デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.438-442(DK430074k) ページ画像

明治44年10月29日(1911年)

是日、渋沢事務所ニ於テ、当団秋期茶話会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK430074k-0001)
第43巻 p.438-439 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四四年           (渋沢子爵家所蔵)
十月二十一日 雨 冷
○上略朝飧ヲ食ス○中略蓮沼門三氏来リ修養団員茶話会ノ事ヲ談ス○中略午
 - 第43巻 p.439 -ページ画像 
後一時事務所ニテ○中略蓮沼門三氏其外種々ノ来人ニ接ス○下略
   ○中略。
十月二十九日 晴 寒
○上略夜食後六時半事務所ニ抵リ修養団ノ依頼ニ係ル茶話会ヲ開ク、来会者五・六十人許ナリ、先ツ一場ノ挨拶ヲ述ヘ、次テ団員数名ノ報告演説アリ、終リニ添田博士・増田義一氏等ノ演説アリ、講話畢リテ食堂ニ於テ立食ヲ為シ、食後団員ニ対シテ更ニ訓誡ヲ為シ、夜十一時過散会帰宿ス


竜門雑誌 第二八二号・第六三頁明治四四年一一月 ○修養団茶話会(DK430074k-0002)
第43巻 p.439 ページ画像

竜門雑誌 第二八二号・第六三頁明治四四年一一月
○修養団茶話会 青淵先生には其顧問として尽力せらるゝ修養団の為めに、其賛助員及幹事の茶話会を去十月二十九日午後七時兜町渋沢事務所に於て開会せられたり、当日の来会者は青淵先生・森村市左衛門原林之助・二木謙二・床次・柿沼谷蔵・添田寿一・生江孝之・増田義一・小西信八・湯地幸平・八十島親徳・森山章之丞の諸氏及修養団の幹事諸氏にして、青淵先生の挨拶、森村氏の講話に次きて幹事の諸報告あり、最後に添田氏の講演あり、右了りて立食の饗応ありて十一時散会したりと云ふ。


向上 第四巻第一二号・第二一―二三頁明治四四年一二月 予が修養団と結んだ所以 (渋沢事務所茶話会席上演説) 本団顧問 男爵渋沢栄一(DK430074k-0003)
第43巻 p.439-440 ページ画像

向上 第四巻第一二号・第二一―二三頁明治四四年一二月
    予が修養団と結んだ所以
      (渋沢事務所茶話会席上演説)
               本団顧問 男爵渋沢栄一
来賓諸君、及び幹事委員諸君。私は今晩此盛なる茶話会の開かれましたのを甚だ嬉しく思ふのであります。殊に御多忙中、万障御繰合せ御来臨下さつた御大方諸君には、修養団員に代つて厚く御礼を申上げます。修養団の生れましたのは明治卅九年の十一月で、今日ではもう満五ケ年になります、其間御賛助の諸君や幹事諸君の御尽力に依り漸次発展して参りましたが、之を尚一層善く育てまして、社会的より国家的に致し度い望みであります。然しそれには御賛助の諸君と幹部間の意志の疏通が必要と感じまして、此度は茶話会を開いた次第であります。何卒御遠慮なく御意見の御発表を願ます。
就いては幹事委員諸君に注意を請ふことが二・三あります。それは修養団は設立されてから最早五ケ年、已に私の関係後に於ても二ケ年半になりますが、諸君はその割合に進歩発達が鈍いと思ふて不足を感ずるだらうけれども、一体世の中のことはそうそううまくトントン拍子に行くものでなからうと思はれます。
進歩を急ぐよりもむしろ其前に実践躬行して貰ひ度いのであります。成る程修養団の設立以来は蓮沼主幹初め幹事委員諸君の苦心は尋常一様でなかつたでせう、ために或時は諸君が先輩諸君がなぜこの事業に十分助力してくれぬだらうなどと怨むこともあらうが、其時は自分等の徳の足りないことと反省してもらいたい、いくら口にばかり立派なこといふても、それを行にあらはさねば真の効果がない。団員諸君が先づ以つて実践躬行する時には真に全きもので先輩諸君も真実に感心
 - 第43巻 p.440 -ページ画像 
もし、賛成も尽力もしてくれるやうになるものであります、私も本団に助力する様になつたのは、皮相の観察でなく実は暫く諸君の行動を見て居たのでありました。然し私の今日は本団を十分信じ、如何にかして出来得る限り天下の青年を悉く実践躬行的の空でない実のある者にしたいと思ふて居ります、されば漸次基礎を固め、他日は大いに日本青年団の本営となるまで飛躍し実効を奏し、此事業を永遠に継続させ度い決心であります。幹事委員諸君に於ては不満足の所もありませうが、不完全なる点も追々改良し、追々には知名の先輩諸君にも真実の賛助を願ふように致します故、気永に努力して頂き度いのです。
願くは其行動も余りに感情に走らずに、真面目なる態度をとつて頂き度いのです。如何となれば修養団の事業は前にも申上ました通り、崇高なる理想もあり且つ国家的重大なる事業である所以であります。
最も血あり涙ありと筆にとれば大層体裁もよいが、由来世の中を渡るには血と涙丈けではイザ!といふ場合には困ります。血・涙とは極端の感情を示したので精神があまりに過ぎれば常に感情にばかりとらわれて、社会の実際的方面に於いては何事も成し得ない者となります。
私は熱し易く冷め易い青年を造り度くない。十分の思慮に依つて着々と進む真面目の青年を望みますのみならず、一体青年時代には学問をして智識を修めて、論ずることは知つて居るけれども実際学に意を用ひない。
今日は身体が健全で智識を十分に活用して直向上する青年でなければ社会で歓迎しない。之れを考へる時に、修養団の責任の如何に重大なることを知ることが出来るのです。諸君の一言一句一行一動は青年をして左右せしむる者であれば、各自重して進まれんことを望みます。
尚終りに臨んで来賓諸君に御願申上ますが、先程より述べます通り修養団に対しては此の如き理想によつて、これまでは森村君と共に世話人として参つたのであります。願くは今後陰に陽に幾分たり共御力添を御願致します。否らざれば修養団幹事委員諸君は社会に於いては位置の低い者でありますから、幹事委員の力ばかりでは健全なる且つ十分なる発展は困難だらうと思はれます。


向上 第四巻第一一号・第八〇頁明治四四年一一月 △茶話会(DK430074k-0004)
第43巻 p.440-441 ページ画像

向上 第四巻第一一号・第八〇頁明治四四年一一月
    △茶話会
 十月廿九日午後七時、日本橋区兜町渋沢事務所に於て、本団幹事と先輩との茶話会ありたり。
渋沢・森村顧問は数十名の先輩に左の招待状を発せられたり。委細は次号に報告すべし。
 拝啓秋冷ノ候益御清適奉賀候、陳者修養団ノ幹事及委員一夕相会シテ各自修養ノ経過及各地遊歴ノ模様等ヲ報告シ、併セテ先輩各位ノ御高話ニモ接シ度趣申出有之候ニヨリ、来廿九日午後七時ヨリ、兜町渋沢事務所ニ於テ茶話会相催シ候間、御多忙中恐縮ノ至リニハ候共御賁臨被下候ハヾ本懐ニ奉存候、此段御願迄如斯御座候 敬具
  追テ準備ノ都合モ有之候間、御出席ノ有無御一報相煩シ度候
   十月廿二日
 - 第43巻 p.441 -ページ画像 
                      渋沢栄一
                      森村市左衛門


向上 第四巻第一二号・第六五頁明治四四年一二月 ○渋沢事務所茶話会(DK430074k-0005)
第43巻 p.441 ページ画像

向上 第四巻第一二号・第六五頁明治四四年一二月
    ○渋沢事務所茶話会
△十月廿九日午後七時より、日本橋兜町なる渋沢事務所に於て修養団秋期茶話会を開く。
出席せる先輩は渋沢男・森村翁・床次内務次官・添田博士・二木博士・堀田内務文書課長・生江孝之氏・小西信八氏・山岸錻次郎氏・実業の日本社長増田義一氏・清水組支配原林之助氏・柿沼谷蔵氏・警視庁官房主事湯地幸平氏・奥寺竜渓氏・同文館主森山章之丞氏・蛭田太一郎氏・瓜生祐次郎氏・宮田主事等廿余名
△開会の趣旨
秋期は、王子の渋沢男邸内に於て団員修養大会を開き、大に本団の精神を鼓吹する計劃にて、男爵も頗る希望し居られしに、「大会は来春に延べ、今回は先輩へ対して本団の経過を報告し、以て如何に活動の歩を進めつゝあるかを尽力者に知らしむが宜しからん。就ては王子邸は遠隔なれば兜町の事務所を会場とし、夜分の会合とするも面白からん」との男爵の御意見故、幹事一同も之に賛同し、茶話会を開くこととなりたり。
△開会の模様
本日集りしは、幹事と委員のみにて一般団員には通牒せず。午後七時開会するや渋沢男爵立ちて茶話会の挨拶を述べられ、次に蓮沼主幹が今日の風紀を革正するは流汗主義の実行を促して凡ての青年男女の血液の循環を良好ならしめ、精神の平安を計らしむるにありと論じ、先輩は一大決心を以て此青年に助力を与へられたしと切言し、次に石原氏の会計報告、松本氏の雑誌経営報告、小柴氏の幼年会報告、瓜生氏の監督寄宿舎の報告、小林錡氏の支部発展の模様、林氏の各地遊説の有様、巽氏の精神教育概況等の報告ありて、先輩の講演に移る。
△添田博士は快活なる態度を以て縷々青年問題を語られ、増田実業之日本社長は修養団の実行実働は現代悪風潮を改善する第一着なりと激賞せられ、最後に床次次官は益々真面目に発展を計るべしと訓話せらる、時は時針十時を指す。乃ち報告会を閉づ。
△茶話席
△報告会終るや、渋沢男の案内にて一同大食堂に入る、洋灯白晃々昼よりも明也。食卓には幾種の珍果美食並べられたり。先輩団員五十名相語り相食す、和気靄々真に楽しき一夜の集ひなりき。渋沢・森村両顧問老顔に笑を湛へつゝ彼此世話せらる。
十一時先輩は帰途につく、後に渋沢男は再び幹事と円座して諸般に注意を垂れられ、また嬉しき物語をなさる。十二時会は全く閉ぢられて男の自働車唸つて暗を破り、吾人走つて赤球の電車に乗つて帰る。



〔参考〕向上 第四巻第一一号・第七七―七九頁明治四四年一一月 △宇津木多一氏の渡米(DK430074k-0006)
第43巻 p.441-442 ページ画像

向上 第四巻第一一号・第七七―七九頁明治四四年一一月
△宇津木多一氏の渡米
 - 第43巻 p.442 -ページ画像 
 氏は会津の人、蓮沼氏の竹馬の友也。本年一月より事務所に来りて事務を執る、氏の着実な快活なる、忽ち団員の信用を厚うするに至れり。
△渡米の手引―渋沢男
 氏は蓮沼氏の紹介により、渋沢男に知られてより時々団務を帯びて男爵を訪へり。男は常に真面目の青年を愛せらるゝの人、氏が正直にして素朴なるを悦ばれ、其将来立身の為貿易商として有名なる堀越善重郎氏の店員たらしめらる。これ氏が今回渡米得し手引なりし也。
△堀越氏の情誼
 氏は渋沢男を徳とせらるゝの人、今其紹介によれる宇津木氏に対しては、実に能ふ限りの優遇と便宜とを計られ、渡航券下附の件につき度々外務省にも出頭せられて遂に海外旅行券下附の栄を得たり。
△氏の送別会
 十月九日午後六時より事務所に於て送別会を開く。集るの幹事委員廿名、皆熱誠の言辞を以て氏の行を祝し氏の成功を励ましたり。氏感謝の涙禁ずる能はず、起つて静に謝辞を述べぬ。
 「私は僅か計り本団の事業を御助けしたのみでありますのに顧問渋沢男の知遇を受け遂に今日の始末になりましたのはこれ一に本団の御蔭と思ひます。今日は夜路を歩んで御集り下さつて我が行を盛にせらるゝこと衷心より感謝します。私は修養団が爾後十年を出でずして必ず全国各地に支部の設立を見るに至り、風紀革正の大原動力となり、天下の青年先を争うて団員たらんとするやうになりませう諸君の御精神の光輝が自ら溢れて居るのを知ります故に斯く信じます。私も従来各地の青年と交はつて見ましたが、我修養団幹事委員の如く、誠実を旨として躬行を主義として一意専心目的に向つて猛進する協同一致の歩調に至つては、決して他に於て見ることの出来ぬ所であります。活力気慨ある幹事諸君が星の如く揃ひも揃つた本団の前途、誰か嘱望せぬ者がありませう。現代一流の先輩諸賢が、悉く修養団を愛敬し給ふは至当のことゝ存じます。
 私は諸君に送られて遠く異国の山川に親みます。而して天に祈り地に祷りクリストの御心に添ふて血にまみれて働きます。成功せぬうちは帰りません。十ケ年の予定、必ず何物か土産を齎らして帰国致します。私が再び横浜埠頭に旭日旗を仰ぎ諸君の温き手を握るの時修養団は如何に発展して居るであらうかと遠く想像する時、此胸は躍ります。私も彼地に支部を設立して北米の民心に修養団の主義を鼓吹致しませう。さらば諸兄健在なれ。国家のために奮励されよ、正義のために艱難されよ。青年の指導、弱者の愛護にそれ熱血を注ぎ給はれよ」
言々句々涙あり至情あり。皆氏のために紀念の筆を執る。十一時散会せり。
△渋沢男・堀越氏の餞別
 男は多忙極りなき折柄なれど、氏の為めに痛切なる訓戒を垂れられ堀越氏亦百般注意事項を示さる。