デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助
■綱文

第40巻 p.272-276(DK400088k) ページ画像

大正12年9月(1923年)

是月以降、関東大震火災ニ対シアメリカ合衆国及ビ其他ノ国ノ栄一ノ関係団体及ビ友人ヨリ、栄一ニ見舞及ビ災害救援ノ申出アリ。栄一其都度其厚意ヲ謝シ、希望ヲ回答ス。

72. 荘籙


■資料

(荘籙)書翰 渋沢栄一宛中華民国一二年一〇月九日(DK400088k-0001)
第40巻 p.273 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕竜門雑誌 第四二五号・第一五―一六頁大正一三年二月 ○国際共助精神の顕現 青淵先生(DK400088k-0002)
第40巻 p.273-275 ページ画像

竜門雑誌  第四二五号・第一五―一六頁大正一三年二月
    ○国際共助精神の顕現
                    青淵先生
   本篇は青淵先生談として国際聯盟協会発行のパンフレツト第三十八輯に掲載せるものなり。(編者識)
 我国の今度の大震災は火災の甚大なりし為め、その結果の悲惨なる事に於ては安政の大地震などの到底及ばざる所で、近世の世界歴史に
 - 第40巻 p.274 -ページ画像 
もこれ程の惨史は見ないと云はれてゐる。駸々乎として進みつゝあつた我国文化の上にどれ程の頓挫を来したかは殆ど量り知れない。実に遺憾の極みである。
 然しながら、どんな禍にも相当の償ひはあるものだが、今回の大災厄には如何に考へても補償し得る点はないやうに思はるゝけれども、然し世界の同情がかくまでに集中し来り、而して我国民も亦外国を了解し、国交の親善を増進しようとする心持が高まつて来た事は真に災厄中に於ける一つの収穫であらう。
 外国より同情と助力とを与へて呉れた実状は別項の説明にある通りである。何れの国々も朝野を挙げて寄附金の募集に努力してゐる。殊に支那は恰も排日運動を行つてゐた最中にも拘はらず、震災の報一度伝はるや、南北を通じ、昨日の排日論者は直ちに今日の義捐者となつた。実に思ひがけない変り方である。又米国は大統領クーリツヂ氏が九月三日早くも教書を発して日本震災に対する同情を表明し、米国民に日本救済寄附金の応募を宣伝するや、全米の同情翕然として集り、一千万円の予定額は既に千六百万円を算するに至つた。其他同国赤十字社及各種団体の活動に至つては自身の災厄のやうな真面目と努力とを以つて行はれた。寄附金以外の衣服・食糧品・建築材料等実に数ふるに苦しむのである。其他の諸国・英・仏・伊・白・印度等の遠隔の地にあるものも電報其他の慰問又は応分の資を送つて、我国民の不幸を援助せられたのは、実に到れり尽せりの感がある。私共は大震災によつて忘るべからざる感銘を植ゑつけられたが、此世界各国からの同情を知るに至つては、之と同じ程度の深い報謝の覚悟を持たねばならぬのである。私共は部分的には日支・日米の親善、総体的には国際の協調を企図し機会ある毎に微力ながら之が実現に努めて来た。私共の苦衷は、ある時は空想として一笑に附せられた事もあるけれども、私共は世界の進歩と共に各国互に援け合ふ時期の必ず到来する事を竪く信じてゐた。今回の震災は私共の理想の決して夢ではなく、私共の努力も亦決して徒爾ならざる事を立証して呉れたのである。
 世界は未だ完全なる平和の域に達して居らぬ。暗雲は時として此処彼処に低迷する、而も『人道』と云ふ大慈悲心は、人種の異ると国籍を別にするとを問はず、二つなきものである事を今度の我国の不幸が私共に明示して呉れたやうに思はれる。
 支那に、『禍を転じて福となす』と云ふ古語がある。之は禍に打克つて福を求めるの意であるが、この度のやうな場合は禍それ自身が福を齎したとも云ふべきであらう。
 今後国際の関係は一層親密を加ふる事必然である。私共は国際協調の理想の決して夢ではない事を確知して、将来尚更に努力と熱心とを以てその実現に尽す積りである。願はくは、国民挙つて一層努力したいものである。惟ふに、今回の外国からの種々なる救援は我国の精神的一大借金である。他日必ず之を返済する義務を思はねばならぬ。而して之が返済の義務は独り政府のみにない。日本国民全体の双肩にかかつてゐる。大震災の偶然の結果として、日本国民一般の頭の中に外国に対する理解が漸く形成せられんとしてゐる事は私共の頗る欣快と
 - 第40巻 p.275 -ページ画像 
する所であるが、願くはこの心を助長して国際協調の基礎を確立するやうに努めたいものである。之れ特に私が現在の為政者・教育者等の一考を煩したい要点である。



〔参考〕大正十二年関東大震災ニ対スル海外友邦震災救援状況 中華民国水災同情会編 昭和六年八月刊(DK400088k-0003)
第40巻 p.275 ページ画像

大正十二年関東大震災ニ対スル海外友邦震災救援状況中華民国水災同情会編
                       昭和六年八月刊
    大正十二年関東大震災ニ対スル海外友邦震災救援状況

 
 国別      義捐金        義捐品換算額      合計
                  円          円          円
 亜米利加合衆国 一五、一二八、六四七 一五、八〇一、八七〇 三〇、九三〇、五一七
 英吉利      四、三五七、四四六  一、四三二、六六〇  五、七九〇、一〇六
 中華民国     一、七一〇、三二四    八八九、四五〇  二、五九九、七七四
 仏蘭西        二七六、〇八八    一七五、三四〇    四五一、四二八
 和蘭         四二一、五九一      一、三二〇    四二二、九一一
 伯剌西爾        一二、二九三    二九三、九〇〇    三〇六、九一三
 白耳義        二一四、七九六     一四、〇〇〇    二二八、七九六
 秘露         一八八、三六四     一〇、五〇〇    一九八、八六四
 墨西哥        一三七、八五〇         ――    一三七、八五〇
 伊太利         四一、四六〇     四六、六八〇     八八、一四〇
 瑞典          五七、三四六     二八、六五〇     八五、九九六
 瑞西          三〇、六二四     三四、二五〇     六四、八七四
 亜爾然丁        六三、一五一         ――     六三、一五一
 暹羅          六一、五六二         ――     六一、五六二
 チエエツコスロバキア  二九、一〇〇         ――     二九、一〇〇
 国際聯盟        一〇、七八五     一〇、〇〇〇     二〇、七八五
  (在留邦人)
 智利          一七、八七八         ――     一七、八七八
 独逸          一五、八二一         ――     一五、八二一
 ボリビア        一〇、六八五         ――     一〇、六八五
 露領亜細亜       一〇、五八五         ――     一〇、五八五
 玖馬          一〇、四〇二         ――     一〇、四〇二
 波蘭           六、六九三         ――      六、六九三
 スペイン         四、九七九         ――      四、九七九
 ラトヴイア        四、三六八         ――      四、三六八
 巴奈馬          三、九五八         ――      三、九五八
 墺太利            一八六      二、五四〇      二、七二六
 ポルトガル        一、四二七         ――      一、四二七
 諾威           一、一七〇         ――      一、一七〇
 土耳古            一九四         ――        一九四
 羅馬尼亜            七五         ――         七五
  総計     二二、八二九、八九三 一八、七四一、一六〇 四一、五七一、〇五三




〔参考〕中外商業新報 第一三五一六号大正一二年一〇月二七日 震災と米国の同情(DK400088k-0004)
第40巻 p.275-276 ページ画像

中外商業新報  第一三五一六号大正一二年一〇月二七日
    震災と米国の同情
 米国の朝野が、今回の災害に当つて日本に示されたる同情は、われ
 - 第40巻 p.276 -ページ画像 
らの容易に忘れ得ざるところである。勿論日本の今回の惨事に対し深い厚意と援助を与へられたる国は、たゞに米国のみでなく、一度日本の惨害が伝はるや、国の東西を問はず、色の黒白を論ぜず、何れも心からの同情を表された次第であつて、われらの此人々に対する感謝に何等厚薄の相違がある理由はないのである。併し乍ら米国が一度立つや、巨万の義捐金は立ちどころに集まり、具体的援助方針は直ちになつた。われらは組織的にして、一糸乱れざる人道愛の表現を目撃して嘗て同じ迅速さと同じ力で、最後の幕に奮起して、人道のために独逸を破つた当時を回想し、此はち切れる程の力を蔵する新興の強者に対し、讚歎の声を惜まなかつた者である。
 米国の諺に「早く与ふる者は、二倍を与ふる者である」と云ふがある。米国は実際此諺の如くに活動した。大統領クーリツヂ氏は新聞電報により、即日国民の同情に訴ふると同時に、日本の近くにある米国東洋艦隊及び比律賓総督ウツヅ将軍《(マヽ)》に命じて、全力をあげて罹災民救助を命じ、且つ米国船舶局・赤十字社其他の団体と協力して、直ちに救済に着手し、此結果米国の救恤品は何れの国よりも早く、日本の被害地に到着したのである。たゞわれらが遺憾に思ふのは、日本側に於て此厚意を充分に利用し得なかつた事であるが、併し此事は毫末も米国の関しないことであつて、国民として米国に対し満腔の感謝を払ふに、何の妨げもない筈である。
 更にわれらが最も愉快に感ずるのは、米国人が人種的観念・国家的観念を超越して、一に人道的立場より行動した事である。平生日本人に対し必ずしも好意ありと見るを得なかつたハースト系の新聞が、其社説に於て「米国の最も迅速なる救助の行動は、真に心の底から出た情によつてのみ出来る事である。人種の問題や国家の問題は此際意味をなさない、もつと大きな人道の垣を破り、国家の境を撤廃したハートとハートの接触の問題である。一人も残る事なく此救済に努めよ」と叫んだ如きは、米国民の感情を知るに好個の例であつて、米国人が其深い人道的発奮によるに非ずんば、決して斯くの如き好成績を得るに難かつたであらう。
 斯くして米国人の日本に対する厚意は今や、日本国民の悉く知る所である。好意に依て繋がれる隣人間に紛争はない、華盛頓会議に依て親善的空気の醸成せられた両国の関係は、今回の挙があつて、従来の暗雲全く去り、将来益々親善を見るに違ひない。太平洋に面する此両国が今回の災害を機として、シツクリと相握手し得たとすれば、最悪なる惨害の副産物として、絶大の好収穫物と云はねばならぬ。
 最後にわれらは、在日米大使ウツヅ氏が、機宜に適したる努力と厚意を感謝する者である、同氏自身家を焼かれ、家族に負傷者を出だす程の混雑の中にありながら、本国に対し直ちに「日本国民百万の罹災者を救助するため、鑵詰の肉類・ミルク・小麦粉・衣類・鉄材・建築用木材等を、全米国挙つて給与するは最大急務である」と電報したる如きは、普通の官吏のよくなすを得ざるところ、われらは日本国民の名により米国政府と国民と、而してウツヅ大使に対し、心からなる感謝の意を表するものである。