デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.532-535(DK430102k) ページ画像

大正6年11月10日(1917年)

是日、東京高等工業学校ニ於テ当団高工支部大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK430102k-0001)
第43巻 p.532 ページ画像

集会日時通知表 大正六年           (渋沢子爵家所蔵)
拾壱月十日 土 午後三時 修養団支部大会(高等工業学校)


向上 第一一巻第一二号・第九五頁 大正六年一二月 高工支部報告 東京高等工業学校支部大会(DK430102k-0002)
第43巻 p.532-533 ページ画像

向上 第一一巻第一二号・第九五頁 大正六年一二月
    高工支部報告
      東京高等工業学校支部大会
 未曾有の欧州大戦争は活動遅々たりし我市場をして一大活躍をなさ
 - 第43巻 p.533 -ページ画像 
しめ、物質的文明に心酔せる我国民をして益々黄金万能主義を唱へしめつゝある今日、千鳥の小波に揺られ楽しむ隅田川に、燃ゆるが如き青年の血の影を写したる我が高等工業学校は此浮薄に流れ行く国家を憂ひ、その数は少なりと雖も真に共鳴したる同志相集ひ修養団高工支部大会を開催せり、時はこれ十一月十日。朝来の曇天は開会に先立つ一時間からりとした日本晴とはなりぬ。嗚呼、天帝我等が此挙を喜び給ひてかと思へば力百倍して感謝せざるを得ざりき。会場は本校講堂百五十余名の来会者ありき。杉田・村上・飯塚・江口・大槻・外川の六教官は多忙中にも拘らずに来会下されたり。
 午後一時開会、幹事は開会の辞と共に列車中よりわざわざ我等団員を激励せんと送られし熱誠全文に溢れたる我主幹蓮沼先生の御書簡を朗読す。次に顧問手島前校長は御病体にも拘らず我等がために来駕下され「技術者の覚悟」なる演題の下に約一時間我等を督励し給ひき。
 次に実業の日本社長増田義一先生の御講演あり。「意志の鍛錬」てふ演題にて大いに吾人の意志の鍛錬につき一時間半の長き間熱弁を振はれたり。次に顧問渋沢栄一男御登壇。吾人の信仰に関して、御多忙中にも拘らず約一時間にわたり説き給ひき。誠に男爵の御熱心の程を思へば我等一同誰か感涙に咽ばざらん。
 最後に高木兼寛男は「修養」につき二時間にわたり少しの疲労も現れず、我国現在の青年の大妙薬とも謂つべき講話をなされ、尚男爵独特の国民運動、忠君愛国運動を自ら指揮され、団員と共に運動されたりき。
 これにて閉会し、直ちに食堂にて団員懇親会を開く、時正に六時。
 末筆ながら祝電御寄送の先輩添田寿一先生・橋本清之助先生及び同志浜名支部団員諸賢に対し、略儀ながら厚く感謝すると同時に他日大いに為すあらんことを期す。


向上 第一一巻第一二号・第四五―四八頁 大正六年一二月 青年諸君に望む 渋沢栄一(DK430102k-0003)
第43巻 p.533-535 ページ画像

向上 第一一巻第一二号・第四五―四八頁 大正六年一二月
    青年諸君に望む
                       渋沢栄一
      なくてはならぬ米の飯
 私は先日越後から東北六県を旅行して参りましたが、長岡其他の支部や学校に於て修養団員に会ひ、其都度私の希望を諸君に話して帰りました。今日の御会合に是非出て話せよと係りの方からお話があり、又蓮沼主幹からも、自分は神戸の方へ行くから是非都合して出て呉れといふお言葉でありましたから、此頃感冒をひいて声が出ぬが、可成来場する所存で今日も繰り合はせて来たやうな次第であります。あまり効能のある話もせぬのに大した勿体をつけて、此処に参場した事を誇張して云ふやうであるが、決して其様ではない、全くのところ大に勉強して来たのをお察し下さい。
 別に社会問題、又は学術的の新見解を開いた訳でもなく、私の云ふのは何時もアリフレタ又かと思はれるかも知れぬ事であるが、実際に必要なものは左様に美味いものではない。時には珍らしい事も、美味い事もあるが、平常食つて居てはあまり美味くも珍らしくもない、け
 - 第43巻 p.534 -ページ画像 
れども一日も必要欠くべからざるものである、例へば日常の米の飯がなかつたら、矢張り日常生活は出来ぬ。けれど此節の米の飯も昔の米の飯も変りはないが、美味くも不味くもない。
 支那で或る僧が、或る人に徳を教へた処が其人の曰く、「三尺の童子も之を云ふ」と答へたので其僧はすかさず「百歳の老人も行ふこと能はず」と云つたといふことで、なかなか云ふは易く行ふは難いものであることが判る。
      徳川氏と精神教育
 日本の現在は余程注意を要する時である。寧ろ如何なる風潮に引つけねばならぬかを考へねばならぬ時である。維新以来五十年間に物質的文明は長足の進歩を遂げたが、思想界の如き精神的方面が其割合に進んで居ないといふことは、何人も争ふべからざる事実である。故に利益にのみ走ると、知識のみが発達して道義観念が乏しくなることは免かれぬ。元来日本の歴史を通じて、殊に徳川三百年間は武道が発達して義侠的犠牲的感念が盛で、世の為め社会の為め生くべきものであるといふ感念が強くて、自己本位利益本位ではなかつた。従つて其割合に知識方面乃ち物質的方面の発達が之れに伴はなかつた。而して東洋哲学即ち儒教が最も重んぜられ、一方には仏教がよく修められた。斯く精神的方面の教育は大に発達したが、其功は徳川家康に帰せねばならぬ。日本外史を纂めた頼山陽も未だ此事は十分理解して居なかつたと見へて、仏学に就て徳川氏が力を尽した事は書いてない。
 林羅山は十八歳にして万有書物を読み尽したと云ふことはあるが、仏教に力を竭したことは殆んど云ふてない、天海和尚も僧侶の癖に、国家安康の文字に難題を吹き掛け、大阪方を滅ぼしたと大に批難してある。これは天海の為め甚だ気の毒のことで、天海も国家安康の文字を判断する議には参したが、必ずしも天海が之を主張して難癖を大阪方につけたのではない。家康は天海を非常に尊敬して居た、家康が駿河へ隠居したのは六十四歳の時で、七十五歳で死するまで十一年間も天海に就て仏教の教義を聴き、大に仏教の弘通に力を尽した。天台宗の奥の院で行はれる大乗階乗の問者、答者には家康躬ら九十日間に四十幾回出席して其討議を聴聞したといふことである。これを見ても徳川氏が如何に仏教に力を注いだかを知ることが出来る。
      道徳と経済の一致
 斯の如く徳川氏の頃までは物質的方面よりも、精神的方面が進歩して居たのに、明治維新以来五十年間に全たく之れが転倒するやうになつたのである、私は実業界に於て永く物質の進歩に力めたけれども、今日に於ては道徳と経済とを一致させるやうに努力し居る、これは決して従来の罪滅ぼしのつもりではなく(私はそれほど罪障を作つて居るとは思はぬから呵々)道徳と経済は一致しなければ、真の富は為すことが出来ぬと思ふからである。
 徳川三百年間に於ける政治では、或る点は即ち犠牲的観念の発達、公共的の利益を思ふ心は或は今日よりも優れて居たかも知れぬ。一歩進めて勝つて居たと断言してよいかとも思ふ。けれどもこれ丈けでは国は進歩しない、必ず物質方面の知識が増さなくてはならん。けれど
 - 第43巻 p.535 -ページ画像 
も今日の如く物質的利益の外は何物をも考へることなく、自己本位に進んで行つたなら、遂には其極端に達して所謂弱の肉は強の食であると云ふことになりはしないか、唯だ力にのみ拠る政治界・軍事界が即ちそれである。
 若し実業界が此のまゝで進んで行つたなら、其結果互に牙を包み爪をかくして、呑噬を事とするやうになる。斯くの如くなる時は知識が増し、種々な力が増せば増すほど世の平和を害し、進歩を傷けることになる。犬や猫位の時代なれば如何に暴れても其の及ぼす害が少いが段々強い猛獣になれば、其影響が甚だしくなつて来る。
 欧洲大戦は最も強い牙、最も強い爪を持つて居る動物の争ではあるまいか、斯くの如くの有様では神の意奈辺にあるか疑はざるを得なくなる。
      無駄花となるな
 故に私はどうか世界をして、正しき人道に依つたものとして互に相犯すなく、互に楽しき生を営むやうにせしめ度いと思ふ。私は八十近い老人でありながら一人の力を以つてよく自分の希望を貫徹し得るとは思はぬ、諸君は第二の国民として今後の国家を負ふて立つ青年諸君であるが故に、先づ以て諸君に望むのであります、人は智識も必要であるが、更らに正道を踏む精神的の活動が大に必要である。世に立つに此事を忘れてはならぬ。
 人は世に立つには如何しても信念がなくてはならぬと思ふ。斯く云へば如何にも宗教家のやうに聞えましやうが、但し信仰と信念とは必ずしも全く一致すべきものではない。又私の云ふのは斯かる宗教を信仰なさいと云ふのではなくて、人は世の中に立つには斯くあり度いと思ふ堅きものを把持すべしといふのである、この信ずる処を飽くまで突き貫くのが人たるものゝ信念である。此れがない人は水のまにまに浮いて流れる浮草、風の吹くに任せる草木のやうなものである。
 人悉く同じに持つ訳には行かんが、自分の時代・境遇・年齢など種種なるものに応じて、人は斯くあらねばならんと信ずる或る堅きものを有せねばならん、信念には大小、遅速の差はあるが、信念を持たねばならんといふことは動かすべからざる事実である。
 私は堅固な信念を以て八十年の生涯を経来つたつもりである。若い時外国の侵入を受けてはならぬと奮起して郷国を出た時から、明治六年官界を退き実業界に入つても、又実業界を退隠して社会事業の為めに尽さうと活動して居る今日でも、及ばずながら道理正しい道を以て世の為め尽さうといふ信念は如何なる場合にも曲げたことはないつもりである。
 修養といふのはつまり、此信念を養ふて行くといふことで、口では甚だ立派なことを云ふが、其実際の行は大に云ふことゝ異つて居る。議論では高尚なことを云ふが、実行が甚だ卑しいといふことになれば無駄花で何の甲斐もない。吾々は信念を養ふと共に言行一致といふことが最も大切なことである。(髙工支部講演、風間・広瀬筆記)