デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
3款 社団法人日本弘道会
■綱文

第43巻 p.379-385(DK430058k) ページ画像

大正2年10月7日(1913年)

是日栄一、当会埼玉県飯能町支会ノ講演会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三〇五号・第六五―六六頁大正二年一〇月 ○青淵先生飯能旅行(DK430058k-0001)
第43巻 p.379 ページ画像

竜門雑誌 第三〇五号・第六五―六六頁大正二年一〇月
○青淵先生飯能旅行 青淵先生には兼て幼時曾遊の地にして、又明治維新の際に於ける振武軍の古蹟を有する武州飯能に清遊せんとの希望を有せられしが、今春来同地有志者より再三の招待ありしを以て、令夫人と共に、尾高次郎氏・同令夫人同伴、去十月七日午前七時五十五分新宿発汽車にて出遊の途に就かれたり、当日は途中所沢にて下車、陸軍飛行場に到り、郡山少佐の説明にて飛行機及場内を一覧し、黒須に於て同地の素封家繁田武平氏方にて昼餐の饗を受け午後三時飯能に着し、先生は直に同日開催せられたる同地弘道会支部大会に臨み(令夫人は直に旅館に充てられたる小能五郎氏方へ赴かれたり)一場の講話を試られ、終て小能氏方に投宿、当夜青年会・弘道会支部及有志者の催にかゝる宴会に出席せられ、八日午前天覧山・朝日山(朝日山は明治神宮奉建候補地として、同地人一同より、其筋へ請願中のものなり)等の勝地を遠望して、人力車にて入間川に到り、午餐の後一時半同地発、汽車にて二時半川越に着し、同地にては星岳保勝会理事会員等と会し一場の講話を為し、午後四時同地発、汽車にて大宮経六時十六分、飛鳥山邸へ帰着せられたり。


弘道 第二六〇号・第九八頁大正二年一一月 埼玉県飯能支会講演会(DK430058k-0002)
第43巻 p.379 ページ画像

弘道 第二六〇号・第九八頁大正二年一一月
○埼玉県飯能支会講演会 十月七日飯能町第一高等尋常小学校に開催し、会長徳川伯爵・特別会員渋沢男爵臨場、本会講師として評議員三輪田文学士・理事平塚双峰氏・速記者上野六郎氏出張


弘道 第二六四号・第一五―二四頁大正三年三月 道徳と経済(於飯能支会演説) 特別会員男爵渋沢栄一(DK430058k-0003)
第43巻 p.379-385 ページ画像

弘道 第二六四号・第一五―二四頁大正三年三月
    道徳と経済(於飯能支会演説)
                  特別会員男爵渋沢栄一
     一
 会長並に満場の諸君、老人故に声が充分通るまいと云ふことを惧れます、飯能の町は私は初めてゞはございませぬ、此処に御集りの諸君よりも余程前から飯能を知つて居る者でございます、指を折つて数へて見ると丁度六十一年目に相成ります、嘉永六年癸丑の歳、而かもコンモードル・ペリーが亜米利加から来て、日本の夢を覚まさうと云ふ時に、私は飯能に参つて一泊をした者でありますから、大抵諸君の御生れの以前でありませう。
 で、実は今日此処に出まする時に、何ぞ御話をと云ふことを、予て御申聞けがございました。仍で自分の考へたのは、道徳と、経済と、此差別に就て御話しやうかと思ひましたけれども、会長を初めとして会員の鏘々たる方々から、道徳問題に就て段々御高談が出ましたので
 - 第43巻 p.380 -ページ画像 
私が又同じ事を申上げますと、丁度天麩羅を食べた後に、又蒲焼を食べたやうな風に、どちらが旨いか分らぬが、余りこつてりした物が続き過ぎるから、あなた方の無明の夢を覚ますことが出来るか、どうか知らぬが、時事の問題に就て一場の話をして見やうと、思ふのであります。
      二
 人心と道心に就て、唯今会長徳川伯爵閣下の御演説下さいました事は、諸君と倶に謹聴した次第であります。実に今日では天麩羅と、蒲焼とビーフステーキと、シチユーと、コロツケーと、色々の物を食べるのであるから、余程胃をよくしてないと、日本人は皆食傷をして仕舞ふ、併しながら之を食傷させず極く健全の胃にしやうと云ふには何が必要かと云ふと、己れを修める道と云ふものがなければならぬ、併しこれには人心だけでは足らぬ。
  人心惟危。道心惟微。惟精惟一。允執厥中。
是即ち己れの胃を強くする手段である、道と云ふことは、論語にも
  朝聞道。夕死可矣。
とある、又中庸には
  天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教。
とある、又韓退之の道を解釈した語には
  博愛之謂仁。行而宜之。之謂義。由是而之焉。之謂道。足乎己無待於外。之謂徳。
皆古の学者は道を説いて居るやうであります、私は別に学者でありませぬから道の講釈は止めますけれども、今回弘道会の特別会員となつたものでありますから、少々は道を知つて居らなければならぬと思ひましたから、私も聊か道と云ふことを考へて見たのであります。
      三
 そこで今日時事に就て申上げたいのは我帝国は対岸の地よりして、今申上げたコンモードル・ペリーが六十一年前に参つて、国を開かれた。国を開かれた後に、大に開国主義を唱導して、是が確立したのは今より四十五年以前、即ち明治の初めであつた、さうして先帝陛下の容易ならぬ御盛徳は此に申上げるまでもなく、実に有難い御代に成して下されたのであるが、併し左様に進んで参りましたやうなものゝ、こちらが進むと、向ふも進み、こちらの事物が整頓して来ると、向ふの事物も発達する、是は世の中に交はれば交はる程、喜びもあれば又苦痛もあると云ふのが、人生の常であります。
 殊に近頃東と西とに、我帝国は中々心配すべき点がございます、東と云ふのは何か、即ち北米合衆国、西と云ふのは何か、即ち支那今は中華民国と謂ふて居るものであります。
 先づ東から申上ますと、此端緒を啓きましたのは、今申す通り六十一年前にペリーが参つて、次いでタウンセンド・ハリス、其他数代の公使も参れば、又様々の亜米利加の政治家と、日本の当局者との処置宜しきを得ましたから国交は頗る親善である、此間には大に嘉すべきものがございましたけれども、数十年前から我帝国の人は追々に増して来まして、随つて他邦に移住致さぬければならぬ。其移住をするに
 - 第43巻 p.381 -ページ画像 
必ず大に利益ある所に赴くと云ふのは、猶ほ水の低きに流れる如きものである、現在カリフオルニア州の如き、若くはオレゴン州・ワシントン州の如き、亜米利加の都府に参つて居る我国民を数へますと十万を超えて居る、カリフオルニア州に行つて居る人ばかりでも六・七万を以て数へます。
      四
 左様に其初は世界の仲間入を亜米利加人がさしたと云ふ具合で、他の国々よりは一歩進んで親しくなる有様でありましたからして、三十五・六年までは至つて親善であつたのであります。三十七・八年の日露の戦役に就ても時の大統領ルーズヴエルト氏は大に力を入れて平和を克復せしめることに、種々苦心をしたやうに思はれます。其頃までの米国の日本に対する感情と云ふものは甚だ宜しかつた。併し三十七八年頃からは褒める言葉に次いで多少の怖れを生じて、感心すると云ふ言葉に次いで多少の憎みを起した。此に於て如何に長い間の交際は続いて参りましても、御承知の通り此人種の異なること、又宗教の別だと云ふことは、是は国際上中々にむづかしいものでございます。我帝国でも全く種類違ひの人が来ると、何となく相融和し難いものである。向ふに於ても尚ほ其通りで、今申す憎み怖れると云ふことから、随つて人種相違の関係も、尚ほ深く起つて来ると云ふのは自然の勢ひである。それ故に、三十八年頃桑港に於て学童問題と云つて、日本の子供をば同じ学校に入れぬと云ふことが出来たのである。実は其前にも学童排斥の形勢は在りましたけれども、其頃から段々さう云ふ有様になつて来たのであります。
 元来亜米利加との関係を申しますと、余程日本に取つて大事の国であつて御得意の国であります、此辺も見渡しますと、如何にも桑園が盛んであります、是は何の為であるか、蚕を養ふ為である。蚕は何の為めに養ふか。糸を製する為である。糸を製して何にするかと云ふと申すまでもなく布帛を拵へるのであつて、それを他の国に売つて富を増す為である。富を増すと云ふのが即ち国を富ます所以であります。然らば其対手は何処か、亜米利加が第一の国であつて、輸入する物も随分ありますが、輸出する物も大きい、是が世界中で一番親しむべき国柄と申して宜しいのであります。
      五
 然るに今申すやうな有様を以て、段々にこちらから移住するものに就ては、俗に申す継子扱と云ふことが生じて参つて、屡々或種類の人人からはどうも日本の国情が甚だ宜しくないとか、日本人はどうも同化せぬ国民であるとか、白哲人種とは交はり得られぬ性質であるとか云ふやうなことを唱へる。果して然らば、戦争好きの国であるから、終に之を排斥したならば力を以て相競ふやうになつて来るだらうか、亜米利加は縦令戦争はさう強くなくても、富を増す仕掛がある、機械が巧みであると云つて、頻りに双方の元気を挑発する人間が沢山ありますので、皆さんは至極慎重な方々でありませうが、御互ひ日本人多数の気象はどつちかと云ふと少し感情的性質を有つて居る。若し今のやうな有様から、日米両国の間に争ひを云ふものが起るやうになつて
 - 第43巻 p.382 -ページ画像 
は国家として甚だ憂ふべき事でありますから、政治家も、亦実業家も我々の如き直接其職に在りませぬ者も、大に数年来之を憂へて居りまして、実は四十一年に亜米利加から大勢人を招いて、日本の事情を能く知らせる。次いで四十二年に斯く申上げる私などは東京に於て実業団と云ふものを組立てまして、渡米実業団と云ふ名で、丁度五十四・五人で団体を組んで亜米利加に参つて、五十三の都市を九十日ばかり費して巡廻して帰つて参つたのであります。是等は、成るたけ誠意を尽して、方々の地方を廻つて、人情を融和せしめやうと云ふことが目的であつたのであります。決して我々共の微力が功を奏さぬではなかつたらうと思ひますけれども、未だ以て一般の人気を隅から隅まで鎮撫せしむる所に至らぬと見えまして、当年の四月に至つて再び土地所有法と云ふものを、カリフオルニア州会に提議されて、とうとう日本人の有つて居る土地をば永続して所有させぬと云ふ法案が出たのであります。是は実に六万ほど向ふに移住して居る同胞に対しては、余程の苦痛である。否、苦痛どころでない、殆ど相続権を奪はれたと同じやうな訳であるから、唯安閑として居られる訳でない、様々な法律家も日本から行き、一方からは政治上の活きを持ち、一方からは宗教上或は商業会議所等の実業団体、其他の方面から、切に力を尽して多少の修正が出来た結果、俄に困難と云ふ訳には相成りませぬけれども、併し亜米利加に国籍を有する者の外は土地を継続して有つことが出来ぬと云ふことだけが、遂に通過して、今や是が行はれるやうなことに相成つたのであります。
      六
 実に六十一年前に日本をして世界の仲間入をさせたのみならず、正義人道を主として、最も無差別的の主義を以て国政を執つて居る亜米利加にして、又千八百六十年頃には、例の有名なるリンコルンと云ふ人は奴隷廃止を国を賭してまでやると云ふ正義の国にして、尚ほ且つ左様な差別的の待遇をすると云ふことは、決して其儘に措く訳に往かぬからして、日本人として何処までも其法律を取除けさせなければならぬと、私共は深く思ふて居るのであります。一体に亜米利加の国の制度として、州に置いてあります州会の決議と云ふものは、中央政府が自由にすることは出来ない、若し州会の決議にして、是に立入られる条件が有れば干渉も出来るが、全く無ければ、今日の日米条約に於ては、之を充分制肘せしむる力あるものでないさうです。此条約上の権限等に於ては、私も詳かに知らぬし、又此処で詳しく御話する事柄でないと思ひますけれども、旁々以て如何にも差別的の制度と云ふものは、正義人道を重んずる国民の決して為すべからざる事と思ひながらも、亜米利加をして其カリフオルニア州に発した法律を取除かせることが、未だ以て出来得ぬのであります。私共が前に申した如く、四十二年に親善を図る為に大旅行を致しましたに拘らず、今又此報に接すると同時に日米同盟会と云ふものを起して今日も尚ほ継続して親善に力めて居る次第でありますけれども、果して其法律を撤去せしめ得るか、然らざれば我国民が向ふに於て帰化権を得て、亜米利加人同様に永久なる自由を得ると云ふところの良好なる結果を得たいと存じて
 - 第43巻 p.383 -ページ画像 
居りますが、いつ其目的を達し得られるか、今以て申上げられぬやうな次第であります。
 併し其道理は充分無いのかと云ふと、我国に充分道理があるのでありまして、差別的制度は向ふの間違であるけれども、今の人種の異ひとか、宗教の異ひとか、又カリフオルニア州に於ける我々同胞者の間に、幾らか亜米利加人一般に嫌はるべき行動を有つたのではないかと思はれるが、唯今日に於ては之を速に解決し得ると明言なし得られぬ有様である。是は東に対する今目前に横たはつて居る問題であつて、御互の最も憂慮して居る事でありますが、之を一般の人情、一般の道理に訴へて一日も速に恢復することを力めねばならぬのであります。
      七
 更に眼を転して西の方を見ませうか、一昨年革命軍が起つて愛親覚羅氏、即ち清朝は倒れました。併し其後の有様はまだ殆んど混沌として、何れに相成るか分らぬと云ふ姿で、一時南北の間に於て絶えず葛藤のあつたのを、袁世凱なり、孫逸仙なり、黄興なり、其他の人々の間に稍々協定を得た如くになつて、諸君も御承知でございませうが、丁度此春には其革命軍の宿将たる孫逸仙なる人が日本に参りました。元来帝国と支那との間は、従来貿易は相当に進んで居る、先づ英吉利を第一としませうか、第二は日本である。併し、悲しい哉日本の支那に対する貿易の有様は、国も近し、所謂同種同文であり、又唇歯輔車の国でありますけれども、英吉利とか、其の他の国々の如くには、支那に対する機軸とも謂ふべき、或は経済上実業上に対して日本の富が扶殖してあるとは申されぬのであります。偶横浜正金銀行とか、或は三井物産会社とか、大倉組とか、藤田組とか云ふやうな、東京若しくは大阪に於ける有力の二・三の商会が出て商売をして居ると云ふことはありますけれども、しつかりした大会社がちやんと根拠を据ゑて、例へば鉄道であるとか、鉱山であるとか、或は運送の事業であるとか此事にも、彼の事にもと云ふ、支那人の所謂利権に対して、日本人の執つた仕事は何も無い。而して今の時代から考へますと、勢ひ欧羅巴なり、亜米利加なり、力ある国々は追々に其処に向つては種々なる手段を以て、俗に申す喰込んで来る、帝国はいつまでもぼんやりして居ると云ふことは如何にも残念千万である。私共はそれを憂ひます為に孫逸仙の来られた際に、一つ日清合弁と云つて日本と支那と共同して資本を出して会社を作ると云ふことにしました。其資本額は五百万円両方から半分づつ出して、両方の相当の人を以て役員を組織して、其仕事は、鉄道をしくとか、鉱山をやるとか云ふことでなしに、或る支那に対する善い仕事を一つ吟味して果して効果のある仕事であるならば、例へば是は日本にしても、西洋にしても、其の仕事に対する金融の媒介をする。或は仕事の調査をするとか、又仕事の誘導をする、斯う云ふやうな方法にしてやつたら宜からうと云ふことで、日清合弁会社の組織を致しました。幸に内に於ては悉く其の趣意が貫徹致して、東京・大阪・横浜の三箇所の有力なる人々が、僅に六・七十人の顔触で其の資本が即座に満ちたと申す位に整ひましたが、支那の方はさうは往かぬ、況んや其相談は南清の人々だけで創めた。北方は、即ち北
 - 第43巻 p.384 -ページ画像 
京の方の縉紳や商売人は関係して居らなかつた。其間に前に一時協定した南北が又ちよつと軋轢を惹起したと云ふことは、新聞で御聞き及びでありませうが、四月の初めに宋教仁と云ふ人が殺された。それは袁世凱が人をして密かに殺させたと、一方では言ふし、又一方ではさうでないと言ふ、左様な軋轢が段々積り積つて、南北が又戦争を開き其戦争の結果、北方に於ては段々五国借款と云つて、英仏独露日の五国から借款を起して、大に金融を得て、北部の力が増しましたが、南方の兵力は充分に振はなかつた為に、孫なり、黄なり、或は李烈鈞であるとか、張鈞であるとか云ふ有名の人々が、皆再び以前の如く亡命者となつて、現に其多数は帝国にまだ落魄して居ると云ふやうな次第になつたのであります。
      八
 是から先きの支那に対する有様は如何相成るか、是等の政治界の様子に就ては、私の考へる処では、或は外交が誠に鈍いから斯の如く相成つた、政府の処置が甚だ其宜しきを得ぬと云ふ議論もある様子であります。殊に此頃南京に於ける暴動があるとか、若しくは兗州漢口に於ける川崎大尉・西村少尉などの軍人凌辱事件に就ては、最も我帝国の人心をひどく刺激しまして、まだ今日此刺激が如何に治まるか、ちよつと考へなければならぬやうである。
 是等は結局国政上に関係する事でありますが、同時に私共は経済上の方も折角今の通りに組立が出来たが、其の組立が完全なる活きをなすと云ふ場合に至つて居りませぬのです。財政を論ずる人は政治上の活きの鈍いと云ふことも言ひ得るでありませう。併し丁度是が東の方のものと似たやうなもので、俗に申す対手仕事で、向ふにも荒神様が在るので、こちらの思ふ通りになる話のものでありませぬ。さう云ふ場合に、其事を取扱ふ人が悪い悪いと言はれるので、己れの自身の考へをば抛つて置いて、所謂人心のみに頼つて、道心を捨てて仕舞ふと云ふことばかりが尤もとも言へない。さればと云つて其時期に際して世の議論を制して一般の人気を倦み疲らせると云ふことのないやうにしなければならぬ。所謂道心のみを固執して、人心を顧みぬと云ふのもいけませぬ。此処が甚だむつかしい所でございますけれども、私共の希望する所は御互に穏健なる覚悟を有つて何処までもやつて往きたい、今会長から段々道心の御講義のあつた通り、道心に基いたる度合に於て強固なる意志を結合して貫徹すると云ふことに、御互に力めたいと思ふのでございます。
      九
 之を要するに、明治と相成つて四十五年の天地を経過して今日に至つて、前にも申述べました如く、如何にも百事一新致し、又大に力が増して参つたのは頗る喜ばしい訳でありますが、其喜ばしいと同時に丁度先刻の会長の御演説の通り、沢山の事物が一時に輻湊して参りました。之を完全に消化して我健康に害となるものは程能く掻除け、それから健康の助けをなすものは充分に吸収して往かねば決して此帝国をして弥増し隆盛に進ましめると云ふことは出来兼ねるのであります併しながらそれは政治の助けは勿論ございますけれども、御互の国民
 - 第43巻 p.385 -ページ画像 
の力である。国民の力と云ふことは、即ち日本の多数と云ふばかりではない、己れ自身であるから、即ち此処に御集りの諸君も我物と御心得なさらなければならぬと考へるのであります。斯の如く注意すべく斯の如く奮励すべき次第でございますから、一方から云ふと、甚だ心配である。心憂き次第であると仰しやるでありませうが、若しさう云ふやうな御心得違ひがあつて、成るたけ世間の事を見ないとか、或は昔の行灯を点けて成るたけ明る味を見ぬが宜いと云ふ考へは、今日の世の中には決して通りませぬのです。故に進んで取ると云ふ考へを御互に有たねばならぬ、進んで取ると云ふ考へは、即ち斯の如き困難、斯の如き種々なる面倒の生ずる事があれば、更に、我々の心胆を磨き合つて、我々の働きを発揮するのだと、斯う考へねばならぬのであります。
 此に於て力を増すと云ふことが甚だ必要である、国力を増すと云ふことは負けぬ魂もなくてはならぬが、又一方に富を増すと云ふ働きがなければ、真正の国力は増しはせぬのであります。
 偖其富を増すと云ふことに就て、其富はどう云ふものものであるか富と云ふものは、唯貨財が余計になつたばかりを富と心得ては大間違ひであります。是は即ち、今の弘道会の最も主脳とする道理に基いた富でなければ、必ず永久固定するものではありませぬ故に、此点を詳しく御話しするならば、道徳と経済と云ふものは全く一致するものである。私は曾て論語と算盤は始終引付いて居るものであると云ふ絵を描いて置きましたところが、矢張り弘道会の特別会員であるところの三島中洲先生が御覧になつて、論語算盤論と云ふ論文を書いて下さいましたが、即ち論語と算盤は縁故の近いものと思ひます。之を申すと段々暗くなつて皆さんの御顔が見えなくなりますから、是は別談として、今申上げた国力発展しやうと云ふ事に就て、其帰著する所は弘道会のやうな催しが必要であります、モウちつと手近く言ふならば、私の今申した論語と算盤が必要でありますから、皆さんどうぞ御注意を願ひたうございます。
   ○右演説ノ題目ハ東洋生命保険株式会社発行ノ「社報」及ビ同社報ヨリ転載セル「竜門雑誌」第三〇七号ニハ「時事所感」トアリ。