デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.347-348(DK400107k) ページ画像

大正2年8月30日(1913年)

是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコニ開催セラルルパナマ太平洋万国博覧会ノ日本出品問題
 - 第40巻 p.348 -ページ画像 
ニ関シ、栄一ノ出品説報知新聞ニ掲載セラル。


■資料

報知新聞 第一三一〇一号 大正二年八月三〇日 ○桑博と出品 渋沢男爵談(DK400107k-0001)
第40巻 p.348 ページ画像

報知新聞  第一三一〇一号 大正二年八月三〇日
    ○桑博と出品
                     渋沢男爵談
桑博問題に対しては政府との関係もあれば、吾々実業家として未だ確乎たる意見を決定するに至らざるも、添田博士の如きは帰朝後若し我邦にして出品する方針なれば、此場合徒らに相手方を焦慮せしむる事なく速かに出品する事穏当ならんとの意見を有せらるゝ模様なるが、博士は親しく米国の民情を査察し、在留邦人の事情にも通じたる人なれば、氏の意見は固より傾聴する価値あるものと信ず、予輩亦土地案に対する国辱は別に方法の施すものありとし、一度賛同を表したる以上、大国民の襟度を示し、出品する外致方なしと思惟せり、只土地案の如き我国の利害に大関係ある国際事件の進行中なれば、桑博に対する政府の方針は未だ確定せざるものゝ如く、国民は暫く経過を俟つ外なき状態なり云々
  ○前掲六月五日付アリス・エム・ブラオンノ来書ヲ参照。
  ○本資料第三十三巻所収「日米同志会」大正二年六月四日ノ条参照。