デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
5款 財団法人明治神宮奉賛会
■綱文

第41巻 p.569-573(DK410113k) ページ画像

大正9年10月2日(1920年)

明治神宮ノ社殿造営成リ、十一月一日ヨリ三日間鎮座祭行ハレントス。是日栄一、東京商業会議所会頭藤山雷太ト謀リ、東京府下ノ有力ナル銀行・会社ノ代表者ヲ、東京商業会議所ニ招キテ奉祝方法ヲ協議シ、醵金四万三千余円ヲ得、之ヲ明治神宮ニ献納ス。


■資料

明治神宮鎮座祭東京実業家奉祝ニ関スル報告書(DK410113k-0001)
第41巻 p.569-571 ページ画像

明治神宮鎮座祭東京実業家奉祝ニ関スル報告書
                   (東京商業会議所所蔵)
大正四年五月一日、明治神宮社殿ヲ東京府豊多摩郡代々幡町大字代々木ニ御造営、祭神ヲ明治天皇・昭憲皇太后ノ二柱ト定メ給ヒ、社格ヲ官幣大社ニ列セラルヽ旨仰出サレ、同年秋季ヨリ社殿内苑其他御造営ノ工事ニ着手、宝物殿ノ工事ヲ除クノ外予定ノ工程ヲ完成セラレ、大正九年十一月一日神霊鎮座ノ式ヲ行ハセラル○中略玆ニ於テ明治神宮造営局・警視庁・東京府・東京市・明治神宮奉賛会・東京商業会議所ノ各当事者ハ、大正九年九月十日午後一時東京市麹町区三年町明治神宮奉賛会事務所ニ会合シ、鎮座祭奉祝ノ件ニ関シ協議シ、越テ大正九年
 - 第41巻 p.570 -ページ画像 
九月二十九日子爵渋沢栄一・藤山雷太ノ両氏ハ、各方面ノ重ナル実業家・銀行・会社等ニ左ノ書面ヲ発送セラレタリ
 謹啓益々御清適奉大賀候、陳ハ今年十一月一日ヨリ三日間明治神宮鎮座祭執行致サレ候ニ付テハ、之カ奉祝ノ方法ニ関シ篤ト御協議申上度候ニ付、御多忙中恐縮ノ至リニ存シ候ヘ共、来ル十月二日午前十時東京商業会議所ヘ御来駕下サレ度、此段得貴意度如斯御座候
                          敬具
  大正九年九月二十九日
                     子爵 渋沢栄一
                        藤山雷太
        殿
  追テ当日御差支ノ節ハ御代理ノ方御出席被下候様致度申添候
大正九年十月二日午前十時、東京市麹町区有楽町一丁目一番地東京商業会議所ニ集合セラレタル人々ハ大倉喜八郎男・明治神宮奉賛会副会長阪谷芳郎男・横浜正金銀行頭取梶原仲治・早川千吉郎・第一銀行頭取佐々木勇之助ノ諸氏ヲ始メ、重ナル銀行会社商店員、東京商業会議所議員・特別議員等百二十余名ニシテ、当局側ヨリ内務大臣床次竹二郎・内務次官小橋一太・神社局長塚本清治・内務大臣秘書官滝正雄・内務書記官吉田茂ノ諸氏、及ヒ主人側渋沢栄一子・東京商業会議所会頭藤山雷太ノ両氏出席セラレタリ
玆ニ於テ渋沢子爵開会ヲ宣シ、劈頭床次内務大臣・小橋内務次官ノ明治神宮鎮座祭奉祝ニ関シ挨拶辞アリ、続テ明治神宮奉賛会副会長阪谷芳郎男ヨリ、明治天皇・昭憲皇太后ノ御聖徳ヲ奉頌シ併セテ明治神宮御造営ノ経過大略ヲ報シ、鎮座祭奉祝ノ方法ニ関シ希望ヲ述ヘ、次ニ渋沢子爵・藤山東京商業会議所会頭ヨリ交々鎮座祭奉祝ノ件ニ関シ各其希望ヲ披瀝シ、協議シタル結果、東京実業家ハ一致シテ明治昭代ノ大帝タリシ明治神宮ノ鎮座祭ヲ奉祝スルコトヽシ、相撲・競馬・大弓・撃剣・柔道・流鏑矢・煙花等各種奉納競技ノ費用ニ充ツルカ為メ、金参万円ヲ限度トシテ各自醵出スルコトニ申合セ、大倉喜八郎男ノ提議ニ依リ、該醵出金分担ノ方法、其他鎮座祭奉祝ニ関スル一切ノ件ヲ、挙テ渋沢子爵・藤山東京商業会議所会頭ノ両氏ニ委託スルコトニ満場異議ナク可決シ、午前十一時五十分閉会シタリ
前記申合ニ基キ渋沢子爵・藤山東京商業会議所会頭ノ両氏ハ、明治神宮鎮座祭奉祝費醵出金ノ分担額ヲ定メ、大正九年十月五日連名ヲ以テ左ノ書面ヲ主ナル実業家・銀行・会社等ニ発送シ出金ヲ求メタリ
 謹啓益々御清適奉大賀候、陳ハ十月二日明治神宮鎮座祭奉祝ニ関シ東京商業会議所ニ於テ御協議申上候処、当日ハ甚タ多数ノ御出席有之、主トシテ角力・剣道・大弓・競馬・煙花等ノ余興ニ対スル費用ニ充ツルカ為メ金参万円ヲ標準トシテ寄附金ヲ募集シ、東京実業界ハ一致シテ明治神宮鎮座祭ヲ奉祝シ、又右寄附金ノ割当ハ拙者等ニ御一任ノ事ニ決定致サレ申候、就テハ明治昭代ノ大帝タリシ明治神宮ノ鎮座祭ハ実業界一般ニ広ク奉祝ノ意ヲ表シタク、貴会社(貴行貴下)ニ於カレテモ何卒右協議ノ趣旨ニ依リ金 円也御寄附相願度、若シ御承諾下サレ候ハバ来ル十月十五日迄ニ東京商業会議所ヘ御申込下
 - 第41巻 p.571 -ページ画像 
サレ度、此段得貴意度如斯ニ御座候 敬具
  大正九年十月五日          子爵 渋沢栄一
                       藤山雷太
           殿
   ○右寄付金ハ元利合計四万三千六百十三円五十銭ニ達シ、其他物品寄付ト共ニ全部明治神宮ニ献納ス。同神宮ニ於テハ十一月一日ヨリ三日間ノ祭典当日、相撲・競馬・弓術・撃剣・柔道・流鏑馬等ノ各競技並ニ煙花等各当路者ヨリ奉納アリタルヲ以テ、右寄付金ヲ桟敷其他競技場諸設備、優勝旗・木盃等ノ費用ニ宛テタリ(同上報告書ニ拠ル)。


中外商業新報 第一二四〇六号大正九年一〇月三日 ○実業家の奉祝協議(DK410113k-0002)
第41巻 p.571 ページ画像

中外商業新報 第一二四〇六号大正九年一〇月三日
    ○実業家の奉祝協議
十一月三日挙行せらるべき明治神宮鎮座祭も一ケ月の後に迫りたるを以て、二日床次内相・塚本神社局長・小橋次官・渋沢子爵、阪谷・大倉両男爵、藤山雷太氏其他二百余名の実業家等東京商業会議所に参会し、鎮座祭奉祝問題につき協議会を開きたるが、其結果都下の実業家中より三万円の資金を募集し、鎮座祭当日花火・角力・剣道等の諸催しを挙行して奉祝の意を表する事を決議し、其方法は阪谷男爵・藤山会頭に一任する事とせり


中外商業新報 第一二四〇六号大正九年一〇月三日 鎮座祭寄附協議(DK410113k-0003)
第41巻 p.571 ページ画像

中外商業新報 第一二四〇六号大正九年一〇月三日
    鎮座祭寄附協議
明治神宮の御造営も愈々竣成し、来る十一月一・二・三日の三日間に亘り、壮厳盛大なる鎮座祭御挙行相成に付、明治天皇の御遺徳を表する為め、当日馬政局に於ては競馬会を、大日本武徳会にては武術・角力・流鏑馬を催す事となりたるが、之等に要する費用調達に就き東京商業会議所に申込み来りたるより、同会頭藤山氏は渋沢子と協議の末二日午前十時より会議所に市中の重なる銀行・会社・有力実業家と懇談する処ありて、三万円を寄附する事を満場可決し、出席者の合意を得て右会計其他一切を渋沢子・藤山氏に委嘱する事となり、正午散会せり、尚床次内相・小橋次官も出席して種々希望等を述べたり


竜門雑誌 第三八九号・第五三―五四頁大正九年一〇月 ○明治神宮鎮座祭奉祝協議(DK410113k-0004)
第41巻 p.571-572 ページ画像

竜門雑誌 第三八九号・第五三―五四頁大正九年一〇月
○明治神宮鎮座祭奉祝協議 明治神宮の鎮座祭は来十一月一日より三日間に亘りて挙行せらるゝ事となりしかば、東京府・市並に明治神宮奉賛会に於ても夫々遺漏なく奉祝の誠意を表すべく、十月二日午前十時東京商業会議所に於て神宮造営局総裁床次内相を首め小橋神宮局長又奉賛会側より副会長青淵先生・同阪谷男・大倉男・藤山商業会議所会頭及び京浜の実業家百六十余名会合の上、奉祝に関する協議を凝したるが、右に就き阪谷男爵は左の如く語れる由、十月三日の「やまと新聞」は報ぜり。
 今度の大祭典は神宮最初の挙行で後日典範ともなる可きものであるから、宜しく慎重の態度に出でなければならぬ、私利私慾や虚栄を去り、誠心誠意上下心を一つにして内心的に明治大帝の神霊を慰め申す事が総ての根本である、所が今日の協議会には、案内状を発し
 - 第41巻 p.572 -ページ画像 
ても滅多に集まつた事のない実業家連も殆総員参集したのは、涙が出る程嬉しかつた、そして満場一致三万円の余興援助資金の寄附を協賛したのである、余興は小笠原家から申込の流鏑馬や射弓、及び花火・角力・撃剣等で、是等の設備を完全にして一般観覧者の便宜を計り、衆と共に楽むと云ふ先帝の大御心を遵守し、動もすれば軽卒にも青年の思想が動揺を見んとする折柄、此神境に遊び、自ら神霊の御教訓を受け、三千年来永世無比の国民性を発揮する大自覚を促したい、吾々は何処迄も形式的のお祭騒ぎをして無用の濫費をする事を戒むると共に、尊厳なる可き此の祭典を、私利私慾に利用せんとするが如き不心得者ありて、万一にも神社の神聖を冒涜せざる様、返すがえすも祈つてゐる云々
 因に公爵一条実輝氏は明治神宮々司に、鈴木松太郎氏(熱田神宮権宮司)は同神宮権宮司に任命ありたり。


中外商業新報 第一二四三五号大正九年一一月一日 ○明治神宮讚仰記(DK410113k-0005)
第41巻 p.572-573 ページ画像

中外商業新報 第一二四三五号大正九年一一月一日
    ○明治神宮讚仰記
      鰹木の黄金の色は碧空に映えて
      代々木原頭久遠に輝く其の聖徳
  ◇……国民挙り拝す今日の鎮座祭
 明治大帝の御盛徳と御偉業、照憲皇太后の至仁にして至淑、坤徳具さに備へさせ給ふ高大なる御事蹟を国民が永遠に欽仰崇敬すべき明治神宮は、玆に御造営全く竣つて今日しも御鎮座の盛典が執り行はれる、玆に宮柱太しく樹ち、千木高しる神殿の造営に就て、其概要を記するも徒爾ではあるまい
  建造の由来
    国民敬仰の象徴として
明治四十五年七月卅日先帝の崩御ましますや、御当時既に天皇奉祀の神社建設を国民は冀望して止まず
◇総理大臣 内務・宮内両大臣其他元老に陳情悃願するもの続々あり一方帝国教育会の請願があつたのを貴族院は採択し、衆議院も亦政府に建議した結果、諒闇明けの大正二年十一月二十二日明治大帝御鎮祭の儀を御治定相成り、同十二月勅令を以て神社奉祀調査会官制を定められて、玆に明治天皇奉祀一切の調査の事が定まつた、然るにその中途昭憲皇太后の
◇崩御あり 乃ち翌三年八月昭憲皇太后を併せ祭ることに内定あらせられ、斯くて神社奉祀調査会は審議に熟議を重ね、明治神宮奉建費三百四十五万七千三百七十九円を計上し、第三十五帝国議会に於て満場一致の協賛を経、翌四年四月卅日勅令によつて明治神宮造営局官制が公布された、次で四年五月一日内務省告示を以て
◇明治神宮 の祭神を、明治天皇・昭憲皇太后とし、東京府豊多摩郡代々幡村代々木に社殿創立、社格を官幣大社に列せらるゝ旨仰出された、斯て、御造営局総裁に、伏見宮貞愛親王殿下を戴き、副総裁は内務大臣、局長は神社局長之を兼ね、参与・参事其他の職員夫々任命されて、爾来六星霜、玆に、国民敬仰の象徴たる神宮の御造営が竣つた
 - 第41巻 p.573 -ページ画像 
のである
  御鎮座の地
    先帝に由緒深き地を
東京の地は明治天皇とは深い関係がある、先帝東行宮城を定めさせられ、御在位四十五年の長き万邦の瞻仰する盛徳大業を建て給へるの地御鎮座地としては誠に由緒深き地としてこの南豊島御料地を定められたる次第である、神域総面積二十二万九百十六坪六合五勺、其内二十万一千四百七十八坪七合二勺は世伝御料地、二千六百八十九坪八合九勺は普通御料地、一万六千七百四十七坪七合四勺は官有地第一種及び元代々木練兵場の一部である、御造営費は最初三百四十五万余円であつたのが、四百四十三万余円に増加し、更に近年物資騰貴の結果五百二十余万円と云ふ事になつた
  地鎮祭より
    御例祭の三日に至る祭式
地鎮祭は大正四年十月七日、釿始祭は同五年三月二十五日、立柱祭は同八年五月二十七日、上棟祭は同年七月十二日、清祓新殿祭は同九年十月二十八日、御飾式は同年同月二十九日、鎮座祭は同年十一月一日天皇皇后両陛下御拝は同二日、御例祭は同三日である
○下略


中外商業新報 第一二四三六号大正九年一一月二日 ○奉賛会の祝賀晩餐会(DK410113k-0006)
第41巻 p.573 ページ画像

中外商業新報 第一二四三六号大正九年一一月二日
    ○奉賛会の祝賀晩餐会
明治神宮奉賛会は鎮座祭も滞りなく終つた一日午後六時から、権田原の憲法発布記念館に朝野の名士を招いて奉祝晩餐会を催した、主人側は会長徳川公・副会長阪谷男・三井八郎右衛門男以下役員、来賓としては原首相以下内田・田中・野田・中橋・床次の各国務大臣其他大官阿部東京府知事を始め各府県知事、和田・大橋・末延・池田・小池・服部・大谷・神田・井上其他の実業家諸氏出席、宴中徳川会長立ちて君が代奏楽裡に両陛下の万歳を唱へ、更に又起つて明治神宮鎮座奉祝の意を披瀝して一場の挨拶をなし、併せて外苑工事の経過を述べるや之に対し原首相は来賓を代表して謝辞を致し、宴後歓談に時を移して散会した