デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
■綱文

第43巻 p.296-298(DK430038k) ページ画像

昭和6年12月3日(1931年)

是日、当社ハ評議員会ヲ第一銀行本店内ニ於テ開催シ、栄一ノ遺言書ニヨル、渋沢家ヨリノ飛鳥山邸ノ遺贈申出ヲ受諾スル件ヲ可決ス。


■資料

竜門雑誌 第五一九号・第二三二―二三三頁昭和六年一二月 本社理事会(DK430038k-0001)
第43巻 p.296 ページ画像

竜門雑誌 第五一九号・第二三二―二三三頁昭和六年一二月
 本社理事会 十一月十八日午後四時より、第一銀行本店に於て、本社理事会を開く。理事長阪谷男爵を首め、石井・渡辺・植村・明石・佐々木の各理事、及び佐々木評議員会長並に杉田・西条の各監事出席の上、今般渋沢家より内示せられたる、青淵先生の御遺言に関し、慎重協議の結果、全会一致を以て、左の如く可決したり。
 一、青淵先生の御遺言により、飛鳥山邸宅及庭園を渋沢家より遺贈せらるゝ場合は、謹みて之を受納する事。
 二、青淵先生薨去に付、十一月開催の第八十四回会員総会は之を見合せ、来十二月初旬頃青淵先生追悼会を開催する事。
 三、竜門社に於て、青淵先生の御伝記を編纂する事。 以上
 御遺言書検認告知 東京区裁判所より、十二月二日付を以て、阪谷理事長に宛て、左の告知書を送達し来れり(同月五日受領)。
 昭和六年(と)第八六号
  申請人渋沢敬三ヨリ遺言書検認ノ申請アリタルニ付
  亡渋沢栄一ノ遺言書ハ昭和六年十二月二日午後一時、当区裁判所ニ於テ、検認済相成候条、此旨告知候也
  昭和六年十二月二日
              東京区裁判所
               裁判所書記 飯田可一
  財団法人竜門社
  代表者理事
    阪谷芳郎殿
                          以上
 本社評議員会 十二月三日午後四時三十分より、第一銀行本店に於て、本社評議員会を開く。佐々木評議員会長を首め、林・穂積・堀越・土肥・尾高・渡辺・坪谷・植村・簗田・小平・明石・阪谷・佐々木・西条・渋沢(秀)・清水・白石・篠原・諸井・杉田の各評議員(外に委任状分七名)出席の上、十一月十八日開催の理事会案に基き、慎重に協議の結果、全会一致を以て、左の如く之を可決したり。
 一、青淵先生の御遺言により、飛鳥山邸宅及庭園を渋沢家より、我竜門社に遺贈せられたるに付、謹みて之を受納する事
 二、青淵先生薨去に付、竜門社第八十四回会員総会の開催は之を見合せ、本月十三日青淵先生追悼会を開催する事
 三、竜門社に於て、青淵先生の御伝記を編纂する事
                          以上

 - 第43巻 p.297 -ページ画像 

竜門雑誌 第五一九号・前付昭和六年一二月 遺言書(DK430038k-0002)
第43巻 p.297 ページ画像

竜門雑誌 第五一九号・前付昭和六年一二月
    遺言書
余ハ壮年郷関ヲ出デタル当初ヨリ常ニ国家社会ヲ念トシ、道徳風教ノ振作、経済産業ノ発達、実業教育女子教育ノ興隆、社会事業ノ助成、資本労働ノ協調、国際親善世界平和ノ促進等ノ為メニ潜心努力シ来レリ、其業績ガ竟ニ所期ニ副ヒ得ザルノ遺憾ハ暫ク措キ、コレ実ニ余ガ以テ己ガ任ト為セル所ニシテ、余ニ於テ死而後已ノ覚悟アルハ勿論、此素志ニシテ身後ニ継ガルルアランカ、余ノ喜何者カ之ニ如カンヤ、余ガ後半生朝夕起居ノ地タル飛鳥山ノ邸宅庭園ノ如キモ、実ニ一身安息ノ為メニアラズシテ、抑モ上記諸目的ノ用ニ供センコトヲ主トセルモノナルガ故ニ、余ハ此邸宅及ビ庭園ガ余ノ生前ニ於ケルト同様、永ク上記諸目的ニ相応スル公共ノ使用ニ供セラレ、国家社会ニ対スル余ノ微志ガ余ノ死後ニ継続達成セラルル一中心点タランコトヲ切望ス、此ニ於テカ、余ハ右ノ希望ヲ実現スベキ最善ノ方法トシテ
 一東京府下滝野川町大字西ケ原字第六天所在所有土地全部
 一本遺言効力発生ノ際前項ノ土地ニ存スル一切ノ建造物並ニ其附属品(但遺言執行者ニ於テ受遺者ト協議ノ上、建造物中不要ノ部分ヲ除去シ、且附属品ノ範囲ヲ決定スベキモノトス)
 一維持資金壱拾万円也
ヲ財団法人竜門社ニ遺贈スルコトヲ遺言シ、余ノ家督相続人ガ遺言執行者トシテ、右ノ遺贈ニ関スル一切ノ手続ヲ執ルベキコトヲ命ズ、其綱領ニ於テ余ノ主義ト一致スル竜門社ガ必ズヤ余ノ旧地ヲ管理スルニ適当ノ方法ヲ以テシ、余ガ生前特ニ心ヲ致シタル諸方面ニ裨補スル所アランコト、余ノ信頼シ且懇嘱スル所ナリ
  昭和六年六月二十六日
                     子爵 渋沢栄一


中外商業新報 第一六四六五号昭和六年一二月四日 遺言により渋沢邸は竜門社へ 公共の使用に供すべき目的の下に十万円と共に寄附(DK430038k-0003)
第43巻 p.297-298 ページ画像

中外商業新報 第一六四六五号昭和六年一二月四日
  遺言により
    渋沢邸は竜門社へ
    公共の使用に供すべき目的の下に
      十万円と共に寄附
渋沢子爵薨して廿三日、飛鳥山下の邸は、暮れゆく秋の哀愁より物寂びた冬の此頃にまで、引続き弔客の
 思慕の的になつてゐたが、遺言書により一万坪の数寄をこらした同邸を、挙げて竜門社に遺贈することゝなり、三日これが発表された、これによつて竜門社では、同日午後四時半第一銀行内に評議員会を開き、その遺志を奉じ満場一致その遺贈を受くることに決した、そして今後における処置については、委員を挙げて協議し、翁の遺志に副ふべく
 万全を期するはずで、道徳・経済・教育・労資協調・国際親善等方面の有力者を顧問に依頼することとならう
 因みに、竜門社は初め明治十年来渋沢翁の門下生を以て組織せられたもので、翁の教訓を奉じ知識を交換し親睦を図るのが目的であつ
 - 第43巻 p.298 -ページ画像 
たが、其の後翁と主義信念を一にするもの続々として来り投じ、現に会員の数千余名の多きにあり、財団組織の下に阪谷男を理事長とし、佐々木勇之助氏が評議員長の任にある
なほ老子爵がその遺言書を認めたのは本年六月廿六日のことで、大形の罫紙に例の荘重謹厳なる筆致を以て揮灑せられ、墨痕淋漓頗る見事なものである○下略