デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
2款 日米関係諸資料
■綱文

第40巻 p.432-435(DK400130k) ページ画像

昭和2年4月8日(1927年)

是日栄一、アメリカ合衆国ワシントンノポトマック河畔ニ於テ催サレタル観桜会ニ祝電ヲ送ル。


■資料

渋沢栄一電報控 国民記念財団理事長宛 一九二七年四月八日(DK400130k-0001)
第40巻 p.432-433 ページ画像

渋沢栄一電報控 国民記念財団理事長宛 一九二七年四月八日
                   (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.433 -ページ画像 
                     (別筆)
                     四月九日申上済
 華府大使館気付(電報)
  国民記念財団理事長殿
                一九二七年四月八日
                      渋沢栄一
四月九日ポトマク公園に於て観桜会を開催せらるゝ由を承知し喜に堪へず、余は衷心より同会の盛況を希望す。此観桜会は単に貴財団のみならず米国民が日本に対して抱ける友情の発露なりと吾国民は思考すべしと余は確信す
   ○右ニ観桜会ヲ九日トナセドモ後掲資料ノ示ス如ク十六日ニ延期サレタリ。


外務省関係書類(三)(DK400130k-0002)
第40巻 p.433 ページ画像

外務省関係書類(三)(渋沢子爵家所蔵)
拝啓、陳者華府ポトマツク河畔ニ於ケル観桜会ハ予テ御通知申上置候通リ、去ル十六日盛大ニ挙行セラレタル趣ニテ、主催者側ノ希望ニ依リ同席上松平大使ヨリ閣下ノ祝電ヲ朗読シタルニ対シ、主催者側ヨリ別紙写ノ通閣下宛返電伝達方松平大使ヲ経テ依頼越候間、右玆ニ御送付申上候 敬具
  昭和二年四月十九日       小村外務省情報部次長
    渋沢子爵殿
   ○別紙写次掲。


(アリス・ダブリュー・バーバング) 電報 渋沢栄一宛 一九二七年四月一七日(DK400130k-0003)
第40巻 p.433 ページ画像

(アリス・ダブリュー・バーバング) 電報 渋沢栄一宛 一九二七年四月一七日
                   (渋沢子爵家所蔵)
               (COPY)
  Washington.
                   April 17th, p.m.
Viscount Eiichi Shibusawa,
 Tokio
  Please accept our high appreciation of your courtesy and our sincere hope that the festival may serve to further and cement the very friendly relations between the Japanese and American peoples.
                Alice W. Burbank.
(右訳文)
                (別筆)
                四月二十三日申上済
    (電報写)
 東京市
  子爵渋沢栄一閣下
            華府、一九二七年四月十七日午後
              アリス・ダブルユー・バーバンク
閣下の御厚意誠に難有深謝し奉る、観桜会によりて日米両国民の間の篤き親善関係を増進し鞏固にするに至らん事を衷心より希望す。


外務省関係書類(三)(DK400130k-0004)
第40巻 p.433-435 ページ画像

外務省関係書類(三)        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.434 -ページ画像 
                 (別筆)
                 五月廿七日入手 小畑
                 子爵ニ御話済 明六
拝啓、陳者去ル四月十六日 The National Memorial Foundation主催ノ下ニ、米国華府ポトマツク河畔ニ於テ開催セラレタル桜祭状況ニ関シ、今般松平大使ヨリ別紙写ノ通リ報告有之候間御参考迄玆ニ供貴覧候 敬具
  昭和二年五月二十六日
                   小村外務省情報部次長
    渋沢子爵殿
(別紙)
  昭和二年四月二十二日
              在米
               特命全権大使 松平恒雄
    外務大臣 男爵 田中義一殿
  桜祭リ開催ニ関スル件
本件ニ関シテハ既ニ屡次ノ電報ヲ以テ稟報ノ次第有之タル処、本件計画ハ昨年六七月頃当地二・三ノ婦人ニテ予テ日本ヲ往訪シ好感ヲ以テ帰来セル人々ノ主唱ニ係リ、当館ニモ協議アリシヲ以テ内々声援ヲ与ヘ居リタル次第ナルカ、本年ニ入リ欧洲大戦ニ従軍セル当国軍人軍属等ノ遺族救護ノ目的ヲ以テ、設立セラレタル婦人団体タル「ナシヨナショナル《(衍)》・メモリアル・フアウンデーシヨン」(The National Memorial Foundation)ニ於テ之ヲ引受ケ、愈々実行スルコトトナリ、右会長旅団少将「ジエムス・ブラツトル・バーバンク」(James Bruttle Burbank夫人、同会「オルガニゼーシヨン」委員会長「エツチ・エス・ミユリケン」(H. S. Mulliken)夫人、桜祭ヲ劇筋書作者「アリス・ローヂヤース・ヘーガー」(Alice Rogirs Heger)夫人等ノ努力ニヨリ、前大統領「ウツドロー・ウイルソン」(Woodrow Wilson)夫人、陸軍長官「ドワイト・デイヴイス」(Dwight F. Davis)夫人、国務次官「ジヨセフ・シー・グルー」(Joseph C. Grew)夫人等有力婦人ヲ後援者トシ、当地一流ノ舞踏家素人演劇家等ノ参加ヲ得、別紙筋書○欠クニ依リ当地各小中学校生徒「ボーイスカウト」及「ガールスカウト」等四五百名ノ少年男女ノ舞踏ヲ催スコトトナレリ、而シテ当地各新聞筆ヲ揃ヘテ前景気ヲ報道シ不少一般市民ノ感興ヲ惹起シタリ、而シテ当初ノ予定開催日タル四月九日ハ気候ノ関係上八重桜満開ニ至ラス、且天候不良ナリシ為一週間繰延ヘ、愈々四月十六日ニ予定通リ「ポトマツク」公園ニ於テ実行セラレタルカ、右演劇参加児童約五百名ニ上リ、「インターミツシヨン《休憩》」ニ於テ主催者側ノ希望ニヨリ、本使ハ東京市長・徳川公爵及渋沢子爵ノ祝電ヲ朗読スルト共ニ、本使ノ祝辞及本件桜祭カ国際親善ニ寄与スルコト多キ旨ノ挨拶ヲ述ヘ、之ニ対シ主催者代表者トシテ陸軍省監軍局長「イリー・エー・ヘルミツク」少将ハ、東京市長等ニ対スル返電ヲ披露スルト共ニ簡単ナル謝辞ヲ述ヘ、最後ニ英・仏・独・白等二十数箇国ニ及フ大公使館関係児童カ、各々自国旗ヲ翳シテ行列ニ加ハリ感興ヲ深クセリ、当日ハ八重桜満開ト迄ハ至ラサリシモ八分通リ開キ居リ、主賓タル「タフト」(William H.
 - 第40巻 p.435 -ページ画像 
Taft)大審院長夫人及本使夫妻ノ外「ウイルソン」夫人、前大蔵長官「マカドウー」(William D. MacAdoo)夫人、外交団員等モ出席シ、当市ヨリハ勿論「ボストン」・紐育・費府、其他近傍各地方ヨリモ態々之レカ見物ノ為来会セルモノモ不少、新聞報ニ依レハ観客約一万人ニ達シタリト云フ、演劇中一時驟雨ニ際会シタルモ、全「プログラム」ハ予定通リニ盛会裡ニ終了シタリ
本件桜祭ハ当地ニ於テ初メテノコトニテモアリ、果シテ予期ノ結果ヲ齎ラシ得ルヤ多少懸念セラレタルモ、事実大成功ヲ収メタルモノト云フヲ得ヘク、我国ニ対スル諒解ノ増進ニ資シタルコト不尠、殊ニ之ニ参加セル多数児童ニ対日好印象ヲ銘シタルコトト認ム、尚The National Memorial Foundation《ナシヨナル メモリアル フアウンデーシヨン》ニ於テハ本年ノ成功ニ鑑ミ、右桜祭ヲ今後年々開催ノ積リナル由ナリ
尚右催シトハ直接関係ナキモ、四月十日日曜日ニ於テ当地「フアウンドリ・メソデイスト・エピスコーパル」教会ニ於テ桜ニ関スル特別説教行ハレ、本使及館員特ニ招待セラレ之ニ出席シタルカ、同教会牧師「フレデリツク・ブラウン・ハーリス」ハ桜花ニ因ミ美ノ観念ヨリ説キ起シテ、東西ノ融合、人種平等ニモ言及シ、興味アル説教ヲナシタリ、右ハ特ニ「ラデイオ」ニヨリ放送セラルルト共ニ、印刷ニ附シテ世界各国ニ頒布セラルルコトトナリタリ