デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.422-425(DK430069k) ページ画像

明治43年8月(1910年)

是月、当団主幹蓮沼門三・瓜生喜三郎等ノ東北地方遊説ニ際シ、栄一、旅費トシテ金五十円ヲ寄付ス。次イデ十月、栄一、当団ニ月額二十円ノ補助ヲ約ス。


■資料

向上 第三巻第八号・第二〇頁明治四三年九月 ○東北六県遊説報告(DK430069k-0001)
第43巻 p.422-423 ページ画像

向上 第三巻第八号・第二〇頁明治四三年九月
    ○東北六県遊説報告
 - 第43巻 p.423 -ページ画像 
○上略
  二、先輩の尽力
○中略
△渋沢男爵
男爵は国家公共事業のあらゆる方面に向つて全力を注ぎ給ふ人である実業界の王として天下の名望を一身に集めらるゝも偶然ではない。男爵が修養団に力を注がるゝことは団員の凡べてが感激して止まざる所吾人一行は東北遊説の計劃をもたらして男爵を王子の私邸に訪ふた。而して演説すべき要項を述べ、尚ほ巡回についての諸注意を伺つた。男爵はニツコとして悦ばれ、今回の挙を賞され且つ慎むべき事共を指示し給ふ。男爵は「諸君の行や己が修養となり、他人の利益となる、精励して目的を貫徹せられよ」と餞別として金五拾円を賜はる。吾人感極つて心に泣き、此身を粉にしても必ず所期の目的を貫かずに置くべきか」と決心の愈々臍堅く各拳を握りしめた。
○下略


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK430069k-0002)
第43巻 p.423 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
九月十八日 快晴 冷
○上略朝飧ヲ食ス、後蓮沼氏等修養団員ノ訪問ヲ受ケ、陸羽旅行ノ景況ヲ聞ク○下略


向上 第三巻第九号・第二一頁明治四三年一〇月 ○東北の顛末を先輩に報告す(DK430069k-0003)
第43巻 p.423-424 ページ画像

向上 第三巻第九号・第二一頁明治四三年一〇月
    ○東北の顛末を先輩に報告す
 報告の内容
一、東北の青年は純朴なるも向上心に乏しく、協同一致の精神薄きこと
二、華奢遊惰の弊風田舎に浸入し、風俗日に非ならんとすること
三、一般人民の困厄見るに忍びず、帝国の前途甚だ厄きものあること其原因は生活費、諸税金は日々に高まり行くも、生産力は其割合に高まらぬこと。上に立つ人が身の名利を計るに吸々たるが為めに、民力を考へずして土木工事を起すこと
四、風儀改善の原動力たるべき小学校・中学師範学校教育の甚だ振はざること
 其原因は教育者の人格劣等なるの致す所もあらんが、監督者たる知事・教育課長・郡長・視学等が私情を公事に挟み、又は暴戻の言行を敢てして教育者を圧迫すること
五、社会の風儀を改善し国家百年の大計を立つるには、須らく精神教育を励行し、青年団組織を促がさざるべからざること、
六、長崎幹事後藤静香氏及高工幹事小林茂氏の遊説の報告
吾人は東北の民情の真相を窺ひ知ることを得たり。吾人の報告は知事郡長等が皮相的報告の如く、無意味なるものにあらず、真実人民に同情を寄せ其為めに誠を至さんとするの一念凝つての陳述なり。
されば心ある先輩は皆吾人の報告を多とし、吾人の努力の甚大なりしを悦びたり。
 - 第43巻 p.424 -ページ画像 
吾人の報告を聴かれたる先輩は左の如く語られたり。
△渋沢男爵 諸君の熱誠なる活動は確に東北の志士を動かしたるならん、誠実の青年相結合して真に国家のために尽す時必ず貢献する所多かるべきを信ず、余もと農家に生れ、啻に官権の余りに重大に過ぐるを憂へつゝありしが、十七才の時、代官の横暴度なきを憤り「如何にかして、官尊民卑の悪弊を打破せざるべからず、否らずんば国家の発展を望むこと能はざるべし」と心に泣くこと良久、決然起つて大事業家たらんとはしたりき。爾後今に至る迄、一日も民権の拡張に心を用ひざることなし、而も意の如くなること能はずして官権は依然として民権を圧するの風あり、慨嘆の至りなり。これ其主因は封建時代の習慣尚存ずるか為めならんも、亦人民の人格が官吏の人格より下るものあるの致す所なるべし、吾輩は一生を通じて初期の一念を貫かんと欲す。諸君亦人民のために、誠心を捧げ以て其窮境を救はれよ。機関雑誌を天下に配布するためには、充分の助力を致すべし、と主客感慨に耽ること時あり。
○下略


向上 第三巻第一〇号・第二一頁明治四三年一一月 ○両顧問の督励(DK430069k-0004)
第43巻 p.424 ページ画像

向上 第三巻第一〇号・第二一頁明治四三年一一月
    ○両顧問の督励
 九日蓮沼・松本両氏は渋沢男爵を王子に訪問して向後の発展方策を談ず、会談二時間、主客互に国家の将来を語る。男は向後月額弐拾円を寄附すべきを誓はる。超へて十一日親くし男は書を寄せ、吾れ等の愈々修養を励み、風儀改革に努むべきことを励まさる。
 十七日蓮沼氏は森村翁を木挽町の森村事務所に訪ふ、翁又吾団の為めに自ら実業界の人格者を紹介せられて督励を与へらる(日比谷平左衛門・浜口吉左衛門・服部金太郎氏)。
 吾が熱誠なる両顧問の尽力は之れ凡て、吾人後輩を慈むの情、吾が邦家を思ふの情、などか吾れら奮励努力せざらんや。



〔参考〕修養団三十年史 同団編輯部編 第七四―七五頁昭和一一年一一月刊(DK430069k-0005)
第43巻 p.424-425 ページ画像

修養団三十年史 同団編輯部編 第七四―七五頁昭和一一年一一月刊
 ○本篇 三十年史 三、聖戦の初陣
    東北遊説
 顧みれば二十五年前、僻地農村の貧家に生れ、憂苦艱難のうちに育まれ、日夜骨を砕き汗に塗れて人となつた主幹にとつて、忘れんとして忘れることの出来ぬのは悲惨な農村の姿であつた。
『人よ、そしらばそしれ、自分は何としても、この惨澹たる農村の現状を拱手傍観することは出来ぬ。
 及ばずながら、人生の真義を説き、彼等の眠れる魂を呼び醒まし、彼等に真の幸福を伝へなければならない。
 若し、一人の農村青年を奮起せしめて修養に志さしめ、一人の勤労婦女を悟らしめて、安心を与へることが出来れば、それだけで満足である。』
 斯くて折からの身を焼く炎熱をものともせず、正義の血に燃ゆる一行五名の若人は、一路、東北の天地を指して出立することになつた。
 - 第43巻 p.425 -ページ画像 
  固より豊かな旅費のあらう筈もなく、辛うじて作り得た金額は一行の三等往復汽車賃に過ぎなかつた。
  これを知つた渋沢・森村両翁は、五十円づつの餞別を与へその行を励ましてくれた。為に最初の計画であつた学校や神社仏閣へ泊めて貰ふことは、一度もなくて済んだ。
  岡田文部次官、又た何くれとなく注意を与へ、特に東北六県知事宛に通牒を発し、如何なることを話すか内容さへ知らぬ青年連の講演会に対して、主催・応援の労をとつてくれるやうにと叮嚀に頼んでくれた。
  これら知己の恩に、さらでも若き一行の意気は益々昂り満を持して出発した。時は明治四十三年八月盛夏の候。
  福島県を手始めに、順次・宮城・巌手・青森・秋田・山形の諸県を巡説した。
○下略