デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.348-350(DK400108k) ページ画像

大正2年9月2日(1913年)

是日、アメリカ合衆国シアトルノ人イー・エフ・ブレーン栄一ニ書翰ヲ送リテ、カリフォルニア州排日土地法ニ関スル意見ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三〇五号・第三一―三二頁 大正二年一〇月 ○米国名士の対日感想 シヤトル市弁護士 ブレーン氏(DK400108k-0001)
第40巻 p.348-350 ページ画像

竜門雑誌  第三〇五号・第三一―三二頁 大正二年一〇月
○米国名士の対日感想
            シヤトル市 弁護士 ブレーン氏
 本篇は去明治四十二年渡米実業団長として渡米せられたる青淵先生の書状に対し回答せられたる、米国シヤトル市弁護士ブーレン氏の書翰訳文なり。
 拝啓、愚妻及小生宛の貴書、小生の不在中に到着致居り、帰着後入手仕候、小生の家族は二年間欧洲に滞在致したる後、此の度当地に帰へり、再び一家団欒の生活を致すことゝ相成申候。
 数年前当国へ渡来せられたる視察団の淑女紳士方より御手紙を頂戴致すことは小生共に取りて無上の喜びに御座候、実に閣下等団員諸君の足跡の印したる各地に於ては、我等米国人の胸中に永久なる好感を残し申候、斯くの如き次第なるにも拘はらず、爾後数年ならずして加州民が日本人に対し偏頗なる差別的立法を行ひたるは、如何にも不可思議の事柄なりと思考せらるゝ方々も定めし可有之候へども、右は単に加州民の感情の表現たるに過ぎずして、合衆国全体の意嚮に非ざることを玆に言明致置候、而して閣下等御一行が当国を旅行せられたる一事は、全体としての米国人が貴国人に対して今日の如く好感情を抱くに至りし一原因なりと存じ候、閣下等は即ち善き種子を播かれたるものにて、他日善き収穫あるべきは疑ふべからず候、今朝小生当地発
 - 第40巻 p.349 -ページ画像 
行の一新聞を通読致居る際、目下モントリオル市に於て開催中なる米国弁護士協会々議の席上、同協会長が次の如き宣言をなしたる由の記事を発見致候、即ち其宣言の要点は、米国憲法の規定により大統領及上院に附与せられたる権能は、彼等が諸外国と条約を締結して、米国内の各州に於ける凡ての外人の為めに、均等なる土地所有権を与ふるの力あるものなりてふ断定に有之候、小生自身は兼ねてより右と同様の見解を抱き居り候ものにて、若し将来米国の外国貿易を益々拡張せんには、勢ひ諸外国との関係を円満にして、相互相倚るの心を盛んにし、且つ地方的感情と外国人を恐怖するの心とを取捨てざるべからずと信じ申候。
 世界各国民中英吉利人は異人種に関して最も広き知識を有し、且つ外国人を待遇するに最も寛大なる国民に御座候、貴国の諺に「熟知は偏見臆断を減ず」と申すが有之、此の諺は洵に人心の妙機に触れ居り候、抑も米国の歴史を按ずるに、外国人排斥の叫びの初めて上がりたるは千八百五十年より稍々古き頃のことにして、当時其の槍先に挙げられたるは米国に移住し来りて、エリー運河の工事に従事しつゝありたる愛爾蘭人にして、次に起りし排外運動はペンシルヴエニヤの炭坑に於けるスラブ人種に対する排斥運動なり、此等のスラブ人は所謂米人坑夫を解傭して其の代りに使役せんとして招致せられたるものに御座候、而して尚ほ其の次に起りたる運動は、鉄道建設工事に従事する所謂米人工夫と競争して仕事を奪ひたる伊太利人に対して起こしたる暴動に有之候、当時伊太利の労働者は烈しき排斥を米国労働者より相受け申候、然るに時勢は一変して、最近五年間に於て日本労働者を極力排斥するに努めたる者は、即ち右伊太利の労働者にして、愚にも亦笑止の至りに御座候、斯くて愛爾蘭人、スラブ人及び伊太利人に対する排斥運動は今や労働界より其の姿を没することゝ相成申候。
 又加州に於ける労働者排斥の運動は如何にして其の源を発したるやといふに、此は頗ぶる不明瞭の問題に御座候、然りと雖ども該州に於ける最初の紛争は、愛爾蘭の労働者が、墨其西哥人と印度人との間より生れたる混血種族の労働者を排斥せんとして起こしたる運動に有之候、即ち彼等は此の混血労働者を砂金採取地より駆逐せんと致したるものに御座候、又加州に於て曾て支那人を排斥したるも、之れ亦た同地に在る外国労働者の仕事に有之候、若し夫れ現今の事態に至りては中央政府の役人の頭脳が今少しく堅固となり、之れと同時に国民の忍耐心が今少しく増加せば、東洋人移住問題の如きは苦もなく決着致すべきものに御座候。
 日本人に対する小生自身の感情は、小生が日本に漫遊して好遇を受けたる時より大に従前と変化を来たし申し候、小生は小生等視察団員一同が貴国に於て与へられたる好遇好感を決して永く忘却仕るまじく候、小生は昨年の秋期に自身の故郷に帰省し、其節二回程日本に関する演説を試みたるを喜びと致居候、尚ほ将来も小生は貴国及び貴国人に関して、折あらば常に之れを我が米人に紹介致さんと存じ候。
 先は右御懇書に対する御礼まで謹んで申述候 敬具
  千九百十三年九月二日
 - 第40巻 p.350 -ページ画像 
            シヤトル市 イー・エフ・ブレーン
    東京 渋沢男爵閣下