デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
1款 日米交換教授
■綱文

第40巻 p.336-341(DK400103k) ページ画像

大正8年3月17日(1919年)

是日栄一、日米交換教授トシテ来日セルコロンビア大学教授ジョン・デューイ及ビ栄一ノ勧メニヨリ近ク渡仏セントスル姉崎正治ノ迎送宴ヲ東京銀行倶楽部ニ催ス。栄一病気ノタメ阪谷芳郎代理ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK400103k-0001)
第40巻 p.336-337 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年       (渋沢子爵家所蔵)
三月二日
○上略
三月一日ヨリ四月三十日迄ノ日誌ハ、前記ノ如ク大患ニ罹リシ為メ詳悉スルヲ得ス、依テ病間殊ニ記憶スルモノヲ左ニ記載シテ他日ノ参考ニ供スト云爾
○中略
十日ハ曾テ渡来セルジユエー博士ノ歓迎会、姉崎博士近ク仏国ヘ渡航ニ付其送別ノ宴ヲ開催ノ筈ナリシモ、病中ニ付延期シ来ル十七日ト定
 - 第40巻 p.337 -ページ画像 
メタリ、蓋シ其頃ニ至リナバ病モ快方ト予期セシモ、終ニ当日モ出席スルヲ得ザリキ
十七日阪谷男爵・姉崎博士来話、蓋シ当日ハジユエー博士ノ歓迎ト送別トノ宴会ニ付、阪谷男ニハ余ニ代リテ来賓ニ接伴シ饗応ニ尽力セラレン事ヲ請ヒ、姉崎博士ニハ渡仏後ノ注意ニ付平日ノ企望ヲ陳述ス、時ニ病未タ愈ヘス苦悶強クシテ談話意ノ如クナラス、幾回トナク氷片ヲ以テ口中ヲ潤シテ漸ク意見ノ幾分ヲ述ルヲ得タルナリ、而シテ其為メ熱度五・六分ヲ増シタルヲ見レハ、如何ニ其日ノ談話ノ苦痛ナリシヤヲ知ルヲ得ヘシ
二十三日姉崎博士再ヒ来リテ明日発足ノ由ヲ告ケラル、依テ我カ使節及随行ノ人士ヘノ伝語又ハ米国及英仏ナル知人ヘノ音信等ヲ托ス
○下略
  ○栄一、是年三月一日ヨリ四月末ニ至ル間、流行性感冒ニヨリ病床ニアリ。


(阪谷芳郎)大日本平和協会日記 大正八年(DK400103k-0002)
第40巻 p.337 ページ画像

(阪谷芳郎)大日本平和協会日記  大正八年
                     (阪谷子爵家所蔵)
○八年三月十七日、銀行クラフニテ、姉崎博士仏国行送別(渋沢男代理)、外仏国代理大使モーグル氏、ジユエイ氏、ナカゴ、島津岬氏等


竜門雑誌 第三七一号・第五三―五四頁 大正八年四月 ○デユイ・姉崎両博士迎送宴(DK400103k-0003)
第40巻 p.337 ページ画像

竜門雑誌  第三七一号・第五三―五四頁 大正八年四月
○デユイ・姉崎両博士迎送宴 青淵先生には三月十日飛鳥山邸に於て今般来朝せるデユイ博士及び渡仏の途に上るべき姉崎博士の迎送宴を催さるゝ筈の処、病気の為め延引したるも、姉崎博士の発程期切迫せるに依り、且つ先生の其後の容態は日増快方に赴かるゝも、未だ集会に出席せらるゝこと覚束なきより、玆に阪谷男爵を代理として同十七日午後三時より東京銀行倶楽部に於て清宴を催されたるが、当日は特に先生の希望により姉崎博士と諸氏との意見交換、及びデユイ博士の日米問題に関する懇談ありたる由なり。
 因に当日出席せられたる諸氏は左の如し
    △主賓
 ジヨン・デユイ氏   姉崎正治氏
    △陪賓
 モーグラ氏(仏国駐箚大使代理)ダンピエル氏(同大使館書記官)
 島津岬氏     麻生正蔵氏     井上哲次郎氏
 浮田和民氏    小川䤡吉氏     小野英二郎氏
 中島久万吉男   島田三郎氏     服部宇之吉氏
 穂積重遠氏    水野錬太郎氏    宮岡恒次郎氏
 山田三良氏    吉田静致氏     友枝高彦氏
    △主人側
 阪谷男爵     増田明六氏
  ○本資料第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正八年二月二十一日ノ条参照。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正八年(DK400103k-0004)
第40巻 p.337-338 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年       (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.338 -ページ画像 
一月四日 快晴 寒
(欄外)
阪谷氏ト電話シテ明後六日ノ午後会合ノ事ヲ約ス、姉崎氏トモ同シク電話ス
○下略
  ○中略。
一月六日 快晴 寒
○上略 午後三時兜町事務所ニ抵リ○中略 午後四時ヨリ阪谷・添田・姉崎・成瀬ノ四氏来リテ、講和会議ニ関シテ思想界ヨリ代表的ノ人物派遣ノ事ニ付種々ノ協議ヲ為シ、姉崎博士出張ノ事ヲ勧誘ス、夜飧後尚上来ノ談話ヲ継続シ略姉崎氏ノ同意ヲ得、依テ明日西園寺侯ニ面会シテ右ニ関スル便宜ヲ謀ル事ヲ約ス、夜十時頃一同散会○下略
一月七日 晴 寒
○上略 十一時永田町首相官邸ニ西園寺侯ヲ訪ヘ成瀬仁蔵氏ト共ニ面会シ姉崎氏仏国行ノ事ヲ告ケ其趣旨ヲ陳フ、同侯モ頗ル同情ノ回答アリ、後外務省ニ抵リ埴原氏ニ会見シテ大臣ヘノ伝言ヲ托ス○下略
  ○中略。
二月十二日 晴 寒
○上略 午前九時中央停車場ニ抵リ○中略 兜町事務所ニ抵リ○中略 二時過小野氏、デユエー教師ト共ニ来訪ス、種々ノ哲理談アリ○下略



〔参考〕渋沢栄一書翰 姉崎正治宛 (大正八年)二月二一日(DK400103k-0005)
第40巻 p.338 ページ画像

渋沢栄一書翰  姉崎正治宛 (大正八年)二月二一日 (姉崎正治氏所蔵)
  博士之夫人ハ老生より今夕劇場へ案内いたし候筈ニて、親戚之もの案内方申付置候、乍序申添候
拝啓、益御清適奉賀候、過日ハ尊翰御恵投被下候処折節小生も微恙にて今以て籠居罷在候、実ハ本夕之帰一協会ニハ是非とも出席之積ニて其際ニ緩々御打合申上候心得之処、朝来少しく熱気有之、家人より切ニ外出を抑止せられ終ニ欠席仕候、就而ハデユエー博士之歓迎及其講演ハ賢台ニ於て百事可然御高配可被下候
拙宅ニ同博士招宴之事ハ賢台之御送別と同時ニ開宴いたし度候、而して其時日ハ本月二十六・七日頃ニ致度候間賢台と博士之都合御示し被下度候
賢台御出発ハ来月八日と御決定ニ候哉、郵船雑沓之由ニ付一日も早く御取極相成船室之用意専一ニ候、右ニ付而も老生之添書必要ニ候ハヽ増田ニ申談し精々会社へ依頼可仕候、又御旅装等ニ付而ハ兼而御内話いたし候如く手配相整居候ニ付、何時も増田へ御申聞御落手可被下候呉々も今夕之不参ハ残懐之至ニ候得共、博士及来会之諸君へ宜敷御伝声被下度候、右申上度如此御坐候 敬具
  二月二十一日
                      渋沢栄一
    姉崎正治様
        梧下



〔参考〕渋沢栄一書翰 アルベール・カーン宛 一九一九年三月二四日(DK400103k-0006)
第40巻 p.338-339 ページ画像

渋沢栄一書翰  アルベール・カーン宛 一九一九年三月二四日
               (アルベール・カーン氏所蔵)
 - 第40巻 p.339 -ページ画像 
             (COPY)
Baron E. SHIBUSAWA
  OFFICE
NO.2, KABUTOCHO
 TOKYO, JAPAN.
Mr. Albert KAHN, PARIS.
My Dear Mr. Kahn,
              Tokio, March 24, 1919
  ...... It is gratifying to me to think that what I had done in the economical field of my country for many years prior to the war has been showing some effects in this line of progress, although my 77th year of age was the turning point in which I decided to give up all my business activities and put myself to the spiritual sphere, ever since spending the remainder of my life in the study and investigations of the spiritual side of society.
  Dr. Anesaki, one of my close friends, leaves here to-day for your country on the invitation of your Government. He is a Professor of the Tokyo Imperial University and a gentleman from whom a great deal of good work is expected in future. From the connections with the matters of spiritual investigations, I have been in very close intercourse with him for a number of years. Taking this opportunity of his present trip, he carries with him the wishes of mine as well as my friends regarding spiritual matters and is to exchange views with men of thought interested in spiritual work in France. On meeting him, I hope you will kindly listen to what he may say in regard to this part of his present mission, and any courtesy or assistance you are disposed to render him will be a great favor I shall highly appreciate.
  While I trust Prof. Anesaki will personally tell you concerning my present condition, it will certainly be a great pleasure to me to hear from you nicely and happily you are getting along these days.
           Very sincerely yours.
                sgd. E. SHIBUSAWA.



〔参考〕(アルベール・カーン) 書翰控 渋沢栄一宛 一九一九年五月八日(DK400103k-0007)
第40巻 p.339-340 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕渋沢栄一 日記 大正九年(DK400103k-0008)
第40巻 p.340 ページ画像

渋沢栄一  日記  大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 晴 軽寒
○上略 午前十時頃姉崎正治氏来リ、昨年欧洲巡遊ノ感想及帰一協会ノ将来ニ付テ種々ノ意見ヲ交換ス、款談約二時間、十二時前帰去ス○下略
  ○是日栄一大磯ニ在リ。



〔参考〕日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編 第八三-八四頁 大正九年一二月刊(DK400103k-0009)
第40巻 p.340 ページ画像

日米関係委員協議会報告書 日米関係委員編
                    第八三―八四頁
                    大正九年一二月刊
    日米関係委員協議会
      第六日
場所 東京銀行集会所
時日 大正九年三月二十四日午前九時三十分開会
○上略
渋沢男爵(日米交換教授問題)
三年以前予が米国を訪問し加州大学教授ホウプ氏と会見したる際、同氏は日米双方の醵金によりて同大学に日本講座を開設すべきを述べられ、之に対して予の微力を促されたることあり、而して今又日米交換問題に関し米国側委員ホイラー博士及び我が姉崎博士よりその目的方法に関し御高見を聞く、之れ予の大に忻幸とする所なり、然るに我国の実状は所要経費の醵金者を得ること容易ならず、吾人の希望も為めにまだ実現するに至らず、吾人は其実行を一日も速かならしむべく敢て微力を辞せざるべきを、米国側委員特にホイラー博士に答ふ
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第四八四号・第四三―四五頁 昭和四年一月 世界一致の使徒としての渋沢子爵 市橋倭(DK400103k-0010)
第40巻 p.340-341 ページ画像

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