デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
2節 神社
8款 南湖神社関係 2. 南湖神社
■綱文

第41巻 p.638-643(DK410136k) ページ画像

大正14年5月2日(1925年)

是日栄一、当神社ニ橋本永邦筆白桜図・下村観山筆紅楓図ノ扁額二面ヲ寄進ス。十一月、楽翁公奉祀表徳会解散ス。


■資料

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正一四年)一月七日(DK410136k-0001)
第41巻 p.638-639 ページ画像

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正一四年)一月七日 (増田正純氏所蔵)
 - 第41巻 p.639 -ページ画像 
    (別筆)
    大正十四年一月七日湯河原温泉御滞在中の渋沢子爵御書信
○上略 又養育院幹事田中氏ニ伝言致候南湖神社拝殿額面奉納之事ハ、早早黒須氏に申談し、幸ニ観山画伯執筆致呉候ハヽ、桜花と紅楓との双額とし、社殿正面之左右両方面ニ存置いたし度、而して其裏面ニ老生奉納之理由を記載致置候ハヽ、後日之記念とも可相成と存候、果して此見込相届候様なれハ、可成ハ本年三月中位ニ出来し奉納結了致度、而して来ル五月十三日之楽翁祭ニ於而、参会者へ之配り物ニ右額面之写を、例之写真版として進呈候様相成候ハヽ一段之興味ある事と存候但本額面創作之費用、観山画伯へ之謝礼又ハ写真之製造費等、余り巨額ニ相成候而ハ又一考を要する義ニ付可成至急ニ御取調有之度候、素より数奇を尽し候考等無之、只平生尊敬する偉人之神霊ニ微衷を供する之意御察之上、経費を節約して希望貫徹候様御尽力可被下候
○中略
  一月七日
                        栄一
    増田明六様
        梧下
東京兜町 渋沢事務所 増田明六様 親展要件 湯河原客舎 渋沢栄一
托信雄帰京便 一月七日
   ○信雄ハ栄一ノ孫渋沢信雄。


楽翁公奉祀会書類(DK410136k-0002)
第41巻 p.639-640 ページ画像

楽翁公奉祀会書類             (渋沢子爵家所蔵)
福島県白河町は松平楽翁公の旧封地に属して、其南湖神社は、公の遺徳を欽慕せる同地の有志者相謀りて、近年新に奉祀せる所なり、既に世の知れる如く、我が東京市養育院は公の徳沢に浴すること最も深く院長たる不肖も亦公に私淑すること此に年あり。是を以て今回扁額二面を製して同社に奉納し、以て聊か景仰の意を表したり。額は桜花楓葉の図にして、比に縮写せるもの即ち是なり。前者は橋本永邦氏の筆後者は下村観山氏の筆に成り共に縦二尺五寸横六尺の著色密画なり。而して別に左の如き献額記を添付せり。
玆に本日養育院に於て公の例祭を執行するに当り、此図を来会の諸君に贈呈して記念となす。
                     渋沢栄一
  大正十四年五月十三日

    南湖神社献額記
嗚呼吾楽翁公、宰臣権ヲ専ラニシ、綱紀頽廃ノ後ヲ承ケ、居然其政局
 - 第41巻 p.640 -ページ画像 
ニ立チ、首トシテ文教ヲ尚ヒ、宮闕ヲ修メ、奢侈ヲ禁シ、救恤ニ務メ経営七年ニシテ秕政悉ク除キ、百廃倶ニ興ル、其徳業流風、近代輔相中ニ冠絶ス。然ルニ資性恬澹、早ク権勢ヲ得意ノ日ニ舎テ、骸骨ヲ方ニ壮ナルノ年ニ乞ヒ、閒雲野鶴ヲ侶トスルカ如クニシテ、隠然君ヲ輔佐シ、身ヲ国家ノ安危ニ繋ルモノ実ニ三十有九年、間マ心ヲ風雅ニ寄セ、此地ヲ以テ遊息ノ処ト為ス、真ニ是レ先憂後楽、前賢ニ駕スト謂フモ敢テ不可ナカルヘシ。後移封ノ事アリト雖、公ノ英霊此土ニ留ルヤ必セリ。宜哉南湖神社トシテ爰ニ鎮座セラルヽコトヤ。不肖栄一夙ニ公ニ私淑シ、其徳業ヲ継キ、東京市養育院ノ事務ヲ担当シ、日夜尽瘁懈ラス。因テ玆ニ扁額二面ヲ製シ、謹テ社前ニ奉献ス。冀クハ春花秋葉来テ神前ニ賽スルモノ、仰瞻欽慕、不肖ト能ク其感ヲ同ウセラレンコトヲ。
  大正十四年乙丑五月
                   子爵 渋沢栄一

渋沢栄一全集 山本勇夫編 第六巻・第二一七頁昭和五年一二月刊(DK410136k-0003)
第41巻 p.640 ページ画像

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(川崎大四郎)書翰 増田明六宛(大正一四年)五月二日(DK410136k-0004)
第41巻 p.640 ページ画像

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(川崎大四郎)書翰 増田明六宛(大正一四年)五月二日(DK410136k-0005)
第41巻 p.640-641 ページ画像

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(三上参次)書翰 渋沢栄一宛大正一四年五月四日(DK410136k-0006)
第41巻 p.641 ページ画像

(三上参次)書翰 渋沢栄一宛大正一四年五月四日 (渋沢子爵家所蔵)
              (別筆朱書)
              大正十四年五月四日三上参次氏来状
謹啓、新緑之好時節御起居如何にいらせられ候や伏して御万福を祈り申候、さて先般丸野白河町長を御紹介被下候ひし件にて昨日白河へ参り申候、楽翁公の例祭並ニ南湖公園の史蹟名勝地として指定せられたる儀の報告祭も、首尾よく且つ盛大に遂行せられ申候、御寄進ニ相成り候春花秋葉の二大額の、拝殿に奉掲せられたるをも拝見いたし候、頗る美事ニて神域も一段之荘厳と風趣を加へたる感をいたし候、其後ニ中学校の講堂にて一場の講話を試ミ即夜帰京仕り候、右景況御報告申上度一筆如此ニ御坐候 敬具
  大正十四年五月初四
                     三上参次
    渋沢青淵先生
          研北


(松平定晴)書翰 渋沢栄一宛大正一四年五月一四日(DK410136k-0007)
第41巻 p.641-642 ページ画像

(松平定晴)書翰 渋沢栄一宛大正一四年五月一四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆朱書)
             大正十四年五月十四日松平定晴氏来状
拝啓、承り候へは先般来御不例御加養御事、折角御自重奉祈候、陳者昨日ハ巣鴨分院内新設備之観覧御求且楽翁祭御案内ヲ蒙り奉謝候、可罷出之処頃日少々不健康之ため乍遺憾不参仕候、扨又先頃ハ田中幹事ヲ以而態々南湖神社へ御寄進の懸額御調製、其拝見方之儀ニ付云々御申入れ被下逐一拝承深謝之至奉存候、然ル処是亦此度ハ拝見之機を逸し候も、何れ参拝の折も可有之其節拝見楽しみ罷在候、先ハ御挨拶申述度以寸楮如此御坐候 敬白
  十四年五月十四日
                      松平定晴
 - 第41巻 p.642 -ページ画像 
    渋沢栄一殿


(川崎大四郎)書翰 増田明六宛(大正一四年)一〇月三一日(DK410136k-0008)
第41巻 p.642 ページ画像

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楽翁公奉祀会書類(DK410136k-0009)
第41巻 p.642-643 ページ画像

楽翁公奉祀会書類            (渋沢子爵家所蔵)
    感謝状
大正四年白河町ニ於テ御大典紀念トシテ楽翁公奉祀表徳会ノ組織セラルヽヤ、大ニ其計画ヲ賛襄セラレ、其総裁トシテ多大ナル援助ヲ賜ハリ、東京市ノ富豪有志ニ其出資ヲ勧誘サレ、自ラ巨万ノ寄附金ヲ投セ
 - 第41巻 p.643 -ページ画像 
ラレ、大正九年、漸ク神社創立ノ認可ヲ得、次テ、神社造営ノ地鎮祭ニハ代理者ヲ派遣サレ、立柱祭・鎮座祭ニハ親シク来臨セラレ、遂ニ今日ノ県社南湖神社ノ完成ヲ見ルニ至リ、更ニ社前ニ壮麗ナル大双扁額、並ニ献額記等ヲ寄進セラレ、本社ニ一段ノ光彩ヲ加ヘラレタルハ偏ニ閣下ノ熱誠ナル祭神崇敬ノ御高志ニシテ、永ク本社ノ記録ニ登載シ、後世ニ其徳ヲ尊彰スルコトニ努ムヘシ、依テ玆ニ謹テ感謝ノ誠意ヲ表ス
  大正十四年十一月三日
              県社南湖神社々司 中目瑞男
    子爵 渋沢栄一閣下

    感謝状
南湖神社ノ創立ニ際シ楽翁公奉祀表徳会ノ設置セラルヽヤ、大ニ其計画ヲ賛セラレ、其総裁トシテ多大ノ出資ト援助トヲ与ヘラレ、遂ニ今日ノ県社南湖神社ノ造営ヲ完成セシムルニ至リタルハ、偏ニ閣下ノ賜ニシテ、深ク感激ニ堪ヘサル処ナリ、玆ニ町民ヲ代表シ謹テ感謝ノ意ヲ表ス
  大正十四年十一月三日
                白河町長 丸野実行
    子爵 渋沢栄一殿
   ○尚、楽翁公奉祀表徳会ハ大正十四年十一月三日ニ解散セリ。(中目瑞男回答ニ拠ル)