デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.409-430(DK400126k) ページ画像

大正15年6月8日(1926年)

是日、アメリカ合衆国ボルティモア・シティ・カレッジ懸賞論文「日米学生間ニ親密ノ情ヲ深ムベキ理由」ノ当選論文賞金授与式、東京商科大学ニ於テ催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

(シドニー・エル・ギューリック) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年八月二日(DK400126k-0001)
第40巻 p.409-410 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年八月二日
                   (渋沢子爵家所蔵)
         NATIONAL COMMITTEE
             ON
       AMAERICAN JAPANESE RELATIONS
        287 FOURTH AVE., NEW YORK.
                     August 2, 1924
Viscount E. Shibusawa,
  No.1 Yaesucho, I tchome Kojimachiku,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  Before Mr. Wickersham sailed for Europe I talked over with him a proposal of Mr. Hungerford, representing the Baltimore City College, and he expressed his general approval of the plan. A letter from Mr. Hungerford addressed to you has now come, with a covering letter to Mr. Wickersham and myself, asking that we forward the communication intended for you. We are glad to do so, but we wish to make it quite clear that just what is the right procedure in this matter should be left entirely to you and to your committee.
  Hoping that this effort on the part of the students in Baltimore may help to promote friendly feelings between America and Japan, I am
            Very cordially yours,
              (Signed) Sidney L. Gulick
                       Secretary
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
           次に開催之関係委員会ニ附議し同意を得たる後姉崎博士又ハ山田博士之斡旋を請ひ処理可致事 明六
 東京市                (八月廿二日入手)
  子爵 渋沢栄一閣下
                紐育、一九二四年八月二日
               シドニー・エル・ギユーリツク
 - 第40巻 p.410 -ページ画像 
拝啓、ウヰツカーシヤム氏欧洲へ向け出帆せられ候前、ボルチモア・シテイー・カレジ代表者ハンガーフオード氏之提案に付協議致候処、ウヰツカーシヤム氏は大体その計画に賛意を表せられ候
ハンガーフオード氏より閣下宛の書状転送方依頼有之候間、喜んで玆に御取次申上候、只一言玆に申添候は、本件に関する全部を閣下及日米関係委員会に御一任するを以て、最も適宜の処置なる義を明確と致置度希望致候事に候
ボルチモアの学生の尽力によりて日米親善の為に資する処あらば幸甚と存候 敬具


(アーサー・イー・ハンガーフォード) 書翰 渋沢栄一宛 一九二四年八月七日(DK400126k-0002)
第40巻 p.410-412 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛 大正一三年一〇月三日(DK400126k-0003)
第40巻 p.412-413 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛 大正一三年一〇月三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                   (栄一鉛筆)
                   九月二十六日一覧
    案
 紐育市第四街二八七
  シドニー・エル・ギユーリツク博士殿
                  東京
    大正十三年十月三日       渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然者八月二日附の貴翰並に日米親善に関する懸賞論文募集の件に付き、ハンガーフヲド氏より貴下に送られたる御同封の書面、孰れも正に落手拝見仕候、右懸賞論文募集に関するハンガーフヲード氏の御企図は誠に時機に投じたる施設に候間、貴台も御承知の東京帝国大学教授山田・姉崎両博士に諮り候処、我邦の学制上学生等は明年四月に於て高等程度の学校に入学すべく、孰れも其受験準備に取掛居候に付、目下右論文を学生より募集致候事は甚だ不適当なるのみならず、仮りに該企図を今学期中に実行致候ても、応募文の審査を行ひ、当選論文を英訳して明年一月中旬までに貴方に到達する様取運び候事は、到底時日の許さゞる所なりと申され、小生も至極尤と同感に候間今回は御見合せ相成度候、尤も明年四月は進級の試験も
 - 第40巻 p.413 -ページ画像 
済み学生等は幾分か余暇を得らるゝ筈に候間、其時機とも相成候はゞ応募し得らるべきかと被察候
右はハンガーフヲード氏の折角の御企画に背反する次第に候得共、事情無拠義と御承知被下度、尚此旨同氏へ御伝へ被下度願上候 敬具
 再白 先般貴下より拝受致せし詳密なる御書面に対し御回答申上ぐべく心掛居候得共、日々彼是と取紛れ殊に来示に付てハ同志之諸氏と篤と協議すべき要件も有之心ならずも遷引に及居遺憾に存候、何れ其内詳細可申上候間御諒承被成下度願上候
   ○英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガーフォード宛 大正一五年二月八日(DK400126k-0004)
第40巻 p.413 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガーフォード宛 大正一五年二月八日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
    案             十五年一月八日一覧
 バルチモア市
  市立専門学校同窓会常務委員長
   アーサー・イー・ハンガーフオード殿
               大正十五年二月八日
                      渋沢栄一
拝復、一九二五年十月十三日附尊書正に落手難有拝誦仕候、然ばボルチモア市立専門学校一九二四年度卒業生より懸賞金廿五弗を提供し、国際親善に関する論文を御募集可相成御計画の由、再度の御申越により委細承知仕候、右は当日米関係委員会に於ても誠に結構なる御企てと存候間、乍不及御尽力申上度と存じ、東京商科大学教授上田辰之助氏に相謀り候処、学生が国際親善に資する目的を以て自ら醵金し、之を日本の学生に提供致候は頗る意義ある企なりとし、大いに賛意を表せられ候に付、不日何等かの形に於て其論文実現可致と存候間、左様御承知被下度候、尚事の進捗に従ひ時々御通報可致とは存候得共、不取敢一応の御返事迄申上度如此御座候 敬具
  大正十五年二月八日
   ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。


(アーサー・イー・ハンガーフォード) 書翰 渋沢栄一宛 一九二六年五月二六日(DK400126k-0005)
第40巻 p.413-415 ページ画像

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集会日時通知表 大正一五年(DK400126k-0006)
第40巻 p.415 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
六月八日 火 午後三時 東京商科大学専門部ニ御出向


一橋 第三五号 大正一五年六月一五日 渋沢子を始め賓客を集め感激裡に終始したバルチモア懸賞論文披露式(DK400126k-0007)
第40巻 p.415-416 ページ画像

一橋 第三五号 大正一五年六月一五日
    渋沢子を始め賓客を集め
      感激裡に終始した
        バルチモア懸賞論文披露式
  米国排日法発布以来隠然日米間の感情上に蟠を生じた。此際国民性を理解し合ふことが良策として米国ボルチモア・シテー・カレツヂから渋沢子を通じて日本学生に日米親善に関する論文募集を申込んで来た。子は該応募資格者として本学専門部を推薦され、其当選披露式は専門部会語学部主催のもとに行はれた。
 麗しく晴れた六月八日の空は、疑雲の日米両国意志疎通上に何等かの意味で光明を与へる米国ボルチモア・シチイ懸賞論文披露式を待つてゐたかの如くであつた、この日同論文を特に本専門部に依頼された「一橋の縁者」渋沢子爵を始め、神学博士小畑久五郎氏・立教学院総理ライフスナイダー氏を迎へるAホールは、定刻三時には空席を残さぬ程で
 - 第40巻 p.416 -ページ画像 
 午後三時賓客及選考委員たるスヰフト、浦口・山口、上田(辰)諸教授及奈佐、乾教授が堂の正面に着席するや、池野語学部理事が厳粛に開会を宣した。
上田教授がまづバ論文募集の成果を詳論し、後に山口教授に披露された第一席入賞者、この春の卒業生鈴木孝一郎君が登壇し「日米両国学生親善について」と題し、真しつな言辞が論文朗読によつてほどばしる。急さんのやうな拍手の内に受賞し終へて老渋沢子が「この意義ある会合に参列し得たことはうれしい」と冒頭され
 「此度の企図は小事ではありますが事国家に関してゐます。日米親善に就ていさゝか尽力した心底で居りますが、今後も老体であるとは言へ国の為め平和の為め死して後止むの決心で居ります」
と満堂の人々の心底に通る熱誠さで述べられゝば、満堂は感激そのものになつた。小畑氏ががい論文の起因と経歴を語られ、ライフスナイダー氏は長躯を提げて、理解が最大の親和であると熱を吐く如き演説をされた。滞りなくこの挙行を終へ我等の渋沢子並に賓客を送らんとする時、感謝の拍手がしばしやまうともしなかつた。
   ○「一橋」ハ東京商科大学学生ノ発行ニ係ル校友会誌。
   ○右誌上ニ栄一ガ賞金ヲ授与スル光景ノ写真ヲ掲ゲタリ、略ス。


IKKYO, June, Taisho 15 nen. Remarks by Prof. T. Uyeda(DK400126k-0008)
第40巻 p.416-417 ページ画像

IKKYO, June, Taisho 15 nen.
        Remarks by Prof. T. Uyeda
  The offer of a prize of $25 by the graduating class of 1924 of Baltimore City College, Baltimore, Md., U.S.A., for the best essay written by a Japanese college student on American-Japanese friendship is assuredly one of the happiest things that a group of college students has ever thought of and done as an effective contribution toward genuine internationalism. It is not, as Viscount Shibusawa aptly pointed out in his congratulatory address the other day, a matter of merely $25, but a most significant move on the part of American youth to invite the thought of Japanese youth on the vital question of international relationships in which the rising generations of both America and Japan ought to be, and actually are, keenly interested. Or perhaps we may even take it as an expression of Young America's eagerness to co-operate with Young Japan for the better solution of international problems which our two nations at present are trying to solve and have not yet quite solved. However this may be, we are unconditionally for the spirit behind this splendid undertaking by the graduates of Baltimore City College.
  We feel greatly honored and privileged to have our Semmombu (Business School attached to the University) chosen out of many for the purpose of the essay contest and sincerely hope that the paper selected will be received and read with
 - 第40巻 p.417 -ページ画像 
 satisfaction on the other side of the Pacific. We hope also that since the ball is already set rolling, we may return the compliment to our American friends by a similar offer of prize to students at Baltimore City College or elsewhere.
   ○Uyeda ハ商科大学教授上田辰之助。


渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガーフォード宛 大正一五年八月一三日(DK400126k-0009)
第40巻 p.417 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガーフォード宛 大正一五年八月一三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
               (別筆)
               大正十五年八月四日 白石
         (栄一鉛筆)
         十五年八月六日伊香保客舎ニ於テ一覧
    案
 メリーランド州ボルチモア市
  ボルチモア・シチー・カーレジ
   アサー・イー・ハンガフオード殿
               大正十五年八月
                   東京 渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ば五月廿六日附の尊書並に御同封の小切手弐葉此金合計四拾弗確に拝受、直に横浜正金銀行東京支店に於て領収致候間左様御承知被下度候、尚来示に従ひ右小切手弐葉とも自署捺印致置候間、貴方へ廻付相成候事と存候
懸賞論文募集に付ては予て得貴意候通り、東京商科大学専門部教授上田辰之助氏の尽力により好都合に進捗し、去る六月八日午後三時東京商科大学仮講堂に於て賞金授与式を挙行致候、当日は老生も参列致簡単に一言申述候、当日のプログラム其他詳細秘書役小畑より別に可申上候間、右にて御承知被下度候、只爰に一事特に申上度義は、貴台特別に御送附の金拾五弗の使途に付てに候、先是老生は当日を記念せん為授与式の光景を写真に撮り、貴台並に東京商科大学各一組宛、老生の費用を以て御寄付致度と存夫々手配致候処、貴方より特別の御送金有之候に付、勝手ながら此方に振向け、尚残額の内を以て当日の列席者数氏に一葉宛進呈致候間、御諒恕被下度候
右取計候結果小額の残金有之候処、右は上田教授の希望も有之、同学専門部英語会に寄附致候間此亦御承知被下度候
右御報告旁得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ同月十三日付ニテ発送セラレタリ。


(小畑久五郎)書翰 控 アーサー・イー・ハンガフォード宛 大正一五年八月一三日(DK400126k-0010)
第40巻 p.417-420 ページ画像

(小畑久五郎)書翰 控 アーサー・イー・ハンガフォード宛 大正一五年八月一三日
                   (渋沢子爵家所蔵)
    案
 メリーランド州ボルチモア市
  ボルチモア・シチー・カーレジ
   アーサー・イー・ハンガフオード様
             東京
               渋沢子爵秘書 小畑久五郎
拝啓、益御清適奉賀候、然ば貴方御依頼の懸賞論文募集の件に関し詳
 - 第40巻 p.418 -ページ画像 
細御報告申上候様渋沢子爵より申聞けられ候に就ては、別紙調書並に賞金授与式当日の写真一組三葉別便御送付致候間、御一覧被下度候
右当用まで得貴意度如此御座候 拝具
   ○右英文書翰ハ大正十五年八月十三日付ニテ発送セラレタリ。
(別紙)
    賞金授与式執行順序
 場所 商科大学「A」室
 時間 大正十五年六月八日午後三時
     司会者          池野勇治
 一、授賞者紹介ノ辞        山口鍖太教授
 二、当選論文朗読         鈴木孝一郎
 三、賞金授与及演説     子爵 渋沢栄一
 四、子爵演説ノ通訳        小畑久五郎
 五、演説             ライフスナイダー監督
 六、演説             乾精末講師
               (別筆)
               大正十五年八月四日 白石
               (栄一鉛筆)
               八月六日伊香保宿舎ニ於テ一覧
    懸賞金授与式に於ける渋沢子爵の挨拶
司会者、教授諸氏並に満堂の諸君
本日のプログラムは全部英語で執行されるそうでありますが、独り私のみは日本語で御話致します。敢て野心がある訳でもなく又別に好奇心からでもありません。英語を話したくも話すことが出来ませぬ故詮方なく日本語を用ゐる次第であります。
バルチモア・シチー・カーレジ校友会代表者アーサー・イー・ハンガフオド氏によつて提供されたる懸賞金授与式に参列し、自ら右懸賞金を当選者鈴木孝一郎君に授与するの光栄を得ました事を喜び、且又満堂の皆様と共に鈴木君の御当選を祝賀する次第であります。
当東京商科大学は私にとりましては誠に縁故の深い場所でありまして云はゞ自分の家の様に思ふて居るので御座います。昨年当大学の創立五十年紀念式を挙行せられた際も参列し、衷情を申述べた次第で御座いまして、本日列席の皆様も御記憶であらうと存じます。斯様な次第でありますから、学生諸君に御目にかゝると失礼ながら子供か孫かを見る様な喜を感するのであります。
本日の催は事甚だ小なるが如くでありますが決して左様では御座いませぬ。と申す訳は米国と日本の学生諸君の関係であつて、即ち日米間の国際問題であるからであります。又私にとつては過去三十年来聊か微力を致し居る所の日米親善問題に深い関係があるからであります。日米親善に関しては、敢て諸君の前に誇らしく申述べる程の功果を挙げて居りませぬことを寧ろ遺憾に堪へないと思ふのでありますが、今回のハンガーフオード氏の計画の如く両国学生間の聯絡をつけると云ふことは、蓋し将来両国智識階級間の諒解を得るといふ事であります随て両国親善増進に付ての最有力な方法と考へ、此度の計画に賛成し
 - 第40巻 p.419 -ページ画像 
此処に御参列の高木八尺教授並に上田辰之助教授に特に御願致しまして、其実現に付て御高配を煩はした次第であります。
殊に上田教授の引続きたる容易ならざる御尽力に対しては感謝に堪へない所で御座います。尚又懸賞論文の審査委員として御尽力下さいました当大学専門部教授山口鍖太・浦口文治・上田辰之助及ジエー・テイ・スヰフトの諸氏、並に学長代理として今日御参列を得たる教授奈佐忠行氏に対して厚く御礼を申上けます。
甚た簡単ではありますが一応御挨拶を申上けた次第で御座います。尚アーサー・イー・ハンガーフオード氏との交渉顛末に関しては小畑から詳細申上げることに致しましたから御聴取願ひます。

    大正十五年六月八日東京商科大学講堂に於て挙行されたるボルチモア・シチー・カレヂ懸賞論文賞金授与式に於ける小畑博士の挨拶
只今渋沢子爵から簡単に御話が御座いましたが、私から稍詳細に申上ける様との事で御座いますので御清聴を煩はす次第で御座います。日米間の問題を考案し、両国の親善増進を計る目的を以て設立せられた団体がありまして、日米関係委員会と称し渋沢子爵が牛耳をとつて居られます。之れと対応して紐育市にも同一目的を有する団体があります。之を紐育日米関係委員会と称しウヰツカーシヤム博士の主宰する所であります。而して此会の実務を担当して居るのは幹事シドニー・エル・ギユーリツク博士であります。同博士は嘗つて永く日本に居住し、日本の国情に通じ日本語をよくする人であります
此ギユーリツク博士から大正十三年八月二日付を以て、渋沢子爵に宛られた書面に一通の書翰が同封せられてありました。此はボルチモアシチー・カレヂ校友会実行委員長アサー・イー・ハンガフオド氏より渋沢子爵に宛てたものでありまして、それによると「ボルチモア・シチー・カレヂの上級生は毎年卒業記念として金弐拾五弗を醵集し、此を賞金として論文を募り以て国際親善増進に貢献する例であつて、同年の懸賞論文は日本の学校より募集し、其内の当選論文を大正十四年の一月十五日頃までに発表し度いと思ふて居る、御手数恐縮であるが渋沢子爵に於て日本の方を取纏めて頂きたい。そして当選論文の発表方法は、之を全校学生の前に朗読したる後米国の第一流雑誌及新聞等に掲載する」といふのであります
此を受取りますと渋沢子爵は慎重に考慮した結果、日米関係委員会の一員たる文学博士姉崎正治氏に相談せられました処、日本の学生は其内に入学試験準備に取懸らねばならないから、懸賞論文起草の為に費す時間は無からうから、先方に対しては趣旨に於ては賛成であるけれども時機がよくないから遺憾ながら今回は応諾し兼ぬると回答する方が宜敷からうとの答を得ました。そこで子爵は同年十月三日付を以て右の旨をギユーリツク博士に通し、且ハンガフオド氏にも其伝達を請ふたのであります。ところが昨年十月突然ハンガフオド氏から渋沢子爵に宛て書面が参りまして、それによると同氏は重い病気にかゝり一切の事務を廃した為め、渋沢子爵が態々ギユーリツク博士を介して申
 - 第40巻 p.420 -ページ画像 
達した事柄に対し回答することが出来す、非常に遷延したことに対して深謝し、且シチー・カレヂの大正十三年度卒業生は是非最初の目的を遂けたいと切望して居るから、何卒御再考下され度い、煩さく申上げて恐縮であるが重ねて御願する。而して成否に拘らず御回答を煩し度いと申すのでありました。切なる依頼であります為め渋沢子爵は又姉崎博士に相談しました処、之に就ては東京帝国大学教授高木八尺氏に意見があると思ふから同氏に御協議願ひ度いとのことでありましたから、子爵は高木教授に計られました。すると高木教授は少からず興味を感ぜられ考慮下さる事になり、東京商科大学附属専門部教授上田辰之助氏に協力を請はれた結果、上田教授の非常な賛同を得ましたので、同教授に本件を一任して其進行を計られることゝし、一方本年二月八日付を以て此旨を渋沢子爵からハンガフオド氏に報告されたのであります。
爾来上田教授の不容易御尽力により優秀の論文を見ることが出来、本日玆に賞金授与式を挙けるに至つた次第であります。ハンガーフオド氏からは未た回答を得ませんが、恐らく異存はないのみならず、今日の此状況を通知すれば望外の喜を感することであらうと思はれます
長々と御清聴を得ましたことを厚く御礼申上けます


鈴木孝一郎論文梗概(DK400126k-0011)
第40巻 p.420-423 ページ画像

鈴木孝一郎論文梗概 (渋沢子爵家所蔵)
     THE REASON FOR THE DESIRABILITY
        OF GREATER CONTACT
          BETWEEN
     AMERICAN AND JAPANESE STUDENTS
           BY
        KOICHIRO SUZUKI
         THIRD YEAR
        SPECIAL COURSE
     TOKYO UNIVERSITY OF COMMERCE
  It is a well-known fact that the more highly civilized a nation becomes, the greater are its wants. Furthermore these wants to-day are so compelling that a nation can not live long isolated from the rest of the world without suffering loss.
  If there is any doubt about this, we shall be convinced of the truth, when we consider our own country, Japan, in her present condition in relation to the other nations with which we are in political and commercial relations.
  If, until about seventy years ago, that is, until the beginning of our "open door" policy, Japan lived on her own national resources, supplying the needs of her population with what our forefathers produced by their toil and without any foreign commercial exchange, to-day such a condition would be impossible.
  If our country to-day should, by some unexpected cataclysm, be unable to continue her well-established and important export and import trade, our entire national life would
 - 第40巻 p.421 -ページ画像 
 be upset, and nearly every citizen of Japan would directly or indirectly experience the bad effects of such an arrest of international interchange of products.
  Only a few days ago, I happened to see some comparative figures concerning our export and import trade in 1868 and in 1924. While our foreign trade in that far away year was reported as only 26,000,000 yen, in 1924 it was more than 4,000,000,000 yen; In fact, in 1924, exports from Japan amounted to 1,8000,000,000 yen and imports to 2,400,000,000 yen.
  Now anybody can see the importance for the life of our nation of such an enormous interchange between our country and the other nations of the world. It follows also that the more the civilization of our country advances, the more the general economic condition of the Japanese people will improve, and with this economic improvement there will be a greater demand for commodities suited to modern life and civilization. This greater demand will in turn still further increase our international commercial interchange. Hence the necessity of maintaining good relations and understanding with all the other nations of the world, and especially with our neighbours which are the nations that contribute most largely to this interchange.
  Which then are our nearest neighbours?.... China on one side and North America on the other. But, while because of racial and intellectual affinity the relations between China and Japan are well established, we can not say the same of our relations with our neighbours on the East, the peoples of North America.
  Well then, it is a recognized fact that Japan, in the past fifty years, has established important friendly relations with the American and European nations, and has adopted in her life so much of their civilization that in the eyes of many foreigners who have seen the development of new Japan, her progress has been almost miraculous. This great progress we owe to North America, -- and by North America I mean the United States, -- more than to any other nation of the world. The reason for this is that, as the United States is nearer to us, many of our people went to that country, and there received Western education and ideas which were afterwards brought back to Japan. In this way was produced the great change that we have witnessed in our national life.
  It is well said that, at present, the United States is one of the two greatest powers of the West, while Japan is the leader of the Orient, and that these two nations stand facing each other, across the Pacific, on the shores of which as well as in various
 - 第40巻 p.422 -ページ画像 
 other quarters of the world these two have the same interests. Therefore I should say that greater contact between the American and Japanese peoples is desirable, and that this desirability lies not on one side only but on both.
  But who can make stronger and greater this contact between these two nations? Who are the fittest for this delicate and important work?
  The students of to-day are certainly in position that enables them to render this important service better than anyone else.
  The school is the mental power-house of modern civilization. It is in the schools that the energy, ability and strength for the building of future nations are produced. It is in the schools also that the future generations of the world are being trained, and it is on the mental strength and attitude of the students in our schools that Japan of to-morrow depends. It is in the schools of to-day that the leaders of the nations of to-morrow are now receiving their first training, and it is in the same schools that the law-makers of the same nations are getting their fundamental ideas of life and world relations.
  Accordingly it will be with the American students of to-day that we shall have to deal in the near future in our political, commercial and intellectual relations with America, and these students of to-day will to-morrow act with us or against us according to the ideas and information they have learned about Japan, her history, people and civilization. How much more intelligently will they, the Americans of the next generations, deal with us, if they know the real condition of young Japan! How much better shall we Japanese deal with our American neighbours, if we know them better in their history, customs and civilization!
  If the relations between the young people of these two nations were much closer, how many mistakes and disappointments would be avoided, how much stronger would be our friendship, and how much more the general civilization and understanding between the peoples of the world would be improved. In this pregnant possibility lies the importance of bringing about closer contact and better understanding between the young people of the two nations, who are now at school. This is the real reason for the desirability of greater contact between American and Japanese students.
            (Signed) Koichiro Suzuki
(右大意)
    日米両国学生の親密を希望する理由
                 東京商科大学専門部
 - 第40巻 p.423 -ページ画像 
                      鈴木孝一郎
国家の文明が増進するに伴ひ其慾望も亦増進するものにて、今日その慾望は極めて切実のものなれば、国家が孤立を企つる時は其蒙る損害も大である。
政治上及び通商上の関係に於て吾国の対外関係を考慮する時は之れが事実を知る事が出来る。
七十年前迄我国は鎖国の策を取つて居た。併し如此は現代に於ては不可能の事である。
若し我国の対外貿易が継続不可能に陥る時は、我国は存立が出来ない程なのである。
一八六八年に於ける我貿易額は二千六百万円であつたが、一九二四年度には四十億円となつた。
即ち我文明の進むに伴ひて経済的発展も如此進運を示したのである。
されば今後は諸外国特に隣国との親善増進は緊切なる問題である。
隣国とは米国及び支那を指す。日支の関係は良好なるも、日米の関係は必ずしも然らず。
日本は過去五十年間欧米諸国と国交を修め、自国の文明を進める事が出来たが、米国に負ふ処も極めて大なるものがある。
米国は西洋の強国の一にして、日本は東洋の強国であるとは克く謂ふ処である。されば此両国が親善を維持するは誠に結構な事である。
然らば何人が此親善実現の衝に当るべきか。蓋し学生は此れが適任者であらふ。
学校は現代文明の精神的原動力発生所である。将来の世界を建設する原動力も亦学校にある。
近き将来に於て吾等が交渉多き対手国の学生は、今や米国の学窓に学びつゝある人々にして、彼等は我国・我歴史・我国民・我文明に就きて学びし概念及び知識に基きて、我等と交渉するに至るのである。我等も米国の歴史・習慣・文明を更らに深く知る時は、彼等との交渉は如何程便宜を得るであらう。
若し両国の関係が更らに親密の度を加ふる時は、多くの欠点及び失望を除去し、惹ては世界の文明と列国の諒解を増進し得るに至るであらう。日米両国の学生が親交を増進するの必要は、実に此に其真の理由を存すると共に吾等は之れを希望して止まないものである。


(アーサー・イー・ハンガフォード) 書翰 渋沢栄一宛 一九二六年九月二四日(DK400126k-0012)
第40巻 p.423-424 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

(アーサー・イー・ハンガフォード) 書翰 渋沢栄一宛 一九二七年五月二〇日(DK400126k-0013)
第40巻 p.424-429 ページ画像

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渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガフォード宛 昭和二年八月一二日(DK400126k-0014)
第40巻 p.429 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 アーサー・イー・ハンガフォード宛 昭和二年八月一二日
                  (渋沢子爵家所蔵)
               (栄一鉛筆)
               昭和二年八月三日一覧 明六
    (案)
 ボルチモア・シチー・カレツジ
  アーサー・イー・ハンガーフオード殿
                  東京市 渋沢栄一
拝復、五月廿日附貴書正に落手拝誦仕候、然ばボルチモア・シチー・カレツジ一九二四年度卒業生の提供に係る懸賞当選論文の朗読式を、去る五月十日メリーランド劇場に於て盛大に御挙行相成候由にて、詳細御報告被下興深く拝誦仕候
当日の模様に付ては、右朗読式に列席せる松平大使よりも報告に接し委細承知仕候、斯くも盛大なる朗読式の挙行せられ候は、単り当選者鈴木孝一郎氏の名誉たるのみならず、老生の欣快措く能はざる所に候而も今回の御催は、年来微力相尽し居候日米親善増進の一端に資する事を得たるは望外の幸慶と存候
尚ほカレツジの学級代表者四氏よりも御丁寧なる感謝の決議文を寄せられ松平大使を通して入手致候、何卒貴台より宜敷く御伝言被下度候右返事旁得貴意度如此御座候 敬具
   ○右英文書翰ハ昭和二年八月十二日付ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰 控 松平恒雄宛 昭和二年八月二三日(DK400126k-0015)
第40巻 p.429-430 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 松平恒雄宛 昭和二年八月二三日 (渋沢子爵家所蔵)
    (写)
拝復、貴方五月二十日附尊翰並ニ五月十日米国(ボルチモア・シチーカレツジ)に開催せる国際懸賞論文朗読式に於て御講演被成候一大御演説筆記、及本朗読式に関して地方関係諸士より老生に寄せられたる決議文四通共、六月二十二日拝受いたし候も、翻訳等にて時日稽延いたし漸く本日を以て拝答仕候様相成候ハ、実ニ遅緩之至欠礼之段御海恕被下度候
当日挙式之景況ハ尊翰中に詳細御記載相成、実地一覧と同様之感有之位ニ御坐候、又其式に於る御演説は真に有力にして且親切に御説明被成、日米当初之国交より爾来政事・経済共漸次進展之模様、さては国民相互之交情に至るまで御論及相成、殊に両国学生間には斯の如き掬
 - 第40巻 p.430 -ページ画像 
すへき之情味有之にも拘はらす、議会に於ては自我的法律一遍に不遠慮なる移民法を決議せられし有様抔、円曲に御痛論被成候ハ所謂摩姑の手にて痒を掻くの想有之候、老生等年来日米国交之親善を国民的要務として努力致居候者にハ、別して彼の移民法の議決を遺憾として何と歟改定之途無之哉と只管憂慮致居候次第ニ御座候
序を以て御願申上候も聊か浸潤之嫌有之候得共、前陳移民法改定又は日米親善之要務に関し、向後何歟閣下に内陳致度と相考候件出来候ハハ特に申上候様仕度、又米国に於る公私之事情も御差支無之限り心得迄ニ御洩し被下度候
○中略
右乍延引再度之尊翰に対する奉復迄、匆々如斯御坐候 敬具
  昭和二年八月二十三日
                      渋沢栄一
    松平大使
        閣下