デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
4節 キリスト教団体
1款 救世軍
■綱文

第42巻 p.157-169(DK420045k) ページ画像

昭和4年11月24日(1929年)

是日、アメリカ合衆国救世軍総司令官エヴァンジェリン・ブース飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問シ、帰国ノ暇乞ヲナス。栄一、明治四十年二故ウィリアム・
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ブース来日ノ節朗読シタル歓迎之辞ヲ手写シテ、之ヲ贈ル。


■資料

竜門雑誌 第四九六号・第九四―九九頁 昭和五年一月 ブース女史の飛鳥山邸訪問(DK420045k-0001)
第42巻 p.158-161 ページ画像

竜門雑誌 第四九六号・第九四―九九頁 昭和五年一月
    ブース女史の飛鳥山邸訪問
  米国救世軍総司令官ブース女史は、帰国に際し暇乞の為、十一月廿四日午後三時十五分、山室少将及随員ブリンドレ少校と共に飛鳥山邸に子爵を訪問せられ、会談約一時間半にして辞去せられた
子爵「何時お立ちになられますか。」
山室氏「明後日でございます……今度は京都から岡山迄廻られましたが、……いや大変な事で、信者は皆感動して追かけ廻りまして、同志社などは女学生が興奮して、ブース女史の自動車の中に聖書や讚美歌などを投げ込むといつたやうな訳で、――これは古本屋が開けると云つて笑つたやうな事でした。」
子爵「それは御本人のお力によるのは勿論であるけれども、御先代、御兄さん、と引続いて日本人によく知られてをりますから……。」
 此処で、子爵が二日を費して浄書せられたウヰリアム・ブース大将の歓迎の辞を手づからブース女史に呈せられ、山室氏にも亦一部を贈呈せられた。(前号所載歓迎辞)次に日光東照宮縁起絵巻物三巻の写しを取出してブース女史に進呈せられた。
子爵「日光へは御いでになりましたか。」
山室氏「参るつもりでをりましたが、つい暇がございませんで、参る事が出来ませんでした。」
子爵「これは日光東照宮の祭神である徳川家康公の御一代の沿革を、狩野探幽といふ当時の名家の書きました絵巻物の写しでございます此探幽の原画は東照宮の宝物になつて居ります。十幾年か前に日光東照宮のお祭がございまして、其奉斎会の会長を私が勤めましたので、その当時に作りましたものでございます。」
 ブース女史は、声量の豊富な、巾広い金属的の響を有つた声で、御礼を云ふのであつた。
女史「私は大切にこの巻物を保存致しませう。一つには品物の立派な為に、第二にはこれが子爵閣下からの頂戴物であるといふ所から。……」
子爵「これは大分良い絵でございまして、戦争の事もあれば政治の事もあります。……それからこの歓迎の辞は尊大人(ウヰリアム・ブース)の始めて御来遊になつた時に、大隈(重信侯)・清浦(子爵)・千家(男爵)・島田(三郎)・尾崎(行雄)・中野(武営)などといふ政治界や実業界の各方面の人々で歓迎を致しました。その時の事を強く感じてゐます為にかく申述べたのであります。従来日本でも貧乏人を助けねばならぬといふ事は日本人の主義と致してをりました丁度明治五年に、只今の東京市養育院が出来まして、私が尽力致して居りましたが、其後府制が布かれて東京府が出来、府知事が事務を執るやうになり、府会も出来て、その説を聴くやうになりました所が、府会の人々は、窮民救恤は、我々の考と異り、惰民を養成す
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るといふ説であり、私共は救助の必要ありと主張しまして、つまり主義上の争となりました。府会の方の重立つた人では、沼間守一といふ人が居りましたが、沼間氏は私交上は左様でもなかつたが、貧民救助の事では甚く私を嫌ひ、私がお前の説は間違つてゐると申せば、沼間は間違つてゐると云ふお前が間違つてゐると申しまして、たうとう明治十八年に、東京府経営の養育院が廃される事になりました。私は情ない事と思うて、反対の人々と争ひましたが、如何とも仕方がありません。然し事業は私等の力で継続したのですが、それから数年過ぎると東京市が出来、公共の仕事は引続いて取扱ふやうに、と内務省からのお達しもありまして、一旦個人の経営に帰した養育院は、終に東京市の管轄に移りまして、東京市養育院となつた次第であります。何故かういふ議論が起つたかと云へば、私の説も正しいが、反対説も亦謬でなかつた為であります。この事は貴方の大人の救世軍のお働を見て、始めて判つたのであります。当時の反対者は、たゞ救済すると云ふのでは仕方が無い、寧ろ職を与へて働かせねばならぬといふのでしたが、私は先づ生活をさせるやうにといふ事を申しました。然るに救世軍のなさり方は、救助すると共に生活方法を与へてやるといふやうに了解して居ります。又聞く所によれば、二様の職能を御遂行になる、即ち宗教的であると同時に社会的であると承知致して居ります。一体斯る事柄は、精神的であると同時に肉体的でなければなりませぬ。二者其一を欠けば満足な発達を致し得ないのであります。尊大人にはこゝに見る所あつて、此大方針を定められたことゝお察し致します。私も東京市養育院の関係から社会事業をやつて居りますゆゑ、尊大人の御来遊を機として、此事を申述べねば心が済まぬといふので、前に申しましたやうに、各方面の人々と相談しまして、市会議事堂で、私が代表位置で歓迎の辞を朗読致しましたが、其記録がありましたので、拙筆ながら清書致しまして御手元に差上げた次第でございます。」
ブース女史「先年父の為め御朗読下さった歓迎の辞の御直筆を頂きますことは、私にとつては此上もない最も貴い最も大きな宝であります。私の立派な父はHelp man to help himselfといふ事を申しましたが、今子爵のお説は正にこの事を申されてゐるものと存じます。」
子爵「私は尊大人のお出の時よりも以前に、山室氏の御仕事を存じては居りましたが、東洋の従来の習慣は、救ふ方計りを専一と致して居りましたから、働かせる方の感じが弱かつたのですが、尊大人によつて「左の手にパン」を持たせねばならぬといふ事を、私の心に十分理解することが出来たのを、有難く存じたのであります。山室氏とは親しく談話をする機会もなかったので、十分に知るに至りませんでした。」
ブース女史「誠に美はしいお話であります。」
 此処で、子爵は「日本に於けるタウンゼンド・ハリス君の事蹟」を贈呈せられた。
子候「このタウンゼンド・ハリスは日本にとつては非常な恩人であり
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まして、この人無かりせば、日本の外交は恐らく混乱を免れる事が出来なかつたであらうと思はれます。ハリスは日本の外交に対しては真に親切に尽してくれたので御座います。」
ブース女史「色々と誠に有難う存じます。私の父と救世軍と私との大なる友であらるゝ子爵閣下に対して、謹而御礼を申上げます。」
山室氏「今回は 天皇陛下にも拝謁を賜はりますし、今朝はまた秩父宮両殿下にも拝謁を賜はりまして、大に面目を施しました。ウヰリアム・ブース大将の御来遊の時は、私に然るべき知己もなく、真に困りました。多分当時の知事は千家さんで、市長が尾崎さんであつたかと存じます。此時に大隈侯をお訪ね致しましたところが『君が救世軍をやつてゐるのか、あまり名将でもないと見えて、一向聞かぬではないか』などと仰しやられましたが……」(微笑)
ブース女史「千九百廿四年の移民法が通過した時は、甚く私の心を痛めました。私の仕事は広く東洋に及んで居ます。それに今かういふ事が起つては一大支障であると存じましたし、また日本に対して同情を禁ずる事が出来ませんでした。――今でもどうぞして之を修正したいものと考へて居ります。幸にも現大統領のフーヴア氏は私の親友ですから、是非フーヴア氏の力を藉りて改正したいものと考へてゐます。」
子爵「誠に深くお心にとめられたお言葉を有りがたく拝承致しました東洋の諺にも『言はぬが花』といふ事がありますから、私は敢て蛇足を加へず、只一言御礼を申すに止めます。」
ブース女史「フーヴア大統領は理想を有する立派な人であつて、不正と闘つて居る人であり、下級の人々に対して、温情を抱く人でありますから、此問題に対しても十分力を尽すことゝ思うて居ります。私も亦フーヴア氏を激励して見るつもりでございます。それにつけても呉々も事を荒らげずに、日本側では静かにしてゐて頂き度いと考へます。」
子爵「深いお心入の程誠に有難く存じます。」
ブース女史「話は変りますが、小林といふ日本の救世軍士官がありまして、此人は加州に於ける救世軍の土台を築いた人でございますがそれが、どうして米国へ来たかといふと、その始めは実に子爵閣下の御世話によつてであります。この点から見ましても、実に閣下は救世軍の恩人でゐられます。」
子爵「ホホー。」
ブース女史「小林さんは立派な日本救世軍の士官で御座いまして、山室さんにとつては手離すことの出来ぬ有力な人であつたのです。それを遥々加州まで送られたといふのは、実に山室さんの先見の明を称せねばなりません。」
 次にブース女史は自己の写真数葉を示して、子爵の御選択によつて贈呈したいと申出でられ、子爵は救世軍の旗を背にして立つ女史と、救世軍制服制帽を着けたブース女史(当日の服装)との二葉を乞はれた。女史は其二葉にサインをしながら、私は二葉差上げましたから、甚だ厚かましいお願ですが、閣下からも一葉頂けるでせうか、と請求
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し、子爵は喜んで差上げませうと云つて御居間に退かれ、約廿数分の後左のやうな署名をした御写真を持つて見えられた。
 内不自欺忠是体
 推己及物恕行焉
  昭和四年十一月十三日   渋沢栄一
                 時年九十
   呈米国救世軍総司令官
    エヴアンジエリン・ブース女史 恵存
 (因に十三日は子爵がブース女史レセプシヨンを催された日なので特に之を撰まれた。)
子爵「偶然な事から私はジョン・ワナメーカさんにお目にかゝりました。これは千九百十五年に桑港の博覧会へ参りました時の事で、日本の人々から頼まれて将来日本に開かれる世界日曜学校大会の件に付いては、ハインツさんと共にワナメーカさんに遇ひました。所がワナメーカさんは『お前は商売で来たのか、或は宣伝で来たのか』と問はれましたので、『いや私は商売の為に来たものでもなければ、宣伝に来たのでもない』と申しますと、『商売の為でもなければ、宣伝の為でもないとすると、お前はそれ程の閑人か』と云はれますので、『いや中々閑どころではありませんが、日米間の国交を心配する所から、之を完全にしたいといふ微衷によつて、遥々亜米利加へ来たものである』と申しました。するとワナメーカさんは『いや誠に面白い事を聞くものだ。お前はクリスチヤンではあるまいに、どうしてどこからさういふ感化を受けたのであるか』と云つて驚かれましたので、私は此処に書きました忠恕といふ事を取出しましてそれから孔子の教を説きました。すると『それでは丸で世人は何の為にお前が来たかを知らないではないか、それでもなほさうして努力するといふのは、孔子の教といふものが誠に面白いものである』と云はれた事があります。」
ブース女史(舌打)「その仰のワナメーカは丸で私の父のやうな立場に居りましたので、いつも私の事を『わが娘よ』と呼んで居りました。
 前日からの突然の寒さで夕方になると急に又寒さが増して来た。辞して帰らうとするブース女史一行を、子爵が玄関に送られようとするとブース女史は両手を拡げて子爵をお部屋の方へ追ひ返したので、子爵も徴笑しつゝ引取られた。


救世軍米国総司令官ブース女史歓迎会書類 【エヴアンゼリン・ブース女史ニ贈ル書稿】(DK420045k-0002)
第42巻 p.161-163 ページ画像

救世軍米国総司令官ブース女史歓迎会書類
                   (渋沢子爵家所蔵)
(写)
  昭和四年十一月二十三日
    エヴアンゼリン・ブース女史ニ贈ル書稿
救世軍大将ウヰリヤム・ブース君の来朝に際し、我が東京市商工業有志者を代表して、歓迎の辞を述ぶるの機会を得たるは余の最も光栄とする所なり、抑も救世軍の事業たるや、ブース大将の創始に係り、其
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萌芽は英国倫敦の東隅に発したりと雖も、爾後五十年間に亘る堅忍奮闘の結果として、今や啻だに一英国の事業たるのみに止らず、世界五十有余の国々及植民地に其軍旗を翻へし、救霊救肉の為めに勇壮なる活動を試むる世界的一大軍隊となるに至れり、豈偉ならずとせんや
余の聞く処に依れば、救世軍は実に二様の性質を有すと、其基督の福音を宣伝するの点に於ては、一の宗教的団体たり、其窮民・出獄人・堕落婦人等の救済に尽すあるの点に於ては、一の社会的事業たり、余は其宗教的活動に対して、多大の敬意を払ふと同時に、其社会的事業に対して、更に一層感謝の念を禁ずる能はず
由来宗教の使命は、神人の調和、人霊の救済に存し、道徳の進歩、社会の隆盛を以て、其客観的究極の目的とす、而して其の使命を完了し此目的を達せんと欲するには、必ずや、霊心・肉体の両方面に亘りて之が扶掖済度を尽さゞるべからず、何となれば人は霊心的存在者たると同時に、亦衣食を要する肉体的存在者たるを以てなり、語に曰く、人はパンのみにて生くるものに非ずと、之れ精神的修養手段の必要なる所以なり、然りと雖も、人は亦パン無くして生くる能はず、之れ物質的救済手段の必要なる所以なりとす、二者其一を欠かば、人類済度の目的、夫れ或は達し難きに近からん乎
ブース大将玆に見る所あり、其救世軍の事業を経営せらるゝに当つてや、二者其一に偏することなく一面に於ては、福音の宣伝に依りて霊心の慰安に努め、他面に於ては諸種の社会の事業を営みて、以て貧者の恤救、罪囚の保護に尽す所あり、所謂左手に聖書を捧げ、右手にパンを携へ、渾身の熱血を人道の偉業に注ぐもの、勇戦奮闘五十年、南船北馬席暖まるに暇なく、今や七十九歳の老躯を提げて我が国に渡来せらる、余輩豈に満腔の熱心と敬意とを以て、此老偉人を迎ヘざるベけんや
余往年欧米諸国を漫遊し、英京倫敦に留るや、努めて慈善事業を観察し、其設備の周到なるを見て転た欽羨に堪へざるものありき、惟ヘらく、近世産業の革命、経済の発展は、勢ひ貧富の懸隔を来し、幾分の失業者・窮民を出しぬ、而して之れ等救済扶掖の力を尽すの慈善事業は即ち社会の安寧福祉を保持する一種の安全弁に外ならずと、翻つて我日本の現状を見るに、軍事・経済・科学・教育、其他諸般の施設に於て近年長足の進歩をなしたりとの賞誉を否む能はずと雖も、恤救事業の設備に至りては尚ほ未だ其萌芽の時代を脱する能はず、之れ余輩の深く留意せざるベからざる状態なりとす、蓋し我国の習俗、家族相依り相助くるの美風に富み、郷党朋友互に其難を救はざるを以て恥となす、是を以て、社会的窮民救済事業に於て大なる必要を見ざりしなり、其良習美俗、外に対しては聊か誇るに足るものありと雖ども、輓近生存競争の劇甚となるに従ひて、故旧隣保相助の風習漸次減少の傾を来し、今や時勢の変遷と共に、大に公共的慈恵設備の拡張を図らざるベからざるの気運に迫まれり、此時に際し、偶々ブース大将の来朝を見る、之れ豈我国慈善事業の発展に対する有力なる一動機たるなからんや、君今や老体を厭はず万里の波濤を蹴破して、極東に来たらる惟ふに皇天の加護、君が身上に豊かにして、終始健在、能く其使命を
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果されんことを疑はず、敢て蕪詞を呈し、玆に恭しく歓迎の誠意を表す
  明治四十年四月十八日
                      渋沢栄一

今を距る二十三年前、即ち明治四十年四月、故ウヰリヤム・ブース大将、東洋漫遊の途次、我が国へ来訪せられ、余は各方面の同志と謀りて、東京市会議事堂に於て歓迎会を開催し、席上当時の商工業者を代表して、歓迎の辞を朗読したるが、今玆昭和四年十一月、令嬢エバンゼリン・ブース女史の来遊に接し、其十三日を以て、飛鳥山なる余が曖依村荘に来訪せられしにより、余は往時を回想して、種々の談話を試みたるに、女史は此懐旧談に深く感興を催ふされ、切に余が手書の歓迎辞を所望せらるゝにより、老筆を呵して之を謄写し、以て女史に呈す
  昭和四年十一月二十三日
                  渋沢栄一 時年九十


(エヴァンジェリン・ブース)電報 渋沢栄一宛 一九二九年一一月二六日(DK420045k-0003)
第42巻 p.163 ページ画像

(エヴァンジェリン・ブース)電報 渋沢栄一宛 一九二九年一一月二六日
                   (渋沢子爵家所蔵)
  Teikokuhoterunai           Nov. 26, 1929
Viscount Shibusawa, Asukayama Oji Tokyo
Farewell my visits to your beautiful home will ever shine star like in my heart I shall think of you and pray for you with love and faith always. Evangeline booth
(右訳文)
             東京、帝国ホテル、昭和四年十一月廿六日午前十一時十五分発
左様なら。
美はしき御邸を訪問せし記憶は私の胸裡に常に星の如くに輝くでせう私は閣下を想ひ起し又常に愛情と信仰とを以て閣下の為に祈を捧げるでせう。
                 エヴアンジエリン・ブース
  東京王子町飛鳥山
    渋沢子爵閣下


渋沢栄一電報控 エヴァンジェリン・ブース宛 一九二九年一一月二九日(DK420045k-0004)
第42巻 p.163-164 ページ画像

渋沢栄一電報控 エヴァンジェリン・ブース宛 一九二九年一一月二九日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                    Nov. 29 1929
COMMANDER EVANGELINE BOOTH, PRESIDENT TAFT
MANY THANKS FOR KIND MESSAGE REPEATEDLY APPRECIATING DEEP IMPRESSIONS YOU LEFT UPON US BY YOUR VISTS I WISH YOU HEARTY BON VOYAGE
                    SHIBUSAWA
(右草案)
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 プレデシント・タフト号       東京
  エヴアンジエリン・ブース        渋沢栄一
貴電拝誦、御厚意を多謝す、御来遊によりて受けたる深き印象を、繰返し味ひながら、一路平安を祈る


(エヴァンジェリン・ブース)書翰 渋沢栄一宛 一九三〇年三月六日(DK420045k-0005)
第42巻 p.164-166 ページ画像

(エヴァンジェリン・ブース)書翰 渋沢栄一宛 一九三〇年三月六日
                   (渋沢子爵家所蔵)
        National Headquarters
        120 West 14th Street,
          New York.
                   March 6, 1930
To His Excellency
Viscount Shibusawa
  Tokyo, Japan
My dear Viscount :
  Since my return from Japan I have been ill or I should have written you before this to say how highly honored and very happy I was to have the privilege of paying my respects to you personally, and also to express my deep appreciation of all your generous kindness to me while I was in your wonderful country.
  It was the more gratifying to me to have this honor of meeting you, because you had granted this same privilege to my revered father many years ago, and I liked to feel I was retracing his steps, enjoying his experiences, and receiving on my mind, so much less than his, some of the splendid impressions that you, and Japan, and its eager, earnest people had made upon his mind.
  Many times, since my return, my thoughts have flown backward across the Pacific and I have relived the glorious experiences of the all-too-short month I was permitted to spend in Japan. Especially have I thought of yourself, of the unfailing support you have given our Salvationists under the leadership of Commissioner Yamamuro, of the affectionate tributes you paid my honored father on the several occasions I was privileged to talk with you, and, most surprising of all, the extreme kindness you lavished upon me from the moment of my arrival.
  I shall never get away from the inspiration of the reception you gave me at your picturesque home there in Tokyo. Of all the cherished experiences of my life, it will always remain one of the most precious.
  Please accept my inexpressibly deep appreciation of the wireless you sent me to the boat. This was a great and delightful surprise, which filled my heart with gratitude to God
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 and to you.
  God has permitted you to live many years beyond the allotted span of man's life and has honored you greatly in the vast service you have rendered to your own people in such varying and splendid ways, and to the world in the brilliant inspiration of your leadership during the crucial period of Japanese history, and in the prominent place you have filled since the restoration of the Imperial Household.
  My prayer for you is that God shall spare you to your country and to the world, at least until we have seen the dawn of the day when International peace shall not only be the watchword of the nations, but an established order inviolate through the world.
  Yours in deep appreciation and gratitude,
            (Signed) Evangeline Booth
                     COMMANDER
(右訳文)
          (栄一鉛筆)
          成ルへク懇切ナル回答案起草セラレタシ、其回答ニハ別紙新聞ノ記事○見当ラズニ付テモ附記アリタシ
 東京市           (山室少将持参、四月一日入手)
  渋沢子爵閣下
               紐育市
                救世軍本営
    一千九百三十年三月六日  エヴァンジエリン・ブース
拝啓、益御清適奉賀候、然ば親しく閣下に拝光の栄を得たる名誉と幸福との如何に大なりしかに付て、将又驚嘆すべき貴国滞在中に受けたる閣下の不容易御親切に対する衷心よりの感謝に付て、疾くに申上ぐべきの処、病気の為め遷延仕り、失礼の段平に御容恕被下度候
往年亡父に対し賜はりたる御厚遇を思ひ合はせ、今回拝光の栄を得候ことを特に満悦罷在候次第に御座候、私は甚だ不束ながら父の足跡を辿り、父の経験を味ひ、且つ閣下と貴国と熱誠真摯なる貴国民とが父の心に与へられたる好印象の幾分なりとも、私の心に受け入れつゝありとの実感を得んと希望致候次第に御座候
爾来幾度か私の心は太平洋を超へて日本に飛び、日本にて過ごせし日の余りにも短かゝりしにも不拘、其間に味ひたる嬉しき経験を繰返し味ひ申候、特に私は閣下の御人格につき、又山室少将指導の下にある我救世軍に与へられたる渝はらざる御援助につき、私を御引見被下候際度々申聞けられたる、亡父に対する御懇情の籠れる讚辞につき、又貴国到着早々私に賜はりし最も意外にして恐縮に堪へざる此上なき御厚志等につき、回想致居候
東京に於ける絵の如き尊邸に於て催されたるレセプシヨンに付ての感銘は、決して忘るゝ能はざる処に御座候、私の生涯に於ける懐かしき経験中最も貴重なるものとして常に記憶可致候
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汽船宛の貴電報に対しては御礼の言葉も無之次第に有之、衷心より奉深謝候、右は真に望外の義にて、神と閣下とに対する感謝の念は私の胸に溢れ候
人間の定命を超えたる幾多の年月を閣下に賜ひ候のみならず、自国民及び世界の為め、斯の変化多く且光輝ある方法を以てなされたる偉大なる貢献に対し、又日本歴史中国歩艱難なる時期を通じて、閣下が指導者として示されたる輝かしき感化に対し、又維新以後に占められたる高き地位に対し、神は大いに閣下に名誉を与へられ候
少なくとも国際平和が、単に各国民の標語たるに止まらず、全世界を通じて牢固として侵すべからざる慣例たるべき曙光を見るまで、貴国の為め、将又世界の為め、閣下の益御健勝ならん事を、神かけて祈願罷在候
擱筆に臨み重ねて深厚なる謝意を表上候 敬具


渋沢栄一書翰控 エヴァンジェリン・ブース宛 一九三〇年四月二六日(DK420045k-0006)
第42巻 p.166-168 ページ画像

渋沢栄一書翰控 エヴァンジェリン・ブース宛一九三〇年四月二六日
                    (渋沢子爵家所蔵)
            (COPY)
                    April 26, 1930
Commander Evangeline Booth,
  The National Headquarters of
  The Salvation Army,
  120 W. 14th St., New York, N.Y.
Dear Commander Booth,
  Commissioner Yamamuro personally brought to me your esteemed letter of March 6th. It was at once translated, and I read it with an unusual pleasure.
  While you were visiting my country, I should have paid you a better and more cordial attention, but my old age prevented me from taking an active part in entertainments planned in your honor, for which I sincerely regret. In spite of it all, you sent me such an appreciative letter which made me blush by the delicate expression of your great courtesy.
  As you expressed in your letter, I believe that your heavenly Father uniquely blessed you to make you a worthy heir to your wonderful father for the promotion of the happiness of the whole world. I felt highly honored in getting acquainted with such a chosen heroine ― a champion for the cause of humanity. I have been profoundly impressed, when I learned through books written by Commissioner Yamamuro and other works that the amazing progress which the Salvation Army of Japan made was largely due to your assistance and encouragement, and also that the most timely aid given to us at the time of the great earthquake and conflagration of 1923 was a spontaneous expression of the mighty love of the Salvation Army of America under your leadership as well as the
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 result of your most strategic move as its Commander. Therefore, it was only proper for our people to rise to do their utmost in order to show their gratitudes towards the benefactor and distinguished guest of Japan.
  You were kept so busy that you could not spare your moments for sightseeing. I could imagine how strenuously you had to spend those four weeks in Japan. Under such circumstances, it was exceedingly kind in you to set apart a half day for humble reception I had a privilege to prepare in your honor at my Asukayama home and give such an inspiring and instructive address to the businessmen, educators, and social workers who gathered together to greet you.
  A few weeks ago, Commissioner Yamamuro gave me a clipping of the Sunday edition of the New York Times in which you narrated your impressions while visiting my country. I read it through a translation and could not help but admire the warmth and tenderness of your heart, with which you observed the customs, manners, institutions, learnings, and arts of my country, together with the observation of her national traits, which is rather difficult task to fulfill.
  I was so greatly delighted to read this article of yours, which is full of sympathy, appreciation, and understanding, that I was constrained to put the translation into the monthly magazine published by the Ryumon Sha―an organization whose membership consists of men professing to follow the general principles of life I advocate. Please pardon me for taking advantage of your generosity without your permission.
  I had been forced to remain confined at home from the beginning of January until a week or so ago on account of the cold I contracted, but now I am almost entirely recovered from it, so that I can attend to my delayed correspondences. Thus it is that I am writing to you this letter.
  Trusting this will find you in the best of health and spirits, I remain,
              Yours very truly,
           (別筆朱書)
           本文ハ自署セラル 渋沢栄一(署名)
                    E. Shibusawa.
(右草案)
                  (栄一鉛筆)
                  四月二十四日一覧修正
 米国紐育
 救世軍本営
  エヴアンジエリン・ブース女史
          (後筆)
    千九百卅年四月二十六日    東京 渋沢栄一
拝復、爾来益御清穆奉賀候、然者去三月六日附尊翰は山室少将の好意
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により早速入手、直ちに翻訳せしめ、詳細拝読致候、先頃は折角我邦へ御来遊被下候も、老生頽齢之為メ百事意に任せす、匆卒之御接待いたし候ハ残懐の至に候、然るにも拘はらす却而鄭重なる御挨拶に接し真に恐縮千万に御座候
来示の如く先大人の偉大なる事業を継続せられ、全世界の福祉を増進せんが為め、天帝は比類なき女性を斯世に現出せられたるものと信じ老生は此選ばれたる偉大なる女性、即ち人道の戦士と親しく交歓し得たることを欣快の至と奉存候、而して我日本の救世軍が厚き御後援と御指導とにより、今日の隆盛を来したることを思ひ、且千九百廿三年の大震火災の際御支配下の米国救世軍より吾々に対して示されたる広大なる愛と、其主導者としてなされたる目覚しき御活動とを、山室少将の著書其他によりて承知いたし感佩措く能はさるもの有之候、斯かる日本の恩人、日本の貴賓を待つに、全国を挙げて心からなる歓迎を以てせしは固より当然の事に候
かくて四週間の日本御滞留中殆ど観光の寸暇すら無之、御疲労の程察上、恐縮罷在候処、意外にも御讚辞を拝し、望外の仕合に奉存候、かくの如く御多忙中の半日を御無理願上、飛鳥山拙宅にて相催候レセプシヨンにも、特に御臨席被下、而かも興味に満てる御講演被成下、列席の実業家・教育家・社会事業家を啓発せらるゝ所多かりしことは、真に感謝の辞も無之次第に御座候
先般山室少将より、紐育タイムスに掲載せられたる女史が日本訪問に関する御談話の切抜を入手致候に付、早速翻訳により拝読致候処、如何に温き心と優しき眼を以て、我邦の風俗・習慣・制度・文物を視察せられ、更に進んで、人の難しとする其の「精神」を視察せられたるに真に敬服仕候、此親切にして情味と理解に富める記述を見て、老生は此上なき欣快を覚え候、就ては其訳文を老生の門下生等の団体たる竜門社に於て発行する竜門雑誌に掲載為致候様取計候間、御了承被下無断にて発表せし欠敬の取計を御容謝被下度候
老生本年の初より微恙引籠中に有之候処、昨今漸く旧に復し、徐々事務を見得るに至り候に付、玆に一書得貴意候次第に有之候、遷延の義不悪御諒恕被下度候
右拝答迄得貴意度如御座候 敬具
   ○右草案ハ栄一修正済ノモノナリ。


AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA. pp.294-295. Nov., 1937 【CHAPTER XIII IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS GENERAL EVANGELINE BOOTH】(DK420045k-0007)
第42巻 p.168-169 ページ画像

AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA by KYUGORO OBATA pp. 294―295 Nov., 1937
         CHAPTER XIII
     IMPRESSIONS OF FOREIGN FRIENDS
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     GENERAL EVANGELINE BOOTH
  In the quietude of a quaint old Japanese garden, resplendent with magnificent chrysanthemum blossoms, I met the venerable Sage of Japan, Viscount Shibusawa. I recognized at once that he linked the Old and New.
 - 第42巻 p.169 -ページ画像 
 Alive to all ages, in him reverence for tradition blended with appreciation of worth-while innovation; national love was coupled with an international outlook; the chivalry of a samurai was linked with the shrewd manner of an up-to-date business man. Indeed, it might be said, he clothed Japan's remarkable development of the Present with the Grandeur of the Past.
  He greeted me with the charming ingenuous simplicity of a child, yet conducted me around the gardens of his home with the stately dignity of the Philospher he was.
  With delightful naivete he displayed two relics which he accounted precious; one the photograph of William Booth, my father and himself taken together in 1907, the other, which he considered sacred, a faded pillow-cover upon which the Founder had laid his head. In William Booth he met a kindred spirit; both posessed the genius of passion for the people; both possessed the indomitable force of the unbendable will; both were blessed with the vision of the prophet.
  As we talked, it was easy to learn that the Viscount had great love for The Salvation Army and deep appreciation of all it was achieving for Japan.
  The influence of this great man has remained with me and will do.
            (Signed) Evangeline Booth
                       General