デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.236-239(DK430023k) ページ画像

昭和2年4月22日(1927年)

是日、当社第七十六回会員総会、東京会館ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第四六四号・第六五頁昭和二年五月 ○第七十六回会員総会(DK430023k-0001)
第43巻 p.237 ページ画像

竜門雑誌  第四六四号・第六五頁昭和二年五月
○第七十六回会員総会 四月廿二日午後五時、東京会館に於て、本社第七十六回会員総会を開会す。青淵先生を始め出席会員百七十余名。定刻阪谷理事長の開会辞あり。次に常務理事増田明六君、前年度社務及決算報告を朗読し、満場異議なく承認す。依て阪谷理事長は玆に閉会を告げ、次で寿杖贈呈式に移り、阪谷理事長より、今回の受杖者たる会員山中譲三君(弘化四年生)及浅野総一郎君(嘉永元年生)の天寿を祝し、山中君に第五号を、浅野君に第六号の寿杖目録を贈呈し、両氏の謝辞ありて式を終る。(因に当日浅野君は旅行中にて、令息浅野義夫君代つて出席す)次で山室軍平君の「基督教の労働観」と題する講演、及び青淵先生の所感談ありて、晩餐会に移り、食後会員一同起つて先生の為めに乾杯し、宴終つて貞山の講談に興じ、午後九時散会したり。


竜門雑誌 第四六五号・第九六―九八頁昭和二年六月 ○青淵先生説話集其他 竜門社総会に於ける演説(DK430023k-0002)
第43巻 p.237-239 ページ画像

竜門雑誌  第四六五号・第九六―九八頁昭和二年六月
  ○青淵先生説話集其他
    竜門社総会に於ける演説
 久々で竜門社の総会に参上致しまして、皆様にお目に懸かることを最も愉快に感じます。只今理事長から御披露を戴いた通り、当年米寿を迎へまして、自分ながら喜ばしう思ひますけれども、其米寿の為に本会などで何かお催し等のことは、只管御免を蒙りたいと内々で申合せたのでありますから、お喜は戴きたい、お祝は戴きたくないと斯う思ふのでございます。
 今夕此総会で一言を述べるやうにと云ふことでありますが、特に考へたこともございませぬので、申上げることも充分なものを持つて居りませぬ。特に近頃、此竜門雑誌に成たけ愚見を書けと言はれて、常に申述べて居りますから、偶々愚見がございますと、竜門雑誌で御覧を願ふやうにして居ります積りでございます。今夕は特に意見としては申上げませぬけれども、今山室君の宗教的に段々御懇切且つ適例を挙げてのお話は、吾々実業界、特に我が竜門社の諸君には、別して深くお聴取を願ひたいと思ひます。どうも世の中のことが、真に守る所を持たずに進んで居る。進歩を進歩とどうしても思はれぬやうな嫌がございまして、批評がましいことを申すのは、甚だ心苦しい訳ではございますけれども、昨今の事態はどうでございませうか、洵に憂慮に堪へぬ世の中ではなからうか。蓋し政治に経済に共に左様でございます。真に基督教から申したならば、己の欲する所を人に行はしむる、之を私は常に儒教に依つて考へて居ります。丁度反対に孔子は「己の欲せざる所を人に施すなかれ」と申して居りますが、帰する所は一であらうと思ふのです。要するに福を信ずる。吾々世に立つ者は、此主義から斯くあると云ふことの信念が生れて来る。或は道義に心を傾けて所謂仁義忠孝、之が自分の本領だと考へて之を主義とする。帰著する所の完全でない進み方、若くは知識の運行は、一歩誤ると、途方もない害を惹起すと云ふことにどうもなるやうに考へます。私は洵に微
 - 第43巻 p.238 -ページ画像 
力で知識もございませぬから、左様に他人に向つて申すことは出来ぬが、実業界の完全に進んで行くのはどうしても経済を主とする、其経済は道徳と並び進まねばいかぬと云ふ事を、頻に唱導致して居りますのは、其局に当つて益々さう惑ずるのであります。先刻も、基督教の主義に依りまして山室君の至つて卑近な、極く有触れた有様に付て適例を挙げて論ぜられるのは、経済と道徳とを全く一致せしめたお話と伺はれて、根拠は違ふかも知れませぬが、落著く所は全く同一のやうに思はれて、甚だ心嬉しく拝聴致したのであります。目下の有様に付て、彼れ此れ批評がましいことを申すのは、別して心苦しい事でございますから、諸君のお推察にお委せしますけれども、実は経済界に道義が失くなつたと言うても、総てに失くなつたのではありませぬ。或る部分に失くなつたればこそ、惹起る処置が面倒になつたものと思ひます。其面倒を処置するには、政治の力が必要であるが、此政治に又道義が失くなつた。唯々或る事態に応じて一時を糊塗するとか、勢を制すると云ふだけが、人の務だと云ふ間違つた考からでもあらうか。されば其様なことから、総ての有様が昔日と同じかと云ふとさうでもない。御同様丹精した甲斐で、世の中が進歩したやうにも見える所もある。決して百事皆非なりとは申さぬけれども、併し昨今の有様であると云ふと、実に情ないやうな感じがするではございませぬか。要するに是は、経済が道徳と離れたと云ふことを、実証して余りあると思ふ。否、経済ばかりではない、政治も亦然り。斯く考へますると、どうしても宗教に依つて一つの信念を固めるか、又は宗教に依つて、神に尽すと云ふ強い心を持つ信念の生ずると云ふことを望む外はない。私は昨今の憂ふべき事態に対して、益々此感を強くするのでございます。幸に我が竜門社の諸君に於ては、其念慮は強からうと思ひます。御同様此時勢に会して、どうぞ此世間の美風が追々廃れて行く有様を仮令完全に防遏し得られぬでも、吾々の方面には、さう云ふ悪い風の吹荒むことは、避けるやうに致したいものでございます。
 山室君が人の労働と云ふことに付て、極く卑近に丁寧に御説明がありましたが、私なども効は少くとも、其一念を持つて労働的勉強は決して怠らぬ積りでございます。斯く老衰しても、今日尚ほ怠らぬ積りでございます。帰する所、世の人は充分な観念を持つて、且つ事に処するに大なる勤勉の力を加ふるの外なからうと思ひますが、併し大体の方針が明かでなければならぬ。其方針としては、どうしても経済を進めると云ふことが必要であると同時に、道徳と云ふ根拠のあるものを持たなければならぬ。所謂道徳と経済と云ふことは私は一つの信念宗教的観念として居ります。時勢に鑑みても尚ほ然りであります。先刻の宗教的御趣意を以てされた山室君の御丁寧なる御演説に於ても、全く符節を合する如く思ひます。私は皆さんと共に、此信念を益々強くして行きたい。願はくば、此趣意に依つて此大勢を大に救ひ、且つ挽回せしむるやうにありたいと、希望致して已まぬのでございます。色々申上げたいこともありますが、前に申します通り、大抵は月々成べく愚説を雑誌に記載するやうに致しますので、余り価値のあるものではないかも知れませぬが、老人決して只空漠には居りませんと云ふ
 - 第43巻 p.239 -ページ画像 
ことをば御諒解下すつて、雑誌をば時々御覧下さり、且又之に対するお説もございますなら、御批判なり、御議論なりを充分受けたいと思うて居るのでございます。今夕は是だけで御免を蒙ります。(四月二十二日東京会館にて)


(増田明六)日誌 昭和二年(DK430023k-0003)
第43巻 p.239 ページ画像

(増田明六)日誌  昭和二年       (増田正純氏所蔵)
四月二十二日 金 晴               出勤
○上略
午後四時半、東京会館ニ於て、竜門社評議員会と理事会とを併せ開会昭和元年度決算の承認を得た
同五時、同所ニ於て、同社の会員総会が開かれた、阪谷理事長議長となり、小生より同年度の社務報告と決算報告とを朗読報告して、原案の承認を受けた
同五時半、同所ニ於て、同社講演会、山室軍平氏の基督教より見たる労働観、青淵先生の会員ニ対する訓示演説があつて、七時半終了
 青淵先生演台ニ進ミ、演説ニ入らんとして急ニ壇を下る、急病ニてハ大変と急け《(ぎ)》駆け付けたるニ、小便を催したる由ニて、急ぎ用便をなし、再度演壇ニ上られた
夫より晩餐会で、阪谷理事長の卓演があつて、八時半終了、引続き、以前の講演会場で貞山の講談の余興があり、九時半頃退散となつた


中外商業新報 第一四七八八号昭和二年四月二三日 浅野・山中両翁に竜門社から寿杖の贈呈 きのふ東京会館に総会開催 席上で渋沢子の時局感想談(DK430023k-0004)
第43巻 p.239 ページ画像

中外商業新報 第一四七八八号昭和二年四月二三日
    浅野・山中両翁に竜門社から寿杖の贈呈
      きのふ東京会館に総会開催
      席上で渋沢子の時局感想談
竜門社は、廿二日午後五時から、東京会館にて、第七十六回会員総会を開いた、出席者
 渋沢子・阪谷芳郎男・大橋新太郎・田中栄八郎・麻生正蔵・諸井恒平・高松豊吉・成瀬正蔵・坪谷善四郎の諸氏外二百余名
先づ阪谷男の
 開会 の辞に次で、増田理事の社務及び決算報告があり、また本年八十才に達せる会員浅野総一郎氏(代理)及び山中譲三氏に寿杖贈呈の式があつて、引続き講演会に移り、山室軍平氏の「キリスト教の労働観」と題する講演に次いで、渋沢子爵は老躯を壇上に運び、大要左の意味を述べた
 米寿を迎へたが、その喜びは受けてもお祝は遠慮したい、現下の政治界や経済界は相当に進んだやうであるが、それは真正の進みであらうか、私が申すもおこがましいけれども、昨今の事情はどうであらう、何れも
  徳義 を失ひ、道理にかなはぬ観がある、故に経済と云はず、道徳的になることによつて進めたいと切に思ふのである、色々最近の実情に就て申述べたいが、只今は感想の一端のみを申すにとゞめる
講演会が終つて晩餐は開かれ、終りに余興として貞山師の講談があり盛会裡に九時過ぎ散会した