公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第43巻 p.331-333(DK430044k) ページ画像
昭和12年11月(1937年)
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是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百九十号附録トシテ「青淵先生演説撰集」全一冊ヲ編纂刊行ス。
青淵先生演説撰集 竜門社編 序・第一―三頁昭和一二年一一月刊(DK430044k-0001)
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青淵先生演説撰集 竜門社編 序・第一―三頁昭和一二年一一月刊
序
反復は記念の良法であると云ふ。併しそのやうな意味でこの撰集を編んだものだとすれば、恐らくそれは無用の試みだとの譏を免れないであろう。先宗の遺躅を宣揚するは固より子弟後進としての道であるだが、斯かる趣旨の下に本篇を上梓したものだとすれば、寧ろそれは附贅の業だと評せられても致方はあるまい。蓋し青淵先生が我資本主義文明を建設せられた最大の恩人であり、而して又、維新以来我国民精神の動向を指導せられた一大先覚であつたことは、青史の続かん限り久遠に承伝せられ、人類社会の発展に伴つて益々顕彰せられて行くに相違ないからである。玆に先生の演説撰集を編んだ所以のものは、さながら亡き慈父を慕ふ遺子が追懐の至情已み難きものあるにも似て期せずしてこの刊行に手を染めたに外ならないのである。
顧みれば曖依村荘のもみぢ葉漸く色ばみて、初霜窃に飛鳥山上を粧はんとする昭和六年十一月十一日、六合の寥風悲愁の哀曲を奏づる裡に、我青淵先生の易簀を悼んで以来、烏兎忽忙として早くも第七回の忌辰を迎へた。然もこの六星霜を閲する間に人類の史上には幾多の曲折が描かれ、わけても我国運の推移は重大なる波瀾の起伏を以て終始したかの観がある。寔に時、艱にして空しく偉人を憶ふの感慨今や一入に切なるものがある。然も徒に追懐に耽るには当面の時局は余りに重大であつて、精神的にも物質的にも、全人類は現に狂奔せる怒濤の裡に未曾有の不安と動揺とを体験しつゝある。果して何れにその帰趨を求むべきか。これこそ何人にとつても斉しく喫緊の要務であらねばならない。だが、道は近きに在る。必ずしもこれを遠きに求むることを要しない。
惟ふに青淵先生の道徳経済合一説は、独り先生が人類社会生活の指導精神としてこれを提唱せられたばかりでなく、終始一貫渝らざる実践躬行に依つて自ら体現せられ、社会を率励せられた万人処世の一大軌範である。否、寧ろ先生自身が「道徳経済合一」の権化であつたと云ふべきであらう。この意味に於て玆に先生が辞弁の旧録を閲し、版を新にして更めて先生に親炙することを得るは、我竜門社員一同の至幸とする所である。
さりながら、凡そ先生の謦声を煩したものは演説・講演・講話・座談・口述・レコード吹込・ラジオ放送等、その方式の何たるを問はず今日迄に記録の蒐集せられたるものゝみにても、総数二千八百余件の多きに上り、当に金声して玉振し集めて以て大成せられたるかの感がある。但し玆にその全部を輯刊せんことは到底事情の許す所ではないこれ、あたら衆芳を割愛してこの「撰集」に止むるの已むを得ざりし所以である。仍ち纔に片鱗を収めたるに過ぎないものではあるが、然も又、会員各位がこれを以て青淵先生を偲ばるゝのよすがともならばこの小業の目的は達せられたと云つて宜いのである。
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昭和十二年十一月十一日 竜門社
青淵先生演説撰集 竜門社編 奥付昭和一二年一一月刊(DK430044k-0002)
第43巻 p.333 ページ画像
青淵先生演説撰集 竜門社編 奥付昭和一二年一一月刊