デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.240-244(DK430024k) ページ画像

昭和2年6月23日(1927年)

是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、富士川游ノ長寿法ニ関スル講演アリ。栄一出席シ、有志晩餐会ノ席上所感ヲ述ブ。尚、五月二十三日並ニ九月二十九日ノ当社講演会ニモ栄一出席ス。


■資料

竜門雑誌 第四六五号・第七七頁昭和二年六月 ○本社講演会(DK430024k-0001)
第43巻 p.240 ページ画像

竜門雑誌  第四六五号・第七七頁昭和二年六月
○本社講演会 五月廿三日(月)午後五時より、東京銀行倶楽部に於て、本社講演会を開く。出席会員青淵先生を始め百弐拾余名、講演者並演題は左の如くなりき。
 最近の支那時局に就て    鷲沢与四二
○本社会員有志晩餐会 五月廿三日前項講演会終了後七時三十分より同所に於て会員有志晩餐会を開く、来賓青淵先生・鷲沢氏を始め出席会員七十余名。席上阪谷理事長の挨拶ありて、同九時散会したり。


竜門雑誌 第四六六号・第九六頁昭和二年七月 ○本社講演会(DK430024k-0002)
第43巻 p.240 ページ画像

竜門雑誌  第四六六号・第九六頁昭和二年七月
○本社講演会 六月廿三日午後五時東京銀行倶楽部に於て本社講演会を開く。青淵先生を始め出席会員百参拾余名、講演者及演題左の如し
 長寿法    文学博士医学博士 富士川游氏
○本社会員有志晩餐会 六月廿三日別項講演終了後、引続き同所に於て午後六時三十分より会員有志晩餐会を開く。来賓青淵先生・富士川游氏を始め出席会員八十余名。席上阪谷理事長の挨拶並に青淵先生の長寿法に関する所感談ありて、同八時散会したり。


竜門雑誌 第四六七号第一二九―一三四頁昭和二年八月 ○青淵先生説話集其他 竜門社総会にて(DK430024k-0003)
第43巻 p.240-243 ページ画像

竜門雑誌  第四六七号第一二九―一三四頁昭和二年八月
  ○青淵先生説話集其他
    竜門社総会にて
 竜門社の総会に出まして、皆さんにお目にかゝり、且つ今の身体が丈夫であると云ふお褒め言葉を戴くと、別して愉快が増すやうでございます。富士川博士の長寿法のお話は、如何に私が八十八になつても矢張喜んで拝聴せねばならぬのでありますから、諸君もさぞ御満足に思召したことであらうと思ひます。私は別に長寿法に対して申上げるではないけれども、一種の養生法を或る書物に就て、研究とまでは行きませぬけれども、多少修めて居る積りでありますから、その事を御話したいと思ひます。度々お話をした事がありますから、皆様の中には又かと思召す方があるかも知れませぬ。重複或は重々複になつて居るかも知れませぬけれども、其事を簡単にお話して置きたいと思ふのであります。
 元来忙しく生活をしました為に、年寄つてから静に世を送ると云ふことが、果して養生法であるかどうかと考へました。勿論若い時分ではございませぬ。大体六十頃からのことであります。矢張年寄つても相当なる活動は続けたが宜からう、若し活動しなかつたならば、寧ろ
 - 第43巻 p.241 -ページ画像 
却て人は弱くなつてしまうだらう。斯う云ふ考を持つて居りました為に、六十の本卦回りと云ふ頃ほひには、未だ若い者の心を以て、社会の仕事に当つて居つた積りでございます。然し七十七になつてから、余り斯う総ての事務に当るのも如何かと感じました為め、真に身体が弱つたと云ふではございませぬけれども、もう自ら加減あるものと思ひましたので、之を機会に四十余年勤めた第一銀行頭取も御免を蒙りました。其前に各種の事に関係して、甚しきは或る方面からは、何でもござれに引受けると云ふ謗りを受けたことも、屡々あつたのであります。但し其時に私が言ふには、否さうではない、日本の現在の経済界は、申さば荒蕪地に一軒家が出来たやうなもので、分業的に荒物を売るとか、呉服を売るとか、分けてのみ得られるものではない、万屋が必要だから、それで自分は万屋をするのだ、とまで弁解したことがあります。明治四十二年に所謂万屋は止めましたが、併し今申上げた大正五年の七十七を機会に、総て計算上のことは先づ止したが宜からうと考へまして、第一銀行を始めとして総て営利に関係することだけは、全く其社会から身を引いたのでございます。然し身体が弱つたと云ふでもなし、又閑地に就て養生したいと云ふ趣旨ではなかつたのであります。然らば是から先をどうするか、一体辞表を出して国民をやめると云ふことは出来ない筈である。銀行の頭取は辞表でやめることが出来る、或は大蔵大臣も辞表一本でやめることは出来るであらう、其他総て自分の業務職業をやめると云ふことは出来るが、国民たる責任は、もうそれこそ死ぬまで動かすべからざるものある。故に余生は挙げて国民たる責任を果す為めに費やさねばならぬと考へました。斯う考へると七十七を界として、計算上の事は退いても引込思案で暮すことは出来ぬ。然らば如何なる方面で働くべきか、それには社会事業がよからう、社会事業は先ず国民として、最も努むべきことであるから最適当であると考へました。私は余り社会事業に堪能ではありませぬけれども、せめては其事をと思うて多少の努力は致しました。今尚ほ其範囲に於て微力を致しつゝ居ります。さう云ふ場合に自分が考へるのに、一体どうして行つたが宜いか。自分の心の持方、身体の使ひ方が唯乱暴で直に倒れるやうになつてもいかぬ。さればと云うて又余り大事を取つて、何の仕事も出来ぬやうになつても困る。相当な仕事をしつゝ、且つ宜い程の摂生を保つて行くと云ふことでなければ、世に在る甲斐はなからう、斯う考へまして、どうも年とつたからと云うても、余り老人らしうすることは、却て養生の為に宜いものではなからうと云ふ感じを、始終持つて居りました。先づ六十歳まで引続いてやり来つた方針を、其以後も継続する。斯う云う方針で居りました。然るにもう軈て五・六年以前になりますが、今是から申上げやうと云ふ、ラプソン・スミスと云ふ英吉利人の説を知りました。此人はお医者であるか、学者であるか、其資格を詳しく存じませぬが、或は富士川先生などは御承知かも知れませぬが――訳して「百歳不老」と云ふ文明協会が出版したものに依つて一覧しまして、玆に初て私の六十位からして七十若くは七十七までの心の用ゐ方が、ラプソン・スミスと暗合したやうに感じ、爾来四・五年は別して真理を確かに押へたやう
 - 第43巻 p.242 -ページ画像 
な気がして、今日も尚ほ其方針に於て働いて居るのでございます。但し之が長寿法になるかならぬか、それまでは私には分りませぬが、まあ八十八までも尚ほ斯うして居ると云ふ点から御覧なすつたら、多少養生法に適つて居るかも知れませぬ。然し若し之を誤つた為に害することがあつたら、或は大なる過ちになるかも知れませぬ。故に是は其人に存することであるから、唯私がさうすると云ふことだけにお聴きを願ひたい。此ラプソン・スミスの養生法と云ふものは、私は甚だ面白いと思ふて居ります。さう大きな冊子ではありませぬけれども、種種に説いてありますから、悉く記憶すると云ふまでに、読み尽したのではございませぬ。其大要を読んで、極く大掴みにしたのですから、後で丁寧に御覧なすつたお方が、否あの説は違ふと仰しやるかも知れませぬけれども、先づ其スミスの説の立て方は斯うでございます。丁度其頃の世の中の議論が、もう六十になつた人は所謂老境に入つたので、此老境に入ると、若い人に向つて是ではいかぬ、あゝせい斯うせいと云つて、色々指図をする。されば其本人はと云ふと、老人を気取つて余り働いて呉れぬ、悪く云へば人を使ふことばかり考へて居る。さうして思ふやうに行かぬ、と仕方が悪いと云つて小言を言ふ。斯の如きは老人の常である。して見ると、老人と云ふものは誠に詰らぬ者である。こんな老人などはない方が宜い。六十になつたら皆殺してしまつて、若い人を働かせる方が、世の中の経済だ。斯う云ふやうな矯激の論をする人があつた。スミス氏考へて曰く、それは損である。六十まで成長して来たことであるから、相当な社会に経験もあれば、又修養もある。だから此人を其人の未来が悪いからと云うて、直さま之を罔みすると云ふことは、甚だ不利益である。寧ろ其人を善くして働かせると云ふことにするが宜い。一体人間は六十から少くも九十までは、丁度三十から六十までの三十年と同じやうな有様を以て社会に活動し、世の中に有益なる働きが出来ると信じて居る。然し六十の人が更に三十年働くに付ては条件がある。それは先づ略して三つある。第一に活動を三十から六十までと同じ心持を以て継続しなければならぬ是は六十になつたからと云うて様子を変へるのは、直さま其人をして精神的に若くは肉体的に必ず弱めることになるから、其考は切に止めなくてはならない。但し三十から六十までと、六十から九十までの間は、幾分の差はある。どうしても身体が、もう六十以上になると、三十の時と同じには論ぜられない。故に相当な摂生が必要である。自制がなくてはならぬ。過度の勉強、過度の労働に就くと云ふことはよろしくない。故に活動を継続すると云ふ一条件の上に、第二には相当な自制をすることが必ず必要である。更に今一つは人の心持を始終満足平和に置くと云ふことである。是は蓋し三十から六十までも其通りであるけれども、六十以上になると俗に気が短くなると云ふやうなことは、どうも免れぬやうである。故に其場合には別して心を平和に置いて、苦悶するとか懊悩するとか云ふやうなことは、努めて避けるやうにしなければならぬ。活動を継続し、其活動に相当なる節制を用ゆるさうして心を平和にする、此三つの条件が完全に行はれて行けば、九十までは屹度維持するに相違ないと思ふ。果して然らば、三十から六
 - 第43巻 p.243 -ページ画像 
十まで人の働き盛りと云ふならば、それを更に倍加して三十から九十までは人の働き盛りである。此人は前の三十年の間に、種々なる好い経験が必ず蓄へられて居るに相違ないから、後の三十年は大に生きて来る。斯の如くして行つたならば、其人自身も安心であらうし、更に世の中を益するではないかと云ふのが主旨であつて、之に付て、例へば平常の食事に注意して野菜を多く食べろとか、水を能く飲めとか、種々な事が併せて論じて居られましたが、其辺は玆に申上る程に充分なる記憶を持つて居りませぬ、併し私は誠にスミスの説が尤だと思ひます。既に九十歳は明後年でありますから、九十まではどうやら斯うやら生きて居られるか知れませぬが、其以後は幾年だか私の考へる限りではありませぬ。それは兎に角スミスの説は至つて穏健であると思ふのでございます。玆にお集りの皆様は未だ六十に届かぬお方が多いやうであります、中には一・二、八十台の人も見えますけれども蓋し誠に稀である。故に今申上げる是からが修養時期と思ひますからどうか三十年は扨置き更に尚御継続あることをお願ひしたいと思ひます。
 そこで更に私はもう一つ長寿法と云ふか、摂生法と云ふか、まだ好い工夫があると思ひます。それは月日を無駄にせぬと云ふことでございます。縦しや左様に歳月を長く生きて居つた所が、私共さう申したら人から何をしたかと言はれるかも知れませぬが、唯空しく世に生存して居つたならば、実は百まで生きても一日で死んだと大抵同じで、差引勘定何も残らぬだらうと思ひます。さうすると人の生存は歳月を空しうせぬ、其月日に対して相当な効果を提供したと云ふのが、生存の甲斐あるものではないかと斯う思はれます。若し果してそれならば此養生法を逆に考へて、短い間に充分働くと云ふことも、若し他の人の十倍働くなれば、十年で百まで生きた訳になる。さう云うては少し奇矯の言葉になりますけれども、丁度前の百まで生きても同じだと云ふことを反対に言うたならば、十倍働いたならば十年生きても百になつたと云ふ勘定が出ぬとは申されぬだらうと思ひます。古人が人生百に満たず、常に懐く千歳の憂、と嘆き、或は又陶淵明が、世短くして意常に多し、と云ふたのは、歳月が短くして考が多いと云ふことであります。さうすると之を反対にして、意多くして日月短しと云ふ説がありますが、丁度さう云ふ勘定に論じますと、働く度合が自ら年を調和するやうになります。五十年生きても人の倍働けば百歳の寿を保つた勘定にもならう。反対に若し八十まで生きても、ボンヤリして居つたら、余りに長生をした効能はないと云ふことになります。故に長生したいと思ふならば、能く働くと云ふことが、蓋し長生の法であると申しても宜からうと思ふのであります。御集りの皆様が、皆懶惰だと云ふ意味で申上げるではございませぬが、皆様が勉強なさるのが、更にもう一層加はつたならば、必ず此歳月を多く過したと同じ効果を生ずるだらうと思ひますから、申した次第でありまして、蓋し是も一種の長寿法であらうと思ひます。私自身がさう云ふことが出来るとは申上げませぬが、諸君には出来ると思ひお願ひ致すのであります。
              (六月二十五日東京会館に於て)

 - 第43巻 p.244 -ページ画像 

竜門雑誌 第四六九号・第九九頁昭和二年一〇月 本社講演会(DK430024k-0004)
第43巻 p.244 ページ画像

竜門雑誌  第四六九号・第九九頁昭和二年一〇月
 本社講演会 九月廿九日(木)午後五時より、東京銀行倶楽部に於て、本社講演会を開く。青淵先生始め会員百三十余名。阪谷理事長の挨拶に次ぎ、文学博士紀平正美氏の「現代思潮批判」と題する、約二時間に亘る講演あり、午後七時半閉会す。
  ○此時期ニ於ケル当社ノ前掲以外ノ主ナル会合左ノ通リ。
    昭和二年四月二十二日 理事会・評議員会(午後四時半ヨリ、於東京会館)栄一出席セズ。
    同年六月二十三日 理事会・評議員会(午後四時半ヨリ、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。
    同年九月二十九日 会員有志晩餐会(午後七時半―九時、於東京銀行倶楽部)栄一出席セズ。