デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
3款 其他外国関係資料
■綱文

第40巻 p.530-534(DK400160k) ページ画像

大正15年5月28日(1926年)

是日、イタリア国総理大臣ムッソリーニヨリ我国ノ青年男女ニ送ラレタルメッセージノ件ニ付、同国特命全権大使ギュリオ・デッラ・ロレ・ディ・タヴァニャヲ、星ケ岡茶寮ニ招待シテ相談会開カレ、栄一出席ス。次イデ八月七日、栄一、後藤新平・沢柳政太郎連名ニテ感謝状ヲ送ル。


■資料

中央新聞 第一四八八二号大正一五年五月一一日 黒シヤツ首相が熱情的書面 日本の青年男女に 十四日に日比谷で披露式(DK400160k-0001)
第40巻 p.530 ページ画像

中央新聞  第一四八八二号大正一五年五月一一日
    黒シヤツ首相が熱情的書面
      日本の青年男女に
      十四日に日比谷で披露式
イタリー首相ムツソリニ氏は、日本国に対しいろいろな点に於て憧憬の情を持つて居たが、日本でも同首相の熱情的愛国心に対し敬慕の情を以て居るもの尠からず、それ等の人々相協議して伊国首相より我青年男女宛一個のメツセージを送らんことを依頼すべく計画し、沢柳政太郎・カルピス会社専務三島海雲氏等は下位春吉君を介して此事をムツソリニ氏宛申込んだ、ムツソリニ氏は之を
 快諾し 日本の青年男女に贈ると題する長文のメツセージを認め、去る五月二日帰朝した下位春吉君に之を託し、下位君は帰朝早々之を前記の沢柳・三島両氏に手交した、内容はかなり長文なもので、日本の国体を称揚し日本国民の忠勇義烈の精神に満腔の敬意を払ふ旨を述べ、併せて第二の国民たる日本の青年男女が世界平和の大理想のために奮闘努力すべきをのべたもので、ムツソリニ氏の面目躍如たるものである、此メツセージに対し
 主催者 側では沢柳政太郎・後藤新平子・渋沢栄一子三氏の名を以て鄭重なる答礼を為すと共に、来る十四日、日比谷音楽堂に於て右メツセージの披露式を挙ぐる事となり、沢柳政太郎氏司会の許に、右メツセージはイタリー大使之を朗読し、下位春吉氏之を翻訳朗読する事となつた

 - 第40巻 p.531 -ページ画像 

ムッソリーニメッセージ(DK400160k-0002)
第40巻 p.531 ページ画像

ムッソリーニメッセージ          (渋沢子爵家所蔵)
  ○印刷物。原文写真略ス。
    日本の青年男女諸君
 万世一系の皇室を戴き、建国以来二千六百年、未だ曾て一たびも外侮を蒙りしことなき、光栄ある歴史を有する大日本帝国は、巧に泰西の文物を輸入し同化して、今日見るが如き、燦然たる文化を建設するに至れり。
 惟ふに、自己の新生命は、他人の経験を同化することに依つて充実す。若し日本の青年男女諸君が、徒に模倣追随、自己の本領を没却して顧みざるが如きことあらば、そこに永く威厳ある武士的精神に生き来りし日本国民をして、他日或は危機に瀕せしむるが如き、禍根を蔵するに至らむも、未だ知るべからざるなり。
 されど、聡明なる日本の青年男女諸君、諸君は、世界幾多の国民を駆つて、不安と窮迫とに陥らしめたる、民衆煽動の唯物主義的言論を軽信し礼讃して、多年涵養し来りし建国の大精神に汚点を印するが如き浮薄と危激とを取らざるべし。
 日本と地理的にはた精神的に、幾多の類似点を有する我がイタリヤは、黒シヤツ青年の驚異すべき努力によりて、極めて堅実に興隆することを得たりしなり。これ実に彼等が、祖国に対する熱烈火の如き愛情と、身を献げて国難に赴く犠牲的精神との賜ならずんばあらず。
 忠君愛国の心、長幼上下の別、義務の観念、訓練の徹底等、凡そ此くの如きを根柢とする我がフアツシヨ主義は、恐らくは、日出処帝国の尊貴と威力とを強大に堅固に維持し宣揚し来りし日本の武士的精神と、一脈の通ずるものあるを誰れか否定し得むや。
 イタリヤ青年の魂が、フアツシヨ主義に依つて活気づけられつゝあるが如く、日本の青年男女諸君の胸に、建国の精神を活躍せしめ、武士道の精華を開発せしめよ。日本帝国の光栄ある将来を建設すべき使命は、実にかゝつて諸君の双肩に在ればなり。
 あらゆる階級に属し、あらゆる職業に従事する日本の青年男女諸君勇敢にして仁愛に富める日本の青年男女諸君、蹶然として起て。起つて而して諸君の大なる祖国のために、フアツシヨ青年と同じ心に異口同音に叫べ、
   「我等に《ア・ノーイ》!」
と。蓋し国民の真の力は、何れの国に於ても、青年男女の上に存すればなり。
  羅馬一九二六年三月――第四年
                       ムッソリーニ
○下略
  ○右メッセージ原文ハ、ムッソリーニノ自筆ニシテ、羊皮三枚ニ記サル。其写真ノ印刷セラレタルモノ「雑控書類」(渋沢子爵家所蔵)中ニ収メラレタリ。
  ○日比谷公園ニ於ケルメッセージ披露式ニ関スル記事ハ伊太利紙"Gazetta del Popolo" June 26, 1926ニモ掲ゲラレタリ。

 - 第40巻 p.532 -ページ画像 

集会日時通知表 大正一五年(DK400160k-0003)
第40巻 p.532 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
五月廿八日 金 午後六半時 ムツソリニー氏メツセージノ件ニ付伊太利大使夫妻招待相談会(星カ岡茶寮)
  ○右ト同様ノ記事「竜門雑誌」第四五三号(大正十五年六月)「青淵先生動静大要」ニアリ。略ス。


(三島海雲)書翰 渋沢栄一宛(大正一五年)七月九日(DK400160k-0004)
第40巻 p.532 ページ画像

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雑控書類 【(印刷物) 感謝辞 伊太利王国宰相ムツソリーニ閣下】(DK400160k-0005)
第40巻 p.532-533 ページ画像

雑控書類                (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    感謝辞
  伊太利王国宰相ムツソリーニ閣下
我等は、閣下が我が日本国の青年男女に寄せられたるメツセージの盛意に感激して、玆に自ら進んで、我が青年男女に代り深厚なる謝辞を閣下に致す。閣下請ふ、これを諒せよ。
 閣下、その明快暢達、能く将来を洞見する識と、勇往果敢、能く万難を排除する力とを以て、フワツシヅムを唱道し実現して、着々伊太利王国を興隆せしむ。閣下の名声は今や世界の瞻仰するところなり。
 伊太利に『黒シヤツ青年』あるが如く、我が日本には大和魂を承継げる青年男女あり、『黒シヤツ青年』が、忠君愛国の心、長幼上下の別、義務の観念、訓練の徹底を標語として邁往するが如く、日本の青年男女は、質実剛健と、温良貞順とを規箴として直前しつゝあり。而して今や伊太利は、此の『黒シヤツ青年』の犠牲的努力に依りて、其の国運を増進し、我が日本は、此の大和魂を承継げる青年男女の献身的奉公に依りて、世界の舞台に登るに至れり。
 されど、日本の青年男女の中には、時に或は軽佻詭激の風潮に累せらるゝものなしとせざるは、我が国識者の夙に憂慮して、断えず彼等の提撕誘掖を怠らざるところ。且、彼等をして、更に、東西文明の流が相会する日本こそ、実に両者の長所美点を融合して新文化を建設し
 - 第40巻 p.533 -ページ画像 
以て、世界の平和に寄与し、人類の幸福に貢献すべき位置と天職とを有する所以を理解せしめ、其の任務の頗る重大なるを自覚せしむるに努めて已まざるなり。
 今次、閣下が我が青年男女に与へられたる、熱烈火の如く、温情親の如きメツセージは、言言、彼等の肺腑に徹して、彼等をして真に感奮興起せざること能はざらしむ。我等は、閣下の盛意の我が青年男女を感動せしめたることの大なるを思ふと同時に、日伊両国の国交が将来一層の親善を加へ来るべきを信じ、やがて、通商貿易の隆昌を致し両国民の福利いよいよ滋からむことを信ぜざるを得ず。果して然らば閣下のメツセージは、実に我か国青年男女のみの幸慶にとどまらざるなり。
 大正十五年五月十五日十六日の両夜、新樹翠滴らむとする日比谷公園の音楽堂に於て開催せる、閣下のメツセージ披露の大会は、一夜の入場者約一万人にして立錐の地を剰さず、場外に集れるもの甚多かりき。
 加之閣下の小伝を印刷して、これを全国の学生に頒たむことを発表するや、これを求め来るもの多く、既に四十万部に垂んとして今尚底止するところを知らず。この一事、以て我が日本青年男女が如何に閣下を景仰するかの状を彷彿するを得ん。
 それ此の如く閣下のメツセージが、我が国に於て一大感激を起したる事実は、仮令、我等が千万言の謝辞を以てするよりも尚雄弁なりと謂はざるべからず。閣下、冀くは此の日本青年男女の捧ぐる満腔の感謝を快く受け給はむことを。 敬白
  大正十五年八月七日
                   子爵 渋沢栄一
                   子爵 後藤新平
                 文学博士 沢柳政太郎


中外商業新報 第一四五六九号大正一五年九月一五日 メツセージに対して伊国宰相へ感謝状 日本の青年男女を代表して渋沢子・後藤子・沢柳氏の連名で(DK400160k-0006)
第40巻 p.533 ページ画像

中外商業新報  第一四五六九号大正一五年九月一五日
    メツセージに対して伊国宰相へ感謝状
      日本の青年男女を代表して
      渋沢子・後藤子・沢柳氏の連名で
一代の英傑イタリー宰相ムツソリーニ氏が過般我国の青年男女に対しメツセージを贈つて来たことは当時報道したが、これに対し子爵渋沢栄一・子爵後藤新平・文学博士沢柳政太郎三氏が、我国青年男女を代表して左記の如き感謝辞を贈ることになつた、この感謝辞は陸奥紙三枚《みちのく》に御歌所寄人阪正臣氏が名筆を揮ひ、桐の二重箱に納め、来る十月下旬渡伊する下位春吉氏に託してムツソリーニ氏に贈る予定である
      感謝辞○前掲ニ付キ略ス


集会日時通知表 大正一五年(DK400160k-0007)
第40巻 p.533-534 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
十月二十日 水 正午   下位春吉氏送別会(日本工業クラブ)
  ○中略。
十月廿四日 日 午前九時 下位春吉・三島海雲氏来約(アスカ山)
 - 第40巻 p.534 -ページ画像 
        午後二時 下位春吉氏来約(アスカ山)


中央新聞 第一五一四七号昭和二年二月二日 黒シヤツ首相に名士の感謝状 渋沢子の懐旧談にムソリニ氏も感謝(DK400160k-0008)
第40巻 p.534 ページ画像

中央新聞  第一五一四七号昭和二年二月二日
    黒シヤツ首相に名士の感謝状
      渋沢子の懐旧談にムソリニ氏も感謝
〔ローマ三十一日発電通〕イタリー首相ムツソリニ氏は、日本の詩人にして氏が昨年日本青年に宛て送つたメツセーヂの翻訳者である下位春吉教授を引見した、同教授はムソリニ首相の右メツセーヂに答ふる為め、日本の諸名士が署名せる感謝状を携へ来れる日本新聞記者より成る委員を紹介した、該感謝状中には渋沢栄一子の署名もあり、同子爵はフランスのナポレオン三世及びイタリー中興の恩人ガリバルヂーと旧識ありと冒頭し『余はムソリニ首相の高尚なる言葉に感激した、余の国なる日本は閣下がフアスシズムを創成した深慮遠謀と天下無比の勇猛心に対し感謝と賞讃の意を表す、閣下が創成したフアスシズムの為めイタリーは毎日強大を加ふるを見て余は欣喜の情に堪へず』と説いた、之に対しムソリニ氏は深き感謝の意を表し、イタリーと日本との友誼は常に強固を加ふることを信ずと言つた