デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
4款 慶弔
■綱文

第40巻 p.558-561(DK400180k) ページ画像

大正14年7月29日(1925年)

是月二十八日、アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト軽井沢ニ於テ死去ス。

仍ツテ是日栄一、同国大統領カルヴィン・クーリッジ宛弔電ヲ発ス。次イデ八月五日、ソノ葬儀、芝区栄町聖アンドリウス教会ニ執行セラル。栄一病気ノタメ参列スルヲ得ズ、霊前ニ花輪ヲ供フ。


■資料

東京朝日新聞 第一四〇七二号大正一四年七月三〇日 米大使バンクロフト氏軽井沢に客死す 胃潰瘍に罹り三週間前から新渡戸博士の別邸に静養中 昨夜突如急変して(DK400180k-0001)
第40巻 p.558 ページ画像

東京朝日新聞  第一四〇七二号大正一四年七月三〇日
  米大使バンクロフト氏軽井沢に客死す
    胃潰瘍に罹り三週間前から
    新渡戸博士の別邸に静養中
      昨夜突如急変して
〔軽井沢特派員電話〕駐日米国大使エドガー・アヂソン・バンクロフト氏は去る七日より軽井沢なる新渡戸博士の別荘に暑を避けてゐたが持病たる胃かいようになやまされ、去る十五日より病勢頓に進み、既報の如く一時重態を伝へられたが小康を得、それ以来医員・看護婦等付き添ひ病床に横臥のまゝ加療中のところ、二十八日午後病勢急に革り、東京築地聖路加病院長トイスラー博士及び池田博士は直に一等書記官エドワード・ネヴイル氏等と共に同地に向つて急行したが、同夜九時五十分遂に逝去した、病名は十二指腸かいようである。行年六十九歳
○下略


渋沢栄一電報控 カルヴィン・クーリッジ宛大正一四年七月二九日(DK400180k-0002)
第40巻 p.558-559 ページ画像

渋沢栄一電報控  カルヴィン・クーリッジ宛大正一四年七月二九日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆)
                  八月一日御一覧
 華盛頓市
 - 第40巻 p.559 -ページ画像 
  クーリツジ大統領閣下 渋沢
我等は我等の尊敬せるバンクロフト大使の俄の逝去を謹んで哀悼す、同大使の此悲しむべき出来事は単に貴国の損害に止まらず、我国に取りても大なる損失なり、何となれば我等は日米国交現状に鑑み同氏に期待したる処多大なればなり
  大正十四年七月二十九日
  ○バンクロフト大使ニ就イテハ本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十四年二月二日並ニ第三十五巻所収「日米協会」大正十三年十二月十二日ノ条参照。


(エドウィン・エル・ネヴィル)書翰 渋沢栄一宛一九二五年九月二日(DK400180k-0003)
第40巻 p.559 ページ画像

(エドウィン・エル・ネヴィル)書翰  渋沢栄一宛一九二五年九月二日
                    (渋沢子爵家所蔵)
          EMBASSY OF THE
        UNITED STATES OF AMERICA
             Karuizawa, September 2, 1925
My dear Viscount Shibusawa:
  On behalf of the President of the United States of America, I am directed to acknowledge the receipt of your kind and sympathetic message of condolence addressed to him on the occasion of the death of the late Ambassador of the United States, the Honorable Edgar Addison Bancroft. The receipt of this message was deeply appreciated as evidence of your friendly interest in all matters affecting the continued pleasant relations between Japan and the United States of America.
  I am, my dear Viscount Shibusawa,
           Very sincerely yours,
                   (Signed)
                  Edwin L. Neville,
                   Charge d'Affaires, a.i.
Viscount Shibusawa,
  TOKYO.
(右訳文)
                     (栄一墨書)
                     九月八日一覧
 東京市                  (九月四日入手)
  渋沢子爵閣下   軽井沢、一九二五年九月二日
            代理大使エドウヰン・エル・ネヴヰル
拝啓、故米国大使エドガー・アヂソン・バンクロフト氏の逝去に際し閣下より米国大統領宛鄭重なる御弔電を賜り候に就ては、小生代理にて謹んで御礼申上べしとの大統領よりの訓令に相接し候に付、玆に御伝へ申上候、閣下よりの御弔電は日米両国間不断の親善に関し閣下が何事にも深く御留意被遊候証差《(左カ)》として、大統領に於ても深く感謝致居る次第に御座候 敬具


中央新聞 第一四六〇六号大正一四年八月六日 米大使告別式 各大臣参列昨日盛大に(DK400180k-0004)
第40巻 p.559-560 ページ画像

中央新聞  第一四六〇六号大正一四年八月六日
    米大使告別式
 - 第40巻 p.560 -ページ画像 
      各大臣参列昨日盛大に
故米国大使バンクロフト氏の遺骸は、芝栄町のアンドリウス教会に安置され、昨五日は午後四時から六時まで一般弔問者の焼香を求めた、故大使の遺骸は白木造りの檜の棺に納められ、教会の大聖堂正面金色の十字架の前に安置され、棺の上には花輸が手向けられてあつた、聖堂内には加藤首相始め各大臣・各国大公使の霊前に捧げた花輸もて埋められ、棺の右側には米国将校一名及び我が陸軍将校一名が直立し、堂内には尚ほ数名の米国将校が威儀を正して荘厳の気が漲つて居た、埴原米大使・日置独大使・徳川貴族院議長・粕谷衆議院議長・渋沢栄一子等が贈つた花輪も夫々に飾られ、自動車或ひは腕車で来る生前大使の知己たる弔問者の内外人は一様に厳粛なる哀悼を故大使の遺骸の前に捧げた
  ○栄一、昨十三年末ヨリ喘息ヲ発シ療養中ノタメ、右告別式ニ参列セズ。


米国人来翰(四)(DK400180k-0005)
第40巻 p.560 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕渋沢栄一書翰控 ダブリュー・エフ・ハイプス宛 大正一四年八月二一日(DK400180k-0006)
第40巻 p.560-561 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ダブリュー・エフ・ハイプス宛大正一四年八月二一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             (栄一墨書)
             八月十六日一覧 早々発送可致候事
    案
 市俄古市
  ダブルユー・エフ・ハイプス殿
   大正十四年八月二十一日
                      渋沢栄一
拝復、六月廿六日附尊書難有拝見仕り候、然は頭本元貞氏東京日米関係委員会を代表致し貴地に罷出候に付ては、酷暑且つ御多忙中にも不拘何呉となく御厚配被下候事と存じ厚く御礼申上候
 - 第40巻 p.561 -ページ画像 
バンクロフト大使とは御赴任以来懇親を忝ふ致、同大使が日米親善の為に種々尽瘁せられ候を衷心より喜び、国民と共に同大使を尊敬致、且大に期待罷在候処、同大使には信州軽井沢に避暑中宿痾を発せられ種々治療を加へ候も遂に効を奏せず、本月廿八日夜忽焉として逝去せられしは老生の深く遺憾とする処に御座候、現下に於ける両国の国交に鑑み同大使の逝去は単に貴国民の損失たるのみならず、我国民に取りても多大の損失に御座候、同大使の親友たる貴台に対し玆に謹んで哀悼の意を奉表候
先は御返事旁々得貴意度如此に御座候 敬具
  ○右英文書翰ハ同日付ニテ発送セラレタリ。
  ○尚、本資料第三十八巻所収「タウンゼンド・ハリス記念碑建設」大正十四年七月九日及ビ同年八月四日ノ条参照。