デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
3節 寺院及ビ仏教団体
1款 東叡山寛永寺
■綱文

第42巻 p.5(DK420001k) ページ画像

明治44年7月1日(1911年)

是日、東叡山寛永寺住職救護栄海、飛鳥山邸ニ来訪シ、上野公園不忍弁財天ノ天竜門新築ニ付キ、栄一ニ寄付ヲ請フ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK420001k-0001)
第42巻 p.5 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 雨 暑
午前六時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後寛永寺ノ住職救護栄海師来訪シ、不忍弁天ノ天竜門新築ニ付寄附ヲ乞ハル○下略
  ○中略。
七月二十七日 晴 暑
○上略寛永寺住職救護栄海師来話ス○下略
  ○中略。
八月二十七日 晴 暑
○上略寛永寺住職来リテ昇勲ノ事ヲ賀ス○下略
  ○中略。
十一月十七日 曇 軽寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後寛永寺住職救護栄海外二僧侶ノ来訪ニ接シ、本寺大修繕ニ付種々依頼セラル○下略


東京日日新聞 第一三三〇一号大正二年一一月二五日 雑記帳(DK420001k-0002)
第42巻 p.5 ページ画像

東京日日新聞  第一三三〇一号大正二年一一月二五日
    雑記帳
△徳川慶喜公 が維新の際恭順の意を表して引籠られし、上野寛永寺の庫裡大慈院は腐朽したので、此程改築する事となつたが、檀家は渋沢男・大倉氏・故沼間守一の三家だけで費用を得るに困つたが、徳川公爵家より霊廟の枯木、杉・樅等八十本約五千円、渋沢・大倉両家より各五千円宛の寄附があつたので、目下改築工事中である。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK420001k-0003)
第42巻 p.5 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 曇 少シク寒冷ヲ覚フ
○上略寛永寺役僧来リテ、土地ニ関シテ依頼ノ事アリ○下略