デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
3款 財団法人斯文会
■綱文

第41巻 p.95-96(DK410039k) ページ画像

昭和6年7月(1931年)

是月、当会発行ノ雑誌「斯文」山陽先生百年祭記念号ニ、栄一『日本外史ノ教訓』ト題スル談話ヲ発表ス。


■資料

斯文 山陽先生百年祭記念号・第一三編第七号・第一〇―一二頁昭和六年七月 日本外史の教訓 渋沢栄一(DK410039k-0001)
第41巻 p.95-96 ページ画像

斯文 山陽先生百年祭記念号・第一三編第七号・第一〇―一二頁昭和六年七月
    日本外史の教訓
                       渋沢栄一
 - 第41巻 p.96 -ページ画像 
頼山陽は良史であり、又、日本外史は好著である。自分も初めは戦国の英雄の事蹟が知り度くて日本外史を読んだのであつたが、読んで居る内に段々面白くなつて、山陽の議論に釣り込まれて、いつしか尊王論に耳を傾ける様になり、山陽詩鈔を愛読し、楠公に関する詩などは大抵暗誦して居つた。今でも湊川の詩の後半はなほ覚えて居る。
その頃は外患が漸く急にして、自分たちは幕府の態度が如何にも優柔不断で、唯外国の命に是れ遵ふを憤り、漢学者流の攘夷論にかぶれ、一旗挙げる計画までしたが、同志の忠告によつて思ひ切り、改めて一ツ橋家に御奉公するに至つたのである。
維新の後自分は早々野に下り、身を実業界に投じたが、根が漢学仕込だけあつて、どうしても義理を棄てゝ商売する気になれず、年来論語算盤説を唱へて、道徳と経済との提携を主義として居る。然るに今時の人は兎角義理の観念が薄くて困る。「得るを見ては義を思ふ」「義を見てせざるは勇なきなり」等の句が脳裡に在りさへすれば、決して不義の行をして利益を得ようなどといふ考は起らぬ筈である。若い人達はせめて外史位はみつしり読んで日本精神を養つてもらひたい。
さて、この度山陽の百年記念に忠孝祭を桜井駅址に催すといふことであるが、如何にも結構な企である。自分も及ばずながら微力を尽したい。楠公父子の尽忠報国の大節に至つては今更申すまでもないが、実際楠公は己の献策の容れられざるにも拘らず、身を挺して湊川に戦死し、且つ小楠公を留めて乃父の志を継がしめ、父子一門国家の難に殉じた、真に忠勇義烈無双の国士である。私利私党の為に国家の公益を顧みない様な、無責任な今の政治家は、宜しく楠公の下風を拝して反省すべきである。
今や上下挙つて治安に慣れ、世界的不景気に崇られて、財政上非常な危機に瀕して居るにも拘らず、国民の多数はまるで無関心の如く、驕奢淫逸に流れ、恰も幕末の如く、人心が萎靡して振はない。こんな勢ではとても外敵に当ることはむつかしい。処で、今の外敵は武力によらず、或は経済を以て、或は思想を以て、平和の仮面を被むりつゝ、断えず襲撃して来るのであるから、少しも油断はならない。然るに、現今の様に風俗が頽廃してはいけない。何とか人心を一新する工夫がなくてはならない。是時に当り、忠孝祭の拠は実に時宜に適したものである。何卒その意義を世人に徹底せしめ度いものである。