デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.503-507(DK430095k) ページ画像

大正6年1月20日(1917年)

是日、静岡市静岡師範学校講堂ニ於テ、当団静岡師範支部発会式挙行セラル。栄一祝辞ヲ送ル。次イデ三月十四日、栄一、聯合国傷病兵罹災者慰問会ノ用務ヲ帯ビ、東京駅ヲ発シ西下、米原駅及ビ神戸宿舎ニ於テ当団支部員ニ対シ、一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正六年(DK430095k-0001)
第43巻 p.504 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年            (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 快晴 寒強シ
○上略 畢テ朝飧ヲ食シ○中略 蓮沼門三氏来リ修養団ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
一月十七日 晴又陰 寒
○上略 四時事務所ニ抵リ来人ニ接ス、蓮沼門三氏来リ修養団ノ事ヲ談ス又書類ヲ点検ス○下略


向上 第一一巻第二号・第一〇二頁 大正六年二月 ○静岡県師範支部発会式へ寄せられし先輩の祝辞 渋沢顧問の祝辞(DK430095k-0002)
第43巻 p.504 ページ画像

向上 第一一巻第二号・第一〇二頁大正六年二月
    ○静岡県師範支部発会式へ
     寄せられし先輩の祝辞
      □渋沢顧問の祝辞
拝啓、春寒料峭之候貴地之団員諸君御揃益々御清適之条奉賀候、今回二荒伯・星校長各位の御斡旋によりて修養団支部御設置相成り候趣、頃日蓮沼主幹の報告にて承知いたし慶賀の至に候、此際百五十余名の新団員出来致し、所謂徳行相愛の主義を以つて地方風教の改善に御尽瘁被成下候は最も機宜に適するものと万々喜悦仕候義に御座候、老生益々頽齢の残躯添心の効果も尠少とは存じ候へ共、爾来引続き関係致し候積りに候、御聞置きまで右取込中発会の祝詞一応心事申上置き度如斯御座候。


向上 第一一巻第二号・第一〇三―一〇四頁 大正六年二月 ○静岡師範支部発会式概況(DK430095k-0003)
第43巻 p.504-505 ページ画像

向上 第一一巻第二号・第一〇三―一〇四頁大正六年二月
    ○静岡師範支部発会式概況
 朝に八面玲瓏たる富岳の白雪を仰ぎ、夕に渺々たる太平洋を望み、此山の静と水の動とを心として、奮起せる岳南健児の意気玆に凝りて寒梅漸く綻びんとする睦月二十日を以て、吾が静岡師範学校修養団支部は発会せられぬ。此日朝来より天気晴朗、空に繊翳を認めず、団員一百五十余名意気既に天を衝く、軈て午後一時過ぐるや、蓮沼主幹見えられたりと聞きし時は互に顔見合せて歓喜雀躍せり。午後一時半集合の合図に団員一同及本校生徒挙げて講堂に参列す。暫時ありて星校長は先づ壇上に立たれ、いとも緊張の態度を以て「今日余は本校に修養団支部創立せられたるを喜ぶと共に、蓮沼先生の偉業に感歎せずんばあらず」と陳べ次いで一同君が代を合唱す。四辺寂として声なし。蓮沼主幹やをら壇上に立たれ団員の誓盟式を挙げらる。佐野恵作氏団員を代表して誓盟すらく「吾等静岡師範支部団員百五十四名は謹みて帝国風矯改善の同志たる事を誓盟す、よしや日変り星移るとも粉骨砕身以て本団の二大主義なる同胞相愛・流汗鍛練の実行に勉め更に拡めて所在に理想郷を建設せんことを期す」と述べ、主幹は之に応へて、「今新しく百五十四名の同志を得たるを感謝す。諸君希くは永く奮励せられ有終の美を済されよ」と誓盟式終つて来賓総代として竹内陸軍中将の祝辞ありたり。○中略 右終るや森本先生の祝辞祝電の代読あり。渋沢・森村両男爵を初め、筧・井上・添田博士・棟居電気局長・降屋虎尾氏・津崎尚武氏、偖ては東京の同志、各地諸支部よりの祝文・祝電実に四十通に上れり。一同責任の重大なるを感じて拳を握る。代読
 - 第43巻 p.505 -ページ画像 
終るや蓮沼主幹の講演となれり。○下略


渋沢栄一 日記 大正六年(DK430095k-0004)
第43巻 p.505 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正六年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十四日 雨 軽寒
午前六時半起床入浴朝飧畢テ旅装ヲ理シ、八時家ヲ発シ自働車ニテ中央停車場ニ抵ル、此日阪神京都名古屋ノ四都市ニ傷病兵慰問ノ事ニ付寄附金勧募ノ為メニ出張スルヲ以テナリ、○中略 八時半発車ス、蓮沼門三氏同車ス、○中略 尾高次郎大坂ニ赴クトテ同車ス、○中略 夜九時頃神戸着常盤花壇ニ投宿ス○下略
三月十五日 晴 寒
○上略 朝来種々ノ来訪者ニ接ス○中略 蓮沼門三氏及修養団員等数名来会ス
○下略


向上 第一一巻第四号・第一一四頁 大正六年四月 渋沢男爵;蓮沼主幹(DK430095k-0005)
第43巻 p.505 ページ画像

向上 第一一巻第四号・第一一四頁 大正六年四月
    ○渋沢男爵
 顧問渋沢男爵は、昨年実業界引退後は益々社会事業の為め尽されて東奔西走殆んど席暖かなる時なく、三月十四日午前八時三十分聯合国傷病兵慰問会の用務を帯びて東京駅発、蓮沼主幹と共に京阪地方へ西下されたり。
    ○蓮沼主幹
 渋沢男爵と共に西下し、米原支部にては車中に於て支部幹事静海氏其他十数氏の団員と交歓し神戸・大阪の支部を訪ひ、次で愛媛松山師範支部発会式を挙げる為め四国に渡れり、詳細は本文に在り。


向上 第一一巻第四号・第六―九頁 大正六年四月 四国行通信 蓮沼門三(DK430095k-0006)
第43巻 p.505-506 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕向上 第一一巻第四号・第一二〇頁 大正六年四月 ○渋沢男及蓮沼主幹の来神(DK430095k-0007)
第43巻 p.506-507 ページ画像

向上 第一一巻第四号・第一二〇頁 大正六年四月
    ○渋沢男及蓮沼主幹の来神
 本団顧問渋沢男及伊予松山の支部発会式に臨まるべき蓮沼主幹は、三月十四日午後九時十分三宮着の汽車にて当地に着せらる。賛助員内
 - 第43巻 p.507 -ページ画像 
藤少佐及団員数名駅に出迎ふ。男は喜悦の色を以て吾等の挨拶を受けらる、翌十五日早朝出迎へたる賛助員及団員は、蓮沼主幹と共に男を旅館常盤花壇に訪ふ、親しく引見せられ懇篤なる訓辞を与へられり、退出後主幹は岸田幹事と共に其宅に赴かる。夜同幹事宅の隣なる神戸第二向上舎に於て舎生一同に一場の訓話を与へられたり。講演会を催し、是非男爵の講演を乞ふ筈なりしも、御滞在日数僅かに一日なりし為め、遂に今回も亦其目的を達し得ざりしは遺憾の極なりき。