公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第42巻 p.107-108(DK420022k) ページ画像
明治45年6月30日(1912年)
是日栄一、下谷区仲徒町ノ救世軍病院落成式ニ臨ミ演説ス。
渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿(DK420022k-0001)
第42巻 p.107-108 ページ画像
渋沢子爵と救世軍 山室軍平稿 (財団法人竜門社所蔵)
○上略
一、明治四十五年六月三十日 下谷区仲徒町に救世軍病院を創設す、子爵は大隈侯(当時伯)石黒子(当時男)尾崎市長等と共に、之に臨んで左の演説を試みらる。
男爵は先づブース大将の病院建設計画につきては、同胞の為に感謝に堪へざる旨を語られ、其より直ちに慈善救済の本旨は、之に由て惰民を造らざることにあれど、救世軍が既に他方面の事業に於て顕はせる手腕より判断すれば、決して心配なかるべきこと又田代博士の「研究慾説」には至極賛成なれど、同時に仁愛の精神を伴ふ研究的精神ならざる可らず、此点に就ても救世軍の経営する病院が、其本来の面目を発輝するに必せりと信ずる旨を述べられた。
其の前に田代博士が「研究慾の必要」を説かれたるを以て、子爵はそれに言及せられしなり。
○下略
○病院開設ニ就イテハ本資料第三十一巻所収「救世軍病院」明治四十五年六
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月三十日ノ条参照。