デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.199-200(DK430017k) ページ画像

大正14年4月23日(1925年)

是日、当社第七十二回会員総会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。


■資料

竜門雑誌 第四四〇号・第五八―五九頁大正一四年五月 △本社会員総会(DK430017k-0001)
第43巻 p.199-200 ページ画像

竜門雑誌  第四四〇号・第五八―五九頁大正一四年五月
△本社会員総会 本社第七十二回会員総会は、四月廿三日(木)午後五時より、麹町区永楽町日本工業倶楽部に於て開会したるが、当日の出席会員二百二十一名(内特別会員百二十五名、通常会員九十六名)にして、阪谷理事長の開会の辞に次ぎ、青淵先生病気の為め、遺憾ながら本会に臨席すること能はざることを報告し、次で常務理事より寄附行為第八条に依り評議員会の承認を経たる別項記載の大正十三年度社務及決算○略スを報告したるに、満場一致之を承認す。
 右終つて講演会に移り、井上準之助君の「我国現下の財界に就て」の講演及阪谷男爵の時事に関する所感の講演ありて後、晩餐を開き、
 - 第43巻 p.200 -ページ画像 
食後活動写真の余興ありて、一同和気靄々裡に散会したり。


(増田明六)日誌 大正一四年(DK430017k-0002)
第43巻 p.200 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年      (増田正純氏所蔵)
四月廿三日 木 晴
午後四時、工業倶楽部に於て、青淵先生八十寿並陞爵祝賀会委員協議会開催、引続キ竜門社評議員会を開き、種々凝議す、両会の役員は同一であるから都合よく運はれたのである
午後五時、同部ニて竜門社春季総会が開かれた
  ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
   大正十四年四月二十三日 理事会・評議員会(午後四時ヨリ、於日本工業倶楽部)栄一飛鳥山邸ニテ静養中。
  同年五月二十五日 講演会・会員有志晩餐会(午後五時ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一飛鳥山邸ニテ静養中。
  同年六月二十四日 理事会・評議員会・講演会・会員有志晩餐会(午後四時ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一静養中。〔「竜門雑誌」第四四二号(大正十四年七月)第六六頁ニハ「六月二十三日(木)」トアレド「増田明六日誌」(大正十四年)ニハ「六月廿四日(水)」トアリ、曜日ノ点ヨリ、「日誌」ニヨル〕
  同年九月二十九日 理事会・評議員会・講演会・会員有志晩餐会(午後四時五十分ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一静養中。



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一四年(DK430017k-0003)
第43巻 p.200 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
四月六日 晴 寒
○上略 白石喜太郎・岡田純夫二氏来リ、竜門雑誌ニ掲載スヘキ余ノ意見ヲ徴セラル、依テ、青年郷里ニアリシ時ヨリ始メ、生家ヲ離レテ四方流浪、又ハ一橋家勤仕ノ際及仏国留学中ノ経過若クハ維新以後ノ事共ヨリ今日ニ至ルマテノ身上ニ関スル疾病又ハ危険ヲ感セシ事共ヲ、旧時ノ記憶ヨリ回想シテ順次之ヲ叙述シテ一ノ論説ト為ス○下略