デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
6節 国際災害援助
9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助
■綱文

第40巻 p.277-291(DK400089k) ページ画像

大正12年9月15日(1923年)

是日栄一、山崎ホノルル駐在総領事及ビ大山サン・フランシスコ駐在総領事宛ニ、関東大震火災ニ対スル、アメリカ合衆国側ノ援助方ニ就キ依頼状ヲ発ス。次イデ、サン・フランシスコ、シアトル、ロス・アンジェルス、ホノルル等ノ日本人会長・書記長、日本人商業会議所会頭・書記長ニ対シ、大震災善後会ニ救援費ノ寄付ヲ望ム。


■資料

渋沢栄一書翰控 山崎・大山両総領事宛 大正一二年九月一五日(DK400089k-0001)
第40巻 p.277 ページ画像

渋沢栄一書翰控  山崎・大山両総領事宛大正一二年九月一五日(渋沢子爵家所蔵)
 山崎ホノルヽ総領事殿
 大山桑港総領事殿   ○各通
拝啓、然ハ九月一日正午突発ノ東京・横浜及附近町村ニ於ケル大震災ニ引続キ連発シタル大火災ハ、東京市ノ七八分(最モ盛大ナル商工業ノ地域)ト横浜全市ヲ壊滅シテ一望荒涼タル砂漠ト変化セシメ候、小生ハ同時刻ハ日本橋ナル事務所ニ在リテ執務中此震災ニ際会シ、墜落スル煉瓦ノ裡ヨリ漸ク身ヲ以テ免カレ、家族並住宅モ亦幸ニ別条ナク経過スルコトヲ得候間御安意被下度候、東京市ノ損害高ニ付テハ未詳ニ候モ、米貨弐十五億弗ヲ下ラザルべシト被思候、目下一般ニ建築材料ニ付最モ欠乏ヲ感シツヽアリ候、乍併東京・横浜両市民ハ、此絶望的惨害ヲ蒙リタルモ毫モ落胆セス復旧ニ大勇気ヲ以テ努力シツヽアルコトヲ貴兄ニ御報告スルハ、小生ノ頗ル愉快トスル所ニ御座候
小生等ハ罹災者ノ救護ト市街ノ再建トニ極力努ムル為メ、大震災善後会ヲ組織シ日夜奔走致居候
将来両市ノ復旧ニ就テハ頗ル巨額ノ資金ヲ要シ、日本ノ市場ノミニテハ到底弁シ得ヘカラサルヲ以テ、或ハ米国市場ノ援助ヲ求ムルコトニ可相成カト思考致候、斯ル場合ニ際会致候節ハ何卒御援助被下度予メ懇願仕候
玆ニ封入致候書状ハ前記震災害ニ関スルモノニ御座候、御本省ノ注意ニ依リ一括貴方ヘ送附シテ御発送方願上候、御多忙ノ際恐縮ニ候ヘ共何卒御取計被下度希上候
先ハ御報知旁拝願申上度如此御座候 匆々敬具
                      渋沢栄一
  大正十二年九月十五日
 ○同封書状欠ク。


(藤井)電報 渋沢栄一宛一九二三年九月一四日(DK400089k-0002)
第40巻 p.277-278 ページ画像

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渋沢栄一電報控 藤井宛大正一二年九月一七日(DK400089k-0003)
第40巻 p.278 ページ画像

渋沢栄一電報控  藤井宛大正一二年九月一七日(渋沢子爵家所蔵)
 ロスアンゼルス
 日本領事館気付         大正十二年九月十七日
  藤井                子爵ニ御協議済
貴電拝見、御好意ヲ謝ス、御寄贈ハブランケツトヲ希望ス、但シ上等ノ必要ナシ、成ルべク多量ヲ望ム、東京商業会議所内大震災善後会宛送ラレタシ  渋沢
  ○渋沢子爵家所蔵ノローマ字電文控ニペン字ニテ「9/17/23」ト記入アリ。此日発信サレタルナラン。


(藤井)電報 渋沢栄一宛一九二三年九月二二日(DK400089k-0004)
第40巻 p.278 ページ画像

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(渡辺久克)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月一七日(DK400089k-0005)
第40巻 p.278-280 ページ画像

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渋沢栄一電報控 牛島謹爾・松見大八宛大正一二年九月二五日(DK400089k-0006)
第40巻 p.280 ページ画像

渋沢栄一電報控  牛島謹爾・松見大八宛大正一二年九月二五日
                      (渋沢子爵家所蔵)
               (別筆)
               大正十二年九月廿五日発信
大災害ニ付在米同胞及米国人ヨリ種々ノ寄贈アリ、貴方ニ於テモ其企アルカト思フガ、若シ然ラハ小生等発起ノ東京商業会議所内大震災善後会ニ寄附アリ度、御寄贈ハ現金又ハ毛布ヲ希望ス
   宛先
    桑港在米日本人会 牛島謹爾殿
    シアトル日本人会 松見大八殿 ○各通


(牛島謹爾)電報 渋沢栄一宛一九二三年一〇月一日(DK400089k-0007)
第40巻 p.280-281 ページ画像

(牛島謹爾)電報  渋沢栄一宛一九二三年一〇月一日
                      (渋沢子爵家所蔵)
Radio, Sanfrancisco,
                   Oct. 1, 1923
Shibusawa Eiichidono, Tokio.
Kidenhaisho gokenkowoshukusu tochihodoboyori genkinsan
 - 第40巻 p.281 -ページ画像 
juman doruoyobi buppin sanmandorunomono gaimushokeiyu shinsaikyugo jimukyokuni hassozumi ushijima zaibeinikkaicho
(右翻字)
                      (拾月壱日入手)
  渋沢栄一殿
                (桑港)
                在米日本人会々長 牛島
貴電拝誦、御健康を祝す、当地方同胞より現金参拾万弗及び物品参万弗のもの外務省経由震災救護事務局に発送済み


渋沢栄一電報 控 牛島謹爾宛大正一二年一〇月一日(DK400089k-0008)
第40巻 p.281 ページ画像

渋沢栄一電報 控  牛島謹爾宛大正一二年一〇月一日 (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆)
                   十月一日御一覧済
    電報
 サンフランシスコ日本人会
  牛島謹爾殿                  渋沢
二十五日発電報見たか、大震災善後会に付御高配を得べきや、返待つ


渋沢栄一電報 控 牛島謹爾宛大正一二年一〇月四日(DK400089k-0009)
第40巻 p.281 ページ画像

渋沢栄一電報 控  牛島謹爾宛大正一二年一〇月四日 (渋沢子爵家所蔵)
 桑港日本人会
  牛島謹爾殿               渋沢栄一
総領事ヲ経テ御申越ノ貴電了承、救護事務局ヘ送附ノ金品ハ三日電報シタル如ク、大震災善後会ヘ寄付変更ノ事異議ナケレハ救護事務局ヘ電報セヨ、当方ヨリモ交渉スヘシ
  大正十二年十月四日


(滝本為三)電報 渋沢栄一宛一九二三年一〇月五日(DK400089k-0010)
第40巻 p.281 ページ画像

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渋沢栄一電報 控 滝本為三宛大正一二年一〇月六日(DK400089k-0011)
第40巻 p.281-282 ページ画像

渋沢栄一電報 控  滝本為三宛大正一二年一〇月六日 (渋沢子爵家所蔵)
 桑港日本人会
  滝本殿                 渋沢栄一
拝誦 寄附変更急に運べぬ由なるが、牛島氏への電報の如く其性質上
 - 第40巻 p.282 -ページ画像 
小生等の発起且組織の善後会へ送附適当と思ふ、是非変更希望す、手続当方で遺憾なくする故心配あるな、至急返電請ふ
  大正十二年十月六日発信


(滝本為三)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月二二日(DK400089k-0012)
第40巻 p.282 ページ画像

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(牛島謹爾)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月一七日(DK400089k-0013)
第40巻 p.282-283 ページ画像

(牛島謹爾)書翰  渋沢栄一宛大正一二年一〇月一七日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一墨書)
                  十一月四日落手一覧
                  (別筆)
                  十二月十五日返事済
 子爵
  渋沢青淵閣下
   大正十二年十月十七日         牛島謹爾
謹啓、爾来打絶御伺不申上候処、昨今錦地震災ニ而京浜方面多大損害ニ被罹候よし、此地よりも大ニ御同情之念禁し難く何とも申上よう無之次第ニ御座候、乍又安政二年九月一日震災を再びせる次第ニ御座候実は直ニ御見舞申上度大ニ狼狽せしも電信打附られ不申、其中ニ子爵圧死せられたる不幸報知さえ新聞ニ相見、心窃ニ驚愕せしも其明日直ニ打消され、是ニテ一先安心致候、昨今東京手紙報知参申候故不取敢玆ニ子爵幸ニ御健在を祝着する為め一書拝呈仕候
在米日本人会は卒先して、大山総領事を会長に戴き各種人を網羅して義捐金募集ニ取掛申候、三十万弗を送金せし跡より、電文ニテ子爵より御指定の場所ニ転交するようニとのことニ御座候、其時地方代表者と色々評議せしも、どうも此代表者が義損金を左右する権利を所持不
 - 第40巻 p.283 -ページ画像 
致とのことニ決着仕候、若夫此際如此事を少数代表者が決意してハどうも義捐者の心事をどうなるやとの掛念相生し、乍此上風波を生する恐れ無之とも限られず候、よつて其儘ニいたすことニ決着いたし申候どうも衆に嗷ニ一大面倒相生するの恐有之候故ニ其儘ニいたし度奉願候
勿謂募金第一着ニ於而子爵ニ御贈金申上ると申せバよかりしならんかなれ共、左様なる条件なかりしは大遺憾之至ニ候、此辺幾重ニも御斟酌被下度折入つて奉願候
殊ニ当日本人会は彼の如く毎々子爵ニ御面倒を相掛しにも不係、今回貴需ニ応ぜすとせバ如何被思召やとも被存候得共、此間事情よく御高察被下度奉願候
貴下御一同災害御免られ申候由大ニ喜居候、孰れとも子爵御健在所祈ニ御座候 頓首


(牛島謹爾)電報 渋沢栄一宛一九二三年一〇月一九日(DK400089k-0014)
第40巻 p.283 ページ画像

(牛島謹爾)電報  渋沢栄一宛一九二三年一〇月一九日
                   (渋沢子爵家所蔵)
Radio, Sanfrancisco,
                    Oct. 19, 1923
Viscount Shibusawaeiichi, Tokio.
Kiiwotaishi kyusai jimukyoku niyokyukatafukano riyuushomende ushijima
(右翻字)
                   十月十九日御一覧
貴意ヲ体シ臨時震災救護事務局ニ要求方不可能、理由書面ニテ
                         牛島
   渋沢子爵閣下
                      十月十九日入手


渋沢栄一書翰 控 渡辺久克宛大正一二年一〇月三〇日(DK400089k-0015)
第40巻 p.283-284 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  渡辺久克宛大正一二年一〇月三〇日 (渋沢子爵家所蔵)
 桑港日本人商業会議所
  書記長 渡辺久克様
                    東京
                      渋沢栄一
拝啓、爾来御疎遠ト相成候処益御清適奉賀上候、然ハ去九月一日当地大震大災ニ付キ、貴会議所ヲ代表シテ御懇切ノ御見舞状ヲ寄セラレ御厚情深謝仕候、当日小生ハ、日本橋区ノ小生事務所ニ出勤執務中、突如激震ニ遭遇致候モ幸ニ微傷スラ負フ処無ク、大破ノ同建物中ヨリ避難致候、翌日ヨリ同志ト共ニ帝都ノ復興及羅災者救護ノ為メ聊カ微力ヲ尽シ居候事ハ、真ニ天祐ト可申義ト悦居候
右事務所ハ其夜類焼ノ厄ニ遇ヒ候モ、住宅ハ多少ノ震害ヲ蒙リシノミニテ類焼ヲ免カレ、家族一同無事ニ経過致候間何卒御安心被下度候
今回ノ災害ニ対シ米国官民共同ノ厚キ御同情ハ、日本朝野ヲ挙ケテ感銘致居候次第ニシテ、其義捐金品ハ既ニ到着シテ罹災者一同恩恵ニ浴シ居候、今度ノ尊書ニ依リテ、米国人ガ他国ニ先ンジテ如何ニモ熱心
 - 第40巻 p.284 -ページ画像 
ニ衷心ヨリ同情ヲ寄セラレシコトヲ承知致、其友誼ノ厚キニ感激仕候義ニ御座候、特ニワーレス・アレキサンダー氏ハ仏国旅行中ナルニモ不拘、旅費ノ内ヲ割イテ金五千弗ヲ義捐シタルニ不止、白身ノ砂糖会社ヲシテ金壱万弗ヲ寄附スル様電報シ来リシ由、何時モナガラ同氏ノ我国民ニ対スル厚キ友情ニ対シテハ感謝ノ外無之候次第ニ御座候、又米国各地在留同胞ニ於テモ、近年不振ノ境遇ニ在ラルヽニ不拘、痛ク母国ノ惨害ニ同情シテ自已ノ不便不利ヲ忍ヒ、只管義捐金ノ醵出ニ努メ多大ノ金品ヲ寄与セラレシハ、之又母国民ノ忘却スベカラザル事項ト感謝致居候
従来排日ヲ以テ有名ナリシエキザミナー紙ヲ始メ、其他ノ排日新聞紙モ亦挙ツテ今回ノ大震災以来絶対ニ排日記事ヲ止メ、連日同情ノ記事ヲ掲載致居候趣、其国際的友誼ノ敦厚ナル誠ニ敬服ノ外無之候、真ニ今回ノ米国民全体ノ同情ハ我国民全部ノ脳裡ニ非常ノ好印象ヲ与ヘ、将来両国親善ノ上ニ必ス重大ナル好影響ヲ与フルナラント深ク期待致居候
先ハ乍延引尊翰御受旁申上度匆々如此御座候 敬具
  大正十二年十月三十日


(渡辺久克)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月三〇日(DK400089k-0016)
第40巻 p.284-285 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 渡辺久克宛大正一二年一二月一九日(DK400089k-0017)
第40巻 p.285-286 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  渡辺久克宛大正一二年一二月一九日 (渋沢子爵家所蔵)
 桑港日本人商業会議所
  渡辺久克殿
拝啓、時下益御清適奉賀候、老生モ幸ニ健全、聊カナリト為邦家貢献スル所アラント努力致居候、御安心被下度候、扨去十月三十日付貴書落手拝見致候、今般ノ当地震災被害者ニ対シテハ厚キ御同情ヲ払ハレ貴地同胞ヨリ多大ノ義捐金ヲ募集シテ我政府ニ御寄送被下候段誠ニ難有感謝ノ至ニ御座候、実ハ小生等民間有志ニ於テモ自已ノ被害等ヲ省ミル遑モナク、罹災者ノ救護ト経済ノ復興トヲ目的トシタル大震災善後会ナルモノヲ設ケ、広ク義捐金ヲ募集シテ其目的ノ達成ニ努メ居候ニ付、貴地同胞ノ義捐金モ之ヲ同会ニ御寄送ヲ受クルコトヲ得ハ幸甚ナリト、先キニ牛島日本人会長ニ電請致候処、其後山科氏(同会副会長)宛尊書ニ依リ、政府ニ寄送セラレタル貴方寄附金品ハ同会ニ御寄送ノ希望ナリシ様承知致候ニ付、山科氏ト協議ノ上、貴方ヨリ我政府ニ電報シテ之ヲ転交セラレタシト打電シタル次第ニ候処、貴方ニ於テハ募集当時政府ニ送附スル旨一般ニ了解セシメタルノミナラズ、電報貴着ノ際ハ、金品ノ大部分ヲ政府ニ送附シ其処置ヲ任シタル後ナリシカハ、貴方ヨリ政府ニ転交ノ交渉難致旨御返電ニ接シ、委曲了承致シ候
 - 第40巻 p.286 -ページ画像 
右ハ老生ニ於テ同会ノ効果ヲ大ナラシメントノ婆心ヨリ、義捐金募集ノ局ニ当リシ各位ニ格別ノ御心配ヲ御掛ケ致候事ヲ謝スルト同時ニ、貴下ガ小生ノ希望ニ添ハント努メラレタル厚キ御配慮ヲ探ク感謝致候
                           敬具
                      渋沢栄一
  大正十二年十二月十九日


(毛利伊賀)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月一二日(DK400089k-0018)
第40巻 p.286 ページ画像

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(原田助)書翰 渋沢栄一宛大正一二年九月二五日(DK400089k-0019)
第40巻 p.286 ページ画像

(原田助)書翰  渋沢栄一宛大正一二年九月二五日 (渋沢子爵家所蔵)
                    (栄一墨書)
                    十月十九日一覧
               九月廿五日、ホノルルヨリ
                      原田助
 東京
  渋沢子爵閣下
粛啓、錦地及横浜地方大震災ノ報ニ接シ、驚嘆之至ニ奉存候、閣下ニハ御安泰ノ由新聞ニテ拝承、御家族様御同様ノ事ト奉存候、慶賀此事ニ奉存候
当島ニ於テモ同胞匆々母国救援会ヲ組織シ、募金ニ着手致候処、今日迄三十余万弗ニ達シ、米人側ノ寄付弐十六万弗ト併セテ、殆ド六十万弗ニ相達シ申候、此際ニ於ケル米国官民ノ我国ニ対スル義侠同情ニ至リテハ、実ニ感嘆ノ外無之候、就テハ今回ノ不幸之為メ、日米関係上ニハ好影響ヲ及ボシ候事ト存居申候
何卒国家多難ノ際、切ニ閣下ノ御健康ヲ奉祈候
○下略
  ○原田助ヨリノ十月十日付栄一宛書翰ハ震災ニ関係ナシ。略ス。


渋沢栄一書翰 控 原田助宛大正一二年一〇月三〇日(DK400089k-0020)
第40巻 p.286-287 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  原田助宛大正一二年一〇月三〇日 (渋沢子爵家所蔵)
                      渋沢栄一
  原田助様
 - 第40巻 p.287 -ページ画像 
拝啓、其後御無音ニ相成候処益御清適之段賀上申候、然ハ ○中略 九月廿五日及十月十日付貴書、両通孰レモ延着致候得共、正ニ落手尊示之趣逐一了承仕候
○中略
去九月一日ノ東京・横浜・静岡・千葉、其他近県ノ町村ヲ襲ヒタル大震火災ニ付キ、御懇切ノ御見舞難有御礼申上候、当日小生ハ日本橋区兜町ノ事務所ニ出勤執務中突如激震ニ遭遇致候モ、幸ニ避難無事ナルコトヲ得、殊ニ天祐ノ致ス処ト悦居候、同事務所ハ同日夜延焼全建物ハ書類全部ト共ニ烏有ニ帰シ候モ、飛鳥山拙宅ハ幸ニ延焼ヲ免カレ、家族モ一同無事経過致候間御安心被下度候、今回ノ震火災ニ対シ貴地ニ於ケル同胞ハ急遽義捐金ヲ募集シ、又米国人ニ於テモ深厚ナル同情ヲ以テ巨多ノ金品ヲ寄与セラレシハ、我国民ノ挙ツテ感激致居候次第ニテ、他外国ニ卒先シテ表示セラレタル米国民ノ態度ハ心神沮喪セル罹災者ニ甚大ノ勇気ヲ与ヘ、其災害復旧ヲ助張シタル処尠少ナラズ候先ハ乍延引尊書御受旁申上度 匆々敬具
(欄外記事)
 [大正十二年十月三十日


(尾崎三七)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一〇月一日(DK400089k-0021)
第40巻 p.287 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 控 尾崎三七宛大正一二年一〇月三〇日(DK400089k-0022)
第40巻 p.287-288 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  尾崎三七宛大正一二年一〇月三〇日 (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.288 -ページ画像 
 ホノルヽ日本人商業会議所
  会頭 尾崎三七様
拝啓、其後御疎遠ニ相成候処益御清適奉賀候、然ハ去九月一日当地大震火災ニ付、貴会議所ヲ代表シテ御懇切ノ御見舞状ヲ寄セラレ、御厚情深謝仕候、当日小生ハ日本橋所在小生事務処ニ出勤執務中突如激震ニ遭遇致候モ、幸ニ微傷スラ負フ処ナク、大破ノ同建物中ヨリ避難シ翌日ヨリ同志ト共ニ災害地ノ復興及罹災者救助ノ為メ聊カ微力ヲ尽シ居候、右事務所ハ同夜類焼ノ厄ニ遇被候モ、住宅ハ多少ノ震害ヲ蒙リシノミニテ類焼ヲ免カレ、家族一同モ亦無事経過致候間、御安心被下度候
今回ノ災害ニ対シ、貴地在住同胞ガ自已ノ不利不便ヲ不省専念義捐金ノ醵集ニ努メ、又米国民ガ自已国民ノ罹災者ニ対スルト均シキ同情ヲ以テ、多大ノ金品ヲ義捐セラレタルハ、日本官民ノ挙ツテ感激致居候次第ニテ、此等御同情ハ正ニ心神沮喪セル罹災者ニ甚大ノ勇気ヲ与ヘ其災害復旧ニ裨益スル処尠少ナラスト、深ク感謝致居候
先ハ乍延引御礼申上度匆々如此御座候 敬具
                      渋沢栄一
(欄外記事)
 [大正十二年十月三十日


(山室軍平)書翰 渋沢栄一宛大正一三年一〇月一三日(DK400089k-0023)
第40巻 p.288-289 ページ画像

(山室軍平)書翰  渋沢栄一宛大正一三年一〇月一三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
            (別筆朱書)
            大正十三年十月十三日 山室軍平氏来状
粛啓
秋冷之候益々御健勝奉恭賀候、陳者不日在米日本人会滝本書記長・南加中央日本人会湯浅会長・羅府日本人会藤井会長等近々帰朝之由承り居候処、定めし日米問題に関し閣下を御訪問申上られ候事と存じ、自分勝手の儀に就き是非御含み置を願上度候ハ、昨年之震災に対する在米日本人救世軍之活躍の事に御座候、其の大体ハ別紙に相認め置候通に有之、即ち
 第一、男女九人より成れる救護班の派遣
 第二、数万円に値すへき物資の寄贈
 第三、在倫敦救世軍万国本営を通じて金弐万弗の寄贈
右は其の大要に候、もとより其の背後に沿岸在住日本人之多大の同情を控へ居る事ハ申す迄も無之、而して右等の援助が其の当時我が罹災者救護之上に如何に大なる便宜を与へたるかハ真に言語之能く尽す処ニあらず候
唯私共の不敏なる、それに対して如何に在沿岸日本人諸君に謝意を表白すべきかを知らず、其の点に尽し足らざる為に、或ハ在沿岸同胞之中、彼地日本人救世軍に対し若干物足らざる感を有し居らるゝ向もあるやに伝聞致し、甚だ遺憾に堪不申候、就てハ甚だ身勝手極まる御願に御座候得共、右滝本・湯浅・藤井等の諸氏と御会見之場合、何か好き機会も有之候節一言にても、沿岸同胞之彼地日本人救世軍を通じてなされたる多大の貢献に言及被成下候はゞ、真に此の上もなき仕合之
 - 第40巻 p.289 -ページ画像 
至に有之、甚だ乍御無礼右一寸以書中奉懇願候、御祝福を奉祈上候
                           敬具
  大正十三年十月十三日
                     山室軍平
    渋沢子爵閣下
 ○別紙欠ク。尚、滝本帰朝ニツイテハ、本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十三年十月二十九日ノ条参照。


(堀越善重郎)書翰 渋沢栄一宛大正一二年一一月二三日(DK400089k-0024)
第40巻 p.289-290 ページ画像

(堀越善重郎)書翰  渋沢栄一宛大正一二年一一月二三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
  大正十二年十一月廿三日、エンプレツス・ヲブ・エシア号便
 子爵 渋沢栄一閣下
粛呈、時下漸々寒気相加り候処益々御健勝ニ被為渡候御事と奉遥賀候陳は小生等去十月十八日横浜出帆以来、幸にも海上静穏恰も内海を航するか如く、十七日間の行程一日も暴風怒濤の災なく、滞京中殆んと毎日の如く震動を受けし我等は今海上にありて此静粛なる生活を享有する誠ニ奇異之感を起し申候、又去四日桑港到着後は日々天気晴朗到る所の山河靄然として秋色を帯ひ、満目の草木錦を呈して媚を争ひ其美観筆紙に尽し難く、蓋し天自ら大震災ニ遭遇せる罹災民の衷情を憐み、之を慰むるものあるに非さる哉の心地を以て、甚た愉快ニ旅を終り、去十日無事此地紐育に到着仕候間、乍余事何卒御休神破成下度奉願上候
顧みて故国の形勢を思ひは、今や我同胞は復旧事業ニ忙殺せられ、特に 閣下の如き御高齢を擁して挺身塵埃の内ニ御奔走被遊、上は国事の大より下、細民の救恤に至る迄彼是御配慮被遊、日も猶ほ足らさるに、後進の小生は微力何の為す所なく此国家多難之際、遠く海外ニありて安全の地に起臥し、涓滴も故国に尽くす所なきは誠ニ慙愧之至ニ不堪候
一去十五日「ジヤツヂ・ゲーリー」ニ面会、過般の震災ニ際して米国より実ニ望外の同情を以て、二千万弗以上三千万弗ニも垂んとする巨額の金品を我罹災民の為ニ給与せられたるは、蓋し貴下を御始として子爵の新旧知己が卒先して其声援を与たる賜なるべきを思ひ、子爵は之を多として、常ニ貴下及ひ在米友人諸氏に深く感謝しつゝある旨を申述候処、「ジヤツヂ」曰く、我々は唯多少の出金を為したるに止るも、子爵か老齢を以て此大難を双肩に荷ひ国事に奔走せらるゝを思ふて、誠ニ気の毒に堪へさる次第なりと申居られ候、同氏は閣下の如く多忙ならさるも、常ニ公私の事ニ関与して寸暇とてもあらさるに、同日は小生及荊妻を御招被下午餐を饗せられ、食事中小生等の私事より災害の大小及ひ罹災民の状態等巨細に聞く所ありし故、予而出発前拝顔之折賜りし、震災救護局の報告書を一読し其記憶ニより一々拝答仕候
一「ヴアンダリツプ」氏ニも面会、前同様の事を叙して子爵よりの感謝を申述候処、同氏曰く実は余当時加州ニあり、最近帰来せり、帰着早々金五千弗を閣下の御座右ニ致して其処分方を御依頼せり、
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君(小生)の日本出発迄ニは未た到著せさりしなるへしと申居られ候、同氏の我震災ニ関する経済上の意見なるもの内外の新聞ニ現れ玆ニ邦字新聞ニ其大要を訳せるもの封入仕候間、御寸暇之折御高覧の栄を賜らは幸栄之至ニ奉存候
一「ヘンリー・タフト」氏は御承知の如く日本協会《ジヤパン・ソサイチー》の会頭ニて、同会よりの例の拾万弗を送りし主任者なりし故、此又右同様 子爵閣下か深く其厚意を感謝しつゝある旨を申上候処、同氏曰く、東京の日米協会宛ニ此地日本協会の拠金を送りしが如何なる処分ニ出しやと問ひし故、日米協会は臨時会を招集して其使用方法を討議し、其議決により 徳川公及ひ子爵閣下の主宰する臨時震災善後救済会ニ引渡して其処分を依頼せりと申候処、其処分の妥当なるを喜居られ申候
一右の同情ニ反し、近時我同胞ニ対する大審院の判決は頗る冷酷なるものにして、是に依り邦人に対する農業の権利を悉く剥奪せるものニ御座候も、幸ニも今や日系米国生の子孫あれは、之れにより従来の事業は継続せらるへく誠ニ危険千万の事ニ御座候、委細は同封の邦字新聞切抜ニて御高覧奉願上候
乍例不文悪筆御海恕奉仰候 恐惶頓首
                     在紐育
                        善重郎
  ○右同封新聞切抜ノウチ、ヴァンダーリップ談ハ次掲、他ハ略ス。


紐育新報 大正一二年一一月一七日 日本の経済復興力 敢て悲観することは要らぬ 前ナシヨナル銀行頭取 フランク・ヴアンダーリツプ氏(DK400089k-0025)
第40巻 p.290-291 ページ画像

紐育新報  大正一二年一一月一七日
   日本の経済復興力
     敢て悲観することは要らぬ
        前ナシヨナル銀行頭取 フランク・ヴアンダーリツプ氏
 日本今回の震災は正に歴史未曾有の出来事には相違なしとするも、これを経済眼に照し左程の不幸であるかは疑はざるを得ぬ。勿謂これを人類愛より観るなれば多数国民の死傷は悲惨なる出来事であるが、
 経済的立場 から観察すると其損失は決して莫額ではない、日本の人口は常に増進しつゝある、故に人力の点に於て日本は頗る豊富であり、これを戦争の場合に比較すると戦死者の多くは壮丁であるが、今度の場合は経済的立場から観察して其の人口中の最も貧しく且つ薄弱なる方面、即ち老人・子供・婦人が多くを占めて居たのである、殊に今回の震災地である京浜は生産的人口に依りて占められず、寧ろ消費的人口より成り、政府及諸取引の政治的中心であつて、この方面の労働力も農業の生産業地方よりは斯る場合にはより容易く求むることが出来る、若し今回の地震が
 大阪や九州 の如き産業的区域に及ぼして居たなれば、蓋し其の蒙る打撃は甚大であつたに相違ない、殊に斯る場合に最も重要なるものは信用であるが、日本がこの未曾有の大災厄に対して敢て乱れず勇気と技柄《(倆)》を以て面接したことは、世界の凡ゆる同情を博したる所以であつて、私はこの点に於て日本は其の失つたものを回収して居るのでは
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あるまいかと考へる。日本の信用は精神的にも、経済的にも、財政的にも従来に比較して鞏固たる可き筈である、余の受けたる印象は曾て世人が想像した程の巨額な外債を求めないだらうといふことであつて一日本人銀行家は
 京浜の復興 の大部分を日本人に依りて為したいことは識者の要望する所であると語つたが、余も亦この希望には同感であつて、日本は恐らく最も緊張した心持と先見の明を以て復興事業に当るであらうと信ずる。日本人は由来先進者の教へを深く学んでこれを利用し、自已の発達に資する国民である、故に今回の復興に就ても恐らく世界各国の技術的智識を蒐集して努力するであらうが、玆に最も我等の日本に対して望むものは、復興事業を徐進的とすることであつて、玆二・三年を一時的復興とするなれは、啻により美しい都市を建築し得るのみならず、これに依りて現下の一時的
 財政負担を 回避し得ると共に其の復興期間に亘る財政々務をより容易に行ひ得る訳であつて、徐進的復興の下に政府は約一億万弗宛程度の支出を適当とする。若しそれ日本にして海外に信用貸附を求むるとすれば、諸外国が何時たり共協同するに至るべきは余の確信する所であつて、世界を通じて日本の如き満足す可き市場なしとは米国製造業者の一斉に叫ぶ所であり、小取引に至つては日本と我国を論ぜず多少非難する点ありとするも、日本人の如き商業道徳心強き国民は他に比類を見ない所である、故に我国は啻に銀行のみならず鉄其他製造品等に対しても最も自由なる
 信用貸附を なす可きであつて、日本の銀行信用に至りては在外正貨の多くを我国に置き、大蔵省券の大なる購買者であり、何等非難す可き余地なく、今回の震災は永久的ならずとするも或る期間中の就動力を刺戟し、日本の全産業は却て活気を呈するに至るものと信ずる。今回の復興に対する負担は勿論個人の努力と政府の適当なる援助に俟つの外はないが、日本銀行の現金は六十億弗を示し、日本の課税平均は至つて低く、国民の納税能力も低いが、余は富豪階級に対する附加税制定の如き国家の歳入を頗る増進せしめると信ずる者である。