公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第43巻 p.581-584(DK430122k) ページ画像
大正9年8月19日(1920年)
是月十五日ヨリ、当団第八回天幕講習会、箱根仙石原ニ於テ開カル。是日栄一、閉会式ニ出席シテ訓話ヲナス。尚、大正九年度講習会ノ費用トシテ
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金三百円ヲ寄付ス。
向上 第一四巻第九号・第六五頁大正九年九月 天幕講習会寄附芳名(DK430122k-0001)
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向上 第一四巻第九号・第六五頁大正九年九月
天幕講習会寄附芳名
大正九年度に於ける六甲山二楽荘・箱根山中仙石原・沼津静浦海岸にて開催す可き天幕講習会の経営費補助として寄附されし篤志者の芳名を掲げ感謝の意を表す。
一金参百円也 顧問 男爵 渋沢栄一殿
一金参百円也 顧同 男爵 森村開作殿
一金百円也 評議員 服部金太郎殿
一金百円也 賛助員 大倉和親殿
一金百円也 同 清水一雄殿
一金百円也 同 茂田定昌殿
一金五拾円也 同 栗原幸八殿
一金参拾円也 同 長瀬祐三郎殿
一金弐拾円也 同 宮本甚七殿
一金弐拾円也 同 西沢善七殿
一金弐拾円也 同 鈴木梅四郎殿
一金弐拾円也 団員 西山勝之助殿
補助金下附
一金千円也 内務省
一金参百円也 兵庫県
一金弐百円也 神奈川県
○下略
向上 第一四巻第九号・第二九―三六頁大正九年九月 国士感激に相抱く原頭 第八回天幕講習会の記(DK430122k-0002)
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向上 第一四巻第九号・第二九―三六頁大正九年九月
国士感激に相抱く原頭
――第八回天幕講習会の記――
○上略
八月十九日
意義ありし講習会も愈々今日限りと云ふに何等の光栄ぞ、畏くも宮の下御用邸に御滞在中の 皇太子殿下には仙石原に御運動のみぎり、幹部並に会員一同に拝謁を賜ひ、しかのみならず原頭に立たせ給ひて親しく一同の国民体操を御覧ぜらる。
折しもあれ、時ならぬ白雨は猛然として来り、殿下と臣等と共に濡れそぼちた。さるにも拘らず殿下には、儼としていと御熱心に御台覧ありたるは臣等の恐懼措く能はざる所のものである。
体操の終ると同時に殿下はいと御満足遊ばされて御休息所にお帰り遊ばされた、其御後姿の遠く消ゆるまで拝送し奉つた臣等の目には何時かは知らず一ぱいの涙が湛へた。
此の光栄に感激して、蓮沼主幹は一同の前に、一場の訓示をした其面には滂沱たる涙を見た。あゝ其時の訓示こそ千釣の力を以て一同の肺腑を抉ぐり、千古に残るべきものである。その言葉は数言に過ぎなかつたが、今日までに嘗て見ない力と光と熱があつたものであらう。
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私は昨夏の本誌天幕講習号に於ける後藤先生の言葉を思ひ出す『今回の講習に於ける真剣本気の青年を見るにつけても、我が帝国に此様な麗しい憂国の団体があり志士が命を捧げ奉つてゐる実際を天聴に達したならば、如何ばかり御悦び遊ばさるゝ事かと拝察する…』と。
今日此日吾等の赤誠は天に通じたのだ。
木標を立てゝ原頭を去る。
此日また雨を押して渋沢顧問の御来場があつた。そして吾子の此の元気と光栄とを目のあたりに見て喜ばれた。
一同は濡れたまゝ講堂に入り、直に閉会式に臨む。顧問の訓示もあり、会は順序の如く運んだが一同の顔には云ふに云はれぬ興奮が見えてゐた、希望の光が輝いてゐた。
かくて光栄に満ち溢れた第八回天幕講習会は全く終を告げ、別れを惜しむ各家々の家族は、家長を擁して互にその健康を祈り、奮闘を誓ひ合つた。
「万歳万歳」村内各所に起る此の力ある万歳の声に一同は肩の鞄の重きよりも、更に重い光栄と感激と希望とを此上無い郷国への土産とはして、右し左し各々思ふ方に相別れた。
○中略
翌二十日は風雨の中を更に会場の後始末をして、此の意義ありし講習会を記念すべき一基の木標を建てゝ下山した。
嗚呼、この原頭なる一基の木標、こゝに幾度か草の茂つては枯れ、虫のすだきは去る事があつても、汝はひとり国士の涙を語つて居よう更に又数年の後、汝が朽ち毀たるゝ時が来ても、汝が建てられたる地には、尊い同志の汗が、必ずや何物にかなつて輝くであらう。
おさらば、函嶺仙石原よ!
訓示講話
因に本講習開期中訓示及講演ありたるは、
団長 田尻稲次郎氏
顧問 渋沢栄一氏
評議員 田沢義舗氏
医学博士 二木謙三氏
主幹 蓮沼門三氏
主事 後藤静香氏
愛知県農林学校長 山崎延吉氏
巡回講師 清水文弥氏
代議士 津崎尚武氏
神戸支部長 岸田軒造氏
○栄一、八月十五日ヨリ同三十一日迄箱根小涌谷ニ滞在ス。
〔参考〕修養団三十年史 同団編輯部編 第二三九頁昭和一一年一一月刊(DK430122k-0003)
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修養団三十年史 同団編輯部編 第二三九頁昭和一一年一一月刊
○附録 財団法人修養団沿革概要
修養団講習の特色と歴史
○中略
第七回講習会 (大正九年八月)………………六甲二楽荘(兵庫)
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第八回講習会(大正九年八月)…………箱根仙石原(神奈川)
第九回講習会(大正九年十二月)…………沼津学習院(静岡)
○下略
〔参考〕向上 第一四巻第一〇号・第五五頁大正九年一〇月 白色の衣もすがしき鮮人女子訓導を渋沢顧問邸に迎へて 記者(DK430122k-0004)
第43巻 p.584 ページ画像
向上 第一四巻第一〇号・第五五頁大正九年一〇月
白色の衣もすがしき鮮人女子訓導を
渋沢顧問邸に迎へて ――記者――
曇つては居たが雨とはならぬ九月の廿六日。かねて入京の鮮人女子訓導内地視察団を渋沢子邸に招じた。
定刻午後三時には田尻団員・二木博士を初め、本団幹事・評議員は詰めかけて此の遠来の珍客を待つた。
午後四時をやゝ過ぐる頃、或は白色の上衣に、あるは水色の上衣に胡蝶の如き一行十四名は、後藤幹事長に引率せられて来邸した。一行は連日の疲労も忘れてその面には云ふに云はれぬ喜びの色が漂つてゐた。一同は会場に当てられた邸内晩香廬に入り茶菓の間に団長の挨拶があつた。後藤氏が『今皆さんの懸けて居られる椅子は皆国賓のお懸けになつた椅子です、恐らく皆さんのやうな若い女の方が掛けるのは之が初めてでせう』と云つた時、一同の胸は歓喜と感謝に躍つたものの如く一斉に喜びの声をあげた。
茶菓の饗応があつて後、邸内を拝見し、夕刻喜々として散会した。
○是日栄一、埼玉県児玉郡丹荘村字元阿保ノ故福島都三郎ノ頌徳碑ヲ訪ヒ、次イデ郷里血洗島ニ赴キ、飛鳥山邸ニ不在。