つ有力なる人々少なか
 - 第40巻 p.17 -ページ画像 
らざれば、東京同様、否な其れ以上の義捐金を出資せらるる様取扱はれた《(し)》ことの希望あり、玆に於て渋沢男爵は本会を組織すべきや否や、組織すべしとせば其の規約は既は手許に差出したるものにて異議なきや否やを謀られしに、満場一致何等異議なく、此の設立趣意書並に規約を承認し、本会玆に創立さる。
 設立趣意書並に規約左の如し。
    二、設立趣意書及規約
 本会の設立趣意書及規約左の如し。
      設立趣意書
 今や我友邦中華民国に於ては未曾有なる大洪水あり、特に天津に於ては其の惨状最も甚しく少なからざる我同胞と多くの我隣邦人とは極めて悲惨なる窮状に陥り、或は一家全滅し或は父母妻子に別れ、或は家産を失い飢饑に瀕する等殆んど見るに忍びざるものあり、而も此の天津地方の洪水や我国の風水害と全然其の趣を異にし、此等の出水は容易に減退せず冬期至るに及び終には結氷するの恐あり、明年春に至りて是れが溶解を見るに至らば其の惨害は更に甚しきものあらんとす吾人は到底之を傍観するに忍びず、此の際我同胞を救ひ併せて我同胞と共に窮境に陥りつゝある我隣邦人を慰藉するは最も緊要事なりと信ず、是れ国際的信義の大道に基き日華親善を助長し、彼我の国民的和親を増進する所以なり、依て有志相謀り天津水害義助会を設立し、広く社会の同情を求め遍く同志を募り、大に救済資金を蒐集し進んで当局者と協力し、以て罹災救護の実を挙げんとす、冀くは各位本会の目的を賛し其の遂行に援助せられんことを
  大正六年十一月
                   発起人
      天津水害義助会規的
 第一条 本会は天津水害義助会と称す
 第二条 本会の事務所は之を東京商業会議所内に置く
 第三条 本会は天津在住の我国民にして水害の厄に逢ひたるもの並に天津及其附近の支那水害罹災者を救済し、之に必要なる施設をなすを以て目的とす
 第四条 本会は有志者の寄附を受く
 第五条 本会に左の役員を置く
     会長   一名
     副会長  二名
     常務委員 若干名
     評議員  若干名
 第六条 本会の役員は創立委員に於て之を推挙す
 第七条 会長は本会一切の事務を統轄し、常務委員及評議委員会の議長となり本会を代表す
     副会長は会長を補佐し会長の代理をなす
     常務委員は本会の常務を処理す
     評議員は会長の諮問に応じ重要事項の協議に参与す
 第八条 本会の議事は出席員の過半数を以て決す
 - 第40巻 p.18 -ページ画像 
 第九条 本会の経費は寄附金及雑収入を以て之に充つ
 第十条 会務の経過及収支決算は新聞紙上を以て報告す
 第十一条 本会は所期の目的を達したる後之を解散す
 第十二条 本規約施行に関し必要なる事項は常務委員会の議決を経て会長之を定む


天津水害義助会報告書 同会編 第一七―二八頁 大正八年四月刊(DK400002k-0015)
第40巻 p.18-22 ページ画像

天津水害義助会報告書 同会編 第一七―二八頁 大正八年四月刊
 ○(二)職員及諸会議
    四、諸会議及議件
      ○常務委員会
 十一月十二日午後三時より、東京商業会議所に於て常務委員会を開く、当日会長渋沢男爵、事故の為め遅刻の止むを得ざる事情ありしが為め、東京商業会議所書記長服部文四郎氏より天津水害義助会事務進行に関し、渋沢会長・副会長等と相談せし事項を詳細に報告し、次いて関係各府県知事に渋沢男爵の依頼状を発送すること、会長・副会長の名議を以て各関係地、商業会議所、並に各地方支那関係有力者に東京と同じく義助会を組織し、寄附金募集に従事せられんことを依頼する書面を発送することを承認す、其後渋沢会長出席せられ南満州鉄道会社に常務委員承諾の要求をなすこと、並に外務省及び内務省よりも関係地方府県知事に此の事に関し依頼せられんことを希望すること等を内談し、寄附金募集は如何なる方法に依るべきか、即ち一般募集によるか、或は縁故募集によるか並に寄附金割宛額、及び北海道・下関地方の商業会議所、支那関係者には如何なる方法を以て連絡を取るべきか等に就て研究し、結局此等の問題は更らに常務委員中より実行委員を撰ばれ相談することとし、午後五時半散会せり。
 実行委員は会長渋沢男爵より指名せらるることとなり、会長の指名左の如し。
   西村虎太郎  亀井陸朗   米田俊徳
   窪田文三   安川雄之助  加藤定吉
 尚ほ当日、三井の代表者有賀長文氏、三菱の代表者荘清次郎氏より各々一万円、大倉男爵代理門野重九郎氏より三千円の寄附申込あり、其他横浜正金銀行の七千五百円、日本郵船株式会社の七千五百円の寄附は概略確定することとなれり。
 十一月十二日、関西地方の支那関係有力者に対し天津水害義助会を組織し、寄附金を募集し協同賛同の求むるが為なり、依頼状を会長並に副会長の名議を以て発送す。
 拝啓、愈々御清穆奉大賀候、陳者天津地方に於ては未曾有なる大洪水あり、少なからさる我同胞と多くの支那人は是れか為めに悲惨なる窮境に陥り殆んと見るに忍ひさる次第に御座候、就ては此際我同胞を救ひ併せて同難の支那人を救済するは甚た必要なる事と存候と共に、特に其の救済を支那人に迄及ほすことは国際的信義の大道に依り日華親善を助長し、彼我の国民的和親を増進する所以なりと信し、平素支那と密接なる関係を有するものは奮つて此救済に当るへく決心し、当地に於ては天津水害義助会を組織し、大に救済資金を
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蒐集し罹災救護の任に当ることゝ致し、既に拾万円余の寄附金を受け申候、就ては有力なる貴下に於かれても此際此挙に御賛成下され御援助下され候はゝ、此救済のこと一層国民的となり日華の親善を計るに最も好都合と存候、而して是に関する一切の事務は御地商業会議所に於て取扱はるゝ事に相成居候に付、寄附金其他のこと同所に於て御承知下され、可然御賛同の栄を賜り度此段御願申上候
                          草々敬具
  大正六年十二月八日
            天津水害義助会長
               会長  男爵 渋沢栄一
               副会長    中野武営
               副会長    藤山雷太
          大阪市久原鉱業会社外三〇一
 又東京に於ては東京商業会議所自ら天津水害義助会一切の事務を取扱ふこととなしたるを以て、関西に於ても商業会議所中心となり、右事務を処理せられんことを依頼するの必要あり、名古屋・京都・大阪・神戸・博多の商業会議所に対し、左の依頼状を発送す。
 拝啓、愈々御清穆奉大賀候、陳者天津地方に於ては未曾有なる大洪水有之、少なからさる我同胞と多くの支那人は是れか為めに悲惨なる窮境に陥り殆んと見るに忍ひさる次第に御座候、就ては此の際我同胞を救ひ併せて同難の支那人を救済するは甚た必要なる事と存じ候と共に、特に其の救済を支那人に迄及ぼすことは国際的信義の大道に依り、日華親善を助長し彼我の国民的和親を増進する所以なりと信し候、依て平素支那と密接なる関係を有するものは奮つて此の救済に当るへく決心し、当地に於ては別紙の如き天津水害義助会を組織し大に救済資金を蒐集し、罹災救護の任に当ることゝ致し候、惟ふに御地に於ても支那と密接なる干係を有せらるる方々少なからさるへく、此の際此の挙に御賛成下され御地に於ても右様の義助会御組織下され御尽力下され候はゝ此の救済のこと一層国民的となり日支の親善を計るに最も好都合と存し候、何卒可然御取計ひ下され可相成早々其の実行の緒に付き候様、御賛同を得られ候はゝ幸甚之に過きすと存し候、不取敢得貴意度貴答を待ち申候 草々頓首
 尚ほ当地に於ては右一切の事務を東京商業会議所に於て取扱ふ事と致候、御地に於ても貴地商業会議所に於て右事務御処理下され当地と御提携下され候はゝ好都合と存し候、又右義助会の件に関し御地有力なる方々の御賛同を得度、別紙の諸君へ義助会会長並に副会長の名義を以て御尽力の程御依頼状差上候、併し御地には別紙の諸君以外尚ほ有力なる方々少なからすと存し候へ共、其の尊名忖度致し兼ね候、依て別紙の諸君以外の有力者には御地商業会議所より可然御取計ひ下され御尽力御依頼下され候様願度候、其の場合会長・副会長の依願状必要に有之候はゝ何時にても御送付可申上候
  大正六年十一月十二日
                   男爵 渋沢栄一
                      中野武営
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                      藤山雷太
    名古屋商業会議所 会頭  鈴木摠兵衛
    大阪商業会議所  副会頭 今西林三郎
    京都商業会議所  会頭  浜岡光哲   各通
    神戸商業会議所  会頭  田村新吉
    博多商業会議所  会頭  松永安左衛門
      ○常務実行委員会
 十一月十三日午前十時、東京商業会議所に於て常務実行委員会を開く、加藤定吉氏を除く外全部出席し、副会長藤山雷太氏、東京商業会議所書記長服部文四郎氏之に参加せり、而して北海道並に下関地方に於ける支那関係者には当該地商業会議所に依頼することとし、東京並に横浜に於ては少なくとも十万円寄附金を募集すべき予定なるを以て支那関係者を主とし、其の然らざる向々よりも相当金額の出資を求めざるべからず、其の金額並に其の依頼する方法に就て相談し、更らに渋沢男爵の指揮を受くることとし、正午過散会せり。
      ○常務実行委員会
 十一月十四日午前十時、東京商業会議所に於て天津水害義助会常務実行委員会を開く、当日は東商書記長より前日、渋沢男爵と会見の梗概を報告すべき筈なりしも、渋沢男爵多忙の為め終に面会すること能はず、同日、午前男爵自ら東京商業会議所に来会せらるる約なるにより其の来駕を待つ、然るに男爵再び多忙の為め来会不可能となりたるにより、出席委員に於て寄附金募集に就て相談し、渋沢男爵とは東商書記長服部文四郎氏会見し、其の結果を報告することと定め、十一時半散会。
当日、幸ひ大阪商業会議所副会頭稲畑勝太郎氏来訪せられたるにより天津水害義助会の東京に於ける状況を述べ、大阪に於ても大に尽力せられんことを望む、同氏之を諾せらる。
 出席者左の如し。
   西村虎太郎  米田俊徳  亀井陸朗
   安川雄之助  藤山雷太  服部文四郎
 午後男爵渋沢栄一氏会議所へ来駕、書記長服部文四郎氏と会見、各有力筋へ自身寄附金勧誘のことを承諾せられ、男爵自身又金壱千円の寄附金を申込まれ、下関・函館・小樽・札幌の商業会議所へ書面発送寄附勧誘状印刷のこと、並に十一月十六日正午、新聞社を帝国ホテルに招待し天津義助会のことを天下に発表することを承認せらる。
      ○新聞及通信社長招待会
 天津水害義助会、新聞社招待会を十一月十六日正午帝国ホテルに於て之を開く、出席者左の如し。
   主人側(○印出席)
 ○会長 男爵 渋沢栄一   ○副会長 中野武営
 ○副会長   藤山雷太
   常務委員
 ○井上準之助代  伊丹二郎    ○西村虎太郎
  星野錫  男爵 大倉喜八郎   ○小幡酉吉
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  加藤定吉   ○門野重九郎   ○亀井陸朗
 ○米田俊徳   ○窪田文三     山科礼蔵
  山本唯三郎  ○安田善三郎代  ○安川雄之助
 ○小松林蔵   ○有賀長文     皆川広量
  荘清次郎    杉原栄三郎
   賓客側(○印出席)
 ○報知   添田寿一君代  ○東京日々 本山彦一君代
 ○東京毎日 頼母木桂吉君代 ○東京朝日 上野理一君代
  東京毎夕 床次竹二郎君  ○万朝報 黒岩周六君代
 ○中外商業 簗田𨥆次郎君代 ○中央 吉植庄一郎君
 ○読売   本野英吉郎君代 ○やまと 松下勇三郎君代
 ○国民   徳富猪一郎君代 ○都 男爵 楠本正敏君代
  時事新報 福沢捨次郎君  ○世界 秋田清君代
 ○帝国通信 竹村良貞君代  ○日本電報通信 代
 ○自由通信      代   独立通信
 当日は渋沢男爵より天津地方の水害の甚しきこと、我同胞を救ふは勿論、其の救済を支那人迄及ぼすことは日支親善の最も具体的方法なる所以を述べられ、新聞社の強力なる援助を与へられんことを求められ、小幡外務省政務局長は天津水害の最近の情況、横浜正金銀行取締役小田切万寿之助氏は十月二十二日迄に於ける天津水害の目撃状況を述べられ、次いで各新聞社を代表したる吉植庄一郎氏は商業会議所前会頭、並に現会頭を始め実業界の有力者等が天津水害罹災者を救済せんと進んで其の任に当らるるは、是れ人類相愛の至情に基くは云ふ迄もなけれど、国際関係を至極円満ならしめるものにして国民外交の大成功なりと云はざるべからず、新聞社は其の誠意が一般国民に徹底する様十分の努力をすべしと誓はれ、散会せしは午後二時過なりき。
 尚ほ当日天津水害に就て明瞭となりしことは天津水害の範囲は百〇八県、其の中八十県最も甚しく罹災人員大凡三百万人、水深五尺に達し、此の儘結氷すとせば(例年十一月三日頃結氷)来春溶解の際は其の惨害更らに甚しく、家屋の基礎破壊せられ莫大なる損害を与ふべく結氷迄の排水は最も緊要事なりと、蓋し支那の洪水は日本の洪水が急性肺炎的なるに反し結核性肺病とも云ふべく、其の回復迄、二・三年を要するは普通にして時には十年を要するものあり、応急救済の外、治水借款の必要起るに至るべし、而して支那の県は大凡そ日本の郡に相当し、其の範囲は二千五百方里以上に達すべく最近五百万円の治水借款の交渉中なるも、其の実効を奏するには其の十倍を要すべしと。
      ○常務実行委員会
 十一月十九日天津水害義助会の実行委員会を東京商業会議所に於て開く。出席者、安川雄之助・米田俊徳・亀井陸朗・西村虎太郎及び東京商業会議所書記長服部文四郎の諸氏なり、寄附金勧誘に就て各々其分担を定め、早速取掛ることとせり。
      ○常務委員、評議員会
 十一月二十四日午前十時帝国ホテルに於て之を開く、会するもの左の如し。
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  当日は渋沢会長始め、常務委員出席し来会者に寄附金確定を乞ひ漸次其の金額を一定し申込を受くるに至れり、而して寄附金額も大凡そ予定金額に達するの見込付き、今日を以て第一回広告を新聞上に発表することを得るに至れり。
    ○印は出席者 (十一月二十四日帝国ホテル)
      天津水害義助会役員(イロハ順)
            ○会長  男爵 渋沢栄一
            ○副会長    中野武営
            ○副会長    藤山雷太
     常務委員
○井上準之助代小田切   伊丹二郎    ○西村虎太郎
 星野錫       男爵大倉喜八郎    小幡酉吉
 加藤定吉        門野重九郎   ○亀井陸朗
○米田俊徳       ○窪田文三     山科礼蔵
 山本唯三郎      ○安田善三郎代  ○安川雄之助
○小松林蔵       ○有賀長文代坂井  皆川広量
 荘清次郎        杉原栄三郎
    評議員
 稲茂登三郎       服部金太郎    橋本直一
 豊田〓吉       ○友成貞      大橋新太郎
 大村得太郎       大村彦太郎    岡田来吉
 奥田竹松        和田豊治    ○川村桃吾
○菅野盛次郎代藤田虎之助 米井源治郎    武内才吉
○相馬半治代谷井千次郎  根津嘉一郎    内藤彦一
○中根虎四郎       長峰与一    ○倉知鉄吉代春田茂躬
○馬越恭平代       前川太兵衛    前川久吉
 松方正雄       ○増田増蔵 工学博士古市公威
○古河虎之助代石井政吉 男爵近藤廉平    安部幸兵衛
 阿部吾市        荒井泰治     浅野総一郎
○桜井鉄太郎       美濃部俊吉    柴田清之助
 正田貞一郎       志立鉄次郎   ○白岩竜平
 下坂藤太郎       平賀精二郎    日比谷平左衛門
 守谷吾平        茂木総兵衛    関根親光
 角倉賀道        鈴木島吉