デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.573-576(DK430116k) ページ画像

大正8年8月(1919年)

是月、当団第五回天幕講習会、熊本県阿蘇山腹ニ開カル。栄一、之ヲ援助シ且祝電ヲ発ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK430116k-0001)
第43巻 p.573-574 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正八年           (渋沢子爵家所蔵)
五月二十三日 半晴 暖
○上略 蓮沼門三氏来ル、修養団ノ近状ヲ報告シ且当夏ノ講習会ヲ熊本県下阿蘇山ニ開設ノ事ヲ協議セラル、又労働問題其他思想界ノ現在将来ニ付意見ヲ交換ス、又団ノ機密費云々ノ内話アリ○下略
   ○中略。
六月八日 曇 暑
 - 第43巻 p.574 -ページ画像 
○上略 事務所ニ抵リ○中略
午後五時頃ヨリ修養団幹事諸氏来ル、二木・宮田・北爪氏等モ来会ス修養団ニ関スル近状ヲ話シ労働問題ノ経過ヲ説示シ、夜十一時迄種々ノ談話アリタリ○下略
   ○中略。
六月十七日 曇 冷気 今朝ハ頃日ニ比シテ少ク暑気アルヲ覚フ、但シ天候ハ梅雨濛々トシテ雨ナラサルモ朗晴ノ時ナシ
○上略 午前八時○中略 修養団妹尾幸三氏来リ、井上知事ノ行実ニ付談話ス
○下略
   ○中略。
八月十六日 曇 冷
○上略 朝飧ヲ食ス、後修養団員山田氏来リテ向上雑誌ニ記載スヘキ時事ニ関スル意見ヲ求メラル○下略


向上 第一三巻第九号・第六二―六六頁大正八年九月 □天幕講習会尽力者芳名□(DK430116k-0002)
第43巻 p.574-575 ページ画像

向上 第一三巻第九号・第六二―六六頁大正八年九月
    □天幕講習会尽力者芳名□
      ○阿蘇山腹を開催地と決定したる理由
△国家的事業と目せられて居る天幕講習会は、其開催地が幽邃にして而も雄大の風景を有たねばならぬ。計劃が大仕掛である丈けに、準備に都合よい条件が具備せねばならぬ。二者相伴ふ処を選定するには随分苦心を要する、該講習会が常に開催地からは、特別を以て五十名の多数を選抜して居り、其受講した者が其郷党改善及青年指導の為めに甚大の好成績を挙げて居る故に、県知事初め有識者が、自分の県下に候補地を選定して、玆に開催すべきことを強要する処が頗る多い。本部に於ては協議に協議を重ねて、就中最も熱誠な尽力者を多数有する処に決定することにして居る。
△熊本市には坂本剽君が種子蒔をして発育せしめた健全な支部があり大正三年初夏発会式を挙げてより以来、中坂辰九郎氏・長野惟郷氏・坂本道氏等始め十数名の熱誠の同志が、本真剣に本団の拡張に努力して居り、団員も漸々増加して百名に近く、将来は熊本を中心として九州一円を風靡せんとする気勢を示して居る。而も団員の実績が次第に社会に認められて、先輩の信用も益々加はりつゝある。特に昨七年の夏期に於てこれ等支部団員が中心となつて、天幕講習会の予備的講習会を開いて好結果を現はし、会場地の所有主は団員長野惟寛氏であつて、尊父惟継氏始め一家を挙げて修養団の賛成者である。支部幹事等は「献身的努力を以て本部主催の大講習会に尽力すべきにより、是非阿蘇山湯の谷を其候補地にされるやうに」と極めて熱誠なる交渉を重ねられた。
△三重県知事長野幹氏は本団の賛成者たると同時に、天幕講習会に大趣味を有せられ、是非とも伊勢大廟続きの朝熊山を候補地として呉れとの御話があり、昨年の講習会には態々中禅寺湖畔迄音羽県視学を出張せしめて研究もされた次第である。されど当地には団員が少い。県庁側で万事尽力されると申しても、徹底的に準備を完成するは盟契の
 - 第43巻 p.575 -ページ画像 
同志が無ければ困難である。故に三重県を次回にして今年の候補地を熊本に決定したのであつた。
△団員が火の如く熱心であつても、県庁側で冷淡であつては充分に目的を貫徹することが不可能故、先づ熊本県知事川口彦治氏の意見を求めたいと考へて居つた時に、宛も好し川口知事地方長官会議の為めに上京された。そこで蓮沼主幹・後藤幹事長が内務省に出頭し、田沢義鋪君の紹介によつて川口知事に面会し、委細相談した処が大々的賛成で出来る限りの尽力をするといふ誓約を得、且つ小橋内務次官が幼少の折、阿蘇で育たれ、且つ永々熊本県庁に居られた関係上、大に賛成して、諸般の便宜も与へて下さることゝなつた故、「遠隔の地故不便なり」との反対も多少あつたが、断然阿蘇山を開催地と決定した次第である。
      ○東京側の尽力者
△天幕講習会が文部省・内務省又は各県当局者に於て開催するとせばいくら内輪に見積つても四千円内外の経費は入用であらう。修養団に於ては凡ての篤志家が献身的に尽力されるから、従来千円から千五百円内外で済んで居る。本部から出張する講師も、其他の講師も事務加勢者も皆旅費丈けで働いて呉れる。殊に開催地の団員や、青年会員・村民・官吏等も無報酬で尽力されて居る。それにしても物価騰貴の今日に於ては、二千円近くの入費は是非とも調達せねばならぬ。其費用は特志家の寄附と、内務・文部の補助を仰がねばならぬ。
△渋沢・森村顧問は、本会の効果顕著なるを認められ、益々之を発展拡張せしめ度いと念願せられ、自ら参百円宛を寄附され、尚寄附募集の趣意書を書いて下され、蓮沼主幹が東京の賛助員を歴訪して寄附を依頼した処が、古河合名会社・亀岡豊二氏・今村繁三氏・服部金太郎氏・清水釘吉氏・粟原幸八氏等は快く多大の寄附を申出られ、浜松支部の賛助員宮本甚七氏・岐阜恵那郡支部賛助員管井蠖氏等は、進んで寄附を申越された。
△内務省に於ては、床次大臣・添田局長・田子課長始め其他諸員の好意によつて、参百円の奨励補助金を下附され、又は各県知事に本会を紹介されて優良なる講習員選出の件をも通諜された。文部省に於ては赤司局長・山崎局長、武部・下村参事官、乗杉督学官久保一郎氏、玉井広平氏等の好意により、今年より弐百円の補助金を下附せられ、且つ普通・実業両局長の名を以て各農(林)学校長・師範学校長に通諜されて、会員選出の件につき多大の尽力をされた。
△後藤幹事が実地踏査の為め熊本に出向する折に、渋沢顧問は川口知事及熊本の実業家に宛てられた懇篤なる紹介状を与へられた。
△田中陸軍大臣は、本会を以て青年指導の最適切なる国家的運動と目せられ、小池六師団長に紹介状を送られた。
○中略
      祝辞○略ス
      祝電
○中略 渋沢栄一男○下略

 - 第43巻 p.576 -ページ画像 


〔参考〕修養団三十年史 同団編輯部編 第二三九頁昭和一一年一一月刊(DK430116k-0003)
第43巻 p.576 ページ画像

修養団三十年史 同団編輯部編 第二三九頁昭和一一年一一月刊
 ○附録 財団法人修養団沿革概要
    修養団講習の特色と歴史
○上略
 第五回講習会(大正八年八月)……阿蘇湯の谷(熊本)
 第六回講習会(大正八年十二月)…静浦海岸(静岡)
○下略