デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.427-435(DK430071k) ページ画像

明治44年6月11日(1911年)

是日当団、諸名士ヲ招待シ、森村市左衛門邸ニ於テ懇親会ヲ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK430071k-0001)
第43巻 p.427 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
六月四日 晴 暑
○上略朝飧ヲ食シ、後修養団員原・小塩二氏ノ来訪ニ接シテ、来ル十一日森村邸会同ノ事ニ関シテ種々ノ意見ヲ示シ、且案内状ノ草稿ヲ付与ス○下略
   ○中略。
六月十一日 雨 冷
○上略
正午、元治・横山氏等ト午飧シ、共ニ自動車ニテ高輪森村氏邸ニ抵ル修養団ノ懇親会ニ列スル為メナリ、雨中ナルモ来会者頗ル多ク余モ一場ノ演説ヲ為シ、夜飧畢テ○中略十時過王子ニ帰宿ス
修養団ノ懇親会ニハ後藤男爵、井上・添田・大橋氏等種々ノ貴紳来会シ盛会ヲ極メタリ


向上 第四巻第七号・第一四―二一頁明治四四年七月 森村翁邸の修養会(DK430071k-0002)
第43巻 p.427-431 ページ画像

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向上 第四巻第七号・第二八―三三頁明治四四年七月 修養団員諸子に告ぐ 顧問 男爵 渋沢栄一(DK430071k-0003)
第43巻 p.431-434 ページ画像

向上 第四巻第七号・第二八―三三頁明治四四年七月
    修養団員諸子に告ぐ
                 顧問 男爵 渋沢栄一
○来賓諸閣下及び団員諸君。私は此盛会な懇親会の開かれたのを甚だ嬉しく思ふのであります。又御多忙中御臨場下さつた来賓の方々及此会を開くの機会を与へられた当家御主人に対し修養団員に代つて深く御礼申上げるのでございます。私が修養団に関係するやうになりましたのは凡そ二年前からの事でございまして、その後本団の出来事については度々蓮沼君より相談を受け及ばずながら微力を以て援助して居ります。先達て蓮沼君が来て「本団発展と共に一度先輩と団員との懇親会を開きたい」と云ふ御相談がありましたが、私もどうかして一度其様な催をなしたいものだ存じてゐました処が、丁度森村君が「左様な会をするなら自分の邸で開かう」と悦んで承諾して下さつたので、今日は斯様な盛会を見る事が出来たのであります。私も亦今後に於てかゝる会の度々開かれむ事を望むものでございます。
私は只今井上博士の御演説から叱られる商人であります。しかし今日の人は商人に限らず誰でも人道にはづれた行為をしては、到底発展は望み得られぬであらうと思ひます。此の点については私は久しい以前から色々と人にも話をして居つたのであります。又社会の貧富懸隔が著しく成り行く点についてもどうかして救済しなければならぬと思つて居るのであります。
扨て「私が何故に此修養団に斯く尽力するに至つたか」に就いて少しお話を申したいと思ひます。只今蓮沼君は『国家の中堅は青年で、青年の責任は実に重大である。依て青年は相互に修養を励むで人格を崇高にし、国家の為に尽さねばならぬ』と何だか青年計りが国家の向上発展に責任あるかのやうで、老人などは過去の遺物、相手にならぬといふ風に言はれたが、老人にもやはり同じく責任がある。私のやうな老人及当御主人は私よりも一つ年上の人でも青年と同等に修養もし奮励もして、国家の中堅とならねばならぬと思ひます。事実私共は今日も聊か国家に貢献しつゝある積りであります。併し私も若いときには
 - 第43巻 p.432 -ページ画像 
『衣は骭に至り袖腕に至る』などゝ元気当るべからずで「青年でなければ仕事は出来るものでない」と思つて居りました。此の元気は一面から見れば非常に必要なことゝ思ひますが、ともすれば空理暴論に流れ易いのであります。私などの若い時と今の青年とを比べて見ると、大に異つた所があつて一得一失はあるけれども思想の点に於ては今の青年よりは確かに剛毅の点があつたと思ひます。私共の若い時には学問と云へば漢学で治国平天下を論じたのであります。それ故漢学は兎角革命の思想を起させ易く『吾起つにあらずむば国家を如何にせむ』などゝ気概のある議論が沸騰して、元気のないものは仲間に入れられなかつたのでありました。或人のやうにむやみに昔の青年計りをほめて『今の青年は骨無しで、小才子で仕方がない』などと申されますが私はそれ程悪いとは思ひません。昔の学生に比較すれば慥かに軟弱で華奢で元気の足りないかのやうに思はるゝ点はありますけれども、しかしこれも社会全般の陶冶を受けて境遇上自然にさうなることゝ思ひます。
今の学問は実際的の方面に於て昔の学問に勝つて居るが、品格を高め気概を練るの点に於ては昔の学問が勝つて居る。今の学問は多く智識を増すことに勉むるが為めに修身上の事は一週に一時間か二時間である、それ故今の青年は特に品格養成の方面に心を用ひて修養を励むことを心懸けぬと、将来世に立つて充分なる人道を行ひ得ぬであらうと思ひます。つらつら今の学校教育を見ますると、品格を向上することに充分力を入れて居らぬ様に思はれる。智識の切売が流行して居るではあるまいかと心配されます。玆に於て修養団の如き団体の必要があるのであります。真面目な青年が申合はせて、自発的に品格の修養を励むといふ事は実に悦ばしい、私が之れに助力するに至つたのも聊か時弊を矯正するの力ともなつて見たい、青年と共にお互に修養をして見たいと思ふからであります。
今日に於て思想を堅固にして実践躬行を旨とし、薄志弱行の人を少なからしめるのは最大必要な事で、目下の教育上聊か憂ふべき欠点を救ひ得ることゝ存じます。
先刻井上博士が『商業が盛になり、都会が富んで来れば地方が益々寂れ、貧民が愈々多くなつて将来洵に憂ふべき点がある』と言はれましたが、此事は自分が色々の事業に関係し、また長い間世間の有様を見て博士と御同様な考を持つて居ります。御説の通り富者と貧者とはとかく相憎悪し相反撥し易いのは慥かな事実で東京市が年々に富むといふ裡に地方は年々貧乏になり、文明と共に大きな富豪が出来て貧者の数が増すことは、養育院へ入院する人が年々増加しつゝあるのを見ても証拠立てることが出来ます。そして富者は余裕がある故に或は華麗な邸宅を営み、豪遊を極め、自分は働かずに甘いものを食べ贅沢も出来るが、之に反して貧者は朝から晩まで働いても衣食さへも満足に得られないといふ事より、貧者の間に自ら不平心が起つて、富者を仇敵のやうに思ふに至るのであります。富が悪いのではなく人が悪いのである、富んで而して世の為め人の為に仁慈を施すならば、貧者は富者を徳とし、尊敬し、景慕するに相違ない。
 - 第43巻 p.433 -ページ画像 
反撥するどころでなく中心親密になると存じます、それで富者は貧者に心をつくしてやらなければならぬといふ事は、久しい以前から私は忘れたことはありません。これは将来御互に研究して貧富両者の調和を計る事につとめなければならぬと思ふのであります。
最后に修養上につき団員諸君に注意を請ふ事が二・三あります。
第一 に志と行とは互に並行せしめねばならぬといふ事であります。志だけよくとも、行にあらはれる事でなければなんにもなりませぬ。即ち心が行にあらはれて来ねば、其効果はないのであります。私共が若い時に、アメリカの黒船は一刀両断が出来ると心に思つてたのでありましたがそれは決して出来ることではない、即ち心ばかり逸つたので実行の出来ぬ考へは何の役にも立たぬわけであります。また、いかに口ばかり心ばかりで『これはよい事業です、賛成です』といつた処で真の心を注いで呉れず、また何事もなして呉れぬから、誰も真実と思はず感心もせまい。故に心に思ふと同時に形にあらはして初めて全きものである。又行だけがよくとも、心が伴はなければなりません。心に尊敬の念がなくてたゞ首ばかりさげ形ばかりの礼をしたのでは、まことの礼をつくしたものと云はれません。志と行とは必ず一致するのを要するので。玆に価値があるのであります。いくら知つて居ても実行が出来ぬ人は恃むに足らぬ人であります。
第二 に知識と忠孝とは互に相悖るものでない、といふことであります。知識の発達と科学の進歩とにつれ、孝悌忠信の念がうすらぐ様に思はれますが此れは大に注意せねばならぬ。昔の学問は孝悌忠信を基礎としたもので智をみがく学問は少なかつたのであります。私も老後必要に迫られて知識の学問を勉強したがどうも短かい足では進みにくうございます。そして一方に熱心になると一方が疎略になり、一方が足れば一方衰へる様になりがちであります。忠信孝悌の心がけが厚い青年ならばいくら智識に専心しても、井上博士の所謂軽薄才子とはならないと思ひます。智と忠孝とは悖るべきものにあらずして伴はしむべきものであります。一方にのみ偏して他を忽にするは大なる誤りでかゝる人は将来真の立身が出来ず真の幸福は得られぬと思ひます。
第三 に注意すべきことは、仁と富とは並行するものである、といふことであります。アリストートルは『すべての商業は罪悪なり』といひ、又孔子は『仁なれば富まず、富めば必ず仁ならず』と言はれましたが、これは時勢境遇上、斯く説かねばならなかつたので、もしこれらの人を今日生れしめたなら、恐らくこんな事は云はれまいと思ひます。今日に於ては、富と仁義とは必ず並行し得る、否仁義ならずむば富み難しと云ふべきことゝ思ひます。
不義をせんければ富まずと考へる人、富者は必ず不義をして居ると思ふ人、富めば仁義は出来ぬものだと思ふ人は誤つた考へと思ひます。成る程世間の富豪を見れば、不義を行つて今日に至つた人もあらう、又富んで守銭奴となつて、仁義の考の無い人も多い事は事実であります。しかし仁義の人は決して富むものでないとは言はれない。只品性の卑しい商人が、利益のみを眼中に置くにより『人を欺いても、陥れても悪い事をしても、金にさへなればよい』と、浅間しい考で仕事を
 - 第43巻 p.434 -ページ画像 
するから、こゝに不義を行ひ不仁が生ずるのであります。然しかゝる不義の富は宛も浮雲の如きもので、近き将来に必ず消失すべきものである。また『人の怨府となる所嘗て亡びざるはなし』で、遂に没落するに至ると思ひます。それで真の富は、常に信義を重んじ、正直を旨とし、よく人の為め便利を計り、人の為に力を尽し、仁義の心、仁義の行によつて玆に富を得られ、また富によつて益々仁義を拡充し得らるゝものと思ひます。衣食に窮し将に瀕死の境にある人を救ふには、金銭食物を与へなければなりません。只口先で彼此云ふた処で致し方がないのであります。是非とも富の力によらねばなりません。これによつて考へても富と仁義とは並行し得るものと信じます。以上の三ケ条は団員諸君に呉々も御注意申上げて置き度いと思つて居ましたが、其の機を得ませんでした。然るに今日の会合は実によい機会でありますから御話申上げたので御座います。一、志と行と相俟つべし。二、智識と忠孝は相悖るものにあらず。三、仁と富とは並行するものなり諸君希望洋々たる諸君、何卒自重自愛せられて、君国の為に御尽瘁あらむことを呉々も御願申します。(完)


向上 第四巻第七号・第七六―八二頁明治四四年七月 修養会彙報(DK430071k-0004)
第43巻 p.434-435 ページ画像

向上 第四巻第七号・第七六―八二頁明治四四年七月
    修養会彙報
一、開催の相談 五月廿九日、蓮沼主幹は森村翁を訪ひ懇親会を翁の邸内に於て開かんとの相談成立す。乃ち五月卅一日渋沢男を王子の私邸に訪ふ、男病床にあり。然も懇談二時間に亘り六月十一日午後一時より開会すべきことを決定す。
二、開催の準備
○中略
(4)特別招待状発送
 これは渋沢・森村両翁より特に各名士に発送されたるものなり
 「拝啓、益御清適奉賀候、然者拙生共従来助力致居候精神修養団にて此度懇親会を開催し、即ち本月十一日午後一時より芝区高輪森村邸内に於て集合の都合に御座候、就ては別段御饗応等の準備とては無之候へ共、来会の団員は何れも志操堅固にして実践躬行の青年に有之候間、これ等有為の学生奨励の為め御賁臨下され候はゞ本会の光栄別して難有奉存候、右御案内申上度如此御座候 敬具
  六月八日                森村市左衛門
                      渋沢栄一
   特別招待員
    大倉喜八郎    大橋新太郎    服部金太郎
    日比谷平左衛門  浜口吉右衛門   柿沼谷蔵
    諸井恒平     和田豊治     古河虎之助
    清水釘吉     清水一雄     原林之助
    高松豊吉     久米良作     福島甲子三
    梅浦精一     添田寿一     益田孝
    豊川良平     佐々木勇之助   石井健吾
    池田謙三     早川千吉郎    園田孝吉
 - 第43巻 p.435 -ページ画像 
    広瀬実栄     藤山雷太     大倉孫兵衛
    諸葛小弥太    男爵高橋是清   大田黒重五郎
    中村清蔵     山本留次     亀井忠一
    神谷大周     小松原英太郎   岡田良平
    男爵後藤新平   男爵平田東助   床次竹二郎
    井上友一     中川謙次郎    嘉納治五郎
    侯爵徳川頼倫   滝沢菊太郎    山岸錻次郎
    成瀬仁蔵     子爵加納久宜   侯爵大炊御門幾麿
    男爵辻新次    井上哲次郎    伯爵大隈重信
    阿部浩      男爵阪谷芳郎   横山徳次郎
    山田藤吉郎    山岡熊治     花井卓蔵
    河野広中     蔵原惟廓     等の諸氏なり
○下略


向上 第四巻第七号・第八三頁明治四四年七月 【拝啓、益々御清適奉賀候、然れば…】(DK430071k-0005)
第43巻 p.435 ページ画像

向上 第四巻第七号・第八三頁明治四四年七月
拝啓、益々御清適奉賀候、然れば過日は御叮嚀なる御礼状下され難有奉謝候、一々御返事申上へくの処、老生非常に多忙なる故略儀ながら紙上にて御返事申上候 敬具
  七月二日                渋沢栄一
    後藤静香殿
    泉清三郎殿
    福島修養団支部殿
    山内紋次郎殿
    上田信太郎殿
   ○右ハ森村邸ニ於ケル修養会出席ヘノ礼状ニ対スル挨拶文ナリ。