デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
1款 救世軍
■綱文

第42巻 p.108(DK420023k) ページ画像

大正元年8月29日(1912年)

是日、救世軍創立者故ウィリアム・ブースノ追悼会、神田区美土代町東京基督教青年会館ニ開カル。栄一出席シテ演説ス。


■資料

竜門雑誌 第二九二号・第五八―五九頁大正元年九月 ○青淵先生の追悼演説(DK420023k-0001)
第42巻 p.108 ページ画像

竜門雑誌 第二九二号・第五八―五九頁大正元年九月
○青淵先生の追悼演説 救世軍の創立者故ブース大将の追悼会は、八月二十九日午後七時より、神田美土代町青年会館に於て開催せられたり、定刻に至るや、救世軍日本司令官ホツター少将、同書記長山室大佐以下十数名の士官は軍旗を携へて登壇し、「遥に仰ぎみる輝きの御国」の軍歌を謡ひ、次に矢吹少佐の祈祷あり、続いて会集一同「主の祈り」を合唱し、小崎牧師・安藤禁酒同盟会長・江原素六氏等の弔辞あり、次に中央慈善会々頭青淵先生登壇して、概略左の如き追悼演説を為されたり。
 社会の進歩と富力の増進に従つて、社会に諸種の問題を生ず、英国の如き極めて人格高き紳士的の国民より成立の国柄と雖も、其進歩に伴ひ貧富の懸隔を生ずるを免かるる能はず、此に於てか、ブース大将は奮然立て貧弱者の味方となり、五十年の長日月奪闘を続けられたり、即ちブース大将は人道上貧富の懸隔緩和に努め、以て英国の平和を保ち、富を安全に進むる上に於て、偉大の功績を致したるものなり、独り英国のみならず、苟くも大将の教の布かるゝ処、世界各国皆其の力に浴せざるはなし、予も明治七年以来慈善事業に身を入れ、幸福を平等に獲得せしむるの精神にて幾分の努力を為せり凡そ弱者の保護には誠心誠意を尽し、漫に施さず、其所作宜しきを得ずんば慈善も慈善とならず、予のブース大将に教へられたるは点実に此一点にありき、大将は真に万民に生きたる徳を施されたるものなり云々。


慈善 第四編第二号・第八七頁大正元年一〇月 ブース大将追悼会(DK420023k-0002)
第42巻 p.108 ページ画像

慈善 第四編第二号・第八七頁大正元年一〇月
    ○ブース大将追悼会
 八月二十八日、英国倫敦オサンピア会館に於て、救世軍前総督ウイリアム・ブース大将の追悼会を開き、二十九日を以てアフンパークの大将夫人墓側に埋葬する事に決定せる旨、倫敦救世軍万国本営より、日本救世軍本営に電報到着したるより、日本救世軍司令官ホツダー少将司会、及山室大佐の補佐にて、二十九日午後七時神田美土代町青年会館に於てブース大将追悼会を開き、基督教各派代表者小崎弘道、同信者代表安藤太郎・青年会代表者江原素六・実業家代表者渋沢男、日本救世軍側よりホツダー少将・山室大佐等の追悼演説及び大山侯・後藤男・阪谷東京市長其の他の弔詞朗読あり、頗る盛会なりき。